外出の際、右手にはいつも白杖がある。
だから使える手は左手だけということになる。
その左手は自由に使える状態にしておきたいから、
荷物は肩掛けカバンかリュックサックという人が多い。
僕はリュックサック派だ。
どこに行くにもリュックサックを背負っている。
毎日使うものだから愛着も大きい。
ポケットもたくさんあって機能的なのが好きだ。
歩いているのを周囲に知ってもらいたいから鈴もつけている。
他人にぶつからないためのひとつの方法だ。
リュックサックのどこに何が入っているかは手が憶えている。
例えば今日の中身は、
パソコン、500ミリのペットボトルのお茶、名刺、ハンコ、ボールペン、サインペン、
折りたたみ傘、予備の白杖、携帯ラジオ、ポケットティッシュ、エチケットブラシ、
櫛・・・。
そうそう、バスの中で席に座っていて、
膝に乗せていたリュックサックを背負おうとした時、
左から伸びてきた手がそっと手伝ってくれました。
性別も年齢も国籍も判っていません。
でもとってもやさしい手でした。
その思い出も今日のリュックサックには入っていました。
(2017年7月14日)
リュックサック
風になります
彼と初めて出会ったのは昨年の秋だった。
出会ったと言っても直接の接点があったわけではない。
彼がたまたま参加した研修で僕の講演を聞いてくれたのだ。
多くの参加者だったから直接の会話もなかったし名刺交換もしなかった。
ただそれだけだった。
講演を聞いた後、生徒達に話を聞かせたいと彼は思ってくれたらしい。
彼の職業は高校の教師だったのだ。
そして実現した。
千人を超す若者達が僕の話を聞いてくれた。
僕はいつものように心をこめて語りかけた。
画像のない向こう側に語りかけた。
未来に向かって語りかけた。
数日後に彼から届いたメールには
「風になります」と書かれてあった。
退場する時の若者達の大きな拍手が蘇った。
あの中から僕達をサポートしてくれる人がきっと出るだろう。
見えない目から涙がこぼれた。
僕と彼との間には血縁はない。
共に過ごした時間もない。
ただ偶然人生がほんの一瞬交差しただけだった。
ただそれだけで人間は動けるのだ。
自分自身の利益にならないことで人間は動けるのだ。
人間と言う生き物の凄さに胸が震えるような思いになった。
(2017年7月9日)
さりげなく
鹿児島では一週間で合計一万歩も歩かなかったが、
帰京後初日の今日は一日で一万歩を越えた。
8時過ぎには自宅を出て、バスや電車を乗り継いで福祉の専門学校に向かった。
午前中の講義を済ませて京都駅へ移動した。
昼食をとりながら関係者と打ち合わせをした。
午後は大学の授業の一環で施設見学に向かった。
終了後は学生達と一緒に食事をした。
河原町に着いたら19時だった。
さすがに草臥れていた。
同じ方向に帰る学生と一緒に電車に乗った。
彼女は空いている席を見つけて僕を座らせた。
「横に座ります。」
僕が安心するように自分の居場所を伝えながら横に座った。
先生と生徒という関係、当たり障りのない会話をした。
桂駅に着くと彼女はわざわざ電車を降りて僕を手引きしながらホームを移動した。
ホームから落ちることのない階段の上り口に着くと
「失礼します。」
それだけを言い残して帰っていった。
彼女は再度電車に乗り、そこからの1時間を立ったまま過ごさなくてはいけない。
一駅くらいならまだしも終点近くまでの長い時間だ。
僕のサポートをしなかったら座ったまま帰れるのだ。
電車の中で別れても不自然ではないのに彼女はそうはしなかった。
さりげなくそうはしなかった。
彼女と別れてから1人でバスターミナルに向かって歩いた。
いつものように点字ブロックを白杖で確認しながら歩いた。
いつものように画像のない道を歩いた。
身体は疲れているはずなのに心は軽かった。
スキップで帰りたいような気分だった。
こんな学生達と出会えるということも僕の幸せのひとつかもしれない。
(2017年7月7日)
お知らせ 過去のブログ
ブログを読んでくださってありがとうございます。
過去の作品も読みたいというメッセージが複数届きました。
そこでホームページ管理者と相談して、
過去一年分を閲覧できるようにしました。
お楽しみください。
新作も引き続き宜しくお願い致します。
夏の始まり
