一流

バス停の点字ブロックの上で、
寝ぼけまなこでバスを待っていた。
バスのエンジン音が近づいてきた。
運転手さんはバスを停車させながら、行先を外部スピーカーで教えてくださった。
最近のバスの人工音はそもそも聞きにくい。
こうして外部スピーカーで伝えてくださることでただ確認できるというだけでなく、
ミラー超しに見てくださっているという安心感がある。
乗車しようとしたら、ノンステップであることも伝えてくださった。
そして乗車と同時に、
僕が手すりをつかんで立った目前のイスが空いていることを教えてくださった。
僕は運転手さんに届く大きさの声でありがとうございますを言いながら座った。
運転手さんはバス停に着く度に、乗車してくるお客さんに丁寧な案内を続けられた。
いくつめかの停留所で車いすのお客さんが乗車された。
運転手さんは、すぐに運転席から出てきて車いすの固定をしようとされたが、
留め具の形状が合わなかったようでいつもよりは少し時間がかかった。
なんとか準備ができて、再度バスを出発させる際、
運転手さんはまるで車いすのお客さんの代弁者のように、
出発が少し遅れたことを詫びられた。
ただ、その言葉の選び方にも、車いすのお客さんへの配慮が感じられた。
和やかな空気の中で、バスは走り続けた。
そしてまたいくつメカのバス停、
乗り込んできたお客さんの一人が、
バスが定刻でないと運転席の近くまで行って、運転手さんを攻めた。
「お客様の安全な乗車のために少し遅れました。申し訳ございません。」
運転手さんはただそれだけ謝ると、先ほどまでと同じように運転を続けられた。
バス停に着く度に、爽やかな声で案内をされていた。
終点の桂駅にバスが到着した。
僕は予定の会議に遅れそうだったが、
わざと一番最後に降りた。
一流の仕事をできる人と、少し会話をしたかった。
「運転も接客も放送も、すべて完璧で感動しました。ありがとうございました。」
降り際に、僕はただそれだけを伝えた。
運転手さんは微笑みながら、そんなことないですとおっしゃった。
僕は再度感謝を伝えながらバスを降りて、駅へ向かって歩き出した。
そしてなんとなく、今日はきっといい一日になるなと思った。
(2014年9月4日)

遅すぎる反省

京都駅西改札口、点字ブロックの先にある有人改札口は込んでいるようだった。
僕は雰囲気を手掛かりに動こうとした。
その時、「sorry」という女性の声がして、
それから「sorry」という男性の声も続いた。
二人は、僕の前を通り過ぎながら、再度sorryを繰り返した。
僕は突然だったので、
sorryと返した。
何と返せばいいのか、以前誰かに教わったような気もするのだが完全に忘れていた。
無言よりもましだと自分を慰めながら、
点字ブロックを頼りに、待ち合わせの八条口新幹線改札口に向かった。
記憶の地図だけで動いていたので案の定迷子になった。
点字ブロックの上で首を傾げていたら、これまた英語での女性の声。
意味はまったく理解できなかったのだけど、
困っている僕を助けようとしてくれているのは判るのだから、
人間同士のコミュニケーションって凄いと思う。
「sinkansen entrance Please!」
文も発音もでたらめの英語らしきものが
僕の口からこぼれた。
彼女はオーケーと言いながら、やさしく僕を引っ張った。
そして、新幹線改札口に着いた。
なんとか伝わったらしい。
「Thank you card Please!」
僕は胸ポケットからありがとうカードを取り出して、彼女に手渡した。
「ありがとう」と言いながら受け取ってくれた彼女は笑顔だった。
彼女にバイバイと手を振りながら、
中学校時代にもっと真面目に英語を勉強すればよかったと、
深く深く反省した。
それにしても京都駅、
日本人の方が多いはずなんだけどなぁ。
(2014年8月30日)

