趣味

時間の計算をしながら、
ちょっとでも余裕がありそうな時はついラジオの野球中継を聞いてしまう。
見えなくなってもう18年も経つのだから、
それぞれのチームの選手がどんな顔しているのかどういう体格なのか、
ピッチャーがどんな投球フォームなのかなどは何も判らない。
でも試合を楽しむのにほとんど影響はない。
いつの間にか試合に入り込んでいる。
見えている頃と同じように楽しんでいる。
ラジオの野球中継には画像はないのだから、
目が見えていなくても見えていても同じ条件ということなのだろう。
野球のルールさえ知っていれば楽しめる。
その点、フィギアスケートとかテニスとかは試合結果に興味はあるのだけれど、
ライヴで放送を聞こうとはしない。
イメージできるかできないかということになるのかな。
野球の試合はプロ野球だけではなくて高校野球も聞いてしまうから好きなのだろう。
視覚障害者の友人達の中には1年に何冊もの本を読んでいる人も多くいる。
音楽や実際にスポーツで汗を流すのが趣味という人もいるし、
複数の趣味を持っている人もいる。
僕は野球を聞く以外は時間があれば寝てしまう。
先日、昨年読んだ本で一番良かったのはと聞かれて答えられなかった。
悩んで答えられなかったのではなくて、
1冊も読んでいなかったから答えられなかったのだ。
カッコ悪いからちょっと読もうかと一瞬思ったけれど、
やっぱり野球か睡眠に向かっている現実がある。
睡眠の中ではいろいろな事にチャレンジしていることもあるのですけれどね、
ほんのたまにですけれど。
(2015年6月21日)

雨粒

空から雨粒がこぼれてきた。
結構大きな雨粒だ。
雨粒を触って確かめられるわけでもなく
顔に当たった時の感覚だけのイメージだ。
そんな微妙なことまでイメージしてしまうのだから人間の感覚って楽しい。
イメージの信憑性を確かめたくてわざと上を向いて息を止めてみる。
顔に当たる雨粒に感覚を集中させる。
やっぱりほんの少し大きいような気がする。
雨粒が目に入らないようにそっと少しだけ目を開ける。
灰色の雲なのだろうか。
青空はすぐに脳裏に浮かぶのに雨空はなかなか浮かんでこない。
不思議だなって思いながらまた目を閉じる。
やっぱりちょっと大きめの雨粒が空からこぼれ落ちてくる。
雨が空から降れば思い出は地面に沁みこむ。
懐かしいメロディを突然思い出しながらちょっと幸せな気分になる。
(2015年6月18日)

ヨガ教室

「はい、ゆっくり息をはいてぇ~」
先生の声に合わせて僕達は呼吸をする。
元々そうなのか、ヨガによるものなのかは判らないけれど、
とっても美しい声だ。
声自体がすうっと入ってくる感じだ。
先生は素人の僕達にも判りやすいように
身体と心のバランスなどをゆっくり説明しながらそして笑顔で教室を進めていく。
ライトハウスのホールに集まった50人近い視覚障害者は
いつのまにか魔法をかけられて心地よい気分になっていく。
先生にとっては生徒が目が見えるとか見えないとかはあまり関係ないのだろう。
時折語られる肩の凝らない話やたわいもない冗談は自然体そのものだ。
先生と出会ってもう何年だろうか、
どういういきさつだったのだろうか、
さわさわでのチャリティヨガ教室を毎週のように開催してくださっている。
継続ということがどれほど大変なことかは僕はよく知っている。
直接出会う機会はなかなかないのだけれど、
関係者やスタッフに尋ねると
やっぱりいつも先生は自然体なのだ。
そよ風みたいと表現していた人もいた。
活動はさわさわから発展して市内の視覚障害者団体やライトハウスまで広がってきて
いる。
ちょっと申し訳ないという気はあるのだけれど、
笑顔になれる人が増えるのだからいいのだと勝手に解釈している。
先生と出会う度に僕も自然体にあこがれる。
でも何回か教わったヨガをしっかりやり続けようとはしない。
努力とか継続とかは本当に苦手なのだろう。
苦手と思うことが身体と心がアンバランスということなのかもしれないな。
今夜はせめて腹式呼吸をちょっとやってから眠ります。
(2015年6月14日)

