京都での暮らしがまた始まった。
栄養補助食品とバナナをかじってモーニングコーヒーを飲みながら、
ふと薩摩川内市のホテルでの朝食を思い出した。
いや朝食を準備してくださる女性を思い出した。
毎年、高校時代の同級生達がマネージメントしてくれて、
薩摩川内市の小学校やイベントなどで講演をしている。
滞在中のサポートも同級生達がやってくれる。
もう10年以上続いている。
出会って話を聞いてもらった人の数は数年前に1万人を超えた。
コツコツと続けてきた結果だ。
薩摩川内市ではいつも同じホテルに宿泊している。
部屋も3階のエレベーターから一番近い302号室だ。
小さな部屋だけど見えない僕には使い勝手がいい。
朝は一人でエレベーターで2階へ降りていく。
一般のお客様はバイキングで食事をされる。
見えない僕にはそれはできない。
入口の小さな会議室が僕のために準備してある。
そしていつも係の女性が用意してくださる。
雰囲気からして僕より年上かもしれない。
視覚障害者とコミュニケーションをとった経験もないだろうし、
小さなシティホテルでは研修もないだろう。
彼女はいつも彼女なりに精一杯のおもてなしをしてくださる。
「これが卵焼き、これがヒジキの煮物、これが納豆・・・。」
小さな声でつぶやくようにおっしゃる。
これという言葉は僕には判らないのだけれど僕は「はい」と答える。
判らないことで困ることはないし、それ以上は要求したくなくなっている僕がいる。
数年前、ヨーグルトとコーヒーが好きと言ってから、
彼女は毎回最後にそれを準備してくださる。
コーヒーは僕が朝食を食べ終わるタイミングで出してくださる。
しかもブラックということも憶えていてくださっているようだ。
忙しい時間帯での対応はきっと大変なのだろうが、
そんな雰囲気を彼女は一切出さない。
今回の三日間も毎朝5種類以上のおかずが僕が食べやすいようにそれぞれ違う食器で
準備されていた。
サラダ、卵焼き、冷ややっこ、サバの塩焼き、ソーセージのソテー、大根の煮物、ハ
ムエッグ、レンコンのきんぴら、納豆、野菜炒め、ヒジキの煮物・・・。
三日間同じおかずはなかった。
僕の一年で一番豪華な朝食に間違いない。
最終日、口数の少ない彼女が珍しく言葉をかけてくださった。
「また来年もお越しください。」
やっぱり小さな小さな声だった。
僕は深々と頭を下げて笑顔でお礼を伝えた。
「ありがとうございました。また来ます。」
真心という言葉が彼女にはよく似合う。
それは誰かをそっと幸せに導く。
僕もそんな人になりたい。
(2017年11月29日)
朝食
ふるさと
僕が生まれた時には、まだ白い杖も点字ブロックもガイドヘルパーもなかった。
音響信号も盲導犬も点字案内板もなかった。
人権とか福祉という言葉さえもなかったのだろう。
僕が3歳になった時、日本の視覚障害者は白い杖を持つということになった。
10歳の時、岡山市で点字ブロックが発明された。
17歳の時、ガイドヘルパーのような制度がスタートした。
まだ何もなかった60年前、故郷の鹿児島の視覚障害者の人達は会を結成した。
先輩達が歩き始めたのだった。
先輩達は命がけで歩き始めた。
仲間と手を取り合って歩き始めた。
未来を目指したのだ。
会結成60周年祝賀イベントの記念講演を僕は引き受けた。
身が引き締まるような思いだった。
僕は慣れないネクタイはしたけれど心は普段着で話をした。
しっかりと前を向いて心を込めて話をした。
終了後、仲間の人達が先輩達が何人も握手をしてくださった。
いい講演だったと言ってくださった。
光栄だと感じた。
最後に皆で「ふるさと」を合唱した。
3番を歌い始めた時急に目頭が熱くなった。
僕が生きている間に志を果たすことはできない。
帰ってくることはないのだろう。
でも必ずバトンを次の世代に渡すんだ。