豪雨

地元の駅に帰り着いたら、まさに豪雨だった。
僕は左手で傘をさして右手の白杖で足元の点字ブロックを確認しながら、
いつもの半分以下のスピードで歩き始めた。
豪雨は、僕が一番頼りにしている耳からの情報を完全に奪っていた。
さほどの恐怖感が発生しなかったのは、
人間だけが行きかう道だと判っていたからだろう。
それでも下りの階段はいつもより長く感じられたし、時間もかかった。
階段を降り切った近くに僕が日常利用するバス停がある。
そこまで点字ブロックがつながっていて少しの屋根があるのも知っている。
そこに向かったのだが、失敗した。
完全に方向を見失った。
豪雨の中で立ちすくんだ。
タクシーに乗ろうかとも考えたが乗り場まで行く自信がなくなっていた。
自分の居場所も方向も何も判らなくなっていた。
人の足音ももちろん聞こえなかったが、幾度か助けを求める声を出した。
何も反応はなかった。
近くに人がいないか少し白杖で探ったが、それでも何も判らなかった。
それ以上動かなかったのは、
傘がぶつかったり白杖が当たったりして、
他人に迷惑をかけたくないという気持ちがあるからだろう。
目も見えず耳も聞こえないという状態で、豪雨の中にただ立ちすくんだ。
10分に一本くらいのバスがあるのも判っているのだが、
エンジン音も聞こえない僕は一歩も動けなかった。
雨が傘をたたき続け、傘を通り越した雨粒が折れそうになる心に沁みこんできた。
うなだれそうになりながら、
ふと、今日のお昼に一緒に歩いた男性の言葉を思い出した。
講座の受講生として出会った彼は53歳と言っていた。
口数は少なかったが、応援する言葉をくれた。
もう50歳を超えているオッサン同士だからストレートな言葉は使わない。
いや、気恥ずかしくて使えない。
ぶっきらぼうに、そしてさりげなく、
でも確かに彼はエールを送ってくれた。
その言葉を思い出しながら、うなだれそうになった首が持ち上がるのを感じた。
もちろん元気よくではなかったが、確かに折れそうになっている僕を支えていた。
僕はだんだん、何時間でも立っていられるような気分になっていた。
「バスに乗るのですか?」
高校生くらいの男の子が声をかけてくれるまで、
30分以上の時間が経過したのだろうが、
僕は待ち続けた。
あきらめないで、いや、あきらめて、
辛抱すればなんとかなる。
人生、なんとかなってきた。
それにしても、言葉の力はすごいものです。
誰かに力を与えることもあるのです。
(2014年8月25日)

グレーのスラックスと消えた大盛りラーメンの関係

ちょっと朝寝坊したのも手伝って、慌ただしい朝となった。
急いで身支度を整え、朝食抜きでコーヒーだけを飲んで出かけた。
上の服は黒というのは判っていた。
昨夜のうちに妻に確認しておいたからだ。
スラックスは、多分黒だと思って出かけた。
これは確認するのをしなかった。
と言うよりも、日常は服の色は気にしていない。
よっぽどのことでもない限り、わざわざ確認はしない。
ほとんどの服は単色で、しかも黒やグレーが多いから、
日常生活には問題はないのだ。
研修会場に到着して、仕事がスタートした。
受講生としばらくやりとりして、愕然とした。
スラックスが明るめのグレーということが判ったのだ。
今日の予定は、夕方までの研修が終わったら仲間と待ち合わせて、
知人のお通夜に行くこととなっていた。
明るめのグレーのスラックスで出席するわけにはいかない。
僕に色がわかるかとかわからないかとか無関係に、
それが社会に参加するということだ。
僕は昼食の時間を利用して、
スラックスをはき替えるためにタクシーを使って帰宅した。
時間ももったいなかったし、お財布も、まさに無駄な出費だ。
自分が悪いのだけれど、やっぱり悔しい。
なんとか昼食には間に合ったけれど、お腹が空いていたけど、
200円アップの大盛りラーメンを我慢して普通盛りにした。
こんなことで言いたくないけど、
目さえ見えたらなぁ!
しばらくは、ラーメンを食べる度にとんでいったタクシー代を思い出すのだろう。
悔しい思いをエネルギーに変えて、きっと人間は成長します、きっとね。
(2014年8月23日)

