知る機会

「若い頃、困っておられるかもしれない白杖の人に援助の声をかけられなかった自分
を責めたことがあった。」
宇治市内の中学校、校長先生は自分の言葉で生徒に語りかけておられた。
嘘のない言葉が僕の胸にも沁みこんだ。
僕達はきっと未来を見つめて生きてきた。
それなりに一生懸命に生きてきた。
少しのやさしさも寛容さも持ち合わせていたと思う。
でも成し遂げたことよりも至らなかったことが多いことは判っている。
決して責任転嫁するつもりはないが、
そのいくつかは知る機会によるものだったのかもしれない。
その思いがこれからを生きる者達へのメッセージとなっているのだろう。
同世代の校長先生と僕は別れ際にハグをした。
男同士のハグだった。
翌日僕は600キロ南に移動していた。
そしてそこで10代の少女に尋ねられた。
「白杖の人のサポートを正しくできなかったかもしれないのですが・・・。」
少女は涙ぐんでいた。
美しい涙だった。
「そうして声をかけてくれたことが大切なことだと思うよ。ありがとう。」
僕は感謝を伝えた。
少女はきっとこの次にはもっとスマートなお手伝いができるだろう。
それは知る機会に出会ったからだ。
知る機会があるかないかで人生そのものが変化する。
知る機会に恵まれればそれぞれの人生はきっと豊かになる。
少女達が創ってくれる未来が楽しみだ。
(2017年11月22日)

微笑み

代表として挨拶した高校の生徒会長は僕の講演を「松永ワールド」と表現した。
考えたことを素直な言葉で語った。
感じたことを堂々と僕に伝えた。
柔らかだった。
「楽しかったです。」
彼女は瑞々しい言葉で最後を締めくくった。
僕は白杖を左手に持ち替えて、頂いた花束を抱きかかえながら右手を差し出した。
「素晴らしい挨拶だったね。」
500人の全校生徒が見つめるステージの上で、
僕達はお互いを見つめ合いながら握手をした。
そして微笑んだ。
悲しみや苦しみを伝えるのはたやすいことだ。
でもそれだけでは同情や哀れみで終わってしまう。
笑いながら泣きながら心が交わればそれは共感につながっていく。
きっと未来につながっていく。
講演終了後わざわざ校長室まで来てくれた生徒がボールペンをプレゼントしてくれた。
僕のシャツとお揃いの色のボールペンだった。
それは藍色、僕の好きな海の色だった。
彼女はそのボールペンを僕の胸ポケットにさしながら微笑んだ。
やっぱり未来を予感させる微笑みだった。
(2017年11月21日)

秋色

「何という木やろ。真っ赤やなぁ。」
バス停で立ち話しておられたご婦人がつぶやかれた。
「この雨でイチョウも散るなぁ。ほら、道が真っ黄色や。」
バスの乗客の男性同士が会話しておられた。
バスだけではなく電車の中でもそうだった。
あちこちで秋模様を語っておられるのが聞こえてきた。
その度に僕も前を見つめた。
最高潮に達したらしい秋が雨の中に佇んでいた。
ほとんど陽光のない景色は不思議と存在感を引き立たせていたのかもしれない。
墨絵のような色使いの中にそれぞれの色の美しさがあった。
僕は幾度もそれを見つめた。
雨の音の中でそれを見つめた。
赤という色を思い出した。
黄色という色を思い出した。
まだ憶えていることに安堵した。
静かに時が流れていくのを感じた。
秋は気恥ずかしそうに、でも確かに僕にもささやいてくれた。
(2017年11月19日)

