「昨日の嵐でだいぶ散りましたなぁ。」
きっとバス停から見える桜の話だろう。
語り口と滑舌でおじいさんと判った。
「地面が桜色に染まっているのでしょうね。」
僕は尋ねたけれども一回では通じなかった。
だいぶ耳も遠くなっておられるようだった。
バスのエンジン音が近寄ってきた。
ドアが開いた時に行先案内の放送が流れた。
それが確認できた僕には何の問題もなかった。
僕がバスに向かって動き始めようとした時、おじいさんは僕の腕をつかんだ。
僕をバスまで連れていこうとしてくださったのだ。
でも、足元はおぼつかなく半分は僕にぶらさがった状態だった。
僕はおじいさんの歩調に合わせた。
バスの乗車口に着くと、僕はいつもより大きな声でゆっくりと話した。
「ありがとうございました。助かりました。」
今度は一回で通じたようだった。
「頑張りなさい。」
おじいさんは少しうれしそうにおっしゃった。
亡くなった親父を思い出した。
思い出しただけで涙が出そうになった。
おじいさんがもっともっと長生きしてくださるように祈った。
(2016年4月9日)
おじいさん
褒められて
ライトハウスへ向かうバスに乗車した。
新入生らしい大学生の集団、研修に向かう様子の新社会人のグループ、
そして観光にきたと思われる外国人の旅行者達、
車内は身動きもできないくらいの満員状態だった。
僕は手すりに捕まってただじっとしていた。
バスは停留所に停まるたびに一定の降車乗車を繰り返したが、
混雑にほとんど変化はないようだった。
僕は相変わらずただじっとしていた。
いくつかの停留所を過ぎた頃、おばあさんが僕の手を握った。
「前が空いてるからお座りやす。」
そしておばあさんも一緒に横並びで座った。
ずっと空いていたのかたまたま空いたのかは判らなかったが、
ライトハウスまではまだだいぶある場所だったので僕はうれしかった。
「ありがとうございます」
おばあさんに感謝を伝えた。
「私も今目医者さんまで行くのですけど、見えんようになったらもう家から出やしま
せん。おたくさんは偉いどすなぁ。ほんまに偉いどす。」
おばあさんはまるでわが子を褒めるみたいな口調でおっしゃった。
「偉くなんかありません。くよくよしても仕方ないですからね。
ただそれだけです。」
おばあさんはたった10分間くらいのやりとりの中で、何度も偉いと褒めてくださった。
満員のバスの中で、入園式にも入学式にも入社式にももう縁がない僕とおばあさんだ
けの不思議な空間ができていた。
人生の先輩と後輩という関係だけで作られた空間だった。
僕は偉くはないけれど、
子供の頃父ちゃんや母ちゃんに褒められた頃のようなうれしさを感じていた。
「今ね、あちこちで桜がこぼれんくらいに咲いていますよ。
綺麗どすえ。見せてあげたいどすなぁ。」
おばあさんはその言葉を残して降りていかれた。
僕は桜を思い浮かべた。
満ち足りた気持ちになっていた。
(2016年4月5日)
桜まつり
地域の視覚障害の仲間達と桜まつりに参加した。
まつりの会場では毎年点字と手引きの体験コーナーが企画されるのだ。
小学生から一般市民までいろいろな人達が体験してくださる。
ボランティアさんの指導で点字で氏名を書いた子供が緊張しながら僕の前に並ぶ。
その文字を僕の指が辿り読んでいく姿で、
子供達は点字が文字であることを実感するのだ。
隣では初めての体験という女性が、
視覚障害の仲間を実際に手引きして会場を歩いてうれしそうに帰ってきた。
あちこちで初めての体験に驚きや喜びの声が聞こえてくる。
とても地味な活動だけれどもコツコツと続けていくことに大きな意味があるのだろう。
実際僕達に声をかけてくださる人の数は確実に増えている。
こういう活動の結果なのだろう。
たまたま通りかかった女性が「松永先生!」と近寄ってきた。
専門学校の教え子だった。
二人の子供のママになっていた。
ママは子供を僕の前に連れてきて僕と握手をさせた。
卒業してもう何年もなるのに、
僕が伝えたかったことをしっかりと受け止めてくれていたのだろう。
何よりも暖かなメッセージに感じられた。
手引き体験で一緒に歩いた中学生は、
以前僕の講演を聞いてくれていた生徒だった。
僕と一緒に歩くことで何かを伝えようとしてくれていたのかもしれない。
この街で暮らし始めて30年の時間が流れた。
最初の10年は見えていた。
小畑川沿いの桜並木の美しさははっきりと記憶にある。
