ケナフの葉書

僕は時間の都合がつかなくてイベント会場には行けなかった。
僕に会えなかった少女は一枚の葉書をスタッフに託けた。
スタッフから連絡はもらっていたがそれを受け取る機会もなかなか作れなかった。
おまじないのように栄養ドリンクを飲みながら多忙な日々を過ごしていた。
スケジュール調整は自分でやっているので自己責任ということになる。
雪が舞う連休も早朝から家を出た。
同行援護の指導者研修の講師の仕事だった。
受講生は全国から集まるから休むことは許されない。
会場に着いて講義をする前から少し疲労感を覚えていた。
そのタイミングでスタッフから葉書を受け取った。
たまたまそのタイミングになってしまったというのが事実だ。
触った瞬間にそれは普通の葉書ではないことが判った。
ケナフという植物を使ったものだった。
少女の手作りだった。
「困っている人を見かけたら助けられる大人になりたい。」
少女の言葉が輝いていた。
出会ってから2年以上の歳月が流れていたことを知った。
やさしさが指先から身体に注入されていくような不思議な感覚になった。
表情が少しずつ柔らかくなっていくのを自覚した。
ちょっと大人になった少女に会ってみたくなった。
(2017年2月12日)

春姫

故郷の鹿児島から春姫がやってきた。
届いた春姫を水洗いして口に運んだ。
早春の香りがした。
齧ると甘さの中に確かにほんの少しの苦みもあった。
生まれたての春の味だ。
つい手が出て何粒も口に運んだ。
ラジオのニュースは寒波の襲来を告げている。
本当の春はまだ遠くらしい。
ぼぉーっとしながらまた一粒口に運んだ。
微かな苦みが幸せにつながっていくことに気づく。
ふと自分の日々の活動に思いを寄せる。
春は遠い。
でもきっと来る。
そこに向かって歩くこと、
希望に向かって歩くこと、
その道程が僕の幸せのひとつなのかもしれない。
(2017年2月9日)

女子高生

早朝の道は行き交う人も誰もいなかった。
時間の余裕を持って家を出たから気持ちのゆとりもあった。
僕は家からバス停までの道をゆっくりと歩いた。
心の中で歌を口ずさみながら歩いた。
時々そんな感じで歩いている。
決まった歌があるわけではない。
青春時代に出会った歌がほとんどだ。
いい気分で歌っているのだが、手だけはいつも頑張って仕事をしている。
白杖を左右に動かし前方の安全を確認しながら、
同時に路面からの情報をキャッチしてくれている。
休むことなく怠ることなく白杖を動かしている。
小さな段差があったり道に物が置いてあったりするし、
目的のバス停も点字ブロックで確認している。
いつも頑張ってくれている手をうれしく思う。
ただ手袋をすると白杖からの伝わり方は弱くなる。
冬は失敗がちょっと多いかもしれない。
「そこです。」
突然小さな声がした。
どうやらバス停の点字ブロックに気づかずに通り過ぎようとしたらしい。
立ち止まって再確認したら確かに点字ブロックがあった。
「ありがとうございます。助かりました。」
僕の声に彼女の朝の挨拶が重なった。
「おはようございます。」
尋ねてみたら女子高校生だった。
小学校の時に僕と出会ったらしい。
「声をかけるって勇気がいるよね。」
「自然に声が出てしまいました。」
彼女は笑った。
冷たい空気の中の彼女がキラキラと輝いていた。
やがてバスが来て乗車した。
僕は座席に座ってまたさきほどの歌の続きを口ずさんでいた。
僕にも高校生の頃があったなと懐かしく思えた。
(2017年2月8日)

別れ

節分が過ぎ立春が来て、
今朝はちょっとあたたかな雨がシトシト冬を溶かしている。
土の下では新しい生命が産声をあげ始めているのかもしれない。
僕はシーズー犬のスーちゃんの終る生命を見送った。
一緒に過ごした15年の日々が走馬灯のように蘇った。
一度もその姿も顔も見たことはないはずなのに何故か思い出すような感覚になった。
悲しみが身体中を支配した。
悲しみに抵抗する気にもならなかった。
ただ自然の摂理をそのまま受け止めた。
春夏秋冬、思いを織りなしながら時が過ぎていく。
それが生きていくということなのだろう。
いつか終わるから尊いのかもしれない。
大切に生きていかなくちゃ。
せっかく今生かされている僕の命、大切にしなくちゃ。
(2017年2月5日)

