朝のバス停で

体力作りのためにバス停2つ分を歩くのが最近の僕の朝のスタートとなっている。
時間にすれば20分、2千歩程度のささやかな距離だ。
60歳代は頑張ろうと決心してから始めた。
健康と体力が大事と思ったからだ。
冬の終わりの頃に始めたのだからもう数か月になる。
僕にしてはよく続いている。
サングラスをかけてリュックサックを背負って、
白杖を左右に振りながら前方の安全を確認しながら歩くのだ。
スピードは一般の人と変わらない。
20年の間に培った技術だろう。
頭の中の地図に従って、バス停の点字ブロックをキャッチするまで歩くのだ。
爽やかな気持ちで今朝も歩いた。
バス停に着いたら三名のおばあちゃんがいすに座っておられた。
つくつくぼうしに負けない感じで話しておられた。
しばらくしてバスが到着した。
ところがドアが開いても行先の案内放送が聞こえない。
僕は慌てておばあちゃん達に声を出した。
「何番のバスですか?」
「あ、あ、あ・・・。」
その間にバスはドアが閉まって発車してしまった。
その後でやっと一人のおばあちゃんが教えてくださった。
「ヤサカの桂川行のバスだったよ。」
幸い僕の乗りたいバスではなかったのでほっとした。
僕は大きな声で「ありがとうございます。」と言った。
「急やったから判っていたけど言葉が出なかったんや。」
さっきのおばあちゃんが笑った。
「私もあとしか言えんかった。プール行ってるのになぁ。」
別のおばあちゃんがつぶやいた。
そこからプールが認知症に効果があるかという話題に発展していった。
僕は吹き出しそうになるのをこらえて聞いていた。
やがてまたバスのエンジン音がした。
「ほら、黄色じゃなくて緑のバスに乗りなさいよ。」
「そうそう緑やで。」
おばあちゃん達は僕に教えようとはしていた。
ただ白杖の僕を理解はできていないようだった。
僕はあっけにとられたが、
幸いバスの行先案内の放送は聞こえたので対応はできた。
バスに乗車してからなんとなくおばあちゃん達が愛おしくなった。
元気でいることがとても素敵なことなのだと思えた。
(2018年8月20日)

あら煮定食

「おいしそうに召し上がりますね。」
黙々と食べる僕を見てガイドさんはうれしそうに笑った。
和食屋さんで僕が頼んだのはあら煮定食だった。
見えないと魚の骨が危ないのではないかと尋ねる人がいるが僕は大丈夫だ。
海の近くで生まれた僕は子供の頃から魚を食べて育った。
お刺身も煮物もフライも食べていた。
お味噌汁のだしはイリコだったし具は浜でとれたワカメだったりした。
父ちゃんが釣ってきた魚も当たり前のように食卓に並んだ。
唇の感覚で骨を選別することをいつの間にか覚えていったのだろう。
だから見えなくても何の問題もない。
骨についている身までしゃぶる感じで食べてしまうから、
見える人よりもきれいに食べると言われることも多い。
きっと魚好きなのだろう。
祖父ちゃんはその最後の骨に熱いお茶をかけておいしそうに飲んでいたと聞いたが、
僕はまだそこまではやらない。
もうちょっと年をとったら挑戦しようかとは思っている。
あら煮を綺麗に骨だけ残してそれに熱いお茶をかけておいしそうに飲む全盲の老人。
ちょっとかっこいいと憧れている。
まだもうちょっと修行してからだな。
そんなことを考えていたら彼女に指摘された。
「考え事しながら食べておられますね。」
美味しいものは時間まで美味しくしてしまうから不思議だ。
食いしん坊ってことかな。
(2018年8月16日)

