黒豆枝豆と栗

丹波の黒豆枝豆が送られてきた。
丹波の栗が送られてきた。
別々の人からのプレゼントだ。
たまたま偶然なのだが、
お二人共がご主人を亡くされておられる。
そしてお二人共がご主人は視覚障害者だった。
秋という季節を僕に届けようと思ってくださったのだろう。
これもたまたま偶然なのだが、
「応援しています。」
どちらにもやさしい言葉が添えられていた。
光栄だと感じた。
それぞれのご主人の思いを受け継いでいくようにとのことなのかもしれない。
先達の心を今生きている僕達がかみしめていくことが大切なのだろう。
そして次の時代に渡すのだ。
そうして思いは深まっていく。
成熟していく。
僕自身もそうありたいと願いながら秋の味覚を味わった。
(2016年10月1日)

京都府北部地域の視覚障害者の仲間が舞鶴市に集結した。
皆で話し合いをした後、市内をパレードした。
「白い杖を見かけたら声をかけてください!」
「歩道に物を置かないでください!」
「歩きスマホはやめてください!」
「自転車は安全運転をしてください!」
シュプレヒコールはひとつひとつが大切な願いだった。
200人あまりの視覚障害者とガイドヘルパーさん、ボランティアさん、3匹の盲導犬、
皆が心をひとつにしてのパレードだった。
僕は役員の代表として舞鶴市まで遠征し挨拶をしパレードにも参加した。
歩き終わって、満足感と疲労感をリュックサックに詰めて帰路に着いた。
関係者の車に同乗させてもらったが高速道路は込んでいた。
小雨も降ったりした。
パレード中でなくて良かったなと胸を撫で下ろした。
「虹です!」
突然、同乗していた職員が叫んだ。
虹に出会ったのは、ひょっとしたら失明してからは初めてかもしれない。
神様のプレゼントだと感じた。
いや、確信した。
神様は時々粋なことをしてくれる。
素敵だな。
そう思ったらうれしくなった。
希望を持って歩き続ければ、きっといつか虹の向こうにたどり着く。
(2016年9月27日)

手話通訳士

「松永さん、かっこいいですね。」
「サングラスがですか?」
僕達は笑いながら話をした。
見えない僕と聞こえない彼女、
僕は声を出して話をしたが彼女にはそれは聞こえない。
彼女は手話で話をしたが僕にはそれは見えない。
手話通訳士が間に入ってくれた。
城陽市で開催された盲聾者通訳介助員養成講座、
僕は講師として彼女は受講生として参加して出会った。
そしてたまたま帰りの電車が京都駅までは一緒だったのだ。
僕達は並んで座った。
彼女は生まれた時から聞こえないのだそうだ。
僕は39歳で失明した。
彼女は見えない世界を想像しただろうし、僕は聞こえない世界に思いを寄せた。
イメージすること、それは人間ならではの素敵な能力だ。
そしてそれによって生まれるのは涙ではなくて笑顔なのだ。
お互いの命を愛おしいと思うからだろう。
「松永さんに来てもらうには講演料は高いのですか?」
彼女は意を決して尋ねた感じだった。
僕には基準も相場もないことを伝えた。
お金はどうでもいいと説明した。
話を聞いてくれた彼女にそんな質問を受けることをとても光栄に思った。
電車が京都駅に着いた。
僕達はしっかりと握手をして別れた。
そして何の違和感もないようにその場を演出してくれた手話通訳士に心から感謝した。
(2016年9月24日)

とんかつ

とんかつ屋さんに向かう階段を彼女は不安そうに降りていった。
手すりを握りながら降りていった。
怖がっているのが伝わってきた。
地下に入って商店街を少し歩いた。
僕達はやっとお目当てのとんかつ屋さんに着いて注文をした。
店員さんは定食のお盆を運んできて僕達の前に置いた。
「うわぁ、大きいトンカツ!」
お肉好きの彼女はうれしそうにつぶやいた。
彼女は僕と同じ目の病気、歳は僕よりお姉さんだ。
病気が進行してだいぶ見えにくくなったと最近こぼしていた。
僕も心配していた。
その彼女が目でトンカツの大きさを確認できたのだ。
うれしさが込み上げてきた。
僕達はとりとめもない話をしながらトンカツを頬張った。
人間は微かにしか見えなくてもその目で見てしまう。
本能なのだろう。
何も見えなくなったら目は使わない。
いや使えない。
だから触覚で食器などを確認して食べるようになる。
慣れればほとんど問題はない。
だから食べるのはきっと僕の方が上手だろう。
食べ方がどうであれ、ちゃんと味わうことはできる。
「おいしかったね。」
店を出た後の彼女の言葉は美味しいものを食べた後の満足感に満ちていた。
それはささやかだけどゆるぎない幸福感のような気がした。
彼女の目はひょっとしたら人生の終わりまで光くらいは感じられるかもしれない。
いや、そうあって欲しい。
祈りにも似た気持ちが僕の心の中で膨らんだ。
(2016年9月20日)

