「雪虫が飛んだからもうすぐ雪が降りますよ。」
水平線を見つめながら少女が教えてくれた。
僕はコンビニのホットコーヒーを飲みながら砂浜に立ち尽くした。
砂浜はもうすぐ雪に覆われるのだそうだ。
左が小樽、右が札幌、意外なほど静かな凪の日本海だった。
岩場の近くではカモメが遊んでいた。
音色とリズムを変えながら波は歌った。
いくら聞いても飽きることはなかった。
少しずつ少しずつ僕の前に風景が生まれていった。
まるで1枚の絵画のようだった。
少女が描いてくれたものだった。
幸せだった。
そう感じたら少女の笑顔を見たいと思った。
きっと心に残る風景になるだろう。
砂浜が真っ白になったらもう一度訪ねてみたいと思いながら、
残りのコーヒーを飲み干した。
(2017年10月22日)
海を見ながら
ジンギスカン
「6月になると綿毛が雪のように降って道が白くなるんですよ。」
ポプラ並木の道を走る車の中で同乗者の人達が教えてくださる。
「雲ひとつない真っ青な空ですよ。」
校舎の前で空を眺めながらボランティアの男性が伝えてくださる。
少し冷たくなってきている風が冬の始まりを予感させる。
授業で出会った高校生達の発音はやはり関西とは違う。
景色のない僕にも少しずつ北海道がささやき始める。
先生方とご一緒した夕食はジンギスカンだった。
乾杯!
やさしさが初対面の緊張を溶かしていく。
あたたかさが見えない壁をこわしていく。
黒い羊の話、スタッドレスタイヤの話、ユメピリカのお米の話、
いつの間にか僕も自然に道産子の輪の中にいる。
横に座ってくれた先生はその間もずっと僕の食事の手伝いをしてくださる。
さりげなさは昔からの友人のような感じだ。
コースの最後に出たシャーペット、いつもは手を出さない僕が食べてしまったのは雰
囲気だろう。
夕餉のひととき、皆で見つめたのは間違いなく未来だった。
明日は心をこめて北海道の高校生達に向かい合おうと強く思った。
(2017年10月20日)
新米
子供達に点字を教えて欲しいとの依頼があった。
学校関係の依頼は講演が圧倒的に多いのだが、
時々点字体験とか手引き体験というのもあるのだ。
僕自身の点字力は実は高くない。
指で点字を読むというのは日常どれだけ使いこなしているかが重要だ。
日常の記録をパソコンに頼っている僕はなかなか点字を読む機会がない。
エレベーターの数字、階段の手すり、会議の書類くらいが普段の点字だろう。
子供の頃から点字を使っている視覚障害者の先輩は、
僕の5倍くらいのスピードで書類を読んでいかれる。
指先に目がついているようなものだ。
いつも凄いなと尊敬してしまう。
点字を学び始めた時、努力すればどんどん上達すると先生に教えられたが、
先生は努力嫌いを治す方法は教えてくださらなかった。
その結果が現状となっている。
それでもこうして一応生活は成り立っているからいいにしよう。
その程度の点字力だけど小学生に教えるくらいはできる。
いや一応、高校でも大学でも教えていることになっている。
教え方は経験が豊富ということだろう。
小学校での点字は楽しんでやっている。
1人ひとりの書いた氏名を指先で読むと子供達は驚きながら喜んでくれる。
その瞬間、それが見えない人の文字だということを実感してくれるのだろう。
大切なひとときだ。
氏名が書けた子供に次の課題を出した。
「秋」で思い出すものを点字で書くというものだった。
「もみじ」、「まつたけ」、「くり」、「こうよう」、「さんま」。
いろいろな秋が並んだ。
授業の終り近くに持ってきた子はおとなしくて小さな声だった。
僕は男の子か女の子かさえ判っていなかった。
そっと差し出された点字用紙には「しんまい」と書かれてあった。
僕の脳裏に真っ白な炊き立てのつやつや光るごはんが浮かんだ。
「秋やなぁ。食べたいなぁ。」
僕はつぶやいた。
「はい。」
その子はやっぱり小さな小さな声で返事をした。
そして僕達は微笑んだ。
