シルバー割引

朝のバスの車内でFMを聴いていた。
音楽の合間などにいろいろな情報が発信されるのだが、
今朝はホテルのグルメランチの情報に興味を覚えた。
オードブルからデザートまで秋にふさわしいメニューだった。
ランチで5,500円、たまには自分へのご褒美にいいかなと思った。
最後にシルバーは500円引きという説明も付け加えられた。
僕がシルバーって何歳なのだろうと思ったのと60歳以上との説明がほぼ同時だった。
愕然とした。
自分をシルバーと思ったことはまだない。
割引好きの僕も行く気をなくした。
溜め息をつきながらバスを降りて仕事に向かった。
一日を終えて帰りのバスに乗車した。
結構込んでいた。
乗客の方が空いてる席を教えてくださって座った。
少し時間がかかってしまった。
運転手さんはバックミラーで一部始終を見ておられたのだろう。
僕が着席するタイミングでマイクでの放送が流れた。
「お兄さん、発車しますよ。」
僕は返事をした。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
無意識にいつもより元気な快活な声になっていた。
まだまだシルバー割引は要りません!
でも、もう20年も自分の姿を見ていないので不安はあります。
(2017年9月17日)

好きな色

つくつくぼうしの鳴き声が夏の終わりを告げている。
コオロギも鳴き始めた。
朝夕の風もだいぶ涼しくなった。
秋の気配が忍び寄ってきている。
そんなことを感じながら小学校の福祉授業に向かった。
季節を感じたりした時、僕はふと空を眺めたりしてしまう。
一日に幾度か空を眺めている自分がいる。
徐に眺めるのはちょっと照れくさくて少しだけ上目遣いに眺めていることが多い。
「何色が好きですか?」
10歳の少女に尋ねられた。
僕は時々見てしまっている空の話をした。
子供達から水色とか青色とかのささやきが聞こえた。
僕は空色、海色と思った。
「何色が好きって尋ねる時、尋ねる人の心の中には見せてあげたいっていう気持ちが
あるらしいよ。」
僕は質問した少女にありがとうを伝えた。
(2017年9月14日)

表現

学生達と映画を鑑賞した。
ユニバーサル上映だった。
聴覚障碍者のために字幕がついていた。
視覚障害者のために副音声での場面説明がついていた。
見えないとか聞こえないとかの障害を越えて楽しむことができる映画だった。
家族の愛が基本的なテーマだったがいろいろと深い内容の映画だった。
場面によっては笑い声もあったが、すすり泣きも幾度も聞こえた。
僕も声は出さなかったがハンカチで流れる涙を拭うシーンもあった。
映画という表現にあらためて深い感動を覚えた。
映画が終わって会場を出て歩きながら、
「心が痛かったですね。」
サポートの学生がつぶやいた。
いつの間にか僕のボキャブラリーからは消えていた言葉だった。
僕にはできない的確な言葉の表現だった。
年齢を重ねて生き方上手になってしまったのかもしれない。
「心が痛い」とストレートに表現できる柔らかさをとても素敵だと感じた。
心の痛さから目を背けたりごまかしたりしている自分に気づいたように感じた。
うれしい時はうれしい、悲しい時は悲しい、苦しい時は苦しい。
素直に表現できる毎日を送りたい。
自分を見つめ直す一日となった。
(2017年9月10日)

新幹線の中で

講演を聞いてくださった人が他の人にも聞かせたいと思ってくださることがある。
そこには世代も性別も職業も関係はない。
ただ一人の人間としてのやさしさだけが連鎖していく。
不思議な連鎖だ。
ちっちゃなちっちゃなエネルギーが伝わっていく。
野を越え山を越え見知らぬ人に届いていく。
それがとってもささやかなのは知っている。
吹けば飛ぶような種類のものなのかもしれない。
でも僕は希望を持っている。
そのちっちゃなちっちゃなエネルギーは必ず未来に向かう。
何百年も先かもしれないが、
見える人と見えにくい人と見えない人が一緒に笑っている。
人間だからこそ創り上げられる未来だ。
考えただけでワクワクする。
いい年をしてって言われそうだけど、
今さら物わかりのいい賢者にもなれないだろう。
僕はこれでいいんだ。
今日も鹿児島の講演の帰りに新幹線の中でこれを書いている。
やさしさの連鎖は結局僕にまで届いた。
ちょっとお腹が空いた。
見えないからさっきのワゴンサービスを停めることはできなかった。
それでも僕はすっかり幸せ者になっている。
今日も出会ったやさしい人達、ありがとうございました!
(2017年9月7日)