僕は同窓生の車でとっておきの場所に向かった。
記憶の地図がナビゲーションだった。
車は国道3号線から細い道に入った。
山間の路地を進み小さな集落を越えたところで車は停まった。
昨年のドライブでたまたま見つけた場所だ。
僕達の秘密基地だ。
ドアを開けた瞬間に磯の香がした。
しっかりとした香りだった。
彼女達のエスコートで岩場を少し進んだ。
波の音だけがそこにはあった。
他の音は何もなかった。
僕はそんな筈はないと耳を澄ませたがやっぱり他の音は存在しなかった。
こんな空間が阿久根にはまだあるのだ。
岩場にあたる波がいろいろな音を生み出していた。
無音の中での海のささやきはそれだけで僕のDNAを幸せに導いた。
風も陽光もやさしかった。
帰ろうと振り返ったら彼女達の微笑みがあった。
素敵な笑顔だった。
夏が始まった。
(2017年7月2日)
横断歩道
白杖で点字ブロックを確認して足が止まった。
横断歩道だ。
足の裏で細長い形状の点字ブロックの向かう方向を調べる。
その方向にまっすぐ歩けば道の反対側の点字ブロックにたどり着くということになる。
つまり横断歩道を垂直に最短距離で渡るということになるのだ。
こっちからあっちにまっすぐ渡るなんて、
目が見えていればなんでもないことだ。
それを見えない僕達が勘でまっすぐというのはなかなか難しい。
しかも信号の青を車のエンジン音で判断しなければならない。
通行量の多い時は判断しやすいのだが、
中途半端な場合は色の変わったタイミングがつかみにくい。
通行量が極めて少ない場合は信号無視を覚悟で渡るしかない。
雨で傘をさしたりしたら音も聞きにくい。
天候にも影響を受ける。
たったひとつの横断歩道を渡るのも労力が必要だ。
僕が毎朝のように渡る横断歩道でもいつも緊張感が必要になる。
気合を入れて立っていたら突然声がした。
「青になりました。」
堂々とした大きなボリュームの声だった。
一瞬だったので自信はないが、声からすれば少年のようだった。
声はそれだけだった。
とにかく僕は横断歩道を渡り始めた。
「ありがとうございました。助かりました。」
僕も大きな声でお礼を言った。
大きな声でのやりとりがとてもうれしくなった。
見事に反対側の点字ブロックまでたどり着いた。
たった数メートルの横断歩道、そこには危険が潜んでいる。
でも人間のぬくもりはそれを越えて幸せまで運ぶこともある。
見えなくなった僕に神様はその幸せを時々プレゼントしてくださる。
(2017年6月26日)
紫陽花
白杖の僕にとって傘をさしての外出は大変なのだけれど、
今朝はどしゃぶりの雨がうれしかった。
入梅してから一日降っただけで、その後は好天が続いていたからだろう。
10日ほど前だったと思うが、
一緒に歩いていた学生が御池通りの植え込みの紫陽花を触らせてくれた。
好天の中、心なしか紫陽花が元気がないように感じていた。
ずっと気になっていた。
だから、雨に気づいて真っ先にそのあじさいを思い出してほっとしたのだろう。
外出の大変さよりもうれしさの方が大きかった。
何かいいことがあるような予感がした。
不思議な気持ちだった。
仕事の後、ライトハウスでの会議を終えて帰宅したのは22時前だった。
帰り着くと同時に携帯が鳴った。
療養中の先輩からだった。
いつも気になっていた先輩の病状が好転したとの知らせだった。
うれしさが爆発した。
疲労感が吹っ飛んだような気がした。
鮮やかな青色の紫陽花を思い出した。
生き生きとした色合いだった。
とてもうれしい雨の日となった。
(2017年6月21日)
手紙
僕が彼女と出会ったのは高校の特別授業だった。
二度目の授業の日、通勤途中の僕を見つけた彼女が声をかけてくれた。
学校まで彼女の肘を持たせてもらって一緒に歩いた。
たった数分の時間だったが少しの会話があった。
そんな時は景色の話とか気候の話とかが普通なのだが違っていた。
彼女は自分の人生に起こってしまった災難を告白した。
それもつい最近の出来事のようだった。
話をすることができたのは、
きっと最初の授業の時に、失明してしまった僕の人生の話を聞いてくれたからだろう。
ただ、彼女の災難は失明なんかよりもはるかに困難を想像できるものだった。
高校3年生の少女には過酷な現実だった。
