二か月ほど前に買っておいた新しい靴を、
4月の始まりに合わせて履き始めた。
自由業の僕にとっては
新しい年度にどれだけの仕事があるのかないのか判らない。
一年以上前から予約が入っている仕事もあれば、
一週間ほど前になって突然入ってくる仕事もある。
収入につながる仕事もあればそうでないのもある。
収入にならないことを仕事と呼ぶのは不自然なのかもしれないが、
いろいろな活動をする中でそういうことがあるのも知ったし、
その仕事がとても大切であることも判ってきた。
お金とは比較できないことのために活動できることを誇らしく感じることさえある。
どちらにしても仕事があるということは有難いことだ。
仕事をするということは社会につながる一番手っ取り早い方法だ。
感謝しながら新年度を迎え、
4月以降のスケジュールを確認してみたら、
3月までの半分がもう既に埋まっていることに気づいた。
見えなくなって何もかもを失ったと感じた時のことを思えば、
本当に幸せなことだ。
花散らしの雨でできた桜のジュータンの上を歩きながら、
気が引き締まるような感じがした。
また新しい出会いがあり、また心を震わす学びがあるだろう。
一歩一歩踏みしめながらしっかりと歩いていきたい。
今年度も宜しくお願い致します。
(2015年4月4日)
新年度
素敵に老いる
春休みのせいなのかイベントでもあるのか、
地下鉄の北大路の駅は多くの人だった。
僕はいつもより緊張感のレベルを少しあげて、
白杖で路面を強めにたたいて音を出すようにしながらゆっくりと歩いた。
周囲の人に気づいてもらうことで、
ぶつかるリスクが少なくなるからだ。
突然ご婦人が僕の腕を持って、
「一緒に行きましょう。」と声をかけてくださった。
僕はいつものように肘を持たせてくださいと言いながら、
瞬時に彼女の肘を持った。
一緒にエスカレーターに乗り電車に乗り、座席も隣同士で座り、
その間いろいろな話をした。
会話の途中で彼女が87歳だと知った。
彼女の姿勢、歩き方、会話の内容、
どこにもその年齢は感じられなかった。
僕は聞き間違ったと思って、再度聞き返したほどた。
元気の秘訣を尋ねたら、
粗食と鍛錬とおっしゃった。
今日もこれから体操に行くところとのことだった。
老いと実年齢はやっぱり違うものなのだなと痛感した。
何よりも、
いくつになっても社会に参加し、
そして誰かの力になろうとする生き方は素敵だと思った。
僕はこのままではヨボヨボの文句言いのジジイになりそうだから、
まずは精神の鍛練が必要なのかなぁ。
それに食べることは大好きだから、
粗食には耐えられないだろうしなぁ。
別れ際に、
「気をつけてね。」と言ってくださった彼女に、
「100歳を狙ってくださいね。
そして100歳になっても手伝ってくださいね。」
と伝えた。
「もちろんよ。」
彼女は笑顔でそうおっしゃった。
それを実現させるには、僕も後13年は一人で歩くということになる。
頑張ります。
(2015年3月29日)
季節外れのクリスマスプレゼント
一週間ほど前のことらしいが、
女優の杉本彩さんが
東京のFMラジオの番組で僕の著書を紹介してくださったらしい。
先日は大阪で活躍しておられるディスクジョッキーの寺平ヒロさんが、
やはり番組の中で同じように僕の著書を紹介してくださった。
僕は直接聞いたわけではないのだけれど、
リスナーの人が教えてくださってわかったのだ。
季節外れのクリスマスプレゼントをいただいたような気分だ。
とても有難いことだと思う。
その他にもこれまでに、
いくつかのメディア、新聞、出版物などの取材を受ける機会があった。
僕はたくさんの人に著書を読んで欲しいと思ってはいるけれど、
積極的に自分を売り込むような勇気はない。
情けないけどいつも受け身だ。
それでも時々、僕の活動を知ってあるいは著書を読んで、
僕の発信を手伝ってくださる人に出会えるということは有難いことだ。
講演などの機会もほとんどがそのたぐいだ。
幸運と言っていいのかもしれない。
そして最終的につながるのは、
著名人とかメディア関係者とか出版関係者とかということではなくて、
一人の人間としての生き方、考え方ということになるのだろう。
とにかく、見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が共に支え合って生きていく社会に賛同してくださっているということになる。
