たまには風邪気味の日もあるし体調の悪い日もある。
そんな時の外出は大変だ。
いつもより慎重に移動しタクシーの利用も増える。
ボランティアさん達に頼ることも増える。
それでも仕事を休むことはほとんどないので頑丈なのだろう。
日程変更ができないとか代打も無理という種類の仕事が多いのも理由かもしれない。
ここ数日はお腹の調子が悪かった。
お医者さんに通院して下剤と整腸剤を頂いた。
下剤はどのタイミングで服用するかを迷った。
単独での移動中に、あるいは講演中に催したら大変なことになる。
トイレを見つけるのも駆け込むのもできない。
かと言って紙パンツはまだ早いという自負心もある。
紙パンツを使っても、その処理をいつどこでするのかさえも大変な気がする。
結局ひやひやしながらの数日だった。
まだ完全復調ではないけれどなんとか落ち着いてきた。
健康で仕事ができるって本当に幸せなことだ。
体調が悪くなって実感となる。
目が見えるって素晴らしい。
見えなくなって実感となる。
同じだな。
今生きていることが幸せなことなのだ。
(2018年11月29日)
体調
晩秋の風景
「薄雲がかかった夕日は優しいオレンジ色に辺りを染めています。
川面はキラキラ輝き、歩道脇のイチョウは黄金色に輝いています。」
彼女のメールは1枚の写真のようだった。
僕は見たことのない晩秋の風景を想像した。
僕の頭の中でイチョウの葉が舞い始めた。
オレンジ色に輝く光の中をイチョウの葉がゆっくりと舞った。
雪のように静かに舞った。
現実にはあり得ない風景だった。
そしてイチョウの向こう側で彼女が笑った。
見たことのない彼女の笑顔がキラキラしていた。
彼女が一番届けたかったのは秋を感じた喜びだったのだろう。
僕は空を見上げて深呼吸した。
そして笑顔になった。
(2018年11月25日)
車椅子のおばあちゃん
憶えたい駅からのルートをガイドさんと一緒に歩いたのは数日前だった。
ポイントをチェックしながら二度も歩いた。
駅の構造や道の方向などを頭の中の地図に書き込んでいった。
一応の自信も生まれた。
ところが、今日単独で歩いてみたら失敗してしまった。
難関の歩道の移動は見事にクリアしたのに、
駅の多目的トイレの場所が分からなくなってウロウロしてしまったのだ。
見えないとはそういうことだ。
気づいた通行人の男性が駅員さんに場所を確認してくださった。
改札口を入ったところにあるとのことだった。
冷静に考えれば当たり前のことなのだが、
バスを降りて階段を上ったところと勘違いしてしまっていた。
実際には電車を降りて階段を上ったところだったのだ。
通行人の方、駅員さんのサポートで無事トイレにたどり着いた。
使用中だと駅員さんが教えてくださった。
お礼を伝えて一人で待つことにした。
「さっき入らはったばかりだから、時間がかかるかもしれないよ。
私も待っているけど、先に入っていいからね。」
突然左側の低い位置から声がした。
車椅子の高齢の女性だった。
僕がモジモジしているのが伝わってしまったのだろう。
「大丈夫ですよ。」
僕はやせ我慢で返事をしたが、彼女はもう決めたようだった。
「お互い様だからね。中で困ったらボタンを押しなさいね。」
まるで我が子に話すようにおっしゃった。
僕はかあちゃんに言われているような気になってとてもうれしくなった。
先にトイレを使用させてもらってからお礼を伝えた。
それから階段を下りてホームに向かった。
「ホームも気をつけるんだよ。」
背中からまた彼女の声がした。
僕は一瞬立ち止って後ろを振り返った。
「ありがとうございました。そちらも気をつけてくださいね。」
今朝自宅を出てからバス、阪急電車、バスと乗り継いでライトハウスに向かった。
お昼過ぎに会議を終えて近くの食堂で好物のポンカラ定食を頂いた。
「先生、カキフライも始まったよ。」
僕を知っている食堂のおかみさんが小声でささやいてくれたけど
初志貫徹でポンカラにした。
鶏のから揚げをポン酢で食べるというものだ。
慣れたおかみさんは店内の誘導から食事の説明まで見事にやってくださる。
胃袋も心も満足して店を出た。
