仲間の講演

視覚障害者対象の研修会で視覚障害者の女性の講演を聞いた。
研修会場で話すのも聞くのも視覚障害者ということになる。
視覚障害者というのは目が見えない人と思われがちだが、決してそういう状態の人ばかりではない。
全く見えないという人もいれば、ちょっとしか見えないという人もいる。
ちょっとしか見えない人を「弱視」とか「ロービジョン」とか呼ぶのだが、
それは視力や視野の状態でそれぞれの見えにくさが発生するのだ。
進行性の目の病気だった僕は弱視の頃もあり、現在は全盲ということになる。
視覚障害の原因はすべて病気かケガなのだが時期はいろいろだ。
お母さんのお腹の中で病気になったから生まれつきという人もいれば、
高齢になってからという人もいる。
100人の視覚障害者がいてもそれぞれが微妙に違い、
100通りの見え方、見えにくさ、不便さが存在する。
そして100の人生があるのだ。
保育士の仕事をしているロービジョンの彼女は飾らない言葉で淡々と話をした。
見えにくい状態での社会との関わりについて話をした。
特に仕事に関してはきっと自分にもできることはまだまだあるというプライドと、
それがなかなか社会に伝わらなかった口惜しさも語った。
勿論、その中で見つけた喜びも紹介した。
そして進行する病気への不安も付け加えた。
言葉がゆっくりと会場にしみ込んだ。
決してハッピーな話ではなかったのに、
哀れみとか同情とかの感情は微塵も起こらなかった。
僕の心は何かあたたかくなっていた。
すがすがしささえ感じた。
それはきっと、彼女の生きている姿勢がそう感じさせたのだろう。
障害者同士だからということで、
お互いの悲しみや苦しみなどを理解しきることなんてできない。
でも、未来に向かって生きる人間の姿に共感はできるのだ。
僕自身の生き方も考えるいい時間になった。
(2016年1月31日)

凍てついた朝の声

凍てついた朝の空気の中を
僕は一歩ずつゆっくりと歩いた。
どこにどれくらいの雪が積もっているかとか、
路面のどこが凍っているかまでは白杖ではなかなか判らない。
慎重にゆっくり歩くしかない。
外出を断念するとかタクシーを利用するのも選択肢のひとつだと思っている。
幸い僕が暮らす京都では、そんな日は一年に数日しかないから助かっている。
今朝はいつもの横断歩道までいつもの倍くらいの時間をかけてたどり着いた。
足裏で点字ブロックを確認してなんとなく安心した。
車のエンジン音で信号の青を確認するのだが、
その作業をしようと思った瞬間、
「青になりましたよ。」
耳元で若い男性の声がした。
人の気配さえ気づいていなかったというのは、
転ばないように歩くことに神経を集中させていたのだろう。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は御礼を言って横断歩道を渡った。
その後、その声の主がどちらに動いたのかも判らなかった。
横断歩道を渡り終えて、そこからバス停までをまた慎重に歩いた。
もう冷たさは感じなかった。
うれしいという思いが身体まで暖かくしてくれたような感じだった。
声の主が中学生だったのか高校生だったのかそれとも大人だったのか、
僕には判ってはいない。
判ったのは男性だということ、人間のぬくおりのある声だったということだけだ。
何も画像のない中で聞こえるやさしい人間の声、
これは僕達にしか味わえないのだろうけど、
本当に素敵ですよ。
心までがポカポカするのですから。
(2016年1月26日)

一輪の薔薇

15歳になった少女は、
僕の講演会に足を運んでくれた。
知り合ったのは彼女が4年生の時、小学校での福祉授業だった。
それから街頭での募金活動に一緒に立ってくれたり、
何度か会っている。
春から高校生、何かボランティア活動をしたいと申し出てくれた。
高校の勉強などもあるからどれだけ具体的なことになるかは判らないが、
そんなことを考えるように成長してくれていることをうれしく感じた。
身長も高くなっていたし、声もちょっと大人びてきていた。
プレゼントに渡してくれた小箱には、
折り紙で作られた一輪の薔薇が入っていた。
彼女の手作りだった。
そっと触れたら、僕の指先が薔薇の花弁を感じた。
見えない僕が感じられるように
彼女の指先が真心を織り込んでくれたのだろう。
講演会のテーマは「幸せ」だった。
僕は幸せは他人が決めるものではなくて自分の心が決めるものだと思っている。
目が見えるとか見えないということと「人間の幸せ」とは直接の関係はない。
ただ、錯覚をしてしまいがちなのは事実だ。
それは個人の問題ではなくて、社会の成熟度に起因しているような気がする。
一輪の薔薇、とっても幸せな講演会となった。
(2016年1月19日)