鹿児島県警察学校

「敬礼!」
クラス委員の号令で警察学校での講演は始まった。
独特の緊張した空気が流れていた。
僕はいつものように話し始めた。
いろいろな会場で講演をしていろいろな立場の人達に話を聞いてもらう。
小学生からシニアまでまさに老若男女、
聞いてくださる数も10人くらいの小規模から1,000人を超える時までいろいろだ。
基本的に話の内容は変わらない。
人数によってホワイトボードやマイクを使用するかなどが変わるくらいだ。
僕の目の前はグレー一色状態で画像はないのだから、
聞いてくださる人達の顔も姿も見えない。
いつも前を向いて思いを込めて話をするだけということになる。
ただこの前を向くということも難しい。
何かの拍子に僕自身の身体の向きが変わってしまうのだ。
ホワイトボードまで動いて元の場所に帰るのもそう簡単なことではない。
演台やマイクを触ることで方向を確認している。
見えない人間だから少々違う方向を観ていても愛嬌かなとも思ったりもしている。
大切なことはたった一度のチャンスにどれだけ伝えられるかということだ。
つい必死になっている僕がいる。
「困っている白杖の人に制服姿の警察官が声をかけてサポートしてくださる。
その光景を通学途中の子供が見ている。」
僕は希望を語って講演を終えた。
学生達の大きな拍手が共有した時間の豊かさを教えてくれていた。
挨拶をすませて校長室を出たら女子学生が待っていてくれた。
講演中にサポートのデモンストレーションを手伝ってくれた学生だった。
僕はしっかりと握手をした。
「素敵な警察官になってくださいね。」
彼女は僕の目を見つめてしっかりと返事をしてくれた。
鬼瓦のような顔の校長先生が横で微笑んでいた。
現場で長年仕事をしてきた先輩の笑顔だった。
こうやってバトンが引き継がれて未来に向かっていくのだろう。
お招きくださったことに深く感謝しながら空港へ向かった。
(2018年8月12日)

風景

鹿児島県阿久根市生まれの僕が初めて京都に行ったのは17歳の時、
鹿児島本線を走る夜行列車を利用してだった。
夕方阿久根を出発した列車は12時間以上かけて京都へ着いた。
大学生の頃の京都から阿久根への帰省は山陽新幹線を利用していた。
博多で鹿児島本線の特急列車に乗り換えて阿久根に向かった。
8時間くらいかかっていたような気がする。
それが今、新大阪と鹿児島中央の新幹線の所要時間は約4時間、
時代が変わってしまったという感じだ。
九州新幹線は早く走行するために鹿児島本線とはまったく違う場所を走っている。
直線的なルート設定のためにトンネルも多いらしい。
ただ全盲の僕には邪魔する映像はない。
新幹線が熊本を過ぎてしばらくすると僕はワクワクしてくる。
顔を右に向けて窓の方を見つめる。
九州新幹線を予約する時には進行方向右側の窓側の席を頼むことにしているのだが、
その理由はこの瞬間のためだ。
阿久根に近づく頃に見ていた風景が見事に蘇る。
海が少しずつ見え隠れしてから一気に広がっていく。
島々も白い波も小船も絵の中にある。
夕暮れ時には車窓がオレンジ色に染まる。
故郷がおかえりとささやいてくれる。
幸福感が僕を包む。
もう見ることはない。
淋しくないとは言わない。
見たいという思いを消し去ることもできない。
20年という時間は強がりもおとなしくさせてしまった。
でも幸福感は事実だ。
しみじみと事実だ。
そんな風景が記憶に残っていることがうれしいのだろう。
愛しているものを人は抱きしめて生きていくということなのかもしれない。
きっとまた次回も僕は右側の席を予約するのだろう。
(2018年8月9日)