リズミカル

阪急烏丸駅から地下鉄四条駅へ繋がる点字ブロックの上で僕は立ちつくした。
つい数十秒前まではいつものように軽快に歩いていた。
点字ブロックの端を白杖の先で触りながらリズミカルに歩いていた。
歩きながら一瞬何か考え事をしてしまったのだと思う。
気づいた時には自分がどの地点にいるか判らなくなってしまっていた。
いつもの場所、何百回もいや何千回も歩いている場所、
そこで迷子状態になってしまったのが情けなかった。
悔しかった。
耳を澄ませても音だけでは解決できそうになかった。
手がかりになる階段までバックしようかと思ったところで、
「何かお手伝いしましょうか?」
若い女性の声がした。
「僕は今迷子状態です。四条駅の反対側まで行きたいのです。
多分、改札口の左側に通路があると思うのです。」
僕は必至で伝えようとした。
必死さが伝わってしまったのだろう。
「地下鉄の北改札口ではなくて南改札口に行きたいということですね。」
聡明そうな彼女は笑顔でゆっくりと答えた。
その笑顔を感じた瞬間、僕の力みが消えた気がした。
僕は彼女の肘を借りて通路の入口まで移動した。
たった数メートルだった。
これが解決できないのが見えないということなのだ。
いつもは忘れて生活しているのだろう。
見えないということを自覚した時はやっぱり寂しい。
実際落ち込みかけていた。
それがたった数分間の人間同士のやりとりで笑顔にまでなってしまうのだ。
「ほんまに助かった。おおきに、おおきに。」
僕はありがとうカードを渡してまた歩き始めた。
いつものようにリズミカルに。
(2017年1月30日)

奈良記念日

僕は僕達のことを伝えたいと思っている。
正しく知ってもらうことが未来につながっていくと思っているからだ。
本を書くことも講演をすることも、このホームページもその手段だ。
ただ、講演はお招きいただいて機会がないと実現しない。
毎年ふたを開けてみないと判らない。
続けてこられたというのはお招きくださる人達がおられたからだ。
有難いことだと思う。
京都で生活しているので地元の京都が多いのだが、
近隣の市町村に出かけることもよくある。
九州や中国、東海や関東まで出かけたことも幾度かあるし、
今年の秋には北海道からお誘いが届いている。
講演で何を話そうかと思う前に、北海道で何を食べようかと考えてしまっているので
それはちょっと困ったものだ。
僕らしいとも言えるかな。
近畿では滋賀県、大阪府、兵庫県などは毎年どこかに行くのだけれど、
これまで何故か奈良県では機会がなかった。
単純に縁なのだと思う。
それがやっと今日奈良県の中学校で講演をする機会をいただいた。
大学時代の友人の紹介だった。
近鉄電車で大和八木を経由して室生まで出かけた。
片道2時間以上かかった。
駅には担当の先生が迎えに来てくださった。
生徒達はいつもと同じようにしっかりと話を聞いてくれた。
あっという間の楽しいひとときだった。
講演を終えて学校を出ようとした時、
三年生の男の子が話しかけてきた。
僕は彼と握手をした。
未来への種蒔きができたことを実感した。
こうして伝えていくこと、僕のミッションなのかもしれない。
見えない僕にできることなのだ。
今年もいろいろな場所に出かけたい。
そして、いろいろな人に出会いたい。
(2017年1月27日)

雪景色

寒がりのはずなんだけど少し外を歩きたくなった。
使い捨てカイロを両方のポケットにしのばせて完全防備で家を出た。
戸外に出た瞬間から飛び回る雪が面白がって僕の顔を触ってきた。
容赦なく触ってきた。
それだけで僕の心も雪と一緒に飛び回りそうになった。
ゆっくりと少し大股で一歩を踏み出した。
足の裏で新雪を踏みしめる感触が伝わってきた。
間違いなく雪だ。
走り回りたくなる心をなだめながらしばらく歩いた。
そして立ち止まって手袋をはずした。
しゃがみこんで雪をそっと触った。
両手でそっとすくいあげてみた。
少し口に含んで冷たさを確認した。
それからハンカチで手を拭いてまた手袋をはめた。
立ち上がって周囲を眺めた。
首を右から左にゆっくり動かして雪景色を眺めた。
飛び回る雪は相変わらず僕の頬をつついた。
うれしくなった。
帰宅したらまずおいしいコーヒーを飲もうと思った。
(2017年1月24日)

