大学の講義は年間30回と回数が決まっている。
専門学校は半年で15回だ。
90分の講義をそれだけ実施するのだから準備も必要だし、
年間の予定も大切になってくる。
ところが僕は様々な活動をしているのでなかなか予定通りにはいかない。
休講とすることも多い。
休講にしたらどこかで補講をしなければならない。
龍谷大学は15時からの4講目が僕の講義があるのでそのまま5講目に補講を入れる
ようにしている。
90分が連続するのだから3時間の講義ということになる。
僕も大変だけど学生も大変だ。
申し訳ないという気さえ起ってくる。
今日も講義が終わってキャンパスを出る時は18時を過ぎていた。
通学が途中の駅まで僕と同じ学生がサポートしてくれた。
歩き始めるとすぐにもうすっかり陽が落ちていることを学生は僕に伝えた。
それからとりとめもない話をしながら僕達は歩いた。
目が見えないおじさんを手引きして夜道を歩くなんて、
1年前の彼女には想像さえできなかったことだろう。
知るということが学ぶということの始まりなのだ。
僕達は何の問題もなく歩いた。
地下に入る駅の手前で学生は夜空を眺めながら僕に伝えた。
「綺麗な三日月です。」
僕達は夜空を見つめた。
教えてあげる喜びと教えてもらう喜びが交差した。
笑顔がこぼれた。
幸せを感じた。
(2016年10月8日)
三日月
連鎖
バスターミナルから駅の改札口まで続く通路、
僕はいつものように点字ブロックを手がかりに歩いていた。
「阪急の者ですがお手伝いしましょうか?」
僕は驚いた。
そこは駅の近くだけれど構内ではなかった。
構内で声をかけてもらうことは時々あるが、
その通路では初めてだった。
阪急のとおっしゃったがあくまでも一人の通行人としての行動だった。
僕は改札口までのサポートをお願いした。
たった数十メートル、駅員さんの肘を持たせてもらって幸せな気分で歩いた。
改札口でお礼を伝えてそこからは乗車予定のホームに一人で向かった。
ホームで電車を待つ時間も気持ちは豊かだった。
電車が到着していつものように慎重に乗り込んだ。
間もなく乗客の一人が席を譲ってくださった。
感謝を伝えて座った。
目的の駅に着いて歩き出したら、また別の方が声をかけてくださった。
桂駅から烏丸駅までたった10分ほどの間に3人のサポートを受けたことになる。
一日中歩いても声がかからない日があるのも事実だけれど、
声がかかると不思議とそれはつながっていく。
どうしてかは判らない。
やさしさは連鎖していくのかな。
先日、小学校で子供に尋ねられた。
「目が見えなくなってから、いいことってありますか?」
僕は笑顔で答えた。
「目が見えている頃の何倍もやさしい人に出会えるね。それは幸せだよね。」
やさしい人に出会ったら笑顔になる。
笑顔になると声もかけてもらいやすくなるのかもしれない。
そうやって連鎖していくのかな。
(2016年10月5日)
黒豆枝豆と栗
丹波の黒豆枝豆が送られてきた。
丹波の栗が送られてきた。
別々の人からのプレゼントだ。
たまたま偶然なのだが、
お二人共がご主人を亡くされておられる。
そしてお二人共がご主人は視覚障害者だった。
秋という季節を僕に届けようと思ってくださったのだろう。
これもたまたま偶然なのだが、
「応援しています。」
どちらにもやさしい言葉が添えられていた。
光栄だと感じた。
それぞれのご主人の思いを受け継いでいくようにとのことなのかもしれない。
先達の心を今生きている僕達がかみしめていくことが大切なのだろう。
そして次の時代に渡すのだ。
そうして思いは深まっていく。
成熟していく。
僕自身もそうありたいと願いながら秋の味覚を味わった。
(2016年10月1日)
虹
京都府北部地域の視覚障害者の仲間が舞鶴市に集結した。
皆で話し合いをした後、市内をパレードした。
「白い杖を見かけたら声をかけてください!」
「歩道に物を置かないでください!」
「歩きスマホはやめてください!」
「自転車は安全運転をしてください!」
シュプレヒコールはひとつひとつが大切な願いだった。
200人あまりの視覚障害者とガイドヘルパーさん、ボランティアさん、3匹の盲導犬、
皆が心をひとつにしてのパレードだった。
僕は役員の代表として舞鶴市まで遠征し挨拶をしパレードにも参加した。
歩き終わって、満足感と疲労感をリュックサックに詰めて帰路に着いた。
関係者の車に同乗させてもらったが高速道路は込んでいた。
小雨も降ったりした。