それからバスで駅に向かい地下鉄に乗り換えた。
一瞬ホームで方向を見失ったが通行人が助けてくださった。
新しく憶えた駅からバスで大学まで行って講義を済ませた。
帰りはまた同じルートでいつもの四条駅で阪急電車に乗り換えた。
秋の京都の中心駅は人でごった返していた。
点字ブロック沿いに歩く僕をまた通行人の方が改札口までサポートしてくださった。
地元の桂駅に着いた。
コンコースを歩いて歩道橋に向かった。
また別の方が声をかけてバス停まで連れて行ってくださった。
今日一日で利用したバス7回、乗車した電車4回、我ながら凄い移動だ。
目が見えれば、誰とも話さずスマホでも見ながらできることなのかもしれない。
でも、見えない僕にはそれはできない。
今日手伝ってくださった通行人など5名くらいかな。
食堂のおかみさんとも駅員さんとも会話をした。
そして車椅子の素敵なおばあちゃんにも会えた。
これって、どう考えても幸せですよね。
勿論、目は見えた方がいいに決まっているんですけどね。
これから、あのおばあちゃんにまた会えたらいいなって思いながら、
あの駅を利用することになります。
教えてくれたガイドさん、サポートしてくださった皆さん、駅員さん、おかみさん、
そして車椅子の素敵なおばあちゃん、
ありがとうございました。
(2018年11月24日)
未来は日本語で
京都駅八条口の新幹線中央口が待ち合わせ場所だった。
桂から阪急に乗り、四条で地下鉄に乗り換えて京都駅に向かった。
京都駅ではホームを北から南へ移動した。
この駅はホーム柵があるから安心だ。
ただ人は多いからゆっくりと歩かなければいけない。
キャスター付きの大きなバッグを押しながら歩いている人も多い。
旅行客は突然方向転換をしたりするからそれにも気を配らなければいけない。
外国人の中には白杖や点字ブロックの意味を知らない人もいる。
自国でまだそういう文化がないということだ。
そしてスマートフォンを見ながら歩いている人もいる。
前方をあまり見ないで歩いているのだからやっかいだ。
便利な道具を否定はしないがマナーも欲しい。
慎重に歩いて、改札を出て階段を上った。
在来線の改札口の改札機の音が右から聞こえてきた。
僕の頭の中の地図と合致している。
それからまた歩いてコーヒーの香りもしてきた。
確か近くにスターバックスがあったんだったかな。
新幹線東改札口を過ぎてしばらく歩いたところで白杖が点字ブロックを見失った。
あまりの人の多さでルートから外れてしまったのだ。
再度点字ブロックを探そうとしたが見つからなかった。
たくさんの人が歩いているから白杖をあまり大きく動かせない。
振り幅を小さくして見つけようと試みたが見つからない。
その瞬間だった。
誰かがそっと僕の白杖の下の部分を持って斜め右50センチくらい前に動かした。
そこには点字ブロックがあった。
「This way please!」
外国の女性だった。
英語能力の低い僕にもしっかりと伝わった。
動きも言葉も洗練されていたということだ。
かっこいいと思った。
「Thank you!」
僕はしっかりと感謝を伝えてまた歩き出した。
未来はきっとこういうシーンが増えていくのだろう。
いろいろな立場の人達が行きかい、
いろいろな国の人達が声をかけてくださる。
でもやっぱり、日本語の声が多くあって欲しいな。
(2018年11月22日)
鍛錬
家の中では白杖は使わない。
外出の時には必ず持つが帰宅したら玄関の傘立てに立てている。
サングラスも整理ダンスの一番上の引き出しに片付けている。
室内は触覚を使って移動している。
この触覚は手のひらだけではない。
手の甲、腕、身体中の触覚がセンサーみたいなものだ。
あっちを触りこっちに触れあちこちに当たりながらすりながら移動するのだ。
人の気配がある時は声も出す。
「通ります。通ります。」
つぶやきながら歩くのだ。
それで一応安全に日常生活が成り立っている。
ただ慣れというのはいい加減な行動につながってしまいがちだ。
油断が生まれたりする。
今朝もそうだった。
いつものように前方に出した手が少しずれていたのだろう。
