鹿児島県安全運転管理協議会の研修会、
会場の鹿児島空港ホテルには県内全域から関係者が集った。
それぞれの地域の代表者なので、
実業家、名士と呼ばれる人達がほとんどだった。
平均年齢も60歳は超えていただろう。
警察OBもたくさん参加しておられた。
こうして様々な団体から講演の依頼があり、
いろいろな会場で話を聞いてもらうのだけれど、
それぞれの雰囲気みたいなものもある。
今回はなんとなく「剛」の感じだった。
凛とした空気が会場全体にあった。
僕はいつものように心をこめて語りかけた。
「助け合えるのは人間だけです。」
僕は素直に希望を言葉に変えた。
終盤、数日前の小学校で10歳の子供たちが醸し出した空気と同じものが
会場のあちこちで生まれていた。
人間同士の共感には年齢も性別も、勿論肩書きも職種も関係ないのだ。
暖かな拍手が僕を包んだ。
懇親会では何人もの方が励ましの声をかけてくださった。
感動したと言ってくださった。
握手をしてくださった。
家族に伝えるとか自分の会社の社員に話すとおっしゃってくださった。
本を読んでみるという声も多くあった。
講演依頼もあった。
僕は数えきれないくらいの「ありがとうございます。」を口にした。
何度も何度も頭を下げた。
見える人も見えない人も見えにくい人も皆が笑顔で参加できる社会、
僕達だけがいくら頑張ってもなかなか実現できないだろう。
正しい理解は力となり、
共感してくださる人達のエールがその力を加速してくれるのだ。
勿論、僕の生きているうちにたどり着くなんて思っていない。
でも、いつかきっとそんな日がくる。
講演の後の拍手を聞く度に僕は手応えを感じている。
(2015年9月5日)
手応え
知る機会
午前中地元の小学校で開催されたPTA役員の人権研修での講演を終えて、
急いで午後の小学校へ向かった。
予定通り移動できれば、何とかおにぎりを頬張るくらいの時間はありそうだった。
バスが桂駅に到着してすぐに、
女性の方が声をかけてくださった。
急いでいる時のサポートの声は特に有難い。
しかも電車での行先も同じ方向だった。
単独で動くのと比べれば半分の時間での移動だろう。
そして空いてる席に座ることもできた。
特急電車での車中、時間にして5分くらいだろうか、僕達はいろいろな話をした。
ついさっきまでの赤の他人が友達同士みたいに話をしていた。
「街で白杖の人を見かけた時に、
いつどのタイミングでどのように声をかければいいか戸惑うんですよね。」
彼女の素直な気持ちだった。
「僕が見えている頃、僕には白杖の人などに声をかける勇気がありませんでした。
でもこうして見えなくなって、サポートの声はとってもうれしいですよ。」
僕も正直に答えた。
烏丸駅で彼女と別れてから地下鉄と近鉄を乗り継いで小学校へ向かった。
予定より早く動けたのでおにぎりもゆっくり食べることができた。
45分の授業を2時限することで、
子供達に僕達のことをしっかりと伝えなければいけない。
僕の使命だと思っている。
だからつい一生懸命になっている自分がいる。
いや一生懸命にならなくちゃ伝わらない。
45分の最初の授業が終わって休憩している間にもたくさんの子供達が僕の周囲に集ま
った。
僕の時計を見せて欲しい、点字を読んで欲しい、白杖を持たせて欲しい。
いろいろな注文に応じていた時、
耳元で一人の少女がささやいた。
「風になってくださいを読みました。感動しました。」
僕は少女とそっと握手した。
子供の頃に正しく知る機会があれば、
さきほどの女性のように戸惑う人は少なくなり、
声をかけてくださる人も増えるだろう。
そして何より、いろんな人間とコミュニケーションをとれれば、
声をかけた人もかけられた人も人生そのものが豊かになるような気がする。
(2015年9月3日)
単独歩行