パレード中でなくて良かったなと胸を撫で下ろした。
「虹です!」
突然、同乗していた職員が叫んだ。
虹に出会ったのは、ひょっとしたら失明してからは初めてかもしれない。
神様のプレゼントだと感じた。
いや、確信した。
神様は時々粋なことをしてくれる。
素敵だな。
そう思ったらうれしくなった。
希望を持って歩き続ければ、きっといつか虹の向こうにたどり着く。
(2016年9月27日)
手話通訳士
「松永さん、かっこいいですね。」
「サングラスがですか?」
僕達は笑いながら話をした。
見えない僕と聞こえない彼女、
僕は声を出して話をしたが彼女にはそれは聞こえない。
彼女は手話で話をしたが僕にはそれは見えない。
手話通訳士が間に入ってくれた。
城陽市で開催された盲聾者通訳介助員養成講座、
僕は講師として彼女は受講生として参加して出会った。
そしてたまたま帰りの電車が京都駅までは一緒だったのだ。
僕達は並んで座った。
彼女は生まれた時から聞こえないのだそうだ。
僕は39歳で失明した。
彼女は見えない世界を想像しただろうし、僕は聞こえない世界に思いを寄せた。
イメージすること、それは人間ならではの素敵な能力だ。
そしてそれによって生まれるのは涙ではなくて笑顔なのだ。
お互いの命を愛おしいと思うからだろう。
「松永さんに来てもらうには講演料は高いのですか?」
彼女は意を決して尋ねた感じだった。
僕には基準も相場もないことを伝えた。
お金はどうでもいいと説明した。
話を聞いてくれた彼女にそんな質問を受けることをとても光栄に思った。
電車が京都駅に着いた。
僕達はしっかりと握手をして別れた。
そして何の違和感もないようにその場を演出してくれた手話通訳士に心から感謝した。
(2016年9月24日)
とんかつ
とんかつ屋さんに向かう階段を彼女は不安そうに降りていった。
手すりを握りながら降りていった。
怖がっているのが伝わってきた。
地下に入って商店街を少し歩いた。
僕達はやっとお目当てのとんかつ屋さんに着いて注文をした。
店員さんは定食のお盆を運んできて僕達の前に置いた。
「うわぁ、大きいトンカツ!」
お肉好きの彼女はうれしそうにつぶやいた。
彼女は僕と同じ目の病気、歳は僕よりお姉さんだ。
病気が進行してだいぶ見えにくくなったと最近こぼしていた。
僕も心配していた。
その彼女が目でトンカツの大きさを確認できたのだ。
うれしさが込み上げてきた。
僕達はとりとめもない話をしながらトンカツを頬張った。
人間は微かにしか見えなくてもその目で見てしまう。
本能なのだろう。
何も見えなくなったら目は使わない。
いや使えない。
だから触覚で食器などを確認して食べるようになる。
慣れればほとんど問題はない。
だから食べるのはきっと僕の方が上手だろう。
食べ方がどうであれ、ちゃんと味わうことはできる。
「おいしかったね。」
店を出た後の彼女の言葉は美味しいものを食べた後の満足感に満ちていた。
それはささやかだけどゆるぎない幸福感のような気がした。
彼女の目はひょっとしたら人生の終わりまで光くらいは感じられるかもしれない。
いや、そうあって欲しい。
祈りにも似た気持ちが僕の心の中で膨らんだ。
(2016年9月20日)
月見団子
一升瓶にススキを飾って栗や梨をお供えしてお月様を眺めた。
遥か遠くの少年時代の思い出だ。
愛おしい思い出だ。
もう見ることはないというのはひょっとしたら悲しいことなのかもしれないが
不思議と心は満ちている。
僕自身のしたたかさなのかもしれないけれど、
あきらめの境地になっているのだろう。
失明して二十年という時間が僕を育んでくれたのかもしれない。
それでも甘党でもないのに月見団子を味わっている。
見えても見えなくてもお月様が好きということなのかな。
やっぱり見たいということなのかな。
(2016年9月16日)
赤とんぼ
職業はと尋ねられて戸惑うことがある。
福祉の専門学校と大学の非常勤講師をしているが、
それは週に二日だけだ。
いわゆる職業には程遠い状態だ。
それでもいつの間にかスケジュールは埋まっていく。
講演だけで年に100回くらいはあるのかもしれない。
僕達のことを一人でも多くの人に正しく理解して欲しい。
未来への種蒔きがライフワークだと思っている。
そう願っているのだからとても有難いことだ。
僕の活動を支えてくれる収入のひとつになっているのも間違いない。
でも依頼がなかったら成立しない。
知名度が高いわけでもないし障害というテーマもマイナーなものだ。