そういう意味では、
このブログを読んでくださり、またお友達に紹介してくださったりということも
同じような意味になるのだ。
一人一人に心から感謝申し上げます。
ちなみに9か月後の今日が今度のクリスマスイヴです。
(2015年3月24日)
声
街角を曲がって少し歩いたところで、
白杖を持つ手の感覚で点字ブロックに気づいた。
念のために足の裏にも集中したら、
やはり点字ブロックだった。
横断歩道があるのかなと、しばらく立ち止まって車のエンジン音を確認していた。
右側から近づいてきた車のエンジン音が止まった。
「今青ですよ。変わったばかりだから大丈夫ですよ。」
運転手さんが教えてくださった。
わざわざ助手席の窓を開けて、
僕に声が届くようにしてくださっているのも判った。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は安心して横断歩道を渡り始めた。
声をかけてくださるということは、
見守ってくださっているということだ。
それはそのまま見えない僕が前に進む力になる。
音響信号の何十倍もの安心感があるから、
人間の声の力ってやっぱり凄いものだ。
横断歩道を渡り終えてしばらくして、先ほどの車が動き始める音が聞こえた。
僕はそちらを向いて頭を下げた。
僕も目は見えないけれど声は出る。
誰かのためになる声でありたい。
(2015念3月20日)
沈丁花
4時45分にセットした目覚まし時計は忠実にその時刻を知らせる。
もう少し眠らせてあげようかなどの配慮はない。
起きるという行動へのストライキでもしようかという思いが一瞬脳裏をかすめるが、
行動に移すだけの勇気もない。
ダラダラと起きだしてトイレと洗面をすませ、
コーヒーとシリアルの朝食をすませる。
6時にタクシーに電話して桂駅へ向かう。
7時過ぎの京都駅、結構な人が朝を始めている。
忙しい人も多いんだなと不思議な感じ。
企業戦士でもない僕は早朝に動かなければいけない会議が続くと閉口してしまう。
それでも行くのだから、どこかで大切な仕事と割り切っているのだろう。
午前中の総会と午後の研修会、高田馬場の日盲連を出たのは17時を過ぎていた。
玄関を出て数歩歩いたところで、
沈丁花の香の塊に出くわした。
ほとんど風もない夕方の状態、
きっと神様が置いてくださったのだろう。
粋なプレゼントだな。
香りの中で脳がぼんやりとした。
なんとなく笑顔になった。
(2015年3月16日)
20万回
来年度の準備などでバタバタする日が続いていて、
このブログへのアクセス数にも気づいていなかった。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、
自分のホームページを自分で見ることはあまりない。
まして一度書いて発表したブログの文章などは自分ではほとんど読まない。
気恥ずかしさでいっぱいになるからだ。
一人でも多くの人にメッセージが届くようにとの願いだけで、
ただ書き続けているという感じだ。
今朝そのアクセス数が20万回を超えたと、
知り合いの人がメールで教えてくださった。
教えてくださったメールもうれしかったし、
その数もただただうれしく感じた。
2012年7月14日に最初のブログを書いた。
2年8か月で20万回のアクセス数になったということになる。
僕にとっては凄い数字だと思う。
子供の頃の宿題の絵日記、
夏休みが始まって数日でとん挫するのが常だった。
夏休みが終わる日に残りを必死になって書いていた記憶がある。
天気を書く欄にはウソばかり書いていたものだ。
日記だったらこんなに続けることは僕にはできなかっただろう。
読んでくださる人がおられるから続けてこられたのだ。
いろんな場所でいろんな機会にホームページを紹介している。
でも実際に覗いてくださるのは一部の人だ。
一度覗いて終わりという人もおられる。
それでも覗いてくださっただけでも有難い。
週に一度くらいとか一か月に一度くらいとか、
毎日という人はおられないだろう。
とにかくこの数は一定の発信力になっているということだ。
このホームページを覗いてくださった人、
ブログを読んでくださった人、
ありがとうございます!
本当にありがとうございます!