桜を目で確認することはできなくなったのに、
毎年満開を待っている僕がいる。
桜に集う人達の一人であることがうれしいのかもしれない。
集えれば、やさしい人に出会える。
やさしい人に出会えればうれしくなる。
(2016年4月2日)
比叡山
大学の職員研修の仕事で精華大学を訪れた。
40年ぶりのキャンパスだった。
青春時代の苦い思い出の場所だ。
やさしい人でありたいと願いながらもやさしい人にはなれなかった。
実際はやさしい人を傷つけてしまったのだろう。
生きていく意味や価値などに気づくようになったのは、
ひょっとしたらつい最近のことなのかもしれない。
いや本当はまだまだ判っていないのかもしれない。
とにかく二十歳前後の頃は今よりもずっとずっと判っていなかった。
ただすべての経験が今の僕につながっているとしたら、
苦い思い出さえも有難いことなのだろう。
そんなことを考えながら学校を出た。
運転してくれていた同僚に車窓の風景を尋ねたら、
40年前と同じようにそこに比叡山があった。
比叡山のなだらかな稜線までが鮮やかに蘇った。
やさしい人が大好きだと言っていた風景が記憶のアルバムに残っていたのだ。
挫折や失敗の中にありながらも豊かな時間だったのだろう。
(2016年3月28日)
店長さん
「先生、お元気そうですね。」
たまたま他のお客様の見送りで店先におられた店長が声をかけてくださった。
京都の街中ではちょっと人気の和食屋さん、
久しぶりに訪ねたのに憶えていてくださってうれしい気分だ。
「お久しぶりです。店長もお元気そうですね。」
僕も笑顔で挨拶を返した。
僕の記事が掲載されていた月刊誌を読んでくださったご縁で、
先生と声をかけてくださるようになったようだ。
講演をしたりメディアに取り上げてもらったりする中で、
先生と呼ばれることが多くなった。
最初の頃は僕は先生ではありませんと説明したり、
気恥ずかしくて下を向いたりしていたのだが、
いつの間にか違和感を感じなくなった。
慣れてしまったのだろう。
これは僕が先生らしくなったということではなくて、
敬称としては使いやすいものだと判ってきたからだろう。
夜の裏通りのお姉さんから、
「ねえ社長さん!」と呼び止められるのと同じようなものなのだ。
先生と呼ばれてその気になれば、
いくらでも落とし穴があるのは僕でも知っているつもりだから、
いつも自分を戒めることは忘れないようにしている。
店長さんは店に入るとすぐに僕のサポートをしてくださった。
古い町家を手直ししてある店内のとても急な階段を、
僕がおっこちないように支えながら歩いてくださった。
当初は「いらっしゃいませ。」とか「ありがとうございました。」くらいだったのが、
今では普通に普段着の会話ができるようになった。
とても上手とは言えないサポートだけど、
店長さんのやさしさが伝わってくる。
先生でもおじさんでもオッチャンでも何でもいい。
声をかけてもらうというのはうれしいことだ。
サポートを受けられるというのは有難いことだ。
(2016年3月24日)
サシャ
2年ぶりに再会したサシャはとても日本語が上手になっていた。
セルビアの出身でカナダに住んでいる。
日本出身の彼女とカナダで出会い、
今回は彼女の故郷で結婚式を挙げるために来日したのだ。
彼女はカナダで視覚障害の子供の教育に関わる仕事をしていて、
たまたま僕の著書も読んでくれていたというご縁で知り合った。
繋がることでお互いにスキルアップできればという思いはあったけれど、
僕にとったらサシャと知り合えたことも大きかった。
京都の真ん中の御池通りをサシャに手引きしてもらって歩いた。
身長は2メートル近くあるのだろうか、
この前までカナダの海軍で軍艦に1年近く乗船していたとのことで、
まさに強靭という感じだった。
サシャの人生を詳しく知っているわけではないが、
地球サイズの感覚を持っている彼に比べれば、
僕は貧弱なものだ。
素直にうらやましく感じた。
日本で困ることを尋ねたら、
タトゥがあるから大浴場の入浴などを断られると笑った。
あらかじめ申し出れば宿泊さえ断られることがほとんどとのことだった。
カナダではファッションのひとつで、
学校の先生も警察官もタトゥがあるのにと説明してくれた。
サシャの手引きは何も問題はなかった。
誰かが誰かを手伝うということ、
言葉以上のものが存在するのだろう。
やさしさに国境はないのだ。
素敵な二人が幸せでありますように!