日常は白杖を使っての単独歩行をしている。
それが普通の日々だから特別な違和感はない。
知らない場所や初めての場所への移動、限られた時間の中での移動などの場合は、
ガイドヘルパーを利用したりサポーターに手引きしてもらったりしている。
白杖での単独歩行とサポーターとの手引き歩行を組み合わせて、
危険な状態になることのないようにしているのだ。
ここ三日間は大阪の医療系の専門学校での講座が続いた。
長時間で体力的にも結構ハードな内容だったので
初日だけ単独で移動し後の二日間はサポーターの手引きで移動した。
電車の中で空いてる席を見つけられない僕は、
初日の単独移動の日は京都から大阪までずっと立っていた。
運がいい日は他の乗客の方が空いてる席を教えてくださったりすることもあるのだが
今回はだめだった。
サポーターと一緒の二日間はもちろん座ることもできたし、
車内放送に必死にならなくても済んだし、何より楽な歩行ができていた。
そして今日、たった二日ぶりの単独歩行、
意識的に集中力を高めて歩こうとしている自分がいた。
なんとなく白杖を握る手に力が入っていた。
安全を確保するための自然な動きなのだろう。
視覚以外の五感を使っての歩行、
やっぱりエネルギーを使っているのだなと再確認した。
白杖も僕自身もやさしくいたわってあげなくちゃと思った。
(2015年8月31日)
後輩
視覚障害者がよく訪れる施設のローカ、
雰囲気でお互いを確認できた全盲同士の僕達は、
「久しぶり、元気?」
「まあまあですよ。松永さんもお元気ですか?」
「うん、相変わらずかな。」
通り一遍の挨拶みたいなものを交わしてすれ違った。
数歩進んだ辺りで後輩の声が背中から追いかけてきた。
「あのう、時々、ブログ読んでいます。」
彼はそれだけを僕に伝えた。
内容がいいとか悪いとか、
どんな感想を持ったとか、
そんなものは一切なかった。
口数の少ない彼は、読んでくれているという事実だけを僕に伝えた。
僕は照れ臭かったけれど、とってもうれしかった。
親子ほど年齢も違うし、協会では副会長の僕はいつも先輩面をしている。
だいぶ前、彼と食事をした時、
彼が3歳くらいで失明したことを知った。
見た記憶はあるかとの僕の問いかけに、
「その頃家族で海に行ったのですが、その時の海の色を憶えているような気がするん
ですよ。たぶん、いやきっと、海の色だと思うんですよ。」
彼は恥ずかしそうに笑った。
僕は40歳近くまで見えていたから、
見たという経験を持っているし思い出もある。
見えなくなった今、ひとつひとつの思い出が宝物だ。
僕がいくら先輩面をしても、きっと彼を理解することはできないのだろう。
ただ、見えない仲間として、
どこかで共感できることはやはり人間の豊かさだと感じている。
いつ見えなくなったのかとか、
見た記憶があるかないかなど、
違う部分もいくらかは存在するのは否定しない。
でも、人間同士はその違いを認め合って超えていく力を持っているのだ。
そしてその力は見える人と見えない人との違いも超えていくのだろう。
彼が見た海、いつか僕も一緒に見れたらうれしいだろうな。
(2015年8月24日)
深夜のメール
今年の夏も特別講座や研修などで多くの学生達と出会った。
福祉や教育や医療を学ぶ学生達だ。
月末には大阪の視能訓練士を目指す学生達への講座があるのだが、
それを入れると結局8月の中で10日間は学生達と出会っていたことになる。
暑い中での各地での講座などは体力的には厳しいのだけれど、
成長する学生達を目の当たりにすると、
未来につながっていくような気がしてうれしくなる。
先日も深夜0時のちょっと前に、
突然のメールが届いた。
「講義を受けて少しでも視覚障害者のみなさんの気持ちを知ることができ、
本当によかったとおもいます!
ありがとうございます!
