東京での定宿になっている高田馬場駅前のホテルを出て、
研修会場までのなだらかな坂道をガイドさんの肘を持って急ぎ足で歩く。
京都では単独での移動が多いのだが、
出張先ではガイドさんやボランティアさんに頼ることになる。
ホテルの部屋はどこでも同じような構造だし、
困ったらホテルスタッフに尋ねればなんとかなるからホテル内は問題はない。
朝食のバイキングがちょっと残念に感じるくらいだ。
料理のチョイスに時間をかけたりお代りをお願いしたりに気が引けてしまう。
これは僕の小心者のせいもあるのだろう。
つい我慢してしまうのだ。
結局コンビニのおにぎりを準備することが多い。
身支度を整えてホテルを出るところまでは自分でできる。
そこから先は右へ行くのか左に向かうのかさえ判らない。
頭の中に地図がない場所ではどうしようもない。
通行人にサポートを依頼しても目的地までの時間がどれくらいかかるかも判らないし
リスクも高い。
予約していたサポーターの目と肘さえあればいつものように歩けるのだ。
いつものように歩けばいつもの暮らしがある。
いつものように感じられる平穏がある。
今日もガイドさんと歩いていたら真冬の冷たい北風が僕の顔を下から押し上げた。
北風に押し上げられた顔が空を向いた。
今年初めて出会う冬枯れの空がそこにあった。
淡い水色の空だ。
うれしくなった。
(2016年12月11日)
冬枯れの空
願い
「松永さん、お久しぶりだね。」
改札口を入ったところで男性の声がした。
「どちら様ですか?」
立ち止まった僕に彼は自分の名前を告げた。
「会うのはこの20年で3回目くらいかな。僕はテレビでも新聞でも貴方をよく知って
いるよ。貴方と同じ病気だよ。」
そう言いながら彼は僕の手を自分の肘に誘導した。
僕達はゆっくりとホームへの階段を降りていった。
白杖歩行に慣れている僕には、
それはいつもよりずっと遅いスピードだった。
でも僕は彼の肘を持って歩いた。
サポートの肘を持つというのではなくて、
おぼつかない彼の歩き方がそうさせていた。
ホームに着いて電車が到着するまでの時間、僕達はとりとめもない話をした。
僕達はどちらも干支が鳥で、彼は僕より丁度一回り年上だった。
「その年齢でその状態だったら、ひょっとしたら一生光くらいは見えているかもしれ
ませんね。」
「僕もそう願っているんだけどね。」
電車の案内放送が流れた。
しばらく僕達の会話はさえぎられた。
僕が小さな勇気で言葉を探すには丁度いい長さの時間だった。
「きっと一生、大丈夫ですよ。」
放送が流れ終わった後、僕は根拠もない希望を心をこめて伝えた。
電車がホームに入る音が聞こえた。
乗車する時に僕は白杖で示しながら彼に声をかけた。
「この隙間、気をつけてくださいね。」
乗車して手すりを持とうとする僕を今度は彼が空いている席まで誘導した。
僕は座席に腰を下ろした。
「いつか手術ができるようになったら、父ちゃんの目を片方お前にあげるからな。」
昔父ちゃんがたった一度だけつぶやいた言葉が唐突に蘇った。
本気の言葉だったなと何故か思った。
その言葉がずっと心にしまわれていたことに気づいてうれしくなった。
「くれぐれも事故などに気をつけてくださいね。」
別れ際、僕はそれだけを彼に伝えて電車を降りた。
(2016年12月5日)
大学生のアンケート
大学は年が明けてしばらくすると試験などがあるので、
今年度の講義も後3回となった。
学校側の指示で学生達へのアンケートが実施された。
無記名なので学生達は自由に伸び伸びと書いてくれたようだった。
僕はいろいろな用事で休講せざるを得ないことが幾度もあり、
その度に補講を実施して迷惑をかけた。
補講を実施すると16時半には終わるはずの講義が延長されて18時となる。
帰宅が遅くなるだけではなくて、アルバイトをしている学生達には大変なことだ。
他の用事と重なって受講できない学生もいた。
当然、出来るだけ補講が少なく、もしあっても早く知らせて欲しいという意見があっ
た。
校外学習に出かける場合の交通費が負担になるという意見もあった。
それぞれに僕が反省しなければいけない課題だった。
それを踏まえての全体の感想は僕も驚くようなものだった。
受講してくれた学生達が皆一定の評価をしてくれていた。
ぬくもりのある言葉が並んでいた。
受講して良かった。
楽しかった。
障害への考え方が変わった。
もうすぐ終わるのが寂しい。
白杖の人に声をかけられるようになった。
素直でまっすぐな気持ちが綴られていた。
それはそのまま僕へのエールでもあった。
僕は学生の代表に朗読してもらった。
朗読が終わって僕は学生達に語りかけた。
「日常の君達はきっとこんな真面目な会話はしていないだろう。
