先生

僕に点字を教えてくださった全盲の先生が亡くなられた。
先生はぬくもりのある厳しさを持っておられた。
手を抜くことは許してくださらなかった。
でもつまずきそうになったら励ましてくださった。
マンツウマンの授業を繰り返しながら少しずつ点字が読めるようになっていった。
先生はいろんな話をしてくださった。
ひょっとしたら、
見えないで生きるということを伝えようとしてくださっていたのかもしれない。
いつも豪快に笑っておられた。
先生の失明原因を知ったのは随分後だった。
思春期の少女が通り魔事件の被害者として光を失うということがどんなことなのか、
僕には想像することも理解することもできなかった。
薄っぺらな言葉は同情につながりそうで僕は何も言えなかった。
先生と二人ぼっちの教室で共有した時間は僕の感情を変化させていった。
いつの間にか生きていく命の美しさを感じるようになっていった。
僕もそんな風に生きていきたいと願うようになっていった。
棺の中の先生はいつものサングラスをはずしておられた。
そして微笑んでおられた。
何が幸せで何が不幸せなのかそんなことは誰にも決められない。
もし決められるとすれば、それは最後の瞬間の自分自身なのだろう。
僕もその時に微笑んでいたい。
先生、ありがとうございました。
(2017年3月21日)

現役

受講者の大半は大学生だったが、僕より年上の方も多く参加しておられた。
ディスカッションでは「高齢」とか「シルバー」というような単語が幾度も聞かれた。
それなのに講座全体は活気に満ちていた。
しかもその活気には品位があった。
「学んだことを周囲に伝えたい。」
「自分にできることをしっかりとやっていきたい。」
活動とか仕事とかを超えていく言葉が会場をどんどん明るくしていった。
まさしく未来を創造していく姿勢がそこにあった。
年をとるということはどういうことなのだろう。
「老い」って何なのだろう。
体力も気力も若い頃のようにはいかない筈だ。
それなのに活き活きとしておられるのは、
社会に現役として関わっていこうとする力のせいなのかもしれない。
講座で一番得をしたのは間違いなく大学生達だった。
その雰囲気の中で大学生達がどんどん成長していった。
そして終了した時の僕の気持ちもとても爽やかだった。
(2017年3月19日)

卒業式

厳粛な空気の中で1人1人の氏名が読み上げられる。
それぞれの学生がそれぞれの声で返事をする。
それから壇上に上がっていく足音が聞こえる。
卒業証書を手にした学生達が僕達講師陣の前を歩いて席に戻っていく。
その足音にも個性がある。
僕は学生達の顔を見たことはないのだから、
氏名を聞いても足音を確かめてもピンとこない。
見えないと耳が良くなるかとか記憶力がいいのかと尋ねられることがあるがそんなこ
とはない。
僕なんか元々記憶力には自信がない上に職業柄出会う人数も半端じゃないのだからお
手上げだ。
それでも特別に支障はない。
それぞれの学生達に心をこめて拍手を送る。
おめでとう!
卒業式が終わって次の用事のために急いで会場を出ようとする僕に、
卒業生達が自分の氏名を名乗りながら挨拶をしてくれる。
僕が伝えたかったことを学生達はいつの間にか身に着けてくれていることに気づく。
新しい春、それぞれに次のステップで頑張ろうね。
頑張って笑顔になろうね。
僕も頑張ります。
(2017年3月15日)

運勢

運がいい日もあればあまり良くない日もある。
気にしないと言いながら朝のテレビの運勢占いが聞こえれば聞いてしまう。
基本的には小市民なのだろう。
目が見えるとか見えないとかは関係のないことなのかもしれない。
僕のその日の運勢はバスから始まる。
僕が空いてる席に座るためには運転手さんや乗客の方からの情報が必要になる。
運が悪かったら何度バスや電車を乗り換えても座れない日もある。
今朝は運が悪かった。
座れる時にはほとんど乗車した瞬間に声がかかる。
今朝は何の気配もなく桂駅までの20分を立ったまま過ごした。
大宮へ向かう電車もそうだった。
せめてここくらいはと思いながら乗車したライトハウス行のバスもだめだった。
結局30分近くを立ったまま過ごした。
悔しいとか悲しいと思うのはいやだから、
座れない日は体力作りだと自分に言い聞かせることにしている。
負け惜しみみたいなものだ。
その後の移動も運は良くはならなかった。
午後再度ライトハウスへ向かうため市役所前からまたバスに乗車した。
やっぱりだめかとあきらめようとした時、
誰かが僕のリュックに合図をくれた。
「席、空いていますよ。」
ご婦人が自分の横の空席を僕に教えてくださった。
40分の立ちっ放しを覚悟していた僕は本音をつぶやいてしまった。
「これで座ったままライトハウスまで行けます。本当にありがとうございます。」
それから僕とご婦人との会話が始まった。
ご婦人が途中下車されるまでのわずかな時間、僕達の間に暖かな空気が流れていた。
人間同士が醸し出すことができるものだった。
豊かな時間だった。
運勢は一気に好転した。
午前中は体力作りで午後は心の栄養補給、今日はとってもいい日だな。
現金な僕はうれしくなっていた。
(2017年3月13日)