セミ

今日は、すれ違う人の足に白杖が幾度もぶつかった。
白杖のグリップを右手で持ち、
おへその前で左右に振る。
いつもと同じくらいの角度で持って、
いつもと同じくらいのスピードで歩いているつもりなんだけど、
たまにそんな日がある。
そんな日は自分でなんとなく判るので、
いつもより慎重に、注意力を高めて歩く。
一日の仕事を終えて無事地元に帰り着き、
スーパーマーケットで買い物をすませて、団地の中の道を帰路に着く。
やっとちょっとのんびりした気分になる。
ふと、セミの声の変化に気づいた。
音色なのか音程の高さなのかは判らないけれど、
夏の始まりに感じた勢いではなくて、
夏が終わり始めているさみしさみたいなものが感じられた。
僕はわざとゆっくり歩いた。
夏が終わりに近づいているということは、
秋の扉が少し開き始めたのだろう。
小さい秋、いっぱい見つけたいな。
セミの短い一生に思いを寄せながら、
自分の人生の秋を自覚しながら、
今日も無事に帰ってこれたことにただ感謝する。
(2014年8月20日)

教え子

専門学校や大学などの非常勤講師の仕事をしているので、
毎年多くの学生達に出会う。
専門学校は半期の講座なので90分の講義を15回、
大学は通年なので30回することになる。
教室という空間でそれだけの時間を共に過ごすのだが、
学生の氏名はほとんど記憶していない。
数が多いということもあるだろうし、
画像がないということも大きな理由になるかもしれない。
それに、記憶が極めて苦手なのは自他共に認めていることだ。
学生達の氏名は憶えられないけれど、
講義の中では実習なども取り入れて、
思いや希望を伝えられるように努力はしている。
ただこれも、学生達の表情も判断できないし、
どれだけ伝えられているのかは自信はない。
未来に向かっての種蒔きだと自覚している。
一粒でも多くの種が、それぞれに発芽してくれますようにと願っている。
今日は京都府の相談支援の研修会での講師の仕事だった。
いわゆる講演というやつだ。
500名近くの受講者に、50分で僕達の思いを伝えなければならない。
難しいのはやる前から判っているので、
気取らずに飾らずに、いつものように語り掛けた。
少しでも伝わればいい、決して投げやりではない正直な思いだ。
講演が終わった後、数人の受講者が感想を届けてくださった。
その中に、二人の教え子がいた。
6,7年前に専門学校で僕の講義を受けたという彼女達は、
それぞれに福祉の現場で活躍されている様子だった。
話しぶりにもふるまいにも大人の女性の品位も感じられた。
僕自身は年を重ねただけで、
何も成長がないような気がして少し恥ずかしく感じた。
会場を後にして歩きながら、
「教え子」という言葉を思い出した。
教え子とは、教えた子ではなくて教えてくれる子なんだと気づいた。
教え子とのうれしい再会だった。
(2014年8月14日)

台風一過の朝

セミが鳴いている。
行きかう車のエンジン音が聞こえてくる。
会話しながら出かけていく母娘の声も聞こえる。
風の音も雨の音も止んだ。
朝の空気には、いつもの日常が戻った。
ただそれだけなのに、うれしくなる。
もう1時間もすれば、白杖を持っていつものように出かける。
たった一日だけの缶詰状態だったのに、
外の空気が妙に恋しい。
毎日外に出れるって幸せなんだな。
ふと、病院のベッドで病気と闘っている友人を思い浮かべる。
一日でも早く元気で帰ってこれますように、
そう願いながら、
そっと窓越しの台風一過の空を眺める。
(2014年8月11日)

宝箱

朝の光が判らない僕は、
音声時計のボタンを押すことによって一日の始まりを確認する。
枕元にあるはずの音声時計を、
寝ぼけまなこで手探りで探すという作業は、
面倒くさいのだけれど仕方ない。
せめて光だけでも確認できればなと、
ついないものねだりをしたくなる。
それが、今朝はその音声時計を使う前に朝を確認できた。
セミの合唱団の鳴き声だ。
なんとなくうれしくなって、
僕はわざと起きないで、
合唱団の音楽に聴き入った。
日常はうるさいと感じてしまう歌声が、
妙に愛しく感じられた。
少年時代の夏の記憶までが蘇った。
半ズボンに白いランニングシャツ、麦わら帽子にビーチサンダル。
針金の輪っかにクモの巣の糸をからめて、
虫捕り網にした。
網膜色素変性症の僕は、
木にとまって泣いているセミの姿をなかなか見つけられなかったけど、
ともだちが手伝ってくれた。
捕まえたクマゼミやアブラゼミの羽根の模様も美しかった。
もう見ることのない僕にとって、
ひとつひとつの映像の記憶が大切な宝物になっている。
宝箱のカギを、神様はいろんなところに隠しておられる。
ひとつでも多く見つけたいな。
見つけられるゆとりのある人生でありたいな。
(2014年8月5日)