想像力

京都市内では基本的に単独移動している。
白杖を左右に振りながら道を歩いている。
バスも電車も1人で乗り降りする。
もう慣れているから特別に困ることもない。
目が見えなくなった最初の頃は一歩も動けなかった。
恐怖心で足が前に出なかったし動こうとも思わなかった。
白杖を持って歩く自分の姿を受け入れることもできなかった。
少し心の整理もできた頃再び歩きたいと思うようになった。
それからライトハウスで一年間の歩行訓練を受けた。
なんとか歩けるようになった。
それから20年の月日が流れ、現在の僕の日常がある。
いつの間にか京都市内どころか国内の移動は単独ですることが多くなった。
京都を離れての仕事が多くなったということもあるのだろう。
昨夜仙台から飛行機で帰京した。
そして今日は新幹線で鹿児島に向かっている。
明後日飛行機で鹿児島から京都に向かう予定だ。
翌日大阪での仕事を終えて再び関西空港から鹿児島に向かう。
鹿児島での仕事が終わったらその日のうちにとんぼ返りだ。
ちょっとハードだが翌日には京都での仕事が入っているから仕方ない。
一週間に二度鹿児島に行くということになっている。
この行ったり来たりを単独でするのだから慣れって凄いことなのだろう。
ちなみに来月は札幌も東京もあるがどちらも単独だ。
新幹線と飛行機、京都には空港がないので自宅から鹿児島まで所要時間は同じような
ものだ。
費用もそんなに変わらない。
新幹線では駅の関係者や車掌さんがサポートしてくださるし
空港では空港のスタッフや客室乗務員の方々が対応してくださるので問題はない。
その対応レベルもどんどん良くなってきているのも時代なのだろう。
あえて比較すれば、
トイレを我慢する時間が飛行機の方が短いということだろう。
新幹線でも飛行機でもトイレは我慢することにしている。
単独では例えトイレに行けても元の席に帰り着くのは全盲では無理だ。
そのために車掌さんや客室乗務員に負担をかけるのも申し訳ない。
出発前に駅や空港でトイレを済ませるように努力している。
紙おむつをと提案してくれた友人もいるのだがまだそこまでの決心がつかない。
今日新大阪でさくらに乗車する際、車掌さんが声をかけてくださった。
「鹿児島までは長時間ですがトイレはどうされますか?」
僕は我慢の準備はできていたがとてもうれしかった。
そしてその旨伝えた。
「判りました。でも通りかかった際声はかけますね。
数回かけますからその時は遠慮なくおしゃってください。」
これはきっと研修のマニュアルにはないだろう。
車掌さんの想像力とやさしさの結果だろう。
博多でJR西日本からJR九州への乗務員交代があったが、
僕の情報は引き継がれていた。
実際僕はトイレには行かなかったが心を込めて感謝を伝えた。
「お蔭様で安心して乗車できました。本当にありがとうございました。」
(2017年9月3日)

仙台

ラジオから流れてきた青葉城恋歌を聞いて、
次の日には1人で東京へ向かう夜行列車に乗っていた。
20歳の頃だっただろうか。
早朝東京に着いて上野から仙台に向かったのだと思う。
Tシャツに汚れたGパン、下駄履きだった。
大学の講義をさぼれば時間だけはたっぷりあった。
お金はなかった。
どこに行くにも鈍行列車だった。
車窓から流れる景色を飽きもせず見ていた。
夜行列車の中では文庫本の活字をむさぼるように追った。
硬いシートに身体を折り曲げて眠った。
眠る時にはウォークマンから流れる大好きな音楽も傍にあった。
それなりに立派な大人になりたいと思っていた。
豊かな人生を送りたいと思っていた。
いつか幸せになりたいと夢見ていた。
確かにそこに向かって頑張ってきたのだと思う。
間違っていたとも思わない。
でもあの仙台駅のホームに降り立った時の思いは味わえなくなった。
あの胸が震えるような思いが幸せの姿だとあの頃は判らなかった。
あれから何度目の仙台だろう。
それぞれの時代のそれぞれの仙台が微笑んでいる。
いつか微笑み返せるようになりたい。
僕は僕以上にも僕以下にもなれないのだろう。
僕はこのまま僕の人生を僕の歩調で歩いていくんだ。
(2017年9月1日)

