新幹線

朝のラジオのニュースは緊張感に包まれていた。
台風は大きな勢力を保ったまま九州から本州に向かっている、
JR西日本は午後の電車をすべてストップする、
その他の地域の在来線も運休決定が続出、
新幹線にも変更や運休があるかもしれない。
僕は不安の中で迷った。
翌日から鹿児島県の子供達への福祉授業が予定されているのだ。
どこまで交通機関が機能してくれるのか、
もし移動の途中で動かなくなったらどうしよう。
いろいろな場面を想像しながら迷った。
それはきっと、突然の状況の変化にはとても弱い視覚障害の特性もあるからだろう。
そして、ギリギリのタイミングで行くことを決めた。
決めた理由は、なんとかなるだろうという根拠のないいい加減な気持ちだったかもし
れない。
困ったら、周囲の人にお願いすれば誰かが助けてくださるだろう。
まさに希望だ。
タクシーで駅に向かった。
運転手さんから、こんな日にどこに出かけるのですかと尋ねられたけれど、
なんとなく九州とは言えなかった。
地元の駅に着いて切符を購入して、新大阪駅での乗り換えのサポートを依頼した。
駅員さんからも、途中で止まる可能性がありますと説明を受けた。
覚悟していますと答えたら、気をつけて行ってらっしゃいと言ってくださった。
僕は笑顔で、行ってきますと答えた。
新幹線の中では何度も台風による運行状況のアナウンスがあり、
在来線はほとんど動いていないのが判った。
それでも、僕の乗車した新幹線は予定通りに動いた。
ただただ新幹線という乗り物の技術力の高さに感動した。
熊本を過ぎたあたりでワゴンサービスのホットコーヒーを頼んだ。
コーヒーの香りが心にまで浸みこんだ。
明日からの4日間、故郷の子供達にしっかりとメッセージを届けたい。
(2014年10月13日)

仲間

京都府の北部地域から集まった視覚障害者、ガイドヘルパー、ボランティア、
皆で福知山市内をパレードした。
白杖を持って、盲導犬と一緒に、ガイドさんや家族にサポートしてもらいながら
シュプレヒコールに背中を押されて歩いた。
と言っても、都会の雑踏とは違ってほとんど人通りはない。
一見すれば、あまり意味がないように思う人もいるかもしれない。
でもそれは違うのだ。
この京都のそれぞれの地域で暮らす視覚に障害を持った仲間が、
一か所に集って、皆で思いを言葉にする。
その言葉をしっかりと口にしながら歩くのだ。
そこに大きな意味がある。
この行事が始まってもう48年、
点字ブロックも音響信号もない時代からずっと、
バトンが受け継がれてきたのだ。
そして、僕達はこのバトンを未来に届けなければいけない。
僕は歩いている間、すがすがしさを感じていた。
そして、ずっと笑顔だった。
帰宅してパソコンを開いたら仲間からのメッセージ、
ねぎらいの言葉がやさしく微笑む。
心と心が握手する。
見えなくなって失ったものもある。
でも、得たものもたくさんある。
ひょっとしたら、人生は豊かになったかもしれない。
(2014年10月12日)

アイマスク体験

大阪府の高校の授業でアイマスク体験をした。
この高校では、僕は毎年3年生の家庭看護福祉という授業に関わっている。
京都からは遠くて通勤も結構大変だし、
今時の若者達がこの地味な授業にどれだけ興味を持ってくれるのかも判らないのだが
ささやかな希望を持って続けている。
今回の授業は視覚障害者が困っていたらどのように手伝ったらいいのかを学ぶ実習で
二人一組で片方がアイマスクをし、
もう一人がサポートをしながら校庭を歩くというものだった。
生徒達はそれなりに真剣に取り組み、
階段の上り下り、スロープ、狭い場所などの通過などを体験した。
水飲み場では、アイマスクのまま水を飲むことにもチャレンジした。
化粧がとれると心配を口にする女子高生もいたが、
それでも実習には真面目に参加してくれた。
その光景を感じながら、
また今年も高校生達に出会えたことに感謝した。
授業が終わっての帰り道、
校門に向かって歩いていたら、
「松永先生、さようなら。」
だいぶ向こう側から女子高生の声がした。
彼女は笑顔で手を振った。
僕も会釈をして、バイバイと手を振った。
秋空の下の校庭、
17歳の少女の制服姿の笑顔がとても絵になるような気がした。
(2014年10月9日)