ウナギ

土用の丑の日、
たまたま立ち寄った牛丼屋さんに「ウナ丼」というメニューがあったので、
牛丼よりはだいぶ高かったけれど、
奮発して頂くことにした。
迷ったのだけれど、
それでも、ウナギが二切れのを注文する勇気はなくて、
一切れので我慢した。
我ながら、可愛い小市民だ。
香ばしい香り、ふんわりとした独特の食感、
笑顔になってパクパク食べた。
味覚も胃袋も満足して、
十分幸せな時間となった。
食べ終わってお茶を飲みながら、
少年時代、親父とウナギ釣りに出かけたことを思い出した。
高松川が海につながるあたり、
夜の港に腰を下ろして、
豊かな時間だった。
あのヌルヌルを手が記憶している。
釣り上げたウナギを、親父が上手に掴むのを、
自然に尊敬した。
持ち帰ったウナギは、
まな板で頭部をクギでさされて、
親父の包丁の餌食になった。
それから七輪の火で焼かれて、そして食卓に上った。
とってもおいしかったのは憶えているのに、ウナギの顔は思い出せない。
ドジョウの顔は憶えているのに、
ウナギは思い出せない。
申し訳ないという思いは、
記憶を調整してくれるのかな。
妙な発見に納得しながら、
隣の客のウナギの香をかいで、残りのお茶をすすってごちそうさま。
暑さはまだまだ、頑張るぞ。
(2014年7月30日)

Make a difference

今年から、祇園祭が先祭りと後祭りに分かれて開催されることになった。
1100年の祇園祭の歴史からすれば、
49年前に交通事情で一緒に開催するようになったのを、
また元に戻したというささやかなことになるらしい。
今日は後祭りの山鉾巡行の日、多くの観光客が予想された。
僕はブレスレットをつけて、気合を入れて家を出た。
このブレスレットは先日会ったカナダの友人がプレゼントしてくれたもので、
真っ青な色のシリコンの生地に、
「Make a difference」
と英語の点字で書いてある。
半そでの腕に、真っ青なブレスレット、
それで白杖を振って歩くのだから、少しは目立つのかもしれない。
オッサンがつけるには気恥ずかしいものなのかもしれないが、
そこは自分で鏡を見ることができない強みとも言える。
ブレスレットの右手にしっかりと白杖を持って出かけた。
案の定、桂駅から乗車した特急電車は、
平日のお昼前、しかも夏休みというのにとても込んでいた。
僕は電車に乗車すると、
ドアの入口に立って捕まる手すりを探した。
その時、僕の手が誰かに触れた。
僕が小声で「すみません。」と言うのと、
彼女が「どうぞ。」と言ってくれるのが同時だった。
僕は安心して、手すりを持った。
僕達の間にいくつかの会話が流れた。
同じ烏丸駅で降りることが判った彼女は、改札口までのサポートを申し出てくれた。
勿論僕は喜んでお願いした。
烏丸駅の改札口に着くと、
彼女は僕の向かう四条駅の改札口までのサポートの延長を提案してくれた。
それくらい、烏丸駅は凄い数の人だった。
「子供が急に横切りました。」
僕を手引きしてゆっくり歩きながら、彼女は幾度か立ち止まった。
「人の動きが、縦横無尽な動きです。」
的を得た表現だった。
改札に着いて僕は感謝を伝えた。
「こんな日のサポートの声は、まさに天使です。ありがとうございました。」
「お気をつけて。」
天使が微笑んだ。
彼女と別れて歩きながら、僕はそっと心の中でつぶやいた。
「Make a difference」
(2014年7月25日)