あい・らぶ・ふぇあ

第42回視覚障害者福祉啓発事業「あい・らぶ・ふぇあ」

僕が所属している京都府視覚障害者協会、京都ライトハウス、関西盲導犬協会、京都
視覚障害者支援センターの四団体が協力して開催します。
社会に正しい理解をしてもらうために皆で頑張りました。
是非、会場に足を運んでください。

【日時】
2017年2月2日(木)〜5日(日)
10時〜18時(最終日のみ17時)

【会場】
大丸京都店 6階イベントホール(入場無料)

【テーマ】
「見えない・見えにくい人たちのくらしを知ろう子どもから大人まで」

【内容】
「子どもから大人まで」年代別に視覚障害者のくらしを楽しく知る体験ツアー
ブラインド喫茶
シネマデイジー体験
視覚障害当事者の手作り商品や盲導犬グッズの販売
(今回は僕のサイン本を特別価格で限定販売)
小学生の絵画コンクール

2月4日(土)12時からのスペシャルトークでは、
リオパラリンピック女子柔道銅メダリスト廣瀬順子(ひろせ じゅんこ)選手が来場。
ちなみに僕の講演は2月4日(土)15時からです。
その他にも毎日いろいろな舞台発表などがあります。

詳細は下記ライトハウスHP
http://www.kyoto-lighthouse.or.jp/news/read/id/754

残雪の道

バス停までのたった100メートルほどの道、
いつもなら口笛を吹きながら歩ける道、
今朝は立ち往生してしまった。
残雪が凍りついていた。
簡易型のスパイクを靴底に装着していたのでスリップすることはなかったのだけれど、
白杖がほとんど役に立たなかった。
どこまでが歩道なのかどれが点字ブロックなのか判断できなくなった。
聴覚だけを頼りに歩いたが不安は増すばかりだった。
とうとう途中で立ち止まってしまった。
僕は他の足音を待った。
しばらくしてその足音が遠くから聞こえてきた。
子供なのか大人なのか男性なのか女性なのか、
足音では判らない。
でも間違いなく人間の足音だ。
「バス停を教えてください。」
僕はまだだいぶ先の足音に向かって叫んだ。
「もう少し右ですよ。」
大きな声が帰ってきた。
そして足音はスピードを増して僕に近づいてきた。
「どうしてあげたらいいですか?」
年配の女性だった。
僕は彼女の指示で歩いた。
バス停まではたった十歩程度だった。
それが判らないのが見えないということなのだ。
「たまに見かけるけど、いつも一人ですごいですね。頑張ってくださいね。」
バス停に着くと彼女は僕の肩を軽くたたきながらそうおっしゃった。
「ありがとうございます。」
僕は深く頭を下げた。
他人同士が励まし合ったり助け合ったりできる。
人間って生き物は本当に素敵な生き物だ。
そしてそのちょっとしたやりとりで、
数分前までの不安な心が幸せ色に変化していた。
僕は空を見上げて真っ白な雪を思い浮かべた。
(2017年1月18日)

贈り物

思いもかけぬ贈り物を頂く。
見えない僕のために素敵なデザインを選んでくださったようだ。
そのデザインを説明してもらってもなかなか想像はできない。
それでも洗練された雰囲気は伝わってくるから不思議だ。
真心がこもったらどうやら見えるとか見えないは関係ないらしい。
手に取って感触を楽しむ。
心がじんわりとあたたかくなる。
両方の手でそっと包む。
僕にはもったいない気もするが大切に使いたいと思う。
使う度に贈ってくださった人のやさしさを感じるのだろう。
贈ってくださった人を思うのだろう。
思いながら笑顔になるのだ。
僕も誰かを笑顔にしてあげられるような贈り物をできればいいな。
(2017年1月14日)