風になりたい

ガイドヘルパー講座で知り合った有人からメールが届いた。
「風になりたい」を家族で回し読みしていると書いてあった。
僕はニヤリとした。
僕は3冊の本を出版しているのだが、
「風になってください」
「見えない世界で生きること」
「風になってください2」
がそれぞれの題名だ。
「風になりたい」という本はない。
でも、今回が初めてではない。
時々、この間違いが起こってしまうのだ。
きっとそれは、読んでくださった人の思いの記憶なのだろう。
有難い、うれしい間違いのような気がする。
2004年に出版された「風になってください」は1万冊という数になり、
今でも少しずつだけど、アマゾンなどで誰かが買ってくださっているようだ。
昨年出版した「風になってください2」は、
京都市の図書館で中学生向けの推薦図書になった。
とても光栄なことだ。
僕は特別に文学の勉強をしたこともなく、
自分でも稚拙な文章だと自覚している。
でもこうして支持してくださるということは、
本を支持してくださるというようりも、
見えない僕が参加していく社会に思いを重ねてくださっているということだろう。
「風になりたい」、
本当にありがとうございます。
(2014年10月4日)

音声時計

光を感じることのできない僕は、
目が覚めていつも同じことを思う。
「朝かな?夜かな?」
それから枕元の棚の上に置いてある時計を手探りで探す。
マッチ箱くらいの大きさでキーホルダーがついている。
触覚で確認しやすい形状だから、
寝ぼけていても探しやすい。
それをキャッチしたら、ボタンを押すと音声で現在時刻を教えてくれる。
朝を確認できるのだ。
この便利な道具が千円程度で買えるのだから、
物質的には豊かな社会なのだろう。
有難いことだと思う。
こんな道具がない頃、盲人はどうやって朝を探したのか不思議だ。
最近はトイレで起きるようになった。
二度寝することも珍しくなくなった。
若い頃は12時間以上でもひたすら眠れたことを思い出すと、
ただただ悔しい。
長時間寝て目覚めた時の光のまぶしさ、あの瞬間、
あれは幸せのひとつだ。
とっても穏やかで優しかった。
若くなくなって失ったものなのか、
見えなくなって失ったものなのか、
まあどちらにしても、
無い物ねだりの世界だな。
失明、的を得た単語だと妙に納得した朝です。
それでも、朝だよって、小鳥たちが笑っています。
(2014年9月29日)

かねたたき

琵琶湖のほとりで暮らす友人が、
かねたたきの鳴き声を録音して届けてくれた。
秋の虫合唱団にこんなメンバーがいたのは知らなかった。
58年という年齢を重ねてきたのに、
知らないことが多すぎることを実感する。
ただ若い頃は、それを恥ずかしく感じたり悔しく思ったりしたものだが、
最近はそれはなくなった。
むしろ、新しい学びを素直にうれしく感じるし、
教えてくださる人とのやりとりを光栄に思うようになった。
かねたたきの鳴き声に耳を凝らしながら、
昔見た琵琶湖の風景が蘇る。
人間同士の交わりの中で、幸福感は芽生えていくのだろう。
失明と向かい合った時、幸福が遠くにいってしまうような錯覚に陥った。
今思えば、やっぱりそれは錯覚だったのだ。
見えるのと見えないのと比べれば、
見えた方がいい。
でも、それと幸福感は関係はないようだ。
こうして、かねたたきの鳴き声を聞いて幸せになれるのだから、
人間って素晴らしい。
(2014年9月24日)

少女が教えてくれたこと

点字ブロックの上を歩いていたら、
久しぶりに人とぶつかった。
それも、結構強くぶつかった。
僕は咄嗟に「すみません。」と謝りながら、
「大丈夫ですか?」と問いかけた。
ほとんど同時に、
「すみません。前を見ていなかったものですから。大丈夫ですか?」
中学生くらいの少女の声だった。
瞬間的にその言葉を言えた彼女に僕は感動さえ覚えた。
お互いに大丈夫なのを確認して別れた。
歩きながら、つい先日、知り合いが教えてくれたことを思い出した。
ぶつかったりした時、謝らない方がいい。
謝ったらこちらが悪いと認めることになる。
僕はちょっと違和感を持ったけれど、そうなのかと思う気持ちもあった。
でも、やっぱりそれはおかしいのだ。
少女の誠実な声が、僕にそれを教えてくれた。
咄嗟に謝ってしまう自分を大切にして生きていきたい。
(2014年9月20日)

