「ただいまから、教職員共済生活協同組合、全国労働者共済連合会助成事業、同行援
護全国推進シンポジウムを開催致します。」
僕に届けられた司会原稿はこの挨拶がスタートだった。
京都から東京へ向かう新幹線の中でつぶやいた時は、
3回連続で成功していたのに、
本番では見事にかんでしまった。
記憶力の低さは自他ともに認めているとは言え、
やはりショックだった。
目が見える他のスタッフは、
丸の内のビルの22階の会場からスカイツリーがはっきり見えると喜んでいたが、
僕はそれさえも、何か損をしたような気分だった。
下手ながらになんとか大役を果たし、
東新宿のホテルにチェックインしたのは20時を過ぎていた。
明日からは三日間のガイドヘルパー指導者研修会の講師、
その翌日に都内の大学での講演をすませて帰京の予定だ。
四泊五日ということになる。
初日からへこんでいる訳にもいかない。
夕食だけかきこんで、早めにベッドにはいろうと考えて、
ホテルのレストランでカレーを注文した。
ライスとカレーが別々の容器で運ばれてきた。
僕は運んできた若い男性に、
「カレーをライスにかけてください。」とお願いした。
彼が少しずつカレーをかけている雰囲気が伝わってきた。
「僕はセンスがないので上手にはかけられませんが、おいしく食べてくださるように
心をこめました。どうぞ。」
彼はカレーの入っていた容器だけを持って、照れ笑いを残して戻っていった。
司会が上手にできなくてちょっと落ち込んでいた自分が、
なぜか阿呆らしくなった。
おいしいなと思いながら、黙々と食べた。
忘れられないカレーライスになるなと思った。
僕もセンスがないけど、
心をこめて頑張ろう。
(2014年11月29日)
カレーライス
秋の朝の空気
桂駅のホームで電車を待っていたら、
「松永さん、おはようございます。」
声をかけてくださる女性がいた。
市内の区役所で働いている人だった。
以前、区民対象の講演会で出会い、その時は、講演者とスタッフという関係だった。
一応の挨拶を交わすくらいがやっとだったと思う。
正しく理解してもらうということはこういうことなのだろう。
今日、僕は彼女のサポートで電車に乗り、
椅子に座り、世間話をしながら時間を過ごした。
三連休というのに仕事に向かうという同じ条件は、
なにか妙な親近感さえ覚えた。
目的の駅に着いて、そこで御礼を言って別れた。
「今日はいい一日になりそうです。」
僕は最後に付け加えた。
そしてすがすがしい気持ちで、講演予定の会場へ向かった。
秋の朝の空気をとてもおいしく感じた。
(2014年11月24日)
満足
友人達と東山にある料理屋「阿吽坊」で食事をした。
いつものように身も心も満足してごちそうさまをした。
それから、大将とおかみさん、馴染みのスタッフに見送られて、
玄関からお店の入口に続く飛び石の道を歩き始めた。
突然、おかみさんの僕を呼ぶ声がした。
「今顔に当たったのが萩ですよ。今年の花は早くて、もう終わりかけです。」
おかみさんはただ見送るだけでなく、
空中に飛び出した萩が僕の顔に当たる瞬間までを見ていてくださったのだ。
僕はうれしくなって、立ち止まって萩を触った。
「白いさざんかも咲いています。寒椿の赤い花も・・・。
今年は秋が終わるのが早そうですね。」
おかみさんの言葉が続いた。
静けさと一緒に、秋の夜の落ち着いた風景がそっと僕に寄り添った。
お店の出入り口に着いて、おやすみなさいを言いながら格子戸をを閉めた。
さりげない何気ない一言、
多過ぎることもなく、適度な量と高品質の情報、
僕を豊かな気持ちにしてくれる。
このセンスのおかみさん達がいる料理屋さん、
満足して当たり前だと妙に納得して店をあとにした。
(2014年11月16日)
歩数
9489、
7250、
10827、
この三日間で僕が歩いた歩数だ。
父が入院したのが10月3日だった。
天国へ旅立ったのが11月2日、家族だけでのお葬式が5日、
この約一か月は時間を見つけては病院に向かう日々だった。
