白杖での単独歩行には最悪の条件だった。
土砂降りで強風も吹いていた。
会議を欠席しようかと邪念が脳裏を横切ったがやっぱりそれはできなかった。
他のメンバーが忙しい僕のスケジュールに合わせて決めてくれた日程だった。
仕方ないからタクシーをと思って何度も電話したがそれもつながらなかった。
いつものようにバスと電車を利用して出かけることにした。
傘をさしたらやっぱり微妙にバランスは崩れた。
強風がその傘で遊ぼうと駆け回った。
僕は必死で傘を支えながら白杖を左右に動かした。
雨の音で他の音がさえぎられて不安もどんどん膨らんだ。
バス停に着いた時はびしょ濡れになっていた。
近づいてきたバスのエンジン音が何故か懐かしく感じた。
やっとバスに乗り込んで吊革を探して手を空中に挙げた。
その僕の手を誰かの無言の手がそっとつかんだ。
そして空いてる席に誘導した。
僕はイスに深く腰掛けた。
濡れた身体がほっこりと伸びをした。
やがてバスは終点の駅に着いた。
外は相変わらずの土砂降りだった。
見えない僕にはバスを降りながら傘をさすなんてできない。
とりあえず降りて他人の邪魔にならない場所まで移動して傘をさすつもりだった。
その間濡れるのは覚悟していた。
バスを降りた瞬間から誰かの無言の傘が僕の頭上にあった。
気のせいかなと思いながら動いたら一緒に傘も動いてきた。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は御礼を言いながら自分の傘をさした。
「ひどい雨だね。」
彼はただそれだけを言い残して雨の中に消えていった。
無言の手が彼の手だったのかは判らない。
でもそれはどうでもいいことだった。
雨の日も捨てたもんじゃないってうれしくなった。
(2018年3月6日)
雨の日
ウグイス
ホーホケキョどころではない。
まだケキョケキョさえも話せない。
でも一生懸命話している。
早朝のまだまだ冷たい空気の中で話している。
頑張って話している。
山の麓からはどれくらいの距離があるのだろう。
大声で返事をしても僕の声は届かないだろう。
そんな向こう側の声が聞こえてくるということは、
小さな身体全体を使って話してくれているということだろう。
選ばれたエリートのような話を拒否するわけではない。
僕の単純な好みなのかもしれない。
上手ではなくても精一杯話をしている姿の方が好きだ。
きっと伝えたいことがあるのだろう。
「頑張れよ。僕も頑張る。」
届かない小さな声でつぶやいた。
(2018年3月5日)
山椒味のおかき
おかきや柿の種には目がない。
と書いて気づいた。
「目がない」って面白い表現だ。
見えない僕が使うと変な感じがするかな。
とにかくおかきや柿の種が大好きだということだ。
おかきはしょうゆ味で硬めで海苔巻きや山椒風味がいい。
柿の種にも好みのメーカーがある。
メタボを気にしながらついつい食べてしまう。
何十年も飽きないのだから好物ということなのだろう。
昨日届いたプレゼントが僕の好きなメーカーの山椒味のおかきだった。
慌てん坊の彼女は差出人を書くのを忘れたらしい。
でもすぐに彼女からだと判った。
「なるみやの さんしょーあじの おかき」と点字で書いてくれてあった。
僕の好きなメーカーの好物のおかきだった。
誕生日でも何かの記念日でもないのにプレゼントしてくれた。
きっとおかきを見つけて僕を思い出してくれたのだろう。
僕にプレゼントするためにおかきを探したのではないということも判っている。
見えなくなって間もなく知り合ったのだからもう20年近いお付き合いになる。
程よい距離感なのだろう。
こういう感じもいいな。
なんて思いながらおかきをパリパリポリポリ。
メタボが進んだら彼女に文句でも言うことにしよう。
(2018年3月1日)
足湯
京福電鉄嵐山線を京都の人達は嵐電(らんでん)と呼んで親しんでいる。
1両とか2両の路面電車だがのんびりが似合っていて僕も年に数回乗車する。
その嵐電嵐山駅のホームに足湯がある。
タオル付きで利用料200円、その値段で幸せになれるからうれしい。
毎年のように利用している。
20人も入れば満員になるくらいの小さな場所に老若男女が並ぶ。