いわし雲

なかなか休日がとれないスケジュールにももうすっかり慣れているのだが、
疲れを覚えるようになってきたのは間違いない。
年齢のせいなのだろう。
特に朝はそれをよく感じてしまう。
今朝もちょっと重たく感じる身体をはげますようにして家を出た。
団地の敷地から慎重にそっと歩道に出て歩き始める。
朝はスピードが出ている自転車が多いからだ。
音響信号の音が聞こえるところまでまっすぐに歩く。
そこから、僕にとっては難関のひとつである大通りの横断歩道を渡る。
侵入してくる自動車のエンジン音に注意しながら、そしてひるまずに、
同じリズムと同じスピードで歩くのは高い技術も必要だ。
横断歩道のこちらからあちらまで僕の成功率は8割くらいだろうか、
2割の時はたどり着いたらガードレールということになる。
今日は成功した。
たどり着いた瞬間、小さな溜息が出る。
ほっとするのだろう。
そこから先は点字ブロックがあるから歩きやすい。
ほどなくバス停に着いた。
バスはそんなに込んでいる雰囲気ではなかった。
空いている座席を見つけられない僕は、
乗客とか運転手さんとか誰かが教えてくださった時だけ座ることができる。
今朝は終点のJR桂川駅まで立ちっぱなしだった。
バスを降りて点字ブロックを頼りに駅のみどりの窓口へ向かう。
駅員さんに、桂川駅での乗車と目的地の新大阪駅での降車のサポートをお願いする。
快く引き受けてくださる。
新大阪駅への連絡などの準備が整って、駅員さんとホームに向かう。
電車が到着するまでの数分間、僕は駅員さんの肘を持ったままで立っていた。
「いい天気ですね。」
ふと駅員さんが話しかけてくださった。
「秋空ですか?」
僕はそっと上を向きながら聞いてみた。
駅員さんは空を見上げながら、
「いわし雲ですね。秋の空です。」
その瞬間、僕の脳裏には真っ青な空となんといわしがそのまま登場してしまった。
何匹ものいわしが、空を悠々と泳いでいるのだ。
僕は間抜けな自分を笑いそうになるのを我慢しながら、
「秋の空ですね、ありがとうございます。」
感謝を伝えた。
電車に乗って、心がとても軽くなっているのに気付いた。
疲れが、いわし雲の向こうに泳いでいったのだろう。
駅員さん、ありがとうございました。
今度ゆっくり、いわし雲をイメージしてみますね。
(2014年9月15日)

現実

盲導犬が刺されたとか視覚障害の女子学生がけられたとか、
残念なニュースが流れる。
こんな悪い奴は許せないと、
コメンテイターが正義をふりかざす。
専門家という人が社会の堕落を嘆き、
その不安定さを指摘する。
テレビの前の僕は、ただじっとそれを受け止める。
でも、でもね。
何か拍手をする気にはなれない。
僕達に声をかけてくださり、手伝ってくださる人の数、
間違いなく増えている。
見えなくなって一人で歩き始めて17年、
罵声を浴びせられたのは2回だけある。
やさしい声をかけられたのは万という数字を超えているだろう。
昨日の帰り道、バス停で待っている僕の手を、
おじいさんが握った。
「何番のバスに乗るんだい?」
僕の乗りたいバスの乗り場の先頭まで連れて行ってくださった。
僕は安心してバスに乗り、地元のバス停で降りた。
横断歩道を渡る時は、
女性の人が大丈夫ですかと声をかけてくださった。
僕は横断歩道を渡る間だけ、肘を持たせてもらった。
それから買い物をするために、近所のスーパーに立ち寄った。
白杖に気づいたお店の人が、
買い物を手伝ってくださった。
買った商品をリュックサックに入れることまで手伝ってくださった。
それから、クリーニング屋さんに立ち寄って、
頼んでおいたズボンを受け取った。
店員さんは、僕がクリーニングの袋を下げて歩くのが大変そうと、
とっても心配してくださったが、
僕が大丈夫と言い続けるので、やっと出口であきらめてくださった。
それでも、僕が横断歩道にたどり着くまで後ろから見てくださっていたのは判っていた。
自宅のある団地に近づいたら、
「おかえり」
どこかの男性の声。
僕は誰か判らないけど、
「ただいま!」
今日も、見知らぬ人に何人も声をかけてもらい、手伝ってもらい、
見えない僕の普通の生活が成り立った。
これも、間違いなく、社会の現実。
(2014年9月14日)

高校生

奈良県にあるショッピングモールでのイベントに招かれた。
ホールや教室での講演と違い、
ショッピングモールの中を行き交う不特定の人達に向かって話をするのは、
とても難しかった。
聞いてくださっているかさえよく判らない。
一般の講演の時のような笑い声もないし、拍手の音も聞こえない。
僕は開き直って、
画像のない向こう側に心をこめて語りかけた。
「白い杖の僕達を見かけたら、お手伝いしましょうかと声をかけてください。」
そしてサポートの方法を実演するために、誰かステージに来てくれるように頼んだ。
誰も来てくれないだろうから、
スタッフに対応してもらうつもりだった。
予想ははずれた。
それぞれ違う高校に通っている3名の男子高校生が集まってくれた。
僕をサポートして歩き、アイマスクの歩行も体験してくれた。
周囲を気にし過ぎるような雰囲気はなく、爽やかだった。
僕は自分の高校時代を思い出して、
この若者達をとても素敵だと思った。
社会は、確実に未来に向かっています。
(2014年9月9日)