柱の角に思い切りぶつかった。
一瞬で目が覚めた。
痛さに立ちすくんだ後、額を触ったら案の定濡れていた。
出血だ。
顔を洗って綺麗に流してからバンドエイドを貼ってもらった。
一年に一回くらいはやってしまう。
目が見えなくなった最初の頃はこの痛さに気持ちまでが萎えてしまっていた。
最近はまたやってしまったかという感じだ。
そして何故ぶつかったかの分析をしたりしている。
ぶつかってしまう技術が悔しいのだろう。
気持ちも鍛えられていくのだな。
鍛錬みたいなものかな。
でもやっぱりぶつかりたくないです。
痛いのは嫌ですからね。
極めるまで頑張ります。
(2018年11月17日)
小さな勇気
改札口を出たところで小学生くらいの少年は僕に声をかけた。
「何かお手伝いすることはありますか?」
その口調には緊張感があった。
僕はいつもの慣れた道ではあったけれど少年の申し出を受けることにした。
肘を持たせてもらってわざとゆっくりと歩いた。
どこかの小学校で出会った少年かと思いながら尋ねてみた。
そうではなかった。
学校で視覚障害について勉強したらしかった。
4年生の少年は自分の判断で見も知らぬ僕に声をかけてくれたのだった。
「学校は楽しい?」
「運動会は終わったの?」
「そろそろイチョウの葉も黄色くなってきたんじゃない?」
少年は「はい。」とだけ返事をしていた。
身体もこわばっているようだった。
歩道橋の階段までのわずか50メートルくらいを僕達はのんびりと歩いた。
階段のところで僕は少年に感謝を伝えた。
「ここで大丈夫だよ。君のお陰で安心して歩けたよ。ありがとう。」
「どういたしまして。」
少年は初めて笑った。
こんな感じで少しずつ未来が輝いていくのだろう。
少年の笑顔を感じながら未来を見たいと思った。
長生きしたいなと思った。
(2018年11月13日)
駅員さん
東京駅新幹線中央口の駅員さんは僕のチケットを見ながら、
京都駅乗り換えで桂川駅下車ということを確認された。
それから駅員室に入って連絡をされているようだった。
しばらくすると別の係員の方がこられた。
彼女は慣れた感じで僕を手引きして歩き始めた。
エスカレーターは大丈夫かと質問されたので何でも大丈夫と答えた。
エスカレーターを上りいくつかの階段も上り長いホームを歩いてのぞみ号の前まで着
いた。
まだドアは開いていなかった。
わずかな時間、僕達はホームで待機した。
「京都までご旅行ですか?」
彼女はうらやましそうに尋ねたが仕事の帰りと知って「お疲れ様です。」と笑った。
僕も「お互い様です。」と笑った。
やがてドアが開いたので彼女は僕を指定席まで誘導した。
「新幹線の乗務員に引き継いでおきます。お気をつけてお帰りください。」
それだけ言うと爽やかに立ち去った。
京都までの車中、僕はパソコンを出して溜まっていた仕事をした。
あっという間の2時間だった。
のぞみ号が京都駅に到着する前に乗務員の方がきてデッキまで誘導してくださった。
京都駅には京都駅の新幹線の駅員さんが待機していてくださって在来線の係員の方に
引き継ぎをされた。
引き継ぎされた駅員さんは大阪方面行の乗り場まで移動して僕を電車に乗車させてく
ださった。
桂川駅のホームには桂川駅の駅員さんが待機していてくださった。
僕を見つけるなり「まず荷物を持ちましょう。」と僕の持っていた紙袋を預かってく
ださった。
僕は電車の最後尾の車掌さんの近くに乗車していたのでホームを端から歩く感じだっ
た。
長い距離を駅員さんはゆっくりと歩かれた。
「どこまでご案内すればいいですか?」
僕はタクシー乗り場までお願いした。
「おトイレは大丈夫ですか?」
彼は言葉数は少なかったけれどまさに心のこもった対応をしておられた。
タクシー乗り場に着いた。
「たったこれだけの荷物なのですが、持ってくださったのでとても歩きやすかったで
す。
トイレも尋ねてくださって安心でした。
本当にありがとうございました。」
僕はしっかりと頭を下げた。
「そんな風に言ってもらえるとこちらもうれしいです。
荷物はタクシーに座られてからお渡ししますね。」