一期一会

京都駅から乗車したバスはほぼ満員だった。
ボランティアさんは最後尾に空席を見つけて僕を案内してくれた。
そして僕を座らせるとそのままバックして降りていった。
わずかの時間の的確な対応だった。
座るとすぐに隣のご婦人が声をかけてくださった。
一部始終を見ておられたのだろう。
僕がまったく見えていないことを理解してくださったのだろう。
僕の手を取って前にあった手すりを触らせてくださった。
その何気ない所作が自然で美しく感じた。
僕は感謝を伝えながら京都在住の方か尋ねた。
箱根から茶道の研修に来ておられるとのことだった。
一泊二日で座禅もするとおっしゃった。
後期高齢者だとおっしゃっていたが、
言葉にも距離感にもそして所作にも品位があった。
外は記録的な暑さだったのだが、
僕達の空気は凛としていた。
四条大宮までのわずか20分程度の人生の交差、
豊かな気持ちになっていた。
こういうのを一期一会というのだろう。
見えない人生、見える人達よりもそのチャンスは多いのかもしれない。
(2018年8月7日)

花火大会

花火大会に出かける人達で電車は満員だった。
浴衣姿のカップル、笑い転げる子供、うちわで涼をとるおばあちゃん。
それぞれの夏が微笑んでいた。
少年時代の故郷の花火大会を思い出した。
父ちゃんに手を引かれて波止場まで見にいった。
母ちゃんは妹を抱っこしていた。
持参した茣蓙に座って夜空を眺めた。
海を渡る潮風が気持ちよかった。
当時の田舎の花火は打ち上げる数も規模も現代よりはとても貧弱だった。
もう終わったのかとざわめくタイミングで次が打ちあがるという感じだった。
それでも花火の美しさは脳裏に焼き付いた。
いつか花火が見れなくなるかもしれないということを、
あの時は誰も予想できなかった。
僕自身もできなかった。
それなのにそれを知っていたかのように記憶は鮮やかだ。
花火を見上げる四つの笑顔がやさしく輪になっている。
夜空には大輪の花火が開いている。
花火の音を聞きに出かけたくなった。
(2018年8月5日)

スマートフォン

最近の僕の首にはソニーのブルートゥースイヤホンがぶらさがっている。
右と左はコードでつながっていて、その中央をクリップで上着の首に止めている。
落っことさないための工夫だ。
バスに乗車して座れた時などはこれを耳に入れて音楽を聴くのだ。
スマートフォンを利用して聴いている。
スマートフォンとブルートゥースイヤホンはコードレスでつながっているのでとても
使いやすい。
スマートフォンには視覚障害者用のアクセシビリティが標準装備されている。
文字を音声にしてくれる。
画面が見えなくても一部の機能が使えるようになっているのだ。
時代の流れなのだろう。
ユーチューブで音楽を聴いたりラジオを聞いたりしている。
視覚障害者用のアプリもいろいろあって、
ちょっとした書類などは写真を撮影してスマートフォンの音声で読ませたりもしてい
る。
有難いことだと思う。
ただ電話は今までのガラケーだし、メールも従来のパソコンを使っている。
自分に合ったものだけを使うという感じだ。
今朝も荒井由実の飛行機雲を聴きながら仕事に出かけた。
音もとてもいいし臨場感も最高だ。
若い頃、ウォークマンでカセットテープの音楽を聴いていた。
それとほとんど同じ感じだ。
あの頃を再び手に入れたような気になっている。
車内放送も聞こえなければいけないし他のお客様の迷惑にもなりたくないので、
ボリュームは小さめにしてある。
画像的にはちょっと変なおじさんになっているのかもしれないが、
そこは全盲の特権で確認はできない。
見えないことをいいことに気にしないことにしてしまっている。
年輪を重ねてきた結果だろう。
勿論、バスを降りて歩き始める時にはちゃんとスイッチをオフにしています。
さすがに見えない聞こえないで歩くのは無茶ですからね。
(2018年8月1日)