好々爺

視覚障害の先輩から電話があった。
僕が敬愛する先輩の一人だ。
人生の途中で失明という経験をされた。
丹後半島にある過疎の町で暮らしておられる。
そんな地域で白杖を持って生きるということ、
都会よりはるかに困難なのは推察できる。
舗装されていない道も多いだろうし点字ブロックの敷設もまだまだだろう。
音響信号もあるのだろうか。
何より障害への社会の理解は遅れている筈だ。
でも先輩はそんなことはおっしゃらない。
愚痴をこぼしたりされない。
近所を散歩するとか川柳を楽しんでいるとかの話題が多い。
そこにはいつもささやかな幸せが垣間見える。
変化にたじろぐことなく生きていく人間の崇高ささえ感じられる。
決して派手ではない静かな空気だ。
僕は先輩と出会った時必ず握手をする。
きっと僕もそんな人生を歩みたいとどこかで思っているのかもしれない。
「松永さん、最近山科の小学校に行かれましたね。
孫から電話があったんですよ。」
それから先輩は可愛くてならない10歳の少年の話をされた。
やさしい子と幾度も言われた。
お正月などに出会えるのを楽しみにされているようだった。
好々爺の語りだった。
僕は微笑みながら電話を聞いていた。
やさしい気持ちになった。
(2017年11月14日)

時間の感覚

早朝からの会議を終えてライトハウスを飛び出した。
僕なりのスピードで動き始めた。
次の用事が待っている。
桂到着予定時間を11時20分に設定した。
千本北大路から46号のバスで四条大宮に向かった。
予定通りだ。
そこから地下の阪急大宮駅に向かわなければいけない。
距離にすればたった100メートルくらいかもしれないが、
僕には難関の場所だ。
交通量の多い道路の狭い歩道、すれ違うのも大変な感じの場所だ。
右に行き過ぎると車道に出てしまう危険性がある。
左には電柱があり斜めの金属ロープが張ってある。
それは顔の高さにあるからぶつかることもある。
そして自転車もよく通る。
たった100メートルに向かう前に僕はよく白杖を握り直して深呼吸をする。
集中力を高めているのかもしれない。
この狭い道を無事通過しなければならない。
僕もケガをしたくないし他人に迷惑をかけてもいけない。
しっかりと周囲の音を聞きながらそしてゆっくりと歩く。
不安がよぎったら必ず止まる。
そして気持ちをリセットする。
その繰り返しが安全につながっていく。
今日も深呼吸をして動き始めようとした時、サポーターが現れた。
僕を追い越して行ってから気になって戻ってきたとのことだった。
僕はサポーターの肘を借りて駅まで移動した。
移動の最中での会話で行先が同じ桂ということが確認できた。
サポートを桂まで延長してもらうことにした。
僕達はいろいろと話しながら歩いた。
電車の中でも会話を楽しんだ。
桂に着いた。
「お蔭でのんびりと帰ってこれました。」
僕は御礼を伝えた。
「たまにはそんな日があってもいいですね。」
サポーターが笑った。
改札を出たところで時間を確認したら11時10分だった。
予定よりも10分も早く着いた。
サポーターとのんびり動く方が
僕が単独で急いで動くより早いことに気づいた。
不思議な気がした。
(2017年11月11日)

7時02分発のバス

7時02分発のバスに乗る時、
その女子高生とバス停で出会う。
「おはようございます。」
17歳の爽やかな声が朝によく似合う。
中学校の福祉授業で出会った彼女は、
それ以来僕と出会ったら声をかけてくれるようになった。
バスに乗車する際は手引きして空いている席まで誘導してくれる。
バス待ちの会話の中で、
彼女の高校も憶えたしガソリンスタンドでのアルバイトの時給まで知ってしまった。
彼女は空の青さや木々の葉の色づきなども伝えてくれる。
僕の本を読んだ経験のある彼女は、
僕の好きなものを少し知ってくれているのだ。
自然なコミュニケーションに何の支障もない。
でも彼女の顔は見えない。
それを悲しいと感じれば悲しくなるのだろう。
寂しいと感じれば寂しくなるのだろう。
しかし現実はそうではない。
見えなくてもそこにいてそこに流れる時を感じれば不思議と幸せな気分になるのだ。
7時02分発のバスに乗る朝は僕のささやかな楽しみのひとつになった。
(2017年11月9日)