月見団子

一升瓶にススキを飾って栗や梨をお供えしてお月様を眺めた。
遥か遠くの少年時代の思い出だ。
愛おしい思い出だ。
もう見ることはないというのはひょっとしたら悲しいことなのかもしれないが
不思議と心は満ちている。
僕自身のしたたかさなのかもしれないけれど、
あきらめの境地になっているのだろう。
失明して二十年という時間が僕を育んでくれたのかもしれない。
それでも甘党でもないのに月見団子を味わっている。
見えても見えなくてもお月様が好きということなのかな。
やっぱり見たいということなのかな。
(2016年9月16日)

赤とんぼ

職業はと尋ねられて戸惑うことがある。
福祉の専門学校と大学の非常勤講師をしているが、
それは週に二日だけだ。
いわゆる職業には程遠い状態だ。
それでもいつの間にかスケジュールは埋まっていく。
講演だけで年に100回くらいはあるのかもしれない。
僕達のことを一人でも多くの人に正しく理解して欲しい。
未来への種蒔きがライフワークだと思っている。
そう願っているのだからとても有難いことだ。
僕の活動を支えてくれる収入のひとつになっているのも間違いない。
でも依頼がなかったら成立しない。
知名度が高いわけでもないし障害というテーマもマイナーなものだ。
それでもこうして活動が続けられているのはたくさんの支援者のお蔭だ。
今日は京都府久御山町の民生委員研修会での講演だった。
もう何年も前に福祉の専門学校のオープンキャンパスで彼女は僕と出会った。
初めて出会った全盲の人間が教室を自由に歩き授業をした姿が衝撃的だったらしい。
それから専門学校に入学して僕の講義も受けた。
卒業して今は福祉の仕事で活躍している。
いつか僕を手伝いたいとずっと思っていたとのことだった。
民生委員をしておられる母を説得し今回につながった。
講演が終わって彼女のお気に入りのレストランに向かった。
前菜からコーヒーまで贅沢なランチタイムだった。
学生時代に始まって現在の職場まで話はつきなかった。
座席への誘導も食事のサポートもほぼ完璧だった。
レストランを出て駐車場に向かいながら彼女が急に立ち止まった。
「赤とんぼです。」
彼女の屈託のない笑い声がこだました。
僕達は一瞬に秋に包まれた。
「またいつか、お手伝いさせてくださいね。」
純粋な言葉だった。
彼女の言葉を聞きながら、
いつの間にか僕が教えてもらう立場になっていることを知った。
支援してくださる人達にあらためて感謝しながら、
またこの秋も頑張って活動を続けたい。
(2016年9月15日)

東京での研修会

東京で開催された同行援護資質向上指導者コースの研修会、
北海道からも沖縄からも参加されていた。
日本の各地で活躍されている先生方の研修会だった。
実習も含めた四日間の講座は実施する方も受ける方も結構きついものだった。
集中力の持続も大変だったし体力も必要だった。
僕は講師の一人として参加した。
見えない当事者の代表としてメッセージを伝えるのが僕の役目だった。
役不足は自覚しつつも僕なりに頑張った。
朝から夕方まで4日間連続で会場に足を運んだ。
宿泊もいつものところだったが、
四泊五日のホテル暮らしは疲労感は蓄積されていった。
無事終了した時にはまず安堵感に包まれた。
早く京都に帰って休みたいと思った。
それなのに帰りの新幹線では静かな喜びがじわじわと湧いてきた。
疲労感と満足感が同居していた。
「受講を迷っていたのですが、話を聞けて良かったです。」
「ご著書、アマゾンで注文しました。」
「地元でしっかりと頑張ります。」
感想はまさに僕達へのエールだった。
それは間違いなく僕達の仲間の笑顔につながるということなのだ。
まだこの国のどこかで俯いている仲間がきっといる。
悔しくてこぶしを握っている仲間がいる。
心細くて涙がこぼれそうになっている仲間がいる。
僕がそうだったように。
そして寄り添う人達に出会えれば、
人はきっといつか笑顔になれるのだ。
出会った先生方がきっと寄り添う人になってくださるだろう。
僕は心から感謝した。
(2016年9月10日)