雑踏の中で

いつものように点字ブロックに従って進んだ。
改札口で白杖が前の人に後ろからぶつかった。
「すみません。」
僕はすぐに謝った。
前の人は無言だった。
ゆっくりと歩いているしちょっと触れたくらいだから痛くはないと思う。
でもぶつかったのは僕なのだからいつも謝るようにしている。
一歩後ずさりして少し時間を置いてからまた進んだ。
またぶつかった。
僕はまた謝った。
やっぱり無言だった。
外国人なのかもしれないと思った。
三度目も同じだった。
「改札を通りたいのですが。」
僕はお願いした。
やっぱり無言だった。
僕に気づいてくれた駅員さんが通路を確保してくださった。
僕は改札を通り抜けて歩き始めた。
それから駅員さんは僕がぶつかった人に話しかけていた。
「どうしました?」
「地下鉄に乗り換えて京都駅へ行きたいのですが、この改札口でいいですか?」
声の主は利発そうな少女だった。
はっきりとしっかりと質問していた。
外国人でもなかったし聞こえない人でもなかった。
知らない人とは関わらないようにと教えられているのだろうか?
それとも白い杖を持ったサングラスのおじさんが怖かったのだろうか?
僕は何か不思議な気持ちになった。
少し寂しかった。
点字ブロックを確かめながら地下鉄の改札口に進んだ。
「松永さん!」
人込みの中で誰かが僕を呼んだ。
僕は立ち止った。
「今日はどこまでですか?」
僕はオープンキャンパスに向かう学校の名前を告げた。
「相変わらずお休みなしなのですね。未来のために頑張ってください。」
彼女はそれだけ言って立ち去った。
誰だったかも判らなかった。
「未来のために」というフレーズが僕の心の中でこだました。
白杖を握り直して背筋を伸ばして僕はまた歩き始めた。
(2018年7月29日)

歌の力

学校は夏休みでひと段落したはずなのだが、
仕事に追われている感じがある。
締め切りのある執筆の仕事も抱えているからだろう。
少しでもやらなければと時間を見つけてさわさわの二階の和室にこもった。
段取りはいいのだが元来のなまけものだからなかなか仕事はすすまない。
ふと階下から歌声が聞こえてきた。
BBの歌声だ。
BBは40歳代の男性、さわさわのスタッフの一人だ。
何故BBなのかは定かではないが皆がそう呼んでいる。
歌っていたのは長渕剛のマイセルフという歌だった。
堂々とそして一生懸命歌っているのが伝わってきた。
歌声がさわさわを包んだ。
僕の心もとてもうれしくなった。
立ちすくんで聞いてしまった。
聞き終わって、仕事頑張らなくちゃと思った。
うれしくなった。
(2018年7月25日)

見えない僕と聞こえない人と

京都市盲ろう者向け通訳・介助員養成講座が開催された。
僕は視覚障害を伝える講師ということで参加した。
視覚、聴覚、両方に障害がある人はとても少ない。
そのサポートなので受講生も少ない。
どちらの障害も正しく学び障害特性も理解しなければならないから大変だ。
受講生の半分は聴覚障害の人だった。
僕の話を手話通訳の方が通訳するという形で実施された。
僕は理解がスムーズになるようにポイントは板書した。
視覚障害とはどういう状態なのか、
どうしてなるのか、
何に困るのか、
現状を分析しながら説明した。
「人間は生きているから病気をしたりケガをしたりする。
その結果障害者になることがある。
誰もなりたくないのになってしまうことがある。
だからこそ、誰がなっても参加できる社会を構築することが人間の英知だと思う」
僕はいつものように当たり前のことを説明した。
そして、最後に、人間の生きる力の素晴らしさも付け加えた。
講座が終了して会場を出る時に、数人の聴覚障害の方と握手した。
聞こえない人に僕はありがとうございましたと声を出した。
その瞬間、僕の手は強く握られた。
そして見えないはずの僕に笑顔が見えた。
見えないよりも見えた方がいい。
聞こえないよりも聞こえた方がいい。
でもね。
見えなくても見えるものもあるんです。
聞こえなくても話せることもあるんです。
そして豊かな気持ちにもなれるんです。
(2018年7月23日)