10回目の最後の授業が終わるタイミングで僕は生徒達に話をした。
「目が見えない僕のことを不幸だと思ってしまっている人達がいます。
いや僕自身も、障害者の人は不幸かもしれないと、昔は思っていたかもしれない。
でもね。幸せは自分の心が決めることです。
ちなみに、僕は幸せです。
君達も人生いろいろあるだろうけど、きっと幸せになってね。」
授業が終わって生徒が去った教室にはいつもの空気が流れていた。
点字で書かれた手紙をリュックに入れて僕は教室を出た。
カフェに立ち寄って手紙を読んだ。
「いきる ゆうきを おしえて もらいました」
彼女からの点字の手紙はそんな文字で始まった。
一文字一文字を僕はゆっくりと読んだ。
噛みしめながら読んだ。
「ありがとうございました せんせいに あえて よかった」
手紙の最後には彼女の氏名も書いてあった。
点字を読む指先が震えた。
僕の幸せな人生、たくさんの人の支えがあっての結果だ。
出会った人達には伝えきれないほどの感謝の気持ちがいつもある。
どこかで悲しんでいる人と出会ったら、
いつか苦しんでいる人と出会ったら、
僕はしっかりと僕の人生を伝えよう。
それがほんの少しでも誰かの力となってくれればいい。
それが僕にもできる仕事のひとつかもしれない。
(2017年6月16日)
ゾウさん
体育館には1年生から6年生までの全校生徒が集まった。
保護者や地域の人達も来てくださった。
視覚障害者の話を直接聞くのは初めての人が多かっただろう。
僕は視覚障害というのはどういうことなのか、
何故そうなるのか、
どういうことに困るのか、
順序を考えながら話を進めた。
のんびりとゆっくりと話を進めた。
「僕達は動物に手伝ってもらって歩くこともあるんだよ。」
何の動物か1年生に尋ねてみた。
最初にゾウさんが出てきた。
サーカスのゾウ使いを想像したのかもしれない。
次はラクダさんだった。
月の砂漠の絵にあったかな。
どちらも乗り心地がいいだろうなと僕も思った。
それからクマさんも出てきた。
これはきっと森のクマさんだろう。
会場には笑顔が溢れた。
悲しみや苦しみや不便さや不自由さを伝えるのはそんなに難しいことではない。
でもそれだけが伝わってしまったら同情しか生まれない。
正しく理解してもらうことが大切だ。
共感はまさに共に生きていく社会につながっていく。
子供達は次の時代を創造していくのだ。
機会をくださった学校関係者に御礼を伝えてから最寄りの駅まで送ってもらった。
慣れない駅で電車を待っていたら若い女性がサポートしてくれた。
勘違いしてホームの反対にいた僕に気づいてくれたのだ。
電車に乗り込んで空いている座席まで誘導してくれた。
シートに腰を下ろして僕はさきほどの小学校での豊かな時間を思い出していた。
ゾウさんと答えてくれた子供達がいつかきっとこういう女性になってくれるだろう。
いや、ゾウさんやラクダさんをプレゼントしてくれるかもしれない。
そんな妄想を楽しんでいたらワクワクしてきた。
最近少し体力の低下を感じていたけれど、
まだまだ頑張りたいなと思った。
(2017年6月12日)
イネ
朝の雨はすっかりあがっていた。
バス待ちのわずかな時間にボランティアさんが周囲の景色を説明してくださった。
すぐ近くには田植が終わったばかりの田んぼがあった。
緑色のイネを思い浮かべた。
自然にその映像が蘇った。
きっと子供の頃毎日見ていた風景の中にあったからだろう。
緑色のイネが雨の中で生き生きとしながら育っていく姿は美しかった。
夏の太陽の下で大人になったイネには堂々とした雰囲気があった。
秋になると銀色に輝いていた。
実がはいるほどに首を垂れる姿は生きるということを教えてくれているようだった。
ふと今日出会った看護学校の学生達を思い出した。
夢に向かって育ち始めた時期の人達だったかもしれない。
教室には生き生きとした雰囲気があった。
僕は特別講義の180分、思いを込めて学生達に向かい合った。
科学技術は進歩していろいろなことを機械ができるようになってきている。
でも人間にしかできない部分があるような気がする。
そしてそれがひょっとしたら一番大切な部分なのかもしれない。
すくすくと成長した学生達がいつかどこかで誰かを支えてくれればいいな。
ふとそんなことを思った。
(2017年6月8日)