国際的な観光地だから外国人の方が多いかもしれない。
見えない僕もサポーターと一緒に並んで足湯につかる。
最初はぬるめに感じるくらいだが時間とともに身体全体がポカポカしてくる。
思いついたように風が通り過ぎていく。
植え込みの竹林の笹が微かに歌う。
やがて記憶の走馬灯が動き始める。
40年くらい前、レンタサイクルで幾度か嵯峨野巡りをした。
寺社仏閣、野辺の道、様々な風景が記憶にある。
季節を伴った写真が心のアルバムにある。
若さはしなやかで傷つきやすかった。
そのくせ乱暴だった。
大切な人を悲しませた。
それさえももう思い出になってしまった。
後悔も懺悔も役に立たないことを知るのに時間はかかり過ぎた。
それを知ることが生きるということだったのかもしれない。
残りの人生を少しでも豊かにおくりたい。
自分に正直に生きていきたい。
赤くなった足を拭きながら自然とそう思った。
(2018年2月25日)
返事
まだ17時前だった。
急いでいるつもりでもなかった。
考え事をしていたわけでもなかったと思う。
それでもきっと何かが微妙に違っていたのだろう。
バスを降りて駅へ向かう僕の身体は歩道の左側の電柱にぶつかった。
身体が左を向いていたか白杖が右に寄り過ぎていたかのどちらかだ。
驚いたけど痛くはなかった。
久しぶりにぶつかったなと思いながら次の一歩を踏み出した。
バターン。
今度は派手な音がした。
白杖が停めてあった自転車に触れてしまったらしい。
僕は白杖を地面に置いて自転車を起こそうとした。
走り寄ってくる足音が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
彼女は心配そうに僕に尋ねた。
それからまた別の男性が近寄ってきた。
「自転車は僕が直します。」
彼は手際よく自転車を起こしてくださった。
最初の女性は白杖を拾ってグリップを僕の右手に握らせてくださった。
そしてその僕の右手をしばらく包むように握ってくださった。
きっと言葉を探しておられたのだろう。
少しの時間が流れた。
「気をつけて行ってらっしゃい。」
思いもかけぬ言葉が彼女の口から発せられた。
夕暮れ時には不似合の言葉だった。
でも勿論僕はちゃんと返事をした。
「ありがとうございます。行ってきます。」
(2018年2月23日)
内気な人
バスを降りて点字ブロック沿いに歩き始めた。
頭の中に地図がある場所は一応なんとかなる。
でもあくまでも一応だ。
ついこの前はこの場所で迷子になった。
バスを降りていつもと同じ方角に歩き始めた筈だった。
それなのにいつもと同じくらい歩いても最初の目印の分岐の丸い形状の点字ブロック
が現れなかった。
僕は不安になって立ち止まった。
頭の中にはハテナマークがいくつも並んだ。
しばらく他のいろいろな音などを聞いてやっと判った。
バスが停車した場所はいつもと違っていたのだ。
道が混んでいたのか迷惑駐車などで停車位置が変更になたのかは判らない。
とにかく僕のスタートした地点は頭の中の地図とは違っていたのだ。
起点が違うのだから迷って当たり前だ。
迷ったせいで予定の電車には乗り遅れた。
前回の苦い思い出があったので今回はいつも以上に慎重に歩き始めた。
「お手伝いしましょうか?」
ささやかな声がした。
ちょっと不安そうな声だった。
僕は喜んで改札までのサポートをお願いした。
「たまにしか使わない駅なので時々迷子になったりするんです。助かります。」
僕は笑いながら感謝を伝えた。
少し道を歩きエスカレーターに乗った。
「見える人にはちょっとの距離でしょうが本当に助かるんですよ。」
僕は前回を思い出しながら再度彼女に感謝を伝えた。
「そう言ってもらえるとうれしいです。」
彼女はやっぱりささやかな声だった。
内気な性格の人なのだろう。
でもそのささやかな声は確かに微笑んでいた。
(2018年2月21日)
悲しみ
講座の振り返りの時間に彼女は語った。
言葉の数は少なかった。
難病だった娘さんとの思い出の一場面だった。
10歳まで生きられなかった娘さんが彼女の心の中にいた。
天国の娘さんが彼女を見つめていた。
悲しみは少ない方がいい。
例えあっても小さい方がいい。
忘れられるものならきっとそうしたい。
