恐怖心

久しぶりの道を歩いた。
数年前までよく歩いていた道だ。
難関の六車線の長い横断歩道も無事渡った。
そこでほっとしてしまったのかもしれない。
直角に曲がるつもりが斜めに歩いてしまったらしい。
それにさえ気づいていなかった。
いつの間にか車道に飛び出して歩いてしまっていた。
「そこ車道だよ。」
信号で停車中の車の運転手さんが大声で教えてくださった。
遠くからだったけど男性の太い声が僕に向けられているのが判った。
僕は慎重にゆっくりと歩道側と思われる方向に動いた。
身体中に広がる恐怖心をあやすようにしながら動いた。
どこからかまた別の女性が近寄ってきて支えてくださった。
そして横断歩道の点字ブロックまで誘導してくださった。
見るに見かねてのことだったのかもしれない。
御礼を言うのがやっとだった。
なんとかそこからバス停までたどり着いてバスに乗車した。
座席に身体を預けたらまた恐怖心が蘇った。
泣きそうになった。
僕は目が見えないんだ。
見えない状態で歩いているんだ。
恐怖心が現実を直視させた。
事故に遭いたくない。
強く思った。
今度目が見える人とあの場所まで行って練習をしよう。
頑張ればきっとクリアできる。
頑張ればきっとクリアできる。
何度も呪文のように言い聞かせていたらちょっと楽になった。
2018年1月10日)

陽だまり

30歳代で光を失った彼女は50年以上の歳月を見えない世界で過ごしたことになる。
活発で活動的だった彼女にも少しずつ老いが忍び寄ってきた。
体力の衰えは緩やかだけれど記憶はどんどん失われていっているようだ。
特に新しい過去の記憶はなかなかしんどいみたいだ。
予定を勘違いしたり間違ったりが目立つようになってきた。
僕が誰かもわからなくなる日はそんなに遠くはないのかもしれない。
冬の陽だまりの中で彼女はふと背中のぬくもりに気づいたらしい。
お日様の光が背中に当たっていると言いだした。
それから突然やさしい声で思い出を語り始めた。
目を細めるようにして語り始めた。
紙を鉛筆で黒く塗ってそこに虫眼鏡で光を当てた。
光の輪が小さく小さくなるように虫眼鏡を動かした。
光の輪はキラキラと輝いた。
やがて光の輪から煙が立ち上った。
うっすらと白い煙が出て紙に穴が開いた。
それが不思議でとてもうれしかったらしい。
幾度もたくさんのお日様の光を集めたと思い出を結んだ。
70年以上昔の少女の頃の記憶が鮮明に語られた。
新しい記憶から消えていく理由が少し判ったような気がした。
人は一番やさしいものを最後まで抱きしめて生きていくのだろう。
いつかひょっとしたら見えなかった人生さえも彼女の記憶から消えるのかもしれない。
それは頑張って生きてきた彼女へのご褒美なのかもしれない。
冬の陽だまりが静かに彼女を包んだ。
光はそっとやさしく彼女を抱きしめた。
(2018年1月7日)

61歳

61歳になりました。
61年間生きてきました。
たくさんの人に支えられて生きてこられたのだと思います。
こうして今存在しているのはそれぞれの時代に巡り合って絆を結んだ人達のお蔭のよ
うな気がします。
もう会えなくなった人もいます。
生存さえ判らなくなった人もいます。
見えなくなってから出会った人もいます。
去年出会った人もいます。
偶然は必然なんだといつの頃からか感じるようになりました。
すべての人に感謝です。
見えない時間が人生の三分の一を越えました。
見えている頃の話をする時、ちょっと気恥ずかしさを感じるようになってきました。
それだけ遠くのことになってきたのでしょう。
それはまだまだ進行形です。
もし80歳まで生きられたら、
人生の半分が見えない世界で生きたということになります。
不思議な感じです。
61歳になった今思うこと、
やっぱり僕は僕なんだということです。
当たり前のことなんですけれどね。
目をキラキラさせながら過ごした青春時代の僕も、今の僕も変わらない僕です。
そしてまだ気力も体力も現役です。
61歳の時間、しなやかに優雅に生きていきます。
(2018年1月5日)

箱根駅伝

箱根駅伝の応援が年始の恒例となったのはいつからだろう。
2日と3日の午前中はラジオにかじりついている。
見えている頃からスポーツ観戦は好きだったが、
見えなくなって遠ざかってしまったのも幾つかある。
サッカー、バスケット、バレー、卓球などは解説だけではついていけない。
想像して楽しめるかがポイントなのかもしれない。
野球はワンプレーずつ止まって解説が入るので問題はない。
ラグビーは好きだったから昔見た光景が蘇る。
フィギアスケートとかシンクロナイズドスイミングなどはお手上げだ。
ボクシングなどの格闘技も一瞬が見えないとあまり面白くない。
陸上も短距離はどうしようもないがマラソンとか駅伝は楽しめる。
そこにスポーツならではのドラマがあるからかもしれない。
東洋大学は従兄のなおちゃん、中央大学は従弟のひでおちゃん、駒沢大学は親友のよ
しゆき君、国士館大学はまなぶ君・・・。
それぞれの関係者と一緒に自分の青春時代を重ねたりもする。
講演に招かれた帝京大学にも愛着はある。
二日合わせて6時間くらいはあるので想像も回顧もゆっくりとたくさんできてしまう。
そしていつも最後に残るのはすがすがしさだ。
初春によく似合う。
僕が走るなんてそれはあり得ない。
でもいつか白杖で同じコースを歩いてみたいなとか思ってしまう。
こういうのを初夢っていうのかな。
2018年1月4日)