そしていつかきっと、見えない人も見えにくい人も見える人も、
皆が笑顔になれる社会がくる。
きっとくる。
いつしか僕は大きな声で「ふるさと」を歌っていた。
(2017年11月27日)
コンサート・海
久しぶりの鹿児島での休日、
ガールフレンド達は初めての海岸に案内してくれた。
空と海とが同じ色に見える穏かな薄雲りの日だった。
僕達は松林の自然歩道を波の音を聴きながら歩いた。
ガールフレンドは松ぼっくりを拾って僕の手に乗せてくれた。
時々トンビも鳴いてくれた。
1キロほど歩いて岩場の海岸の指定席にたどり着いた。
僕はしばらく一人にしてくれるように頼んだ。
そんなことさえもお願いできるというのは青春時代を同じ空間で過ごしたからだろう。
僕はしばらく海と対面した。
どれくらいの時間だったか判らない。
抜け殻のようになって佇んだ。
そこはコンサートホールのS席だった。
前から右から左から波の音が押し寄せた。
ボリュームもテンポも変化させながら続いた。
幸福感だけが僕を支配した。
僕は海を愛しているんだ。
包まれるってこんなにうれしいことなんだ。
第一楽章、第二楽章・・・。
自然のオーケストラだった。
ここにホットコーヒーさえあればもう何も要らないと思った。
来年もう一度連れて来てもらおう。
小さなテーブルとイスも車に積んでこよう。
次回は第三楽章から第七楽章までは聴きたいな。
その日まで頑張ろう。
頑張れそうな気になった。
(2017年11月26日)
知る機会
「若い頃、困っておられるかもしれない白杖の人に援助の声をかけられなかった自分
を責めたことがあった。」
宇治市内の中学校、校長先生は自分の言葉で生徒に語りかけておられた。
嘘のない言葉が僕の胸にも沁みこんだ。
僕達はきっと未来を見つめて生きてきた。
それなりに一生懸命に生きてきた。
少しのやさしさも寛容さも持ち合わせていたと思う。
でも成し遂げたことよりも至らなかったことが多いことは判っている。
決して責任転嫁するつもりはないが、
そのいくつかは知る機会によるものだったのかもしれない。
その思いがこれからを生きる者達へのメッセージとなっているのだろう。
同世代の校長先生と僕は別れ際にハグをした。
男同士のハグだった。
翌日僕は600キロ南に移動していた。
そしてそこで10代の少女に尋ねられた。
「白杖の人のサポートを正しくできなかったかもしれないのですが・・・。」
少女は涙ぐんでいた。
美しい涙だった。
「そうして声をかけてくれたことが大切なことだと思うよ。ありがとう。」
僕は感謝を伝えた。
少女はきっとこの次にはもっとスマートなお手伝いができるだろう。
それは知る機会に出会ったからだ。
知る機会があるかないかで人生そのものが変化する。
知る機会に恵まれればそれぞれの人生はきっと豊かになる。
少女達が創ってくれる未来が楽しみだ。
(2017年11月22日)
微笑み
代表として挨拶した高校の生徒会長は僕の講演を「松永ワールド」と表現した。
考えたことを素直な言葉で語った。
感じたことを堂々と僕に伝えた。
柔らかだった。
「楽しかったです。」
彼女は瑞々しい言葉で最後を締めくくった。
僕は白杖を左手に持ち替えて、頂いた花束を抱きかかえながら右手を差し出した。
「素晴らしい挨拶だったね。」
500人の全校生徒が見つめるステージの上で、
僕達はお互いを見つめ合いながら握手をした。
そして微笑んだ。
悲しみや苦しみを伝えるのはたやすいことだ。
でもそれだけでは同情や哀れみで終わってしまう。
笑いながら泣きながら心が交わればそれは共感につながっていく。
きっと未来につながっていく。
講演終了後わざわざ校長室まで来てくれた生徒がボールペンをプレゼントしてくれた。
僕のシャツとお揃いの色のボールペンだった。