紫陽花

堀川のバス停へ向かって歩いていた。
たまにしか歩かない道なのでいろいろな音を聞き分けながら慎重にゆっくりと歩いて
いた。
「どこまで行かれますか?」
小さな路地を確認して止まったタイミングに合わせるように
若い女性の声がした。
「交差点の近くのバス停までです。貴女はどこまでですか?」
僕は聞き返した。
「多分、同じバス停だと思います。」
結局、僕は彼女の肘を借りて歩き始めた。
100メートルほどの距離、
さっきまでの単独歩行の緊張感はお休みさせて、
のんびりとのんびりと歩いた。
どこの誰かも判らないまさに赤の他人だ。
勿論顔も判らない。
僕に判るのは優しい人間というただそれだけだ。
「紫陽花がとっても綺麗ですよ。青空みたいな色・・・。」
突然の彼女の言葉で僕は一気にうれしくなった。
僕は立ち止まって頼んでみた。
「紫陽花、近くにあるのなら触らせてください。」
紫陽花は近くどころかすぐ脇にあった。
僕の手を彼女がそっと持ち、
僕の指先がそっと花弁に触れた。
記憶の中の紫陽花が瑞々しい色で蘇った。
もう20年近くも見ていないのにはっきりと蘇った。
「本当に綺麗ですね。」
つぶやいた僕に
「少しは見えるのですか?」
彼女は問いかけた。
「いや全然見えないのですけれど、20年くらい前までは見えていたので思い出したの
ですよ。うれしいですね。ありがとう。」
僕達は笑った。
そして僕は空を眺めた。
確かに頭上には梅雨の晴れ間の紫陽花色の青空があった。
(2015年6月10日)

お腹いたの朝

目が見えなくても風邪もひくし体調が思わしくないこともある。
そんな日は外出するのがおっくうになる。
今朝はお腹が痛くてトイレにこもり予定のバスに乗り遅れた。
仕事に遅れるわけにはいかないのでタクシーを選択した。
最寄り駅までだったら1,300円程度かかる。
でももし移動中に駅でまたお腹が痛くなったらどうしようと不安になる。
見えないとトイレを探すだけでも一仕事になることもあるのだ。
ギリギリまで迷った後タクシーの運転手さんに行先の駅名を告げた。
最寄り駅ではなくて到着地の駅名だ。
いつもはバスと電車を四度乗り換えて1時間近くかかる場所だ。
車だったら電車より近道ということは知っていたけれども
どれくらいの時間と料金がかかるかは判らない。
腹痛に襲われた時の不安をとるか料金の不安をとるか
どちらにしても不安の中の朝となった。
乗車するなりおおよその所要時間を尋ねたら
時間は1時間くらいで料金は5千円までとのことだった。
尋ねていないのに料金まで教えてくださったのは僕の顔が不安そうにしていたという
ことなのだろう。
ちょっとほっとしながら僕はタクシーの中の時間をのんびりと過ごした。
幸いお腹の具合もいい感じだった。
結局料金は4,200円ほどだった。
想定内だったけれど何かとてももったいない気分だった。
朝からちょっと重たい気持ちを引きずりながら歩いていたら
「松永先生おはようございます。」
明るい可愛い女子学生の声が聞こえてきた。
爽やかな笑顔だった。
元気出せよとささやかれているような感じだった。
なんとなく背筋を伸ばしたら吹き抜ける風も感じた。
気分しだいで随分変わるものだな。
僕は元気を出して、お腹をよしよししながら教室に向かった。
(2015年6月4日)

岐阜大会

68回目を数える視覚障害者の全国大会、
今年は岐阜での開催だった。
会場には日本の北から南から見えない人、見えにくい人が集まった。
白杖を持った人、盲導犬を連れた人、サポーターと一緒の人、
飛行機で電車で観光バスで集まった。
決議文の採択での1300人の拍手の音は会場にこだました。
こだましながらそれぞれの頭上に降り注いだ。
こうやって先人達が時代を切り開いてきたのだなと感じて、
感謝で胸が熱くなった。
来年の青森での再会を誓って解散した。
先輩と二人で岐阜駅の改札口を入ったら、
ボランティアさんが声をかけてサポートしてくださった。
僕達のために待機していてくださったのだ。
ボランティアとか福祉とかいう単語がない頃から、
応援してくださる人達がおられたに違いない。
人間のやさしさも絶え間なく続いてきたということなのだろう。
今回の岐阜のボランティアさん、これまでのボランティアさん、そして来年の青森で
待っていてくださるボランティアさん、
本当にありがとうございます。
(2015年5月31日)