時々悲し過ぎる経験をした人達と出会う。
僕には想像さえできないような悲しみだ。
胸が締め付けられるような思いになる。
ただその後ふと気づく。
悲しみはその人の心の中で変化している。
時間をかけて熟成していくのかもしれない。
悲しみを思い出す瞬間、その人は無意識にとてもやさしい人になっている。
あたたかな人になっている。
講座が終了して僕は彼女と握手をした。
僕達はともだちになった。
(2018年2月16日)
レモン
小雪のちらつく夜だった。
僕達は初対面だった。
彼女はテレビのドキュメンタリー番組で僕のことを知ってくださったらしい。
ただそれだけなのにわざわざ会いに来てくださった。
僕が尾道市に宿泊していることを知って来てくださったのだ。
瀬戸内海に浮かぶ小島から仕事を終えて来られたので21時を過ぎていた。
玄関先で立ったまま挨拶をして握手をしてわずか数分の出会いだった。
名前もおっしゃらなかった。
彼女はレモンを僕に渡すとすぐに帰っていかれた。
島でできたレモンだった。
京都に帰り着いてからレモンの輪切りを口に入れた。
レモンが口中に広がった。
幸せが口中に広がった。
これからレモンに出会う度に行ったことのない瀬戸内海の小島を思い出すのだろう。
やさしい光を思い出すのだろう。
彼女は見えなくなった僕に光を届けてくださったのだ。
届ける思いは時間も距離も越えてしまうのを知った。
(2018年2月14日)
スケジュール
職業はと問われて戸惑うことがある。
専門学校や大学の非常勤講師をしているがそれだけでは経済的な自立には繋がらない。
著書もあるが作家ではない。
お招きいただいて講演をすることも多くなったがそれも職業ではない。
何かを求めて活動してきた結果が現状ということだろう。
決して夢見たものでもないし満足もしていない。
目が見えなくなってしまって仕方ないから白杖を持って歩き始めた。
どっちに行ったらいいのかも判らずに右往左往した。
止まってしまうのは怖かったし悔しかった。
だから歩いてきた。
そしてこれからどこへ向かうかも実は不安だ。
でもやっぱり歩く。
それはきっとまだまだ自分の人生に納得がいかないということなのだろう。
僕には大きなことはできない。
ささやかなことでいいから自分自身が笑顔になれる生き方をしたい。
スケジュールの整理をしていて気づいた。
まだ2月なのに来年度の予定が半分近く埋まっている。
参加できる社会が存在することに心から感謝したい。
まだまだ歩かなければいけないということだろう。
白杖をしっかりと握って前を向いて歩いていこう。
僕にもできることがきっとある。
きっとある。
(2018年2月10日)
立春
いつものように白杖を左右に振りながら歩いていた。
もうすぐバス停というところで挨拶の声が聞こえた。
「おはよう。」
「おはようさん。寒いね。」
しかも二人の女性がほとんど同時だった。
僕は白杖で点字ブロックを確認しながら御礼を言った。
「おはようございます。ありがとうございます。」
彼女達の挨拶には僕にバス停を教えようという気持ちが含まれていた。
それはタイミングや声の調子で伝わってきた。
バス停を通り過ぎてしまう僕を見た経験を持っておられるのかもしれない。
僕はお二人が誰なのか判っていない。
きっと近所の人達だろう。
引っ越してきてからの3年という時間は僕を少し街の風景に溶かしてくれたのかもし
れない。
「寒いけどお日さんはだいぶあったかくなったね。」
「立春を過ぎたからね。」
お二人はそれぞれに僕に語りかけてくださった。
しばらくして別の足音がバス停に近づいてきた。
足音は僕の横で止まった。
「おはよう。立春が過ぎたせいか少し春が近づいてきたね。
お日さんがまぶしい。」
彼は笑いながら話してくださった。
彼が誰なのかはやっぱり僕は判ってはいなかった。
女性達と男性は見識はなさそうだった。
点字ブロックに立つ僕の左側には先程の二人の女性、右側には男性、
きっと皆人生の先輩達だろう。
僕達はバスがくるまでのほんのわずかな時間、やさしい光に包まれた。
それは寒さの中のぬくもりだった。
人間の社会の豊かさをしみじみと感じた。
光を浴びながら立春が過ぎたのを実感した。
(2018年2月7日)