共感は未来を創造していく力となります。
そう信じて、これからも書き続けていきます。
(2015年3月13日)
さくらのCDを聴きながら
17歳の時に出会ったのだから、
もう40年以上の時間が流れたことになる。
遠く離れた場所でそれぞれの人生を歩いているのだから、
お互いの暮らしなどあまり深くは知らない。
いつも声を聞けば、あの若い頃の彼のひきしまった笑顔を思い出す。
見えなくなって僕が得をしているのか、彼が得をしているのか不思議な感じた。
その彼から先日も2枚のCDが届いた。
「さくら」と「卒業」というタイトルのCD、
彼がパソコンで編集したものだ。
ぶっきらぼうにただそれだけが届いた。
懐かしいメロディ、どこか耳に残っている最近の曲、
部屋の中に充満して、
最後には僕の心の隙間にもぐりこむ。
部屋の中を幻のさくらの花弁が舞う。
そんな時間がとても貴重だということが、
最近やっと少しわかるようになってきた。
今年もきっと、どこかに花見に出かけよう。
見えるとか見えないとか、たいしたことじゃない。
そこに存在し、そこで呼吸できること。
それはしあわせなことなのだ。
(2015年3月9日)
就活の大学生
電車に乗り込もうとしていた僕に気づいた駅員さんが、
僕の手を引いて空いてる席に案内してくださった。
手を引かれると身体は本能的に構えてしまうので、
あまりいいサポートの方法ではないのだけれど、
わずかの距離、しかも座席までの誘導なので僕はそのまま従った。
そして座席に座って感謝も伝えた。
誘導の技術はもうひとつでも、やっぱり座れると有難い。
目的の駅も確認してくださったので、
竹田で地下鉄に乗り換えの予定だけれど慣れているので大丈夫であることも伝えた。
駅員さんは納得して降りていかれた。
いくつかの駅を過ぎて次が竹田駅とのアナウンスが流れた。
リュックサックを背負いなおして準備を始めた僕に、
隣の席に座っておられた若い女性が声をかけてくださった。
「私も竹田で地下鉄に乗り換えるので、よろしかったらご一緒しましょうか?」
駅員さんと僕の会話で僕の乗り換えも知っておられたのだ。
僕はもちろん感謝してサポートをお願いした。
そして安心して歩けるように、今度は彼女の肘を持たせてもらった。
地下鉄でも隣同士に座った。
彼女は解禁になったばかりの就職活動に行く途中のようだった。
大学を卒業してこれからどう生きていくのか、
まさに人生を見つめているところだった
彼女は学生時代にドイツに留学した経験も持っていた。
ミュンヘンの近くだったらしい。
僕も若い頃、バックパッキングでヨーロッパを歩いたことがある。
ミュンヘンの時計台を見にも行ったはずなのに、
画像の記憶は完全になくなっていた。
そのくせ駅前の食堂で食べたソーセージやジャガイモは、
味も映像も記憶にあるから情けない。
そんなことを思いながら、若い人の息吹みたいなものを感じていた。
改札口までサポートしてくださった彼女に、
「素敵な人生を!」
僕はちょっと大げさだけど自然に言葉が出てしまった。
「ありがとうございます。」
彼女も笑った。
春が似合うなって思った。
(2015年3月5日)
阿久根の落陽
生まれ育った阿久根市出身の友人達と、
のんびりとした休日を過ごした。
僕がちょっとだけ年上だけど、皆ほとんど同じ世代だ。
優子ちゃん、幸子ちゃんと自然に呼びかけながら、
鴨川のほとりを歩いた。
それぞれが阿久根を離れて30年以上の時間が流れているのに、
故郷への思いは変わらない。
子供の頃歩いた道も出かけた場所も、
何もかもが一緒だ。
食べていたものまでもがほとんど同じなのには驚いた。
昭和40年代、まだ日本中が貧しかった頃、
子供達は子供達なりの夢を抱いて生きていたのだろう。
そして幸福という訳のわからないものを手に入れたくて、
大人になっても頑張ってきた。
「子供の頃普通に見ていた阿久根の海に落ちる夕日、最高だったね。」
ふと誰かがつぶやいた言葉に皆がうなづいた。
当たり前にあることの中に本当の幸せは隠れているのかもしれない。
阿久根の落陽、見えなくなった今でもはっきり憶えています。
そして思い出すと、とっても幸せな気分になります。
(2015年3月2日)
迷子
バスを降りて点字ブロックを確認する。
点字ブロックの突当りにあるコンクリートの壁を白杖で触りながら右へ動くと、
団地に入る道がある。
その道に入って10歩くらい進んだ地点で直角に曲がると、
道の反対側の壁をキャッチできる。
今度はその壁に沿って白杖を動かせば、
自然に右に曲がって僕の住む団地の建物に向かうことになる。
途中の小さな上りのスロープがほぼ中間地点、しかもその部分は金属で判りやすい。
その少し先は自転車置き場なので上手にクリアしなければいけない。
それからしばらく歩くと路面の材質が少し変化している場所がある。
そこで右に曲がればエレベーターがある。
左の壁を手で探れば、ボタンがある。
引っ越しして二か月、やっと自信を持って帰宅できるようになった。
出かける時はその反対に動けばいい。
今朝もいつものように出かけた。
いつもと違ったのは到着したエレベーターに先客がおられたこと。
気づくのが遅れて足を踏んでしまった。
すみませんと謝り、その方も返事をしてくださった。
ただそれだけだったのに、
どこかで僕の頭の中の地図が混乱したらしい。
途中で方向が判らなくなってしまった。
団地を出るまでのたった50メートルもない道での出来事だ。
しばらくあっちをウロウロ、こっちをウロウロ、
最終的には聞こえてくる車の音の向きを利用して脱出できた。
でも10分くらいはウロウロしたことになる。
またこの道を歩く自信を取り戻すのにしばらく時間がかかるのだろう。
見えない人は大変だなって他人事みたいに思ってしまう。
裏を返せば、こういうことで一喜一憂しなくなったということだ。
いつのまにか、見えない自分を受け入れているのだな。
そしてたまたま迷子になった日が寒くもなく雨も降っていなかったのは救いだった。
そういうことにしておこう。
後二か月もすれば、きっと鼻歌交じりで帰宅できるようになっているはずだから。
(2015年2月24日)