ダイエット

11月の3連休、京都の人口密度はきっと高くなっているのだろう。
電車もバスも混んでいて座れなかったし、
乗り換えもいつもの倍くらいの時間を要した。
余裕を持って動いた筈だったのに、
ライトハウス前のバス停に到着したのは12時25分だった。
予定よりも30分遅くなってしまった。
近くの食堂で好物の豆腐丼を食べるつもりだったがあきらめるしかなかった。
13時スタートの会議、
昼食はコンビニのおにぎりに変更することにした。
僕は慎重に、でも少しスピードアップして近くのコンビニに向かった。
もう20年近く、回数にしたらきっと百回以上は利用している店だ。
だいたいの場所は判っている。
でもだいたいだ。
たどり着いたがやっぱりいつものように出入り口は探せなかった。
通行人にお願いするために足音を探したがなかなか止まってはもらえなかった。
ロスタイムをクリアしてやっと店内に入ったがお昼時で混んでいた。
僕はレジの店員さんから見える位置、他のお客様の邪魔にならない場所で待機した。
おにぎりコーナーに行くことも選ぶことも僕には出来ない。
二人の店員さんはそれぞれのレジで次から次のお客様の対応をされていた。
僕に気づいても動けないのも理解できていた。
お客様が少なくなるのを待つしかなかった。
僕はただ立ったままで過ごした。
ジリジリと時間は流れた。
12時50分、結局タイムアウトで店を出た。
お店までたどり着いて20分の時間を使って、
ちゃんとお金もあるのにたった1個のおにぎりが買えない。
少々のことではへこたれないはずなのに、
泣きそうになりながら歩いている僕がいた。
口惜しさと空腹感を抱えたままで会議が始まった。
同行援護という視覚障害者にとって大切な制度に関わる会議だった。
いつの間にか熱心に参加してしまっている僕がいた。
僕が頑張れば仲間や後輩が喜ぶことになるのだ。
会議が終わったのは17時だった。
ライトハウスを出て点字ブロックの上を歩きながらふと夕暮れを感じた。
空腹感は満足感に代わっていた。
今日はダイエットにも貢献できた日だったということにしよう。
そう思ったら白杖の音がリズミカルになったような気がした。
でもね神様、ダイエットを続ける気はまったくありませんので誤解のないように。
(2017年11月4日)

記念写真

木枯らし1号に背中を押されながら京都へ帰るのぞみに乗車した。
のぞみの車中ではやさしい紳士と隣り合わせだった。
通路側の僕は彼に伝えた。
「目が見えないので出入りの際はおっしゃってください。」
「そうですか、何かお手伝いできることがあったらおっしゃってください。」
彼は微笑みながらそんな言葉を返してくれた。
僕は安堵感に包まれて車中の時を過ごした。
そして東京での講座を振り返った。
4泊5日の研修が終わった。
僕は自分の担当科目を講義すればいいだけだがそれでも疲れた。
いい加減な僕の関わりでも疲れたのだから受講生は大変だっただろう。
皆疲労感もあったはずだがどの受講生も最後まで集中力は途切れなかった。
日本のあちこちから陸路で空路で集まった人達、
きっと指導者としての意識の高さがあったのだろう。
うれしい結果だった。
定員一杯の参加者だったが数的にはスタッフを加えても30名程度だった。
僕は講義をするだけではなく懇親会にも参加して皆さんと交流した。
出席番号19番の青森から参加していた秋元さん、
爽やかさが素敵な若者だった。
早速僕のこのブログを読んで感想をくださった桂子さん、
ハスキーボイスが魅力的な女性だった。
横浜の小林さん、年明けには一緒に仕事するかもしれないと思った。
千葉のあきこさん、ドトールでのモーニングタイムうれしかった。
皆さんと会話を重ね親睦を深めた。
でも例えば一か月後に再会したとしても、そして名乗ってくださったとしても、
僕はきっとすぐには判らないだろう。
見えないとはそういうことなのだ。
声だけで記憶するなんて不可能だ。
でも共に過ごした時間はまぎれもない事実だ。
心が触れ合ったのは確かだ。
僕を中心にして撮影した記念写真、僕が見ることはない。
でもきっと僕も笑っている。
皆と同じ方向を向いて笑ってる。
皆と同じ未来を向いて笑っている。
(2017年10月31日)