雑草

道を歩いていたら突然草が顔に当たった。
サングラスをしていたから痛くはなかったけれど驚いた。
空中に草が浮いているはずはないから手を伸ばして探ってみた。
道沿いの石垣の間から生えた雑草だった。
周囲には他にはなかった。
たった一本だけ生えていた。
また顔に当たったら嫌だなと思って引っこ抜くために根元を探した。
石垣の小さな隙間から生えているのを知った。
発芽してから仕方なく真横に成長を始めたのだろう。
そして少し大きくなってからはお日様に向かったに違いない。
茎が空に向かって湾曲していた。
カッコいいなと思ってしまった。
引っこ抜こうとしていた僕の手の力が抜けた。
この酷暑の中、この条件で生きていくのは大変だろう。
そう思ったらとても愛おしくなった。
僕はリュックサックからペットボトルの水を出して根元の石垣に注いだ。
ちゃんとできたかは判らなかったが一生懸命にやった。
それから残りの水を飲み干した。
「お前も頑張れよ。」
僕は声に出してそうつぶやいて歩き出した。
僕自身も雑草みたいなものかもしれない。
しっかりとお日様に向かわなくちゃ。
(2017年8月27日)

昨年僕の講義を受講していた学生と再会した。
一年ぶりの再会だったが記憶はおぼろげだった。
珍しい名前だったので名前の記憶はあったが、
それがどの学生でどんな感じだったかなどの記憶はなかった。
学生達は年に30回の講義をほとんど休まずに受けてくれているのだが、
数も多いし、やっぱり画像がないというのが決定的なのだろう。
僕はとにかく記憶ができない。
それにその記憶がなくても特別に困ることはないということもあるのかもしれない。
再会は三日間の研修だった。
しかも研修の最終日は僕を含めて7人でのグループ実習だった。
たくさんの個別の会話ができた。
彼女がしっかりと話をするということに気づいたし、
言語聴覚士を目指していることも知った。
楽しい半日だった。
別れ際に彼女は僕の顔を見つめた。
「いつか自分の子供に『風になってください』を読ませたいと思っています。」
彼女はそれだけを言って握手した。
「ありがとう。」
僕はやっとそれだけを返した。
どれくらい先の話だろう。
ひょっとしたらもう僕はいないかもしれない。
でも、本を読んでくれる人がいるかもしれないのだ。
僕は不思議な幸せに包まれた気がした。
(2017年8月24日)

夏の雲

早朝からの単独移動、仕事、それからまた場所を変えての重要な会議、
帰る時には久しぶりに疲労感を覚えていた。
夏の疲れも出始めているのかもしれない。
迎えにきてくれたボランティアさんの車の助手席でぼぉっとしていた。
後部座席にはボランティアさんの娘さん達も乗っていて、
その会話が空気を和やかにしていた。
僕は時々耳を傾けながらくつろいでいた。
車が坂道を登り始めてしばらくした時、
「あの雲で寝たい!」
何の脈絡もなく娘さんが突然声を出した。
僕は一気にうれしくなった。
真っ青な夏の空に真っ白な雲が浮かんでいるのだろう。
僕は空を眺めた。
僕もその雲でぐっすりと眠りたいと思った。
15歳の少女のキラキラした眼差しが夏にとてもよく似合った。
(2017年8月20日)

食いしん坊

休日のひととき、友人と和食屋さんで食事をした。
見えなくても食べるということは楽しめる。
食通の視覚障害者も結構いる。
僕は食通ではないが食いしん坊には違いない。
おいしいと聞いたお店にはつい行きたくなる。
香りに工夫がしてあったり季節の食材が使われていたりするとうれしくなる。
色彩は友人の説明で想像したりする。
食べ終わった食器を自然に元の位置に戻す。
「ほんまは見えてるんでしょう。」
そのタイミングで見えている人から指摘されることも多い。
それくらい自然な動きなのだろう。
20年の時間の流れの中で培ってきた技術なのかもしれない。
手のひらどころか指一本一本の触覚をすべて使っているのだと思う。
そしていつの間にか距離感みたいなものも判るようになったのかもしれない。
失明する直前、とにかくよくコップの水や食器をひっくり返したりした。
そしてその都度悲しくなった。
触覚などは使わずに目で見ていたからだろう。
ほとんど見えていない眼だったのにやっぱりその目で見てしまっていたのだ。
本能だったのかもしれない。
目を使えなくなってから自然に触覚などを使うようになっていった。
こぼしたりひっくり返したりすることはほとんどなくなった。
人間の対応力というのは凄いものだ。
でも例えば食後のケーキなどは手で食べることにしている。
フォークやナイフでというのは難し過ぎる。
幾度かトライしたことはあるがいつもグチャグチャになった。
そして開き直った。
見えない僕が上手に一番おいしく食べる方法を選ぶ。
それが手で食べるということなのだ。
行儀が悪いとかみっともないという意見もあるかもしれないが、
料理やケーキの立場になれば、
一番美味しくが本望だろう。
食いしん坊の僕流のこじつけでそうしている。
もちろん食後に口の周りのクリームをしっかりと拭くのは忘れないようにしています。
これを忘れたらあまりにもみっともないですからね。
(2017年8月16日)