健康のために

モーニングコーヒーを飲みながらパソコンに向かう。
僕の日課だ。
常備のコーヒーは何種類かあるのだけれど、
イノダのインスタントコーヒーが一番のお気に入りだ。
決して通ではないけれど、
香りと味のハーモニーがなんとなく好みに合うのだろう。
一杯分がスティックタイプになっていて手軽で美味しい。
スターバックスの同じタイプのものも甲乙つけ難いのだけれど、
イノダの方がリーズナブルというのが決めてになっている。
庶民には大切なポイントだ。
それでも普通のインスタントコーヒーよりは結構割高だけど、
お酒も嗜まない自分へのちょっとのご褒美みたいな感覚だ。
豊かな時間でありたいのだろう。
パソコンを開いて今日を含めただいたい一週間分のスケジュールを確認する。
自由業の僕は行先も時間も毎日違う。
しかも時間厳守の仕事が多いから確認は大切だ。
それからメールチェックをする。
講演依頼などはホームページから夜に届いている場合が多い。
そういう場合はスケジュールを確認して調整をしなければならない。
そこから僕の社会参加が始まっているのだ。
有難いことだと思う。
失明した当時は何もスケジュールはなかった。
社会に関われない口惜しさや寂しさの中で日々を過ごしていた。
でもそれは僕の個人的努力ではどうしようもないことばかりだった。
僕の活動の原点はその日々にある。
鹿児島県から講演の依頼が届いた。
11月の予定だ。
スケジュール調整をしながら、
一か月に札幌、東京、鹿児島と移動することに気づいた。
光栄なことだ。
と同時に健康の大切さを感じている。
元気でいなくちゃいけない。
先日会った先輩は一週間に3日はジョギングをしているとおっしゃった。
僕も何か始めなければと思いながら、
すっかり怠け癖のしみついた心身が邪魔をする。
何かをと考えることを考えることから始めようか。
(2017年3月9日)

激励

先輩は僕より一回りくらい年上だった。
わざわざ明石市から加古川市の講演会場まで足を運んでくださった。
初対面のような気がしなかったのは僕の本を幾度も読んだとおっしゃってくださった
からだろう。
僕達は地域も年齢も違うけれど40歳くらいで失明したというのが共通点だった。
忍び寄る失明という恐怖の中で、
大好きだったそれまでの仕事に断腸の思いでピリオドを打った。
働き盛りで家族も養わなければならないという現実も襲い掛かった。
先輩は生きていくためにマッサージ師という職業を選択された。
僕は別の道を選択した。
その頃を僕達はそっと振り返った。
お互いに精一杯生きてきた時間がそこにあった。
「僕達がこうして頑張れたのは僕達の前を歩いてくださった先輩達のお蔭だね。
そして僕達も後輩達の前を歩いている。
穴ぼこだらけの道の穴を1人でひとつ埋めることができれば、
いつか道はよくなっていく。」
先輩は淡々とそして噛みしめるようにおっしゃった。
僕は握手をお願いした。
僕達はお互いの顔さえ見ることはできない。
けれども同じ未来を見つめて生きてきたのも、
これからも歩き続けようとしているのも間違いないことだった。
「先生、日本中を飛び回ってください。
また続きも書いてください。」
僕は先生ではない。
でもそんな表現に固執する気にもならなかった。
先輩の手からの激励をしっかりと握りしめて、
これからの活動を頑張りたいと思った。
(2017年3月5日)