ひとひらの雪

始まりはきっと悲しさだった。
口惜しさだった。
むなしさだった。
つらさだった。
目が見えなくなった僕が見えていた僕と同じ僕であり続けるために
僕は話さなければならなかった。
僕は歩かなければならなかった。
だから少しずつそうした。
努力も継続も苦手な僕が20年もやってこれたのは
僕自身を守るためだったのかもしれない。
いつの間にかそれはやりがいになり生きがいになった。
活動は充実感を伴い出会いが勇気をくれた。
ただ立ち止まって振り返ると厳しい現実が横たわっている。
何も変化は起こっていないのかもしれないと感じてしまう。
無力感に打ちのめされそうになる。
砂漠にジョーロで水を撒いているのだろうか。
僕は無意味に踊るピエロなのだろうか。
答えを欲しがる自分を情けなくも思う。
静かな気持ちで空を眺めた。
友人から聞いた雪の話を思い出した。
雪は地面に降りた瞬間に消えていく。
数えきれない雪が消えていく。
それでも降り続ける。
ただ降り続ける。
そしてある瞬間から消えなくなる。
積もりだす。
一気に真っ白な世界が生まれる。
社会が変わるってそういうことなのだそうだ。
深呼吸をしたら元気が出てきた。
今年も頑張ろう。
頑張ることしか僕にはできない。
正直に話そう。
コツコツと歩こう。
真っ白な世界を夢見ながら消えていくひとひらの雪でありたい。
(2018年1月1日)

煩悩

小学校低学年の頃、高学年はお兄さんに見えた。
高学年になったら中学生がお兄さんに思えた。
中学生になったら高校生が大人に見えた。
そして高校生になった時そうではないことに気づいた。
妄想という言葉を知った。
きっといつもなにがしかの目標もあって向上心もあったのだろう。
大人になってもそれは変わらなかった。
ただ、いつの間にかあきらめる自分を認められるようになった。
反省も上手になった。
作り笑いもできるようになったし謝罪もこなせるようになった、
それでも立ち止まってしまう勇気は持てない。
のろまな足でよたよたしながら歩き続けている。
煩悩に振り回されながら生きている僕がいる。
108の喜び、悲しみ、苦しみ、怒り、そして感謝。
過ぎ去った時間にありがとう。
出会った人にありがとう。
2017年にありがとう。

このブログが今年108個目になると
故郷のガールフレンドから連絡がありました。
狙ったわけでもなくたまたまなのですが不思議です。
そうそう、最近思うようになったことがひとつあります。
歩き続けていれば奇蹟は起こるのかもしれないということです。
根拠があるわけではありません。
でも例えば、ささやかに始まったこのブログ、
一か月に1万人くらいの人がアクセスしてくださっているらしいです。
始めた時には誰も予想しなかった数字です。
その数字、2万になり3万になり、そしていつか・・・。
奇蹟を信じて、奇蹟を愛して、また明日からも歩きます。
歩くために今夜は白杖をしっかりと拭きます。
来年も僕の歩調で僕の歩幅で歩き続けます。
一年間のご愛読、ありがとうございました。
これからも、引き続き読んでいただければうれしいです。
皆様も良いお年を!
(2017年12月31日)

手袋

手袋をしていると白杖で感じる触覚は少し弱くなる。
だから少々の寒さでは手袋はしない。
寒がりだけど我慢する。
例えしても人込みとか慣れない場所でははずす。
それだけ触覚が重要だということだろう。
今朝はあまりの冷たさを感じてバス停まですることにした。
いつもより少しスピードを落として慎重に歩いた。
耳を澄ませて歩いた。
バス停は点字ブロックがあるのでそれが目印だ。
ただ途中の路面も結構デコボコなので判りにくい。
点字ブロックのでこぼこ感と素材のつるつる感、ざらざら感で判断しなければならな
いのだ。
まだかなと思いながら歩いていた。
「ここだよ。」
周囲には誰もいないと思っていたのに突然の声だった。
数歩後ずさりすると確かに点字ブロックがあった。
僕がちゃんと止まれるか見ていてくださったのだろう。
通り過ぎようとしたので声をかけてくださったのだろう。
「ありがとうございます。」
僕は照れ笑いを浮かべながら御礼を伝えた。
「今年ももうあとわずかだね。
お兄ちゃんもよく頑張ったね。」
彼は時々僕を見かけているらしい。
年齢は90歳を超えていて一人暮らしらしかった。
「今年もまだお迎えがこなかったから、もう少しは生きているんだろうね。
お兄ちゃんはまだまだやなぁ。」
彼は独り言のようにつぶやいた。
お兄ちゃんと呼ばれたのが判るような気がした。
そして褒めてもらえたことをなんとなくうれしく思った。
6歳の時、父ちゃんから頭を撫でてもらいながら褒められたことを思い出した。
一瞬、幸せに包まれた。
バスが来た。
おじいさんはまるで父ちゃんが僕にしてくれていたように誘導してくれた。
不思議な感じがしたが違和感はなかった。
いい一年だったのかもしれないと思った。
(2017年12月30日)