点字の手紙

「これ、読んでください。」
教室を出ようとした僕に少女は点字で書かれた手紙を手渡してくれた。
「うん判った。新幹線の中で読むからね。」
僕は手紙を後ろ手に受け取って歩きながら返事をした。
そして東京へ向かうために京都駅へ急いだ。
この二日間、僕は子供達とたくさんの時間を過ごした。
一日目は視覚障害について話をしサポートの方法も実習した。
二日目の今日はクラス毎に点字を教え、最後の時間は子供達の質問に答えた。
「夢は見るのですか?」
「お風呂でシャンプーは判りますか?」
「趣味は何かありますか?」
「お金はどうやって区別するのですか?」
「散髪はどうしていますか?」
「サングラスをかけている理由を教えてください。」
「服はどうやって選んだりしていますか?」
「食事はどうしていますか?」
「目の不自由な人の職業を教えてください。」
「幸せって何ですか?」
子供達のキラキラした眼差しの中で豊かな時間が流れていった。
子供と大人のはずなのにいつの間にか人間同士として語り合っていた。
京都駅に着いて駅員さんにサポートをしてもらった。
予定の東京行きののぞみに乗車することができた。
座席に腰かけてさきほどの手紙を読んだ。
「てんじを おしえてくれて ありがとうございました
めのふじゆうなかたには こえをかけます
4ねん1くみより」
憶えたての文字が僕の指先で微笑んだ。
僕は車窓からそっと外を眺めた。
いつもと変わらないただ灰色だけの世界がそこにあった。
いつもとほんの少しだけ違うのは、
その向こう側に未来があるような気がしたということだろう。
(2016年9月7日)

助産婦さん

ホームに入ってきた電車のドアの開く音が聞こえた。
僕は点字ブロックを確認しながら動き始めた。
「一緒に行きましょうか?」
緊張した感じの女性の声がした。
ドキドキ感もヒヤヒヤ感も伝わってきた。
「ありがとうございます。肘を持たせてください。」
僕は言いながら図々しく彼女の肘を探した。
僕達は無事に電車に乗車した。
空いてる席を見つけた彼女は僕をそこに誘導してくれた。
「どちらまで行かれるのですか?」
僕は行先を告げた。
僕達は途中まで一緒のルートだということが判明した。
「途中までご一緒させていただいてよろしいですか?」
彼女は引き受けてくれた。
一緒に電車を降りエスカレーターに乗り、改札口を出た。
滅多に電車には乗らないと言った彼女はそこからは不安そうだった。
「左側にある階段を降りてください。しばらく進むと左側に券売機があります。」
彼女は券売機で切符を購入した。
「まっすぐ進むと改札が並んでいますが、一番右の有人改札を通ってください。」
僕達は改札を通過した。
「階段を通り越して行けばエスカレーターがあります。」
彼女は僕の音声ナビの通りに動き、
僕達は地下鉄のホームに降りる長いエスカレーターに乗った。
「まるで見えておられるようですね。」
「見えなくなってもうすぐ20年になりますから。」
「どうして失明されたのですか?」
網膜の病気だと答えた僕に彼女は専門的に尋ねてきた。
「網膜色素変性症ですか?」
僕は驚いた。
「私、助産婦なんです。」
彼女が言い終わる時、僕達はホームに到着した。
右側に電車が入ってきた音がした。
僕は電車を指さした。
「貴女が乗る電車はこれです。後は僕は大丈夫。ありがとうございました。」
僕達は笑って別れた。
「私、助産婦なんです。」
たったこれだけの短いフレーズが僕の中で繰り返された。
健やかな命ともそうでなかった命とも、
そして傷ついた命とも出会ってこられたに違いない。
僕との短い言葉のやりとりの中にさえ、
命を愛する気持ちが伝わってきた。
僕も命が愛される社会に向かう一人でありたい。
(2016年9月5日)

イメージ

政令指定都市身体障碍者団体連絡協議会が神戸市で開催された。
ちょっとお疲れモードだった僕は、
とりあえず出席だけはしなくてはという気持ちで出かけた。
全体会議の後は障害別の会議だったので、
視覚障害者だけが別室に集ってそれぞれの課題について話し合った。
時々襲ってくる睡魔と闘いながら、
それでもなんとか京都市の代表としての役目は果たした。
その後また全体で集まって、障害別の会議の報告がなされた。
「ニュースに字幕をつけてください。」
聴覚障害の方の大きな声が響いてきた。
聞こえていないからボリュームの調整が困難なのだろう。
大きな声はしっかりと心の中にまで届いた。
内部障害の発表をなされた方は人工肛門を装着されておられ、声帯も失っておられる
ようだった。
「皆さんと一緒に温泉に入りたいのです。」
ふりしぼった微かな声が心の中に沁みわたった。
僕はいつの間にか真剣になっていた。
一人の市民として僕に何ができるのだろう。
目が見えない僕にもきっと何かできることはあるはずだ。
もし耳が聞こえなかったら、
もし足がなかったら、
もし話せなかったら、
イメージすることは僕にもできることだ。
そしてそこから始まることがきっとあるのだ。
(2016年9月3日)