お互いを見つめて微笑んだ。
(2017年10月16日)
薄っぺらい責任感
4時半に起床して6時過ぎにはタクシーが迎えにくる。
7時ののぞみに乗車、品川で山手線に乗り換えて10時には高田馬場に着いている。
メンバーが揃い次第会議はスタート、
1時間弱の昼食休憩を挟んで16時半まで会議は続く。
同行援護という視覚障害者にとってとても大切な制度についての会議だ。
その議論の内容が国の施策に影響するから責任も大きい。
僕はそこの副会長という立場なのだが僕の能力を超えているのは間違いない。
引き受けた以上ちゃんとやりたいという気持ちだけはあるので必死で脳を回転させる。
我ながら健気な姿勢だと思う。
でも所詮力量が伴っていないので時間と共に頭の中にハテナマークが並んでいく。
早く退任しなければと思っているのだけれどそれもなかなか許してもらえない。
結局また今回も次の師走の会議の日程を確認して東京を離れた。
ただ人間はしんどさだけでは継続は無理だ。
東京でのこの会議での楽しみはお昼のカレーと帰りのお弁当だ。
カレー屋さんはいくらたっても日本語が上達しないインドの人がやっている。
ダルカレーと焼きたてのナン、最後にラッシーを飲めばもう上機嫌になってしまう。
たまには他の店と思ったりもするのだけれど結局この店に吸い込まれてしまう。
帰りののぞみで食べる浅草今半のすきやき弁当も自分へのご褒美だ。
これもいつも同じだ。
この昼食とお弁当がなかったらとっくに挫折していたかもしれない。
味覚が元気なうちはもう少し頑張れるかなと思ったりもする。
味覚に支えられた薄っぺらい責任感、僕によく似合う。
(2017年10月12日)
秋色
雨上がりのせいかもしれない。
澄み切った空気が感じられる。
湿度と温度と風力とのバランスが絶妙なのだろう。
秋のマジックだ。
思いっきり顔を上に挙げて空を眺める。
根拠はないのだけれどやっぱり高い気がする。
無意識に深呼吸する。
突然17歳の頃の映像が蘇る。
色鮮やかな山道を無免許のバイクで駆け抜けた。
暴れ出しそうな心を織りなす色が包んでくれていたような気がする。
誰と行ったのか、どこだったのか憶えてはいない。
秋だったことだけは確かだ。
秋の中で生きていた。
失った色を求めることはしない。
でもほんの少し感じられる自分でいたい。
せっかくの秋だもの。
(2017年10月8日)
月見団子
中学校での講演の帰り道、
最寄りの駅まで先生が車で送ってくださった。
講演の感想や生徒達の様子などの会話の後、
月の話になった。
中秋の名月の翌日だったからだろう。
「松永さんは月見団子を食べましたか?」
先生は唐突に僕に尋ねた。
「名月は見ましたけど団子は食べてませんね。先生は食べたのですか?」
彼は昨夜のプライベイトの一場面を僕に紹介した。
小学校の娘さんと名月を見ながら団子を食べたとのことだった。
父親と娘の一場面はささやかな光の中にあった。
影絵のように僕の脳裏に浮かんだ。
それは柔らかな月光によく似合った。
車中には穏かな優しい空気が流れた。
「相手の表情が見えなくてコミュニケーションは大丈夫ですか?」
今日の中学生の質問の中にあったのを思い出した。
日常、表情が見えなくて困るということはない。
僕が鈍感ということもあるのかもしれないが、
人間同士はきっと見えないことを超えていく力を持っているのだろう。
人間ってなかなか素敵な生き物かもしれない。
(2017年10月6日)
秋
久しぶりの休日、
音楽を聴きながらコーヒーを飲む。
昨日と同じイノダのインスタントなのに香りが豊かなような気がする。
いつも追いかけられている時間を後ろからぼんやりと眺める。
1時間ってこんなに長いのかと驚く。
ふと窓からの空気の流れで秋に気づく。
気づいたら切なさが胸に広がる。
この感じが好きだなぁ。
苦笑いを残ったコーヒーと一緒に飲み干す。
秋が始まった。