大きな玉ねぎ

火曜日は18時から21時まで会議があった。
それから新宿のホテルにチェックインしてあっという間に朝を迎えた。
水曜日は9時から17時過ぎまで昼食の1時間以外は断続的に会議が続いた。
出席者は愛媛、大阪、京都、東京、埼玉、新潟、
しょっちゅう会える環境ではないし議題も多いのだから仕方がない。
時間の長さに反比例していく思考能力との闘いのような会議だった。
帰路高田馬場から大手町に向かう地下鉄の車中では、
僕はただ茫然自失という感じで座席に腰かけていた。
九段下の駅で電車のドアが開いた時、
駅の情報を知らす放送などがいつものように流れてきた。
その中のほんの一瞬の音楽が「大きな玉ねぎの下で」だと気づいた。
イントロクイズに正解したみたいな感じだった。
気づいた瞬間から懐かし音楽のサビの部分が頭の中で回転した。
僕は武道館を見た経験はなかったのだけれど、
メロディには一緒に共有した時代があった。
身体も心も安らいでいくのを感じた。
音楽っていいなぁってしみじみと思った。
久しぶりにカラオケでも行ってみたくなった。
(2017年3月2日)

親友のお母様

親友のお母様の訃報が届いた。
知った瞬間からしばらく思考能力は停止していた。
身体が凍ってしまったような感じになった。
自然に合掌した。
それから思い出が少しずつ蘇った。
高校生の頃いろいろと迷惑をかけた。
やんちゃな時代を過ごしていた僕達にいつも笑顔で接してくださった。
その笑顔が蘇った。
生まれてきた命はいつか必ず消えていく。
知っている筈なのに判っている筈なのに、
やっぱりとっても辛くて悲しい。
誰もが通る道、
いつか僕も通る道、
そう自分に言い聞かせてもう一度合掌した。
そして親友の心の平穏を願った。
お母様が微笑んでくださったような気がした。
(2017年2月27日)

春の日差し

細かな雪が顔に当たったのも判っていた。
風の冷たさも感じていた。
まだまだコートは脱げないと思っている。
それなのにどうしてだろう。
春一番が吹いたニュースを聞いたからでもない。
僕の目は光を感じることはできない筈なのに、
ふと日差しの柔らかさに気づいている僕がいる。
その柔らかさが日々膨らんでいることも知っている。
きっと目以外の感覚でそれを感じているのだろう。
そしてその瞬間を幸せだと思う僕がいる。
目が見えることと見えないことを比べれば、
見える方がいいに決まっている。
それなのに幸せな気分には何の隔たりもない。
いつでもどこでもどんな状況でも、
人は幸せになれるってことなのかもしれない。
幸せを感じると僕はすぐ次の幸せを追い求めてしまう。
日差しの柔らかさを感じながら梅の花を思い出し、
梅のお菓子を食べたいなと想像してしまう。
まだまだ修行が足りないってことかな。
(2017年2月22日)

バックミラー

バス停でバスを待っていた。
点字ブロックの上で静止しているから危険はない。
ぼぉーっとしながら耳だけが仕事をしている状態だ。
手も足も鼻も口もひょっとしたら脳までもが休憩中かもしれない。
のんびりとしたいい時間だ。
やがてバスらしきエンジン音を耳がキャッチした。
「29号です。少し開いています。」
運転手さんは僕にバスの系統を伝えた後、
ミラー越しに僕の動きを確認してくださっていたのだろう。
だから歩道とバスの間隔の情報が自然に出たのだろう。
僕はその情報があったので一度車道に降りて一歩バスに近づいてから乗車した。
何の問題もなく危険もなく乗車できた。
「3歩先の前向きの席が空いています。」
マイクからは運転手さんの次のアドバイスが流れた。
僕は流れるように自然に座席に座った。
「ありがとうございます。」
僕は運転手さんに届くように大きな声で御礼を言った。
「バスが発車します。」
またまた運転手さんの声が流れバスは発車した。
静かだった車内からいくつかの話し声などが聞こえだした。
静かだったということは他の乗客は乗車してくる白杖の僕の動きを見ておられたのか
もしれない。
斜め後ろの座席からおばちゃん達の会話が聞こえてきた。
「朝からこんなバスに乗れたら気持ちいいなぁ。」
「全部こうやったらいいのになぁ。」
運転手さんの僕への対応についての感想なのだろう。
バスの中はなんとなく暖かな雰囲気になっていた。
やがてバスはいくつかの停留所を過ぎてそのおばちゃん達も降りられるようだった。
「運転手さん、ありがとう。」
おばちゃん達はちょっと大き目の声だった。
ひょっとしたら僕に代わって御礼をおっしゃったのかもしれない。
バックミラーでは確認できないだろうけど、
僕はそっと頭を下げた。
(2017年2月17日)