(2016年3月20日)
兄妹
お兄さんに促された彼女は僕の手をそっと握った。
「ずっと会いたいと思っていました。」
小さな声で控えめな口調ではあったけれど、
何故かつぶやきは僕の心にしっかりと届いた。
僕は照れ臭かったけど感謝を伝えた。
僕と彼女に特別な接点はない。
たまたま僕が出演していたラジオを聞いてからそう思っていてくれたとのことだった。
僕が何を話、それが彼女にどう響いたのかは判らない。
でもそれが希望につながる話しになっていたとしたら光栄なことだ。
12歳で失明してから二十数年を地方都市で過ごしている彼女の人生、
きっと僕には想像できないようなこともあるのだろう。
でも、人間としての思いは同じなのだ。
きっとそれを直接確認するために彼女は京都まで来たのだろう。
「目は見えなくても幸せになろうね。」
自分でも驚くような言葉が僕の口からこぼれた。
彼女は微笑んだ。
妹を京都まで連れてきたお兄さんも微笑んだ。
そして僕も微笑んだ。
(2016年3月18日)
後悔
ライトハウスでの会議が終わったのは21時前だった。
今年度の活動の整理とか来年度に向けての協議事項とか年度末らしい会議だった。
ちょっとの疲労感を感じながらバス停に立っていた。
四条大宮までの市バス、桂駅までの阪急電車を乗り継いで、
桂駅から洛西へ向かう最終バスにギリギリくらいの時間だった。
間に合わなかったらタクシーを利用することになるのだが、
できるだけ公共交通機関を利用したいといつも思っている。
そんなことを考えていたらバスがきた。
右手で持った白杖でステップを確認しながら乗車し、
そのまま左手をななめ上に挙げて空中にあるはずの手すりを探した。
考え事をしながら乗車したせいか、
少し勘が狂ってしまったようでなかなか見つからなかった。
やっと手が手すりに触れた時バスは発車した。
運がいい時は運転手さんや乗客の方が僕に気づいて空席を教えてくださる。
それがない時はこちらから声を出す。
「どこか空いていませんか?」
これも雰囲気で満員ではないと確信が持てた時だけにしている。
目は見えないけどまだ足腰は丈夫なので立っているのもできるからだ。
ただ、例えばライトハウスから四条大宮までの25分間、空いていれば座りたい。
今日は仕方ないなとあきらめて立っていた。
車内はとても静かだったので満員ではない感じだった。
いくつかのバス停を過ぎた時、
「ご主人、お座りになられますか?」
突然紳士の声がした。
「どこか空いていますか?」
「ほとんど空いていますよ。
ご主人の前も空いています。」
彼はそう言いながら僕に近づき、
僕が座るのを確認してまた元の席に戻っていかれたようだった。
「ありがとうございます。助かりました。」
僕はいつものようにしっかりとお礼を伝えた。
しばらく時間が流れてから、
「もっと早くお声かけしたら良かったのですが、すみませんでした。」
紳士がおっしゃった。
僕は驚いてしまい「いえいえ。」としか返事できなかった。
彼の誠実さとやさしさがしみじみと伝わってきてうれしかった。
何か言いたいのに言葉を見つけられない自分がいた。
目が見えていた時の僕は、
気づいても勇気がなくて最後まで声をかけることはできなかった。
彼が乗車してから少しの時間をかけて行動に移してくださるまでを考えたら、
しかも、静かな車内で他の乗客もおられる中ということを考えたら、
僕は感謝の気持ちでいっぱいになった。
感謝の気持ちが大きすぎて言葉が探せなかったのだろう。
紳士がどこで下車されたのかも判らなかったのだけれど、
「いえいえ。」としか言えなかった自分が情けなかった。
離れていたからありがとうカードも渡せなかった。
いや、頑張れば渡せたはずだ。
彼に比べて、僕は勇気がなかったのだろう。
結局最終バスには間に合わなかった。
タクシーの中で自分自身への腹立たしさや不甲斐なさを感じていた。