移動には友人の車とかタクシーを頻繁に利用した。
歩かない生活が続いた。
携帯電話にセットされている歩数計が3ケタの日も多くあった。
それでもとても疲れていた。
どうしようもない現実と向かい合いながら、
心身ともにすり減っていっていたのだろう。
5千歩から1万歩くらいが僕の日常の歩数だ。
この三日間の歩数は、少しずつ日常を取り戻していっているということなのだろう。
この三日間の歩みの中で、
何人もの人と触れ合った。
横断歩道で信号を待つ間に、
微かな冬の匂いにも気づいた。
生きている僕は、生きていることに感謝しながら、
また生きていくんだな。
そう思ったら、冬の始まりの空を眺めたくなった。
(2014年11月13日)
立冬
この一か月は空を眺める余裕もなく、落ち葉に思いを寄せることもできなかった。
記憶ができないほどの混乱した時間が過ぎていった。
父が入院してからの一か月、
たまには病院に泊まりながら、
いくつかの仕事もキャンセルしながら、
僕はただただ祈りながら日々を過ごした。
ベッドの父に、数えきれないくらい幾度も、
「とうちゃん」と話しかけた。
数えきれないくらい幾度も、
とうちゃんの手をにぎった。
93歳のとうちゃんの前で、
57歳の僕は情けない少年だった。
泣きべそをかきながら、何度も立ちすくんだ。
願いは届かなかった。
その瞬間、本当に僕の身体と心は凍りついた。
頭では判っていても、判る自分を許せなかった。
見えないことが、見なくていいことが、
少し救われているような気さえした。
こんなことでは、またとうちゃんに叱られる。
だからきっと、それなりに超えて生きていくだろう。
平穏を取り戻すだろう。
この前までとうちゃんと歩いた道を、今日一人で歩いた。
北風が吹き抜けていった。
今日は立冬らしい。
(2014年11月7日)
街路樹
白杖を左右に振りながら、
バス停に向かって歩く。
最寄りのバス停には点字ブロックが敷設されているので、
見えない僕にはそれが目印となる。
耳は前方から来るかもしれない自転車の音に注意しながら、
足の裏では点字ブロックを探しながら、
それなりの集中力を使っているのだと思う。
バス停にたどり着いたらちょっとほっとする。
「おはようございます。」
ほっとしている僕を気持ちのいい挨拶が迎えてくれた。
「おはようございます。」
僕は持ち主が誰かも判らない声に向かって返した。
彼女の説明では、このバス停で出会うのがもう幾度目からしい。
声だけではなかなか記憶できないことを詫びながら、
街路樹の様子を尋ねてみた。
「丁度、それを説明しようかと思ったんです。」
彼女は微笑んだ。
僕達は家族でも幼馴染でもない、いわゆる他人同士だ。
秋の始まりの中に笑顔の僕達がいた。
人間同士の絆の薄さやはかなさを、
社会は時々切り取って伝えようとする。
でもね、豊かなんですよ、人間の社会。
街路樹の秋色の移ろいを、見知らぬ人同士で味わえるんですからね。
(2014年11月2日)
美しい言葉
品川から乗車した新幹線の僕の座席は、
3列席の通路側だった。
窓側2列は空席であるとサポーターが教えてくれた。
サポーターの座席は通路をはさんだ反対側だった。
僕は着席すると、愛用の大きなリュックサックを足元に置いた。
新横浜から乗車してきたお嬢さんが、
「すみません。」と声を出された。
僕の奥の座席の方で、
リュックサックを動かして通れるようにしてとのメッセージだとすぐに判った。
「すみません。」
僕はリュックサックを膝に乗せて、
彼女が座席に着くのを微かな音と雰囲気で確認した。
そしてしばらくして、
「僕は目が見えないので、通る際は教えてください。」とお願いした。
返ってきた彼女の返事はあたたかな響きだった。
それからしばらくして、
パソコンで仕事をするために
僕は前の座席の背もたれについているテーブルをセットしようとした。
手探りでうまくいかない僕に気づくと、
彼女はさりげなく手伝って、