駅員さんは笑顔で話しておられた。
「お世話になりました。ありがとうございました。」
僕の言葉が終わってからタクシーのドアは閉まった。
目が見えたら何事もなく、ひょっとしたら誰とも会話もせずに一人で京都まで帰って
これただろう。
見えないから6名の駅員さんのお世話になった。
そして幸せな気持ちになった。
(2018年11月8日)
大虎
時間は16時を過ぎたくらいだった。
僕は午前午後と別々の場所での会議を終えて、三つ目の会議の会場に向かっていた。
疲労度も高くなっていた。
四条大宮から乗車したバスは満員だった。
どこか空いてる席があれば座りたいと思ったがすぐにあきらめた。
頭上のつり革にしがみついて立っていた。
三つ目のバス停で酔っ払いの男性が乗車してきた。
「ハロー ハロー レディースアンドジェントルマン!」
彼は上機嫌だった。
「ハロー ハロー、ほんまによう飲んだわ。」
声や話しぶりからして僕と同世代だろう。
京都のバスは後方のドアから乗車して前方のドアから降車するようになっている。
彼も周囲の乗客に話しかけながら少しずつ前に移動を始めた。
勿論、誰も相手にしなかった。
それでも上機嫌の彼は楽しそうだった。
「ハロー ハロー 酒はいいなぁ。」
彼は狭い通路をよたよたしながら僕の横まできて僕の肩をたたいた。
「ハロー ジェントルマン」
アルコールの匂いがプンプンしていた。
僕も返事はしなかった。
彼はしばらく僕の横に立っていた。
それから突然僕の手を取って椅子の背もたれに誘導した。
「シットダウン シットダウン プリーズ!」
混雑しているバスの中で僕の前の座席は空いていたのだ。
誰かが空けてくださったのかもしれない。
白杖の僕に気づいて他の乗客は遠慮されたのかもしれない。
でも僕には空いていることは分からなかった。
僕は座った。
それから彼の顔の方を見て少し大きな声で言った。
「ありがとう。」
「オーケー オーケー」
彼はうれしそうに笑って僕の左手を両手で包んだ。
そして1秒くらいだったがギュッと握った。
手を離してからは彼はまた前に動き始めた。
「ハロー ハロー レディースアンドジェントルマン!」
彼は相変わらずで歩いていった。
なんとなくだけど車内の空気は少し変化したように感じた。
「おっちゃん、上機嫌やなぁ。飲み過ぎたらあかんで。」
今度は前方のおばちゃんが相手をした。
「2軒行ったんや。これから3軒目に行くねん。酒はいいなぁ。」
彼は次のバス停で降りていった。
「サンキュー おつりはチップやで。」
おつりを返そうと運転手さんがマイクで呼びかけたが彼はそのまま歩いていった。
きっと外でもハローと言いながらヨタヨタしながら次のお店に向かったのだろう。
僕は久しぶりにとっても幸せな気分になっていた。
「おっちゃん、ありがとう。」
心の中でもう一度つぶやいた。
(2018年11月3日)
偶然の電話
教師をしていた彼女を病魔は突然襲ったらしい。
ゴール目前で退職を余儀なくされたということはさぞかし無念だっただろう。
「どの子供にも平等にと思っていたのでついついいつも全力で仕事をしていました。
身体が悲鳴をあげているのに気づかなかった。
教え子にはどんなことがあっても前を向いて生きていくように話していました。
だから、失明した自分が下を向いたまま生きることができませんでした。」
彼女は言葉少なに語った。
懐かしそうに語った。
その言葉が僕の胸に突き刺さった。
それはそのまま僕の人生だった。
見える頃僕は児童福祉の仕事に携わっていた。
大好きな仕事だった。
ほとんど見えなくなってしまって仕事を辞めた時はぬけがらみたいになっていた。
悔しさと悲しみで幾度も心が折れそうになった。
「人生、何があってもしっかりと前を向いて生きていきなさい。」
子供達に話していた言葉がそのまま自分にふりかかった。
やっとの思いで前を向いてやっとの思いで足を前に出した。
少しずつ少しずつ歩いていった。
あれから20年の歳月が流れた。
ふとしたきっかけで僕は電話で彼女と話をした。
そしてたまたま偶然、それぞれの似通った人生を振り返った。
彼女は