でもね。今読んだ内容は君達1人1人が書いたんだよ。
素晴らしいよね。
君達がこうして学んでくれて、僕は幸せです。」
静まり返った教室には豊かな空気が充満していた。
未来を感じさせるものだった。
見えない僕の目から熱いものが零れ落ちた。
あと数回の講義、しっかりと取り組みたいと強く思った。
(2016年12月2日)
お母さんと娘さん
ドラッグストアで買い物をしていたら、
背中越しに娘さんとお母さんらしき人のヒソヒソ声が聞こえてきた。
僕は気にも留めずに目的の栄養ドリンクを探していた。
「さっきから松永さんの方を見ておられますよ。お知り合いではないですか?」
隣にいたガイドさんが僕に伝えてくれた。
僕が振り返るとお母さんらしき人が話し始めた。
「松永さんですね。娘から話を聞いていました。
学校から帰ってきてたくさん話してくれました。」
内容まではおっしゃらなかったが十分に意味は伝わってきた。
それからその娘さんが学校名と氏名を名乗った。
確かに僕が福祉授業で訪ねた学校だった。
うれしそうな声だった。
「憶えていてくれて、声をかけてくれたんだね。ありがとう。」
僕はリュックサックから点字の名刺を取り出して彼女にプレゼントした。
福祉授業や講演で学校に行った時、
僕は子供達に心をこめて話をする。
一生懸命話をする。
そしてそれを受け止めてくれた子供達が家族に伝えてくれることがある。
子供から話を聞いたというお母さんやお父さんに時々出会う。
伝える力、小さな力かもしれないけれどきっと未来につながっていく。
別れ際のお母さんと娘さんの笑顔が今日もそれを教えてくれていたようだった。
(2016年11月28日)
枯葉
カラカラコロコロ、
枯葉が笑いながら駆けて行く。
一斉にちょっと休憩して、また突然走り出す。
へこたれずに、あきらめずに駆けて行く。
追っかけてくる北風に負けないように駆けて行く。
抜きつ抜かれつのいいレースだ。
その脚力にそのファイトに心の中でそっと拍手をおくる。
白杖の僕は走れないけれど、
頑張って歩こうと自分に言い聞かす。
そして枯葉の音を聞きながら、もうすぐ冬がくるのだと実感する。
(2016年11月24日)
中国人
阪急大宮駅は地下にあるのだけれどとても古い駅だ。
ホームには大きな柱が数本立っている。
点字ブロックギリギリにあるのだけれど、
これは移設できるようなものではないので仕方ない。
僕は白杖でその柱を確認すると内側に回り込む。
線路側はとても狭いので危険だし歩くのも怖い。
僕は白杖で柱を確認しているのだけれど、
見える人からすればぶつかっているように見えてしまうことも時々あるようだ。
今日も柱に白杖が当たった瞬間、誰かが僕の左手に自分の右手を回した。
そして無言で歩き出した。
しばらく歩いてからその人は短い言葉で語りかけた。
「イス、すわる?」
女性の声だった。
「はい、ありがとうございます。」
答えた僕を彼女はイスまで案内してくれた。
アナウンスが電車の接近を教えてくれたので僕はイスから立って歩き出した。
すると先程の彼女がまた僕と腕を組んだ。
ずっと横にいてくれたのだった。
「どこ行く?」
今度はその語り口で彼女が日本人でないことが判った。
「桂までです。貴女は?」
彼女は西院までだった。
僕達は一緒に電車に乗車した。
「私、次おりる。ごめんなさい。」
彼女はそう言いながら僕の手を手すりに誘導した。
先に降りることを申し訳なく思っていてくれることが伝わってきた。
ただの通りすがりの視覚障害の男性、
しかも言葉も的確にキャッチボールはできない状況、
それなのに僕を手伝おうとしてくださっている。
僕は手すりをつかんで、反対の手を彼女に差し出した。
「私、中国人。」
彼女は握手をしながら笑った。
「ありがとう。」
僕も笑った。
言葉があったら伝わりやすい。
でも言葉がなくても伝わることもある。
言葉がいらないこともある。
(2016年11月20日)
落ち葉
小春日和のぬくもりの道、
白杖を左右に振りながらのんびり歩く。
日常は空を眺めながら歩くことが多いのだけれど、
この季節はつい白杖の先や足の裏に神経が注がれる。
白杖の先で聞こえる落ち葉の音、
落ち葉を踏みしめた時の柔らかな感触、
ただそれに気づくだけでちょっと幸せな気分になる。
のどかな時間をそよ風がゆっくり運ぶ。
足元でささやく秋にありがとうって言いたくなる。
今、生かされている命に自然に感謝する。
一日一日を大切に暮らしていきたい。
(2016年11月16日)
秋色の街
僕は彼女の名前を知らない。
勿論、顔も知らない。
どこに住んでおられるのかもしらない。
これまで何度出会ったかも定かではない。
知っていることと言えば、
コーラスが趣味で週に数回練習に行っておられるということ、