「何か困ったら言ってくださいね。」と付け加えた。
僕は感謝を伝えた。
そして、ありがとうカードをそっと差し出した。
「ありがとうございます。」
今度は彼女は微笑んだ。
新幹線が京都に着いて席をたつ時に、
「おおきに。」
僕は再度お礼を伝えた。
「お気をつけて。」
彼女はまた微笑んだ。
新横浜から京都まで、交わした言葉はそれだけだった。
一期一会と言うほどでもないかもしれないが、
織りなす日本語の美しさに心が和んだ。
(2014年10月28日)
研修会
「僕達が見えなくても、僕達と視線を合わせて話をしてください」
僕は研修の冒頭で参加者の皆さんにお願いした。
アイマスクでの昼食体験やガイドの実習なども含めて
6時間の研修は結構ハードだった。
企業の利益には直接反映されない研修なのに、
たくさんの人が参加してくださり真剣に取り組んでくださった。
心地よい疲労感と充実感が、
伝えようとする僕達と学ぼうとする人達との間に広がった。
これから白杖の人を見かけたらサポートしますとか、
僕達の仲間の幸せにつながる仕事をしますとか、
家族に伝えますとか、
うれしい感想がならんだ。
研修を終えて会場を出ようとしたら、
京都にゆかりがあるという参加者が声をかけてくださった。
ほんの数分間の立ち話だったが、
彼はしっかりと僕の目を見つめて話してくださった。
そして笑顔だった。
僕は自然に握手をした。
同じ未来を見つめていることを感じた。
(2014年10月27日)
ひっつき虫
「おはようございます。」
朝の駅のプラットホームで同僚の女性が僕を見つけて声をかけてくれた。
目的地は同じ場所なので手引きでのんびり行けるなと、
僕は内心喜んだ。
それから彼女は、汚れていると教えてくれながら僕のズボンを叩いてくれた。
一瞬にしてそれが判るのだから目って便利なものだ。
「ひっつき虫ですね。どこを歩いてきたのですか?」
どうやら僕は、いっぱいのひっつき虫をズボンンにつけて歩いていたらしい。
人間の目とか脳とか凄い道具で、
道の途中にある草や飛び出している木の枝を察知したら無意識によけているのだ。
空中のお店の看板も雨上がりの水溜りも自然によけているのだ。
見えないと、それはできない。
日常、看板や木の枝にぶつかるし、
水溜りもジャブジャブ歩く。
痛いとか冷たいとか汚れるとか、
それはやっぱり残念なことだ。
ただ、ひっつき虫はうれしくなった。
見えないからこそ気づかずに草むらを歩き、
たくさんひっつけて歩いていたのだろう。
ズボンはきっと秋模様だったに違いない。
素敵なオシャレだなとうれしくなった。
そうそうこの前は、上着のポケットあたりにごはんつぶを付けて歩いていた。
帰宅して脱いだ時に手が触って判った。
ごはんつぶも乾燥していたし、
きっと昼食後ずっとつけて歩いていたのだろう。
いやひょっとしたら、数日前からかもしれない。
その間にいくつかの講演や授業をしたと思ったら情けない。
ワッペンに見えてくれてたらいいんだけど。
とにかく、ひっつくものには気をつけなくちゃね。
(2014年10月21日)
桜貝
鹿児島講演の最終日、新幹線の出発するまでの2時間あまり、
同級生達は僕の大好きな東シナ海の波の音を聴きに車を走らせてくれた。
晴天の秋空の下に、40年前と同じ海があった。
何も変わらない海があった。
波音を聴きながら手作りのお弁当を食べた。
幸福感が僕を支配した。
砂浜を散策していた同級生が、
桜貝の貝殻を僕の手のひらに載せてくれた。
そっと触るとピンク色が指先で微笑んだ。
なにもかもを放り出してここで暮らせたらと、
現実味のない妄想が潮風に吹かれた。
明日からまた、空きのないスケジュールが続く。
僕はきっとひとつひとつに真剣に取り組むのだろう。
それが生きているということなのかもしれない。
でも来年は休日を確保して帰ってこよう。
そして砂浜で昼寝をするんだ。
まどろんで目を覚ましたら、
奇蹟が起こって海が見えたりしてね。
(2014年10月17日)