あいらぶふぇあのご案内

今日1月15日(金)から18日(月)の四日間、
大丸デパート京都店6階イベントホールで、
「あいらぶふぇあ」が開催されます。
僕が所属している京都府視覚障害者協会、
京都ライトハウス、
関西盲導犬協会、
京都視覚障害者支援センターの四つの団体が協力して毎年開催しているものです。
視覚障害を社会に正しく理解してもらうための大きな取組となっています。
京都市内の小学生が描いてくれた絵がたくさん展示してあります。
アイマスクをしてコーヒーをいただくような体験コーナーもあります。
舞台ではいろいろな発表や音楽などもやっています。
入場無料です。
ちなみに、17日(日)10時半から11時半は僕のトークもあります。
まあこれはいつもと同じですから、
あまり期待はできないものです。
イベントは最終日だけが17時までで、
それ以外は18時までやっています。
近くに来られた方、
是非覗いてください。
(1月15日)

車いすの青年

毎年たくさんの子供達に出会う。
小学校では福祉授業、中学校や高校では人権学習、専門学校や大学などでは講義とか
特別講演というような具合だ。
大学生などはもう子供ではないのだが、
僕にとったら子供や孫という感覚の世代だ。
今日は今年最初の小学校での福祉授業だった。
4年生38名、年齢で言えば10歳の子供達だ。
4年生の国語の教科書に視覚障害の話が出てくるのもあるのだろうが、
小学校からの依頼は4年生が圧倒的に多い。
視覚障害ってどんなことなのか、
どうして視覚障害になるのか、
視覚障害になったらどんなことが困るのか、
そして、人間の生きる力の素晴らしさとか人間の社会のあたたかさとか、
エピソードも交えながら話をした。
時々笑い声も聞こえる中で
90分余りの時間が過ぎていった。
この子供達に直接伝えられるのは今回だけだという思いがあるので、
僕はいつもいつのまにか必死になってしまっている。
でも、当たり前だけど、子供達の表情は見えない。
どれだけ伝わっているのか、
どんな風に伝わっているのかは判らない。
答えが出るのはこの子供達が大人になった時だろう。
ひょっとしたら何十年も先かもしれないと思っているので、
結局、自分を信じて取り組むしかない。
授業を終えて学校を出て、同行してくれたボランティアさんと地下鉄に乗った。
途中で車いすの青年が乗車してきた。
たまたま降車駅が同じでエレベーターで一緒になった。
エレベーターが地上に到着する寸前、
「松永さん。」
車いすの彼は小さな声で僕の名前を呼んだ。
エレベーターを降りたところで僕は彼に話しかけた。
「どこで出会ったのですか?」
彼は自分が通っていた小学校の名前と自分の名前を告げた。
4年生の時の福祉授業で僕の話を聞いてくれたらしい。
高校3年生になっていた。
10歳の時に出会って8年の時間が流れていた。
僕は少しかがんで、手を差し出した。
彼の手が僕の手を包んだ。
笑顔が交錯した。
歩けないということ、僕には判らない。
子供の頃から障害を持って生きていくということ、僕には判らない。
ただ、8年ぶりに街角で偶然に再会して、
名前を呼んでもらえること、
僕はただうれしく、幸せなことだと思った。
そして今年も、出会える一人ひとりに、
心をこめて語りかけていこうと思った。
自分を信じて語りかけていこうと思った。
(2016年1月14日)

情熱

大阪の四天王寺大学での特別講演が2016年の講演活動のスタートとなった。
教室には100人余りの教育学部の学生達が集った。
僕はいつものように自然体で学生達に語りかけた。
見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる社会をイメージしながら、
しっかりと未来を見つめて語りかけた。
90分という時間はあっという間に過ぎていった。
最後の質疑応答が終わると、
学生達はそれぞれの感想が書かれたレポートを僕に手渡しながら、
「ありがとうございます。」と心のこもった挨拶をして教室を出ていった。
100人の100色の声がやさしく伝わってきた。
うれしかった。
新年早々、教師を目指している学生達と出会えたというのは
僕自身も希望を感じられるような気がした。
爽やかな気持ちになった。
帰路電車の中で、学生達の感想をボランティアさんに読んでもらった。
100人の100色のメッセージがあった。
優しい暖かなぬくもりもあれば、
強い激励の力もあった。
自分自身を振り返った謙虚なつぶやきもあったし、
社会を変えていくという誓いもあった。
そして、「教師になった時、今日の話を子供達に伝えたい。」
という言葉がいくつもあった。
情熱という言葉を久しぶりに思い出した。
教育と情熱はつながっているんだなと思った。
学生達にプレゼントをもらったような気になった。
「情熱」、希望を生み出すような気がします。
今年の僕のテーマにします。
(2016年1月11日)

59歳

59歳になった。
僕はいわゆる早生まれなので同級生は還暦を迎えるということになる。
もう誕生日そのものに特別な感慨はないけれど、
ここまでこれたんだなと素直に感謝する自分がいるのは、
これなかった同級生が身近にいるからだろうか。
それでも、いろいろな人から届いたバースディメッセージはうれしかった。
時々会う視覚障害の若い女性からは、
「いつまでもかっこいい松永さんでいてください。」と書いてあった。
僕は勿論僕自身の映像は見えないのだけれど、
ロービジョンの彼女もぼんやりとしか見えないはずだ。
だから、その彼女がそんな風に書いてくれたことがなんとなくうれしかった。
実は僕はかっこよくはない。
見えてる頃からそうだったから、
見えなくなってかっこよく変身するはずがない。
ただ、見えるとか見えないとかは無関係に、
美しい夕焼けに出会ったら美しいねって言い合える毎日を過ごせたら素敵だと思う。
美しいものにたくさん出会える一年になればうれしいな。
(2016年1月6日)