それ以外でも福祉に興味を持ち出したら、
視覚障害者の人に限らず、困っている人をたくさんみつけるようになりました。
もっともっと役に立てるように、困っている人に勇気をだして声をかけてみます!♪
おやすみなさい。」
学生の飾らない心の言葉が、
パソコンのイヤホンから僕の心に沁みこんだ。
僕は日常無意識に閉じている目を開いてみた。
いつもと変わらないグレー一色の世界が目前にあった。
もうすっかり慣れてはいるのだけれど、なんとなく不思議な感じがした。
悲しいとかの感情はなかった。
18歳の少女のぬくもりが、
グレーという色をやさしくさえ感じさせてくれていた。
「ありがとう。おやすみ。」
僕は小さな声でささやいてパソコンを閉じた。
(2015年8月21日)
ささやかな運の話
バスを乗り継いでJR桂川駅へ着いたのは、
滋賀県の大津駅での待ち合わせ時間の30分前だった。
駅員さんにサポートを頼めば、
駅員さん同士の連絡などで10分程度のロスタイムが発生する。
大津駅までは所要15分程度なので立っていても疲れるほどの時間でもないし、
乗り換えもないので自分で行くことにした。
大津駅の構造は知らないので、
到着後に近くの足音に向かって改札口などを尋ねなければいけない。
そこからは運もある。
ホームのアナウンスを聞きながら電車を待つ。
電車が到着したらドアの開く音を探す。
それが確認できたら白杖を使って乗降口を確認して乗車する。
何も見えない状態でこの動作をスムーズにやってのけるのだから、
訓練の力は大きい。
自分で自分に凄いと思ってしまうくらいだ。
入口の手すりを持ちながら約15分、電車が大津駅に着いた。
電車とホームの溝を白杖で確認して降りる。
予定通り、ここからが難関だ。
右へ行けばいいのか左へ行けばいいのか何も判らない。
勝手に動き回るのは危険だ。
誰かの足音に尋ねようと準備した瞬間、
「肘を持ってください。一緒に行きましょう。」
声をかけてくださったのは大阪から来られたというご婦人二人組だった。
知り合いに全盲の女性がいるという彼女達はとても自然に当たり前のように声をかけ
てくださり、
改札口までサポートしてくださった。
僕は余裕で待ち合わせ時間に間に合い、
講演会場へ向かった。
視能訓練士を目指す学生達対象の講演だった。
障害を正しく理解するということがどんなに大切かを学生達に話した。
正しく知れば、人は助け合うことができる生き物なのだ。
講演の最中、さっきの大阪のご婦人達を思い出した。
運が良かったなと思った。
帰りに友人と会い食事をした。
お店を出て少し歩いたところで、
友人が星がとても綺麗に輝いていることを教えてくれた。
僕は夜空を見上げた。
やっぱり今日は運がい一日だったなと思った。
(2015年8月18日)
セミ
朝、公園の近くを歩いた。
ちょっと立ち止まってみた。
いつもうるさく聞こえるセミの声にあらためて耳を澄ませたら、
自然という作曲家に感動してしまった。
まさに交響曲なのだ。
高い音、低い音、だんだん大きくなる音、小さくなる音、
突然入ってくる音、消える音、
続いている音、変化していく音、
いろいろな種類のたくさんのセミ達が、
それぞれのパートをそれぞれの鳴き声で受け持っていて、
その全体が見事な調和を保っているのだ。
自然の奏でるメロディの素晴らしさに圧倒されてしまった。
そしてどうして今まで気づかなかったのか不思議に思えた。
日々の暮らしにゆとりがないのかもしれない。
見ているつもりが見えてなくて、聞いているつもりが聞いていなくて、
これは視力とか聴力の問題ではなさそうだ。
とにかく、宝石箱の隅っこに隠れていた宝石を見つけ出したような気になった。
幸せを感じた。
(2015年8月14日)
法事
6時に家を出て7時過ぎののぞみに乗車した。
新横浜で横浜線に乗り換えて八王子、
もう一回中央線に乗り換えて西八王子に着いたのは10時半だった。
のぞみのパーサーを含めて6人の駅員さんにサポートしてもらったことになる。
見えない僕が一人で国内を移動できるのは、
駅員さん達のサポートがあるからなのだ。
有難いことだと思う。
改札口には従弟のひでおちゃんが待っていてくれた。
僕達はタクシーで叔母さんの一周忌のあるお寺へ向かった。
一周忌、初盆、納骨の儀式が終わると、
場所を変えて会食だった。
40年ぶりに再会したけいすけ叔父さん、従弟のたかひろちゃん、その家族、
まさこ叔母さん一家などいわゆる親族が集った。
従妹のみわちゃんの小学校6年生の娘が
さりげなく僕の食事の手伝いをしてくれたりしてうれしかった。
遠い昔の思い出が蘇ったり、
新しい発見に驚いたり、
和やかなひとときはあっという間に過ぎていった。
それぞれの地域でそれぞれの暮らしをしている親族が、
ただ親族というだけで暖かな気持ちでお互いを認め合っていた。
住職の法話に出てきた「縁」という言葉が
説得力を持って存在していた。
おばさんが再会させてくださったのだなと思ったら、
会場を見つめるおばさんの遺影が微笑んだ。
あらためて、心から、おばさんに感謝した。
(2015年8月9日)
絵日記
大津港の前の広場では
夏のイベントが開催されていた。
たくさんの露店が並び、売り子さん達の掛け声が響いていた。
ステージからは音楽も聞こえていた。
真っ青な空にはギラギラの太陽が燃えていた。
琵琶湖にはたくさんの白い帆のヨットが浮かび、
琵琶湖を渡ってきた風が少しだけの涼を会場に届けていた。
僕はダラダラ汗をかきながら、
友人から手渡されたかき氷をつついた。
イチゴ味のかき氷はイチゴの味ではなかったけれど、
懐かしい甘さがした。
子供の頃、かき氷を食べた後、
赤や青に染まったベロを見せ合って笑い転げたことを思い出した。
クレパスで絵日記を描きたくなった。
青色で空を描き赤色で太陽を描き、
水色で琵琶湖を描き白色でヨットの帆を描き・・・。
想像しただけでワクワクした。
今度画用紙とクレパスを買ってこようかな。
見えなくなった頃、絵も画像も写真も意味がないと思っていたけれど、
今日は素直に描いてみたいと思った。
(2015年8月4日)
紫蘇ジュース
京都の今日の最高気温は38度だったそうだ。
この季節の僕のリュックサックには顔を拭くための冷却シートと、
熱中症予防のためのお茶のペットボトルが入っている。
一日の活動を終えて帰宅する頃にはまさに青息吐息の状態だ。
年齢的にも体力の低下も始まっているのだろう。
帰宅して必ずパソコンと向かい合う。
メールチェックもあるし事務仕事もある。
冷房はあまり好きではないので居室では扇風機をつけて仕事をしている。
今日もいつものようにパソコンの仕事を終え、
友人からもらった紫蘇ジュースを飲んだ。
ガラスのコップに紫蘇ジュースの原液を半分近く入れ、
水道の水を足してから冷蔵庫の氷を数個入れる。
見える人はスコップみたいな道具で扱うのだろうが、
僕は素手で氷をつかんでコップに入れる。
これが一番確実な方法だ。
それからスプーンでゆっくりかき回す。
ガラスの中の氷の音が清涼感を引き立てる。
そしていい塩梅で薄まった紫蘇ジュースの色を思い浮かべる。
濃い紫から薄い紫まで、
記憶の色が変化していく。
唇でガラスのコップを感じながらジュースをのどに流し込む。
本当に爽やかだ。
プレゼントしてくれた友人のこれまた爽やかな声が蘇る。
疲れた身体と心がそっと微笑む。
暑さを楽しむ気持ちも大切だなと感じたら、
引き出しの奥に片づけていた風鈴を思い出した。
早速窓際につるしたら、
ほんのちょっとだけ囁いてくれた。
よし、明日も頑張るぞとなんとなく思って、
残りの紫蘇ジュースを飲みほした。
(2015年8月1日)