コーヒーカップ

東京のホテルの部屋、
4時過ぎに目が覚めてしまって困惑する。
もう少し眠ろうかと思案している間にすっかり目覚めてしまった。
仕方なくベッドから起きだしてシャワーを浴びる。
それからポットに水を入れてお湯を沸かす。
お湯が沸騰する間にイノダのスティックコーヒーを取り出してカップに入れる。
旅先にいつも京都から持参しているものだ。
お湯が沸いたら静かにカップに注ぐ。
コーヒーの香りが室内を泳ぎだす。
光も音もない空間で香りだけが存在を主張する。
熱い液体を吐息で冷ましながらゆっくりとノドに流し込む。
ほろ苦さを楽しみながらふと今日は何曜日だろうと考え出す。
一週間前は北海道だったことを思い出す。
楽しみにしていた北海道はあっという間に過ぎ去った。
おまけに台風の影響で滞在が一日短くなってしまった。
それでも思い出して笑顔になるのは豊かな時間だったからだろう。
たった一週間なのに記憶は遠くにある。
そしてどんどん遠くに過ぎ去っていくのだろう。
来月は鹿児島県に出かける予定だ。
あの北海道でお土産にもらった木製のコーヒーカップを持参しよう。
きっと朝のコーヒーがもっとやさしくなる。
(2017年10月29日)

溜め息

連日の小学校での福祉授業は結構ハードだった。
点字や手引きなども加えて二日間で8時限の授業をこなしたことになる。
少しの疲労感を感じながら家を出た。
お昼過ぎまでの高校の授業が終わったら急いで東京に向かわなければいけない。
ラッシュの電車の中でそんなことを考えていたら溜め息が出てしまった。
烏丸駅で電車を降りてホームの移動を始めた。
点字ブロックを白杖で確認して慎重に歩き始める。
混んでいるから他の人にぶつからないように
他の人が白杖にひっかからないように、
そして自分がホームから落ちないように。
朝の多忙さ、一応歩いている僕、声をかけてくれる人は少ない。
元々あきらめている僕がいる。
「改札まで一緒に行きましょう。」
珍しく男性が僕の左から声をかけてくださった。
右手で白杖を持っている僕には一番いいポジションだ。
僕は御礼を言うのとほとんど同時に彼の右手の肘をつかんだ。
その瞬間何とも言えない安堵感を感じた。
これでのんびり改札口まで行ける。
僕達はホームを歩きエスカレーターに乗り友達のように歩いた。
改札口でありがとうカードを渡しながら感謝を伝えた。
「お気をつけて。」
返ってきた彼の言葉はとても爽やかだった。
同世代と思われる彼をかっこいいと思った。
僕はそこから地下鉄に乗り換えて高校のある京都駅に向かった。
いつものように慎重に動いたが幾度か外国人の団体に道をふさがれた。
大きなトラベルバッグを引っ張っての移動、点字ブロックの意味などもご存知ないの
だろう。
文化の違いだから仕方がない。
やっと京都駅の改札に着いた。
見えないで動くってやっぱり大変だよなぁ。
改札口の横の待ち合わせ場所でまた溜め息が出た。
「先生、こんな場所で何してるんですか?」
突然の声の主は僕の講義を受講している女子大学生だった。
アルバイトに向かう途中とのことだった。
「次の講義の時は私が迎えにきますからね。」
彼女は次の講義の時の待ち合わせを確認しながら笑った。
その日も高校の授業の後の大学なので時間に追われる予定だ。
彼女が高校の近くまで迎えに来てくれて、
一緒にランチして大学へ向かうということになっている。
知っている人、知らない人、関係なく支えてくれる人がいる。
その人達の協力で僕の毎日が成り立っている。
人間の社会だからこそだ。
彼女と握手しながら溜め息が笑顔に変わるのを感じた。
(2017年10月27日)