(2017年10月2日)
ドット
僕は桂駅からの最終バスによく乗車する。
これに乗り遅れるとタクシー代1,500円が吹っ飛んでいく。
見えない僕が慌てるのは危険だからと自分に言い聞かせてはいるが、
そんなにしょっちゅう乗るわけにもいかない。
僕と同じような気持ちの人が最終バスに駆け込んでくる。
そして途中で一人、二人と降りていかれる。
僕が降りるバス停は終点の二つ前だから、
いつも最後の数人の乗客の1人ということになる。
僕だけということもたまにはある。
京都のバス停にはだいたいテンジブロックが敷設されている。
バスは後方のドアから乗車するようになっていて、
運転手さんはそこをテンジブロックに合わせて停車してくださる。
僕の頭の中の地図はこの点字ブロックがスタート地点になっているので、
それがキャッチできないと帰る方向が判らない。
だからいつも降車してから白杖で点字ブロックを探すということをする。
アバウトの方向で動くのだから見つけるのに少し時間がかかることもある。
直接団地の入口に向かわないのだから見た目には少し変な動きだろう。
今夜も僕は最後の乗客だった。
バスが停車してから降車ドアに向かった。
「ドットに着けましたからね。今日もお疲れさまでした。」
運転手さんの言葉と、
僕のありがとうございますの言葉が交差した。
僕は意味が判らなかったのだけれどとにかくいつものようにバスを降りた。
降りた一歩目の足の裏でドットが微笑んだ。
点字ブロックのことだったのだ。
運転手さんはいつもの僕の動きをご存知だったのだろう。
僕は振り返って深くお辞儀をした。
空っぽのバスが終点に向かって走り出した。
僕は走り去るバスに向かって声を出した。
「今日もお疲れさまでした。ありがとうございました。」
言い終わってから目頭が熱くなった。
僕はすがすがしい気持ちで白杖をしっかりと握り直して家路についた。
(2017年9月28日)
曼珠沙華
「真っ赤な曼珠沙華が雨に濡れていました。」
「深紅の彼岸花が咲いていました。」
「白い彼岸花を見ましたよ。」
同じ日に3人の方から3通のメールが届いた。
京都在住の3人だった。
くしくも同じ日、僕も大阪の高校で彼岸花に出会った。
同行のボランティアさんが見つけてくれて僕は近くまでいって花を触った。
朱色の大きな彼岸花だった。
酷暑の夏でも冷夏でもカレンダーを見ているかのようにこの時期に咲くのはやっぱり
不思議だといつも思う。
子供の頃は怖い花だった。
お墓の近くに咲いていた。
ちぎったりしたら火事になると聞いていた。
あまり近づいたりせずに遠くから眺める花だった。
鮮やか過ぎる色には確かに神秘的な雰囲気が漂っていた。
美として受け止められるようになったのは大人になってからだろう。
曼珠沙華という名前がよく似合うと思えるようになった。
この時期になると会いたいと思う花となった。
3人の人達もきっとこの時期の花なのだろう。
だから見つけたことを僕に伝えてくださるのだろう。
同じ日に同じ花を見て何かを感じる。
なんとなくうれしい気分になった。
(2017年9月24日)
ピンクのガーベラ
食卓のグラスに生けられたピンクのガーベラを指先で触る。
触れるか触れないかくらいの感じでそっと触る。
花弁を確認しているとやさしさと一緒に命のみずみずしさも伝わってきた。
指先にカメラがあるような感じだ。
中心部が紫という説明でその画像を思い浮かべる。
自然と笑顔がこぼれる。
幸せなこの瞬間がまた新しい思い出になっていくのだろう。
見えなくなって流れた歳月、
画像はないのにいろいろな瞬間がアルバムに残っている。
ページをめくるごとに思い出が蘇る。
喜びや悲しみや苦しみや希望、
それが全部集まって僕の人生なのだろう。
まだまだ新しい写真を心のアルバムに貼っていきたい。
そして最後には豊かな人生だったとつぶやきながらアルバムを閉じたい。
(2017年9月21日)