いつでもどこでも、
しっかりと感謝を伝えられる人になりたい。
(2016年3月17日)
京都紅茶クラブ
講演が始まる前のわずかな時間、
柔らかな口調の紳士は僕のところまで来て声をかけてくださった。
「近くに来られる時があったら立ち寄ってください。」
そして点字模様の小さな紙袋を僕に手渡された。
紙袋には丁寧に包装された数種類の紅茶のパックが入っていた。
帰宅して早速飲んでみた。
その豊かな香りに驚いた。
このお店に行ってみたいと思った。
僕が思ったというより、僕の鼻がそう決心したようだった。
数日後、午前中の用事を終えてから夕方の会議までに3時間程あった。
僕は躊躇なく京都紅茶クラブまでのサポートを目が見える友人に頼んだ。
祇園宮川町の近く、いにしえから流れている街の空気を感じながら歩いた。
これから仕事に行くらしい舞妓さんと何人かすれ違ったりした。
京都紅茶クラブはすぐに見つかった。
メニューには何十種類もの紅茶の説明書きがあったが友人の代読を僕は途中で止めた。
香りをイメージするという作業がとても困難なのに気付いたからだ。
結局、僕は「砂時計」というオリジナルブレンドを注文した。
ティーカップもたくさんの中から自分の好みでチョイスするというこだわりようだっ
た。
ティーポットもいろんな種類があった。
小さなお店なのだが、
やっぱり喫茶店ではなくて紅茶クラブなのだと実感した。
豊かな香りの中、舌先で感じる渋みが脳を麻痺させていくようだった。
砂時計を幾度かひっくり返したくらいの時間を過ごした。
幸せだと感じた。
目が見えないことなんて忘れてしまっている自分にふと気づいて、
何か可笑しかった。
見えた方がいいし、見たいと思っているし、
でもそれが叶えられなくても幸せはすぐ隣にいてくれたりするものなのだ。
それを探すのは目ではないのだろう。
いつ来れるか判らないけれど、
次は「風のささやき」を飲むことだけを決めて店を出た。
(2016年3月13日)
清水寺の紅梅
寒くもない暑くもない早春の昼下がり、
久しぶりに清水寺を訪れた。
東山区が主催したユニバーサルツーリズムに参加したからだ。
いろいろな立場の人達が東山に観光に来られた時どう対応するのかという勉強会だ。
昨年は車いすの方、一昨年は外国の方、今年は視覚に障害のある方へのおもてなしが
テーマだった。
行政だけで進めるのではなく企画から学生達が若い感性で関わっていて、
その柔らかさと真摯な姿勢が講座全体にいい刺激になっていた。
参加者も定員を超える盛況ぶりで心地よかった。
僕はいつものように見えない世界を伝え、共に生きていく社会の実現をお願いした。
そして実際のサポートの方法も実習してもらった。
皆さん熱心に体験されていた。
参加者の中には東山区長もおられてこれまた熱心に体験されておられたのには驚いた。
それから皆で清水寺まで出かけた。
参道は大賑わいだった。
半分以上が外国からの観光客だった。
受講生のお一人の陶器屋のおかみさんらしい人が僕のサポートをしてくださたのだが、
何の違和感もなく、まるで昔からの知り合いと観光にきているような感じだった。
学ぶ機会というのは勿論大切なことなのだが、
きっと元々のセンスもある人だったのだろう。
聞こえてきた風鈴の音色から話しがつながって、
外国からの観光客がどんな陶器に興味をもたれるかなど、
内輪話も聞けて楽しかった。
僕はそれだけで満足していたのだが、
清水寺の正門に近づいた時、
「門の横に濃い赤色の梅が咲いていてきれいですよ。」
彼女がさりげなく教えてくださった時には
何か胸がジーンとした。
初めて出会った日に、人間同士ってとても素敵なことをしてしまうのだ。
こんな豊かな時間、日本中のいや世界中の視覚障害者に分けてあげたいと思った。
いつか白杖や盲導犬の人がたくさん行き交う観光地になればいいな。
(2016年3月9日)