それでもこうして活動が続けられているのはたくさんの支援者のお蔭だ。
今日は京都府久御山町の民生委員研修会での講演だった。
もう何年も前に福祉の専門学校のオープンキャンパスで彼女は僕と出会った。
初めて出会った全盲の人間が教室を自由に歩き授業をした姿が衝撃的だったらしい。
それから専門学校に入学して僕の講義も受けた。
卒業して今は福祉の仕事で活躍している。
いつか僕を手伝いたいとずっと思っていたとのことだった。
民生委員をしておられる母を説得し今回につながった。
講演が終わって彼女のお気に入りのレストランに向かった。
前菜からコーヒーまで贅沢なランチタイムだった。
学生時代に始まって現在の職場まで話はつきなかった。
座席への誘導も食事のサポートもほぼ完璧だった。
レストランを出て駐車場に向かいながら彼女が急に立ち止まった。
「赤とんぼです。」
彼女の屈託のない笑い声がこだました。
僕達は一瞬に秋に包まれた。
「またいつか、お手伝いさせてくださいね。」
純粋な言葉だった。
彼女の言葉を聞きながら、
いつの間にか僕が教えてもらう立場になっていることを知った。
支援してくださる人達にあらためて感謝しながら、
またこの秋も頑張って活動を続けたい。
(2016年9月15日)
東京での研修会
東京で開催された同行援護資質向上指導者コースの研修会、
北海道からも沖縄からも参加されていた。
日本の各地で活躍されている先生方の研修会だった。
実習も含めた四日間の講座は実施する方も受ける方も結構きついものだった。
集中力の持続も大変だったし体力も必要だった。
僕は講師の一人として参加した。
見えない当事者の代表としてメッセージを伝えるのが僕の役目だった。
役不足は自覚しつつも僕なりに頑張った。
朝から夕方まで4日間連続で会場に足を運んだ。
宿泊もいつものところだったが、
四泊五日のホテル暮らしは疲労感は蓄積されていった。
無事終了した時にはまず安堵感に包まれた。
早く京都に帰って休みたいと思った。
それなのに帰りの新幹線では静かな喜びがじわじわと湧いてきた。
疲労感と満足感が同居していた。
「受講を迷っていたのですが、話を聞けて良かったです。」
「ご著書、アマゾンで注文しました。」
「地元でしっかりと頑張ります。」
感想はまさに僕達へのエールだった。
それは間違いなく僕達の仲間の笑顔につながるということなのだ。
まだこの国のどこかで俯いている仲間がきっといる。
悔しくてこぶしを握っている仲間がいる。
心細くて涙がこぼれそうになっている仲間がいる。
僕がそうだったように。
そして寄り添う人達に出会えれば、
人はきっといつか笑顔になれるのだ。
出会った先生方がきっと寄り添う人になってくださるだろう。
僕は心から感謝した。
(2016年9月10日)
点字の手紙
「これ、読んでください。」
教室を出ようとした僕に少女は点字で書かれた手紙を手渡してくれた。
「うん判った。新幹線の中で読むからね。」
僕は手紙を後ろ手に受け取って歩きながら返事をした。
そして東京へ向かうために京都駅へ急いだ。
この二日間、僕は子供達とたくさんの時間を過ごした。
一日目は視覚障害について話をしサポートの方法も実習した。
二日目の今日はクラス毎に点字を教え、最後の時間は子供達の質問に答えた。
「夢は見るのですか?」
「お風呂でシャンプーは判りますか?」
「趣味は何かありますか?」
「お金はどうやって区別するのですか?」
「散髪はどうしていますか?」
「サングラスをかけている理由を教えてください。」
「服はどうやって選んだりしていますか?」
「食事はどうしていますか?」
「目の不自由な人の職業を教えてください。」
「幸せって何ですか?」
子供達のキラキラした眼差しの中で豊かな時間が流れていった。
子供と大人のはずなのにいつの間にか人間同士として語り合っていた。
京都駅に着いて駅員さんにサポートをしてもらった。
予定の東京行きののぞみに乗車することができた。
座席に腰かけてさきほどの手紙を読んだ。
「てんじを おしえてくれて ありがとうございました
めのふじゆうなかたには こえをかけます
4ねん1くみより」
憶えたての文字が僕の指先で微笑んだ。
僕は車窓からそっと外を眺めた。
いつもと変わらないただ灰色だけの世界がそこにあった。
いつもとほんの少しだけ違うのは、
その向こう側に未来があるような気がしたということだろう。
(2016年9月7日)