それは藍色、僕の好きな海の色だった。
彼女はそのボールペンを僕の胸ポケットにさしながら微笑んだ。
やっぱり未来を予感させる微笑みだった。
(2017年11月21日)
秋色
「何という木やろ。真っ赤やなぁ。」
バス停で立ち話しておられたご婦人がつぶやかれた。
「この雨でイチョウも散るなぁ。ほら、道が真っ黄色や。」
バスの乗客の男性同士が会話しておられた。
バスだけではなく電車の中でもそうだった。
あちこちで秋模様を語っておられるのが聞こえてきた。
その度に僕も前を見つめた。
最高潮に達したらしい秋が雨の中に佇んでいた。
ほとんど陽光のない景色は不思議と存在感を引き立たせていたのかもしれない。
墨絵のような色使いの中にそれぞれの色の美しさがあった。
僕は幾度もそれを見つめた。
雨の音の中でそれを見つめた。
赤という色を思い出した。
黄色という色を思い出した。
まだ憶えていることに安堵した。
静かに時が流れていくのを感じた。
秋は気恥ずかしそうに、でも確かに僕にもささやいてくれた。
(2017年11月19日)
好々爺
視覚障害の先輩から電話があった。
僕が敬愛する先輩の一人だ。
人生の途中で失明という経験をされた。
丹後半島にある過疎の町で暮らしておられる。
そんな地域で白杖を持って生きるということ、
都会よりはるかに困難なのは推察できる。
舗装されていない道も多いだろうし点字ブロックの敷設もまだまだだろう。
音響信号もあるのだろうか。
何より障害への社会の理解は遅れている筈だ。
でも先輩はそんなことはおっしゃらない。
愚痴をこぼしたりされない。
近所を散歩するとか川柳を楽しんでいるとかの話題が多い。
そこにはいつもささやかな幸せが垣間見える。
変化にたじろぐことなく生きていく人間の崇高ささえ感じられる。
決して派手ではない静かな空気だ。
僕は先輩と出会った時必ず握手をする。
きっと僕もそんな人生を歩みたいとどこかで思っているのかもしれない。
「松永さん、最近山科の小学校に行かれましたね。
孫から電話があったんですよ。」
それから先輩は可愛くてならない10歳の少年の話をされた。
やさしい子と幾度も言われた。
お正月などに出会えるのを楽しみにされているようだった。
好々爺の語りだった。
僕は微笑みながら電話を聞いていた。
やさしい気持ちになった。
(2017年11月14日)
時間の感覚
早朝からの会議を終えてライトハウスを飛び出した。
僕なりのスピードで動き始めた。
次の用事が待っている。
桂到着予定時間を11時20分に設定した。
千本北大路から46号のバスで四条大宮に向かった。
予定通りだ。
そこから地下の阪急大宮駅に向かわなければいけない。
距離にすればたった100メートルくらいかもしれないが、
僕には難関の場所だ。
交通量の多い道路の狭い歩道、すれ違うのも大変な感じの場所だ。
右に行き過ぎると車道に出てしまう危険性がある。
左には電柱があり斜めの金属ロープが張ってある。
それは顔の高さにあるからぶつかることもある。
そして自転車もよく通る。
たった100メートルに向かう前に僕はよく白杖を握り直して深呼吸をする。
集中力を高めているのかもしれない。
この狭い道を無事通過しなければならない。
僕もケガをしたくないし他人に迷惑をかけてもいけない。
しっかりと周囲の音を聞きながらそしてゆっくりと歩く。
不安がよぎったら必ず止まる。
そして気持ちをリセットする。
その繰り返しが安全につながっていく。
今日も深呼吸をして動き始めようとした時、サポーターが現れた。
僕を追い越して行ってから気になって戻ってきたとのことだった。
僕はサポーターの肘を借りて駅まで移動した。
移動の最中での会話で行先が同じ桂ということが確認できた。
サポートを桂まで延長してもらうことにした。
僕達はいろいろと話しながら歩いた。