敬老乗車証を利用してバスを乗り継いで移動しておられるということ、
植物の名前などをよくご存知だということくらいだ。
同じバス停で出会うということはきっとご近所なのだろう。
バス停でバス待ちをしている僕に躊躇せずに挨拶をしてくださるということは、
彼女にとったら僕はすっかり隣人ということなのかもしれない。
バスが到着するまでの彼女との数分間、
それはまるで美味しいモーニングコーヒーを飲んでいるような時間だ。
「街路樹がだいぶ色づいてきましたよ。」
そんな言葉で今朝の会話は始まった。
バス停のある通りはハゼの木が植えられていて真っ赤になるのだそうだ。
僕が20年くらい前まで見えていたことを伝えると、
彼女の説明は延長された。
一つ目の信号を曲がると次の通りはイチョウの木とけやきの木らしい。
けやきの木は赤や黄色になるということは僕も知っている。
イチョウは黄金色を思い出す。
そしてまた次の大通りを曲がると、
街路樹に常緑樹も混ざってグラデーションが美しいらしい。
僕の頭の中で秋の街が赤や黄色に彩られていく。
僕の目線は無意識に空に向かう。
透き通るような空に秋の色と形がよく映える。
「でも素敵な季節は短くて人生と同じ。」
彼女が微笑む。
いいタイミングでバスが到着する。
彼女は僕と同じバスに後ろから乗り込みながら、
「行ってらっしゃい。」
小声でささやいてくださる。
「ありがとうございます。」
僕は大きな声で返事をしながら乗車する。
きっと素敵な一日になるだろうという予感を乗せて、
秋の朝のバスは動き始める。
(2016年11月12日)
アクセス数
僕の記憶力のなさは仲間内では笑い話になるくらいだ。
見えている頃はもうちょっとましだったような気もしているけど、
目とはあまり関係ないような気もする。
見えない人は記憶力が発達すると聞いたこともあったが、
僕にはあてはまらないようだ。
ふてくされるつもりはないけれど、すっかりあきらめている。
特に人名や数字は記憶できない。
昔のことは記憶しているので認知症の疑いがないわけでもない。
それでも日常はなんとかなっているから不思議だ。
パソコンも苦手でメールだけが僕にできることだ。
それでブログは大丈夫なのだ。
アクセス数がどうなっているかなどは判っていない。
あまり気にしていないということもあるのだろう。
ホームページをスタートしたのはいつだったのだろう。
閲覧数が1万に達したのは2012年10月だった。
40万を超えたということは4年間で39万人もの方が見られたということになる。
ちなみに、20万から30万に11ヶ月かかった。
今回30万から40万は9ヵ月だった。
時間が短くなるのは分母の広がりだ。
少しつつ、そして確実に広がっているのだ。
数字を記憶できない僕がこういう分析ができるのは、
これもまた読んでくださっている人からの情報だ。
いろいろな方法で応援してくださっているということだろう。
とにかく有難いことだ。
40万のお知らせと分析のメールの最後にはエールの言葉があった。
「心と心が共鳴する力って凄いですね!ますますのご活躍を。
そして健康を祈りつつ、私も負けずに頑張ります。」
同世代の男性が書いてくれているのがうれしい。
人間っていいものです。
50万を目指して頑張ります。
(2016年11月9日)
EMS
ラジオのスイッチを切って深呼吸した。
ふと昔見た戦争映画の一場面を思い出した。
ぬるま湯の平和の中で生きている僕にとっては、
ラジオから流れる戦争やテロのニュースはやはり他人事なのだろう。
そんな自分を嘲笑いながらコーヒーを飲んだらとても不味かった。
ちょっと俯き加減でパソコンに向かった。
アメリカに住んでいる友人からのメールが届いていた。
ほんの少し救われたような気がした。
僕と彼女はEMSの活動で知り合った。
EMSというのはフィリピンのセブのストリートチルドレンを支援している団体だ。
僕も少しだけ協力している。
この季節になれば子供達に送るクリスマスカードの相談のメールが毎年届くのだ。
僕は日常たくさんの人の支援を受けている。
僕の生活には「ありがとうございます。」という言葉がいつもある。
「ありがとうございます。」という言葉は僕を幸せにしてくれている。
口に出しても耳で聞いても同じ幸せだから不思議だ。
この幸せは一人占めしないで分けなければいけないような気がしている。
その方法がこういう活動への参加なのかもしれない。
クリスマスになればセブの子供からのカードも僕に届く。
それを読んだ僕はまた幸せな気分になる。
そしてその時必ず平和を願っている。
不味いコーヒーが多い方がおられたらどうぞ、参加してみてください。
10でリンクしています。
(2016年11月7日)