みかん

みかん色を思い出しながらみかんの皮をむく。
香りの中でみかん色が鮮やかさを増す。
白い内皮を指先できれいに取り除く。
唇に触れながらみかんを吸い出す。
甘いみかんの汁が口中に広がる。
口の中でみかんの粒粒がまたみかん色を主張する。
ふとみかんを届けてくれた故郷の友人に思いを寄せる。
「とっても甘いから送るね。」
突然の電話だった。
人生の初冬を過ごしている僕達だからこそ、
そんなお洒落な理由でプレゼントを送れるし受け取れるのだろう。
素敵だと思う。
コタツに足を突っ込んで冬を楽しむ。
まだまだ人生も楽しまなくちゃ。
きっと少し黄色くなっているであろう指先をそっと見つめる。
「ありがとう」
独り言のようにつぶやいた言葉を自分の耳で聞いて笑顔がこぼれる。
(2017年12月28日)

クリスマス

「今夜はイブイブだよ。」
小学校5年生の少女と一緒にコンサートホールに出かけた。
大学の吹奏楽の定期演奏会だった。
目が見える頃も幾度もコンサートに出かけたが、
見えなくなってからの方がなんとなくしっかりと楽しんでいるような感じがする。
目の関係ではなくて年齢のせいかもしれないとも思う。
耳で聴いているのではなくて身体全体で聴いているのだ。
それぞれの楽器の音色、振動で震える空気、ホール全体が僕を包み込む。
心がゆっくりと微笑み出す。
自然とリラックスしていくのが自覚できる。
アンコールの拍手の中、学生達は赤い帽子をかぶったらしい。
クリスマスメドレーを聴き名ながら僕にもサンタが来てくれたような気になった。
ちょっと幸せなクリスマスになった。
(2017年12月24日)

けちん坊

バス停で彼は待っていてくれた。
久しぶりの再会だった。
再会を喜ぼうとする僕を静止して彼はすぐに手引きで歩き出した。
狭い歩道で他の通行人の妨げになったらしい。
彼はいつも通りに見えない僕の安全を優先させていた。
それから広い道に出てすぐに教えてくれた。
「とってもきれいな青空ですよ。」
僕達は師走の微風に吹かれながらゆっくりと歩いた。
それから近くのレストランに入った。
とりとめもない話をしながらお互いの近況を確認した。
僕は目が見える人と時間がある時にはできるだけ歩こうと思っている。
健康のためだ。
彼に買い物の手伝いと地下鉄で一駅の歩行をお願いした。
彼は引き受けてくれた。
レストランを出て歩きながら彼はまたつぶやいた。
「とってもきれいな青空です。雲一つありません。」
僕は空を眺めながら歩いた。
一歩一歩足を前に出しながらのんびりと歩いた。
歩いていることを幸せだと思ってしまった。
地下鉄で移動して買い物をすませそれからまた歩いた。
途中コーヒー豆を焙煎する香りに誘われてカフェに入った。
コーヒーを飲みながらふと気づいた。
専門学校で彼と出会ってもう10年になる。
僕は彼の顔を見たことがないのになんとなく思い出している。
不思議な感じがした。
カフェを出てバス停に向かいながら彼はまた言った。
「本当にきれいな青空です。見ないで歩いている人はもったいないですね。」
急ぎ足で行き交う人達に向けられた感想だった。
その言葉が空の美しさを証明しているようだった。
バス停に着いてしばらくしてバスが来た。
僕は彼に御礼を伝えてバスに乗車した。
もうすっかり慣れている彼は僕の背中越しに声で空いてる席に誘導してくれた。
椅子に座ってから僕は手でバイバイをした。
笑顔の彼の顔を見ながらバイバイをした。
バスが動き出して僕はポケットラジオのイヤホンを耳にさした。
音楽を聴きながらふと窓越しの空を眺めた。
今日4回目の雲一つない真っ青な空があった。
しばらく眺めていた。
けちん坊の僕はもったいないことをしなくて良かったと思った。
そしてまた彼と歩きたいと思った。
(2017年12月20日)