電車の中でも会話を楽しんだ。
桂に着いた。
「お蔭でのんびりと帰ってこれました。」
僕は御礼を伝えた。
「たまにはそんな日があってもいいですね。」
サポーターが笑った。
改札を出たところで時間を確認したら11時10分だった。
予定よりも10分も早く着いた。
サポーターとのんびり動く方が
僕が単独で急いで動くより早いことに気づいた。
不思議な気がした。
(2017年11月11日)
7時02分発のバス
7時02分発のバスに乗る時、
その女子高生とバス停で出会う。
「おはようございます。」
17歳の爽やかな声が朝によく似合う。
中学校の福祉授業で出会った彼女は、
それ以来僕と出会ったら声をかけてくれるようになった。
バスに乗車する際は手引きして空いている席まで誘導してくれる。
バス待ちの会話の中で、
彼女の高校も憶えたしガソリンスタンドでのアルバイトの時給まで知ってしまった。
彼女は空の青さや木々の葉の色づきなども伝えてくれる。
僕の本を読んだ経験のある彼女は、
僕の好きなものを少し知ってくれているのだ。
自然なコミュニケーションに何の支障もない。
でも彼女の顔は見えない。
それを悲しいと感じれば悲しくなるのだろう。
寂しいと感じれば寂しくなるのだろう。
しかし現実はそうではない。
見えなくてもそこにいてそこに流れる時を感じれば不思議と幸せな気分になるのだ。
7時02分発のバスに乗る朝は僕のささやかな楽しみのひとつになった。
(2017年11月9日)
ダイエット
11月の3連休、京都の人口密度はきっと高くなっているのだろう。
電車もバスも混んでいて座れなかったし、
乗り換えもいつもの倍くらいの時間を要した。
余裕を持って動いた筈だったのに、
ライトハウス前のバス停に到着したのは12時25分だった。
予定よりも30分遅くなってしまった。
近くの食堂で好物の豆腐丼を食べるつもりだったがあきらめるしかなかった。
13時スタートの会議、
昼食はコンビニのおにぎりに変更することにした。
僕は慎重に、でも少しスピードアップして近くのコンビニに向かった。
もう20年近く、回数にしたらきっと百回以上は利用している店だ。
だいたいの場所は判っている。
でもだいたいだ。
たどり着いたがやっぱりいつものように出入り口は探せなかった。
通行人にお願いするために足音を探したがなかなか止まってはもらえなかった。
ロスタイムをクリアしてやっと店内に入ったがお昼時で混んでいた。
僕はレジの店員さんから見える位置、他のお客様の邪魔にならない場所で待機した。
おにぎりコーナーに行くことも選ぶことも僕には出来ない。
二人の店員さんはそれぞれのレジで次から次のお客様の対応をされていた。
僕に気づいても動けないのも理解できていた。
お客様が少なくなるのを待つしかなかった。
僕はただ立ったままで過ごした。
ジリジリと時間は流れた。
12時50分、結局タイムアウトで店を出た。
お店までたどり着いて20分の時間を使って、
ちゃんとお金もあるのにたった1個のおにぎりが買えない。
少々のことではへこたれないはずなのに、
泣きそうになりながら歩いている僕がいた。
口惜しさと空腹感を抱えたままで会議が始まった。
同行援護という視覚障害者にとって大切な制度に関わる会議だった。
いつの間にか熱心に参加してしまっている僕がいた。
僕が頑張れば仲間や後輩が喜ぶことになるのだ。
会議が終わったのは17時だった。
ライトハウスを出て点字ブロックの上を歩きながらふと夕暮れを感じた。
空腹感は満足感に代わっていた。
今日はダイエットにも貢献できた日だったということにしよう。
そう思ったら白杖の音がリズミカルになったような気がした。
でもね神様、ダイエットを続ける気はまったくありませんので誤解のないように。
(2017年11月4日)