ちっちゃな講座

ちっちゃなちっちゃなボランティア講座だった。
タイミングが悪かったのか広報がうまくいかなかったのか、
たった5名の参加者だった。
奥様が視覚障害になったという初老の男性、
何かできることはないかと探しておられるような地域の女性、
実際にボランティア活動をしているけれどもきちんと学びたいという女性、
教師を目指しているという2名の男子大学生、
僕を含めて初めて出会う人達が、
講座が進むにつれて少しずつ打ち解けていった。
目が見えない講師の僕と目が見える受講生、
正しい理解がその距離をどんどん縮めていった。
講座の後の反省会では20歳過ぎの大学生が、
「誰かの役に立ちたい。」という感想を皆の前で言葉にした。
そしてその言葉がまたそれぞれの受講者の心に沁みこんだ。
こうして理解は広がっていくのだ。
この若者が教師になって子供達に出会う時、
僕達のことをどのように伝えてくれるのだろうか、
想像するとわくわくする感じだ。
人間が人間に伝える力が
未来を創造する大きな力となるのは間違いない。
ちっちゃなちっちゃな講座、
充実した一日となった。
(2015年5月27日)

言葉

ホームページの中にあるお問い合わせホームからメールが届く。
たいていは授業や講演の依頼だがたまに取材の申し込みなどもあったりする。
このホームページを始めたのは「見えない世界を伝えたい」がテーマなのだから、
そのどれもがとても有難いことだ。
そして時々ブログへの感想やメッセージが届くこともある。
自分で書いたものは読まないくせに届いたメッセージは何度も読み返すのが常だ。
何度も読み返すとひとつひとつの言葉が僕の肩をたたいてくれることもあるし、
行間にかくれていたやさしさを見つけてうれしくなることもある。
氏名を確認しても出会った場所を教えてもらっても僕の記憶はほとんど反応しない。
画像のない中での出会いでは仕方ないことなのだろう。
見えなくなって間もない頃はこの記憶力を悲観し
相手に対しても申し訳ないという気持ちが大きかった。
いつの頃からかそれも見えないことの副産物と納得するようになった。
そしてひとつひとつの言葉は僕の記憶がどうのこうのというレベルのものではなく、
間違いなく今の僕へのエールなのだ。
ホームページを介して贈る言葉と送られる言葉、
その言葉には性別も年齢も国籍もない。
人間のあたたかさだけが宿っている。
人間って本当に素敵です。
(2015年5月25日)

ピンク色の空

仕事帰りの電車の中、
ボランティアさんは夕暮れの空をピンク色と表現した。
僕は空のある方を見上げた。
頭の中一杯にピンク色が広がった。
平穏でやさしい気持ちになった。
もう見ることはないということは理解している。
もう見ることのない人生を特別に悲観したりすることもないし、
かと言って、障害を乗り越えたなんて自覚もない。
ただ仕方ない、どうしようもないとだけ思っている。
その気持ちとなんとか付き合えるようになったのだろう。
そして日常の何でもない場面で、
ふと前後の脈絡もなく思い出す色や風景。
それは願いの裏返しなのだろうか。
子供の頃、手に入れられないものを思う時、
そこには寂しさや口惜しさがあったのに、
今はそれはない。
それどころか、
思い出した瞬間さえ愛おしいと感じる。
見ることはなくても、
いつまでも思い出せる自分でありたい。
そんな人生でありたい。
(2015年5月21日)

尾道

朝食はのぞみのワゴンサービスのコーヒーとワッフルですませた。
福山でこだまに乗り継いで8時過ぎには尾道に着いた。
視覚障害者のサポートをするガイドヘルパーの研修にお招きいただいたのだ。
一泊二日でとの要望だったが
どうしても時間が取れずに日帰りにしてもらったので
自宅を6時前に出発して22時半に帰宅という強行軍になってしまった。
時々こういうことがあっても対応していっているので、
体力はあるということなのだろう。
僕達のことを伝える時、
僕達だけが適任とは思っていないけれど、
僕達が関わらないところで僕達のことについて取り組まれていくのはあまりいいこと
ではないと感じている。
だからこういう実際に福祉に関わる人達の研修会にも意欲的に関わっている。
そしていつもだいたい充実感みたいなものを感じている。
一期一会、今回もたくさんの人と出会った。
言葉をやりとりするだけでなく、
笑顔も交換し握手もした。
見える人も見えない人も見えにくい人も、
それぞれが同じ未来を見つめる時間となった。
「今度はゆっくり旅行で来てくださいね。」
駅まで送ってくださったスタッフの言葉はやさしさに溢れていた。
またいつかきっと訪れてみたいな。
海を渡ってきた爽やかな風を感じながら心からそう思った。
(2015年5月19日)