元日

新年明けましておめでとうございます。
僕は昨日十数年ぶりに買い物客でごった返す錦市場を歩きました。
いろいろなお店から聞こえる威勢のいい声や漂ってくる香りなどを楽しみました。
昼食は明治43年創業という権太呂という店で晦日そばをいただき、
それから麩屋町通りを北に上がってさわさわまで行きました。
さわさわは正月休みだったのですが、
カギを持っているので入ることができました。
そしてゆっくりとコーヒーを頂きました。
大切な友達を接待するための大晦日となりました。
友達と言っても会うのは初めてでした。
僕のエッセイを読んだことがきっかけになり、
それから僕達を応援してくださっているのです。
さわさわのごまを買ってくださったり、
サポータークラブに入ってくださったりしています。
そしてこのホームページも時々覗いてくださっているそうです。
年齢は僕より10歳くらい若い彼に手引きしてもらって歩きながら、
僕は幸せな時間の中にいました。
僕にとって彼は彼だけではなくて、
このホームページを覗いてくださっている皆様の代表のような気持でした。
目が見えなくなるというとんでもない出来事の中で、
僕はそれでも生きていこうとする自分といつも向かい合ってきたような気がします。
何故なのか今でも判りません。
ただ、人間同士のつながりが生きる力になり、
生きる力が希望を生み出していったのは間違いありません。
昨夜も例年と同じように白杖をきれいに拭きました。
一年の感謝を込めて拭きました。
こうして元気で新しい年を迎えられたということは、
僕が生きているというよりも、
生かしてくださる人達がいてくださるということだと思います。
僕の言葉に耳を傾けてくださる人達がいてくださるということ、
とっても幸せなことです。
心から感謝申し上げます。
そして今年もどうか宜しくお願い致します。
(2016年元日)

カラオケ

僕以外に2人の視覚障害者の後輩と1人の晴眼者の友人、
僕達はそれぞれの好きな歌をそれぞれに歌った。
3人は画面が見えなくて歌詞が読めないのだから、
友人がそれぞれの歌詞を耳元で先読みしてくれた。
友人にとっては結構忙しい大変な時間だったかもしれないが、
皆の笑顔がそれを超えていたのだろう。
友人からしんどさは伺えなかった。
音楽は聞くのは好きだけれど知っている歌の数も少ないし特別うまくもない。
カラオケに行くのも学生達との年に一度か二度のお付き合いくらいだ。
その僕も久しぶりに大声を張り上げて歌った。
歌うって気持ちいいなと身体が喜んでいるようだった。
今年も後数日となったこの時間に、
ここに集えることを自然にうれしく感じていたのだろう。
後輩が最後に歌った曲に
「誰もがいつかこの星を去っていく」というような歌詞があった。
澄んだ声が僕の心にしみ込んだ。
僕は実感として、
この星を去るまでにあとどれくらいの時間があるのだろうかと思った。
そんなことを考え始める年齢になってきたのだろう。
勿論それは誰にも判らないのだけれど、
大切にしなければならないことを大切にしながら、
しっかりと生きていきたいと思った。
そしていつか誰にも気づかれずに
静かにこの星を離れていければいいなと思った。
(2015年12月30日)

山椒あられ

視覚障害の友人から届いたお歳暮は山椒製品の詰め合わせだった。
じゃこ山椒に山椒昆布、山椒のあられなども入っていた。
山椒の香りとピリリとした風味が口の中一杯に広がった。
彼女と知り合ってもう10年は過ぎただろうか、
僕達はたまたま同じ病気が原因の視覚障害だった。
網膜色素変性症という病気は視野が欠損していくのだが、
その変化の仕方もスピードもまちまちだ。
僕は40歳くらいで全盲となったのだけれど、
進行のスピードは少し早かったのかもしれない。
ただ、これはどうしようもないことだったということは理解しているし、
あきらめもついている。
同じ病気で僕よりも長持ちしている人に出会う時、
もっとうらやむ気持ちがあってもよさそうなものだがそれはない。
逆に、一日でも長く見えていて欲しいなといつも願っている自分がいる。
きっと、見えるということがどんなに素晴らしいものかを実感しているからだろう。
この10年で彼女の病気もだいぶ進行した。
僕がそうだったように、
近づいてきた盲を意識した頃は複雑な思いがあった。
彼女はそんなことは口には出さないが、
きっと不安もあるに違いない。
ただ、例え視力がなくなる日がきても、
彼女は彼女であり続けるということは間違いない。
出会った時も今も、彼女のさりげないやさしさに変化はない。
彼女が穏やかな気持ちで新しい年が迎えられますように、
そして一日でも長く光を感じていられますように、
山椒のあられを何枚も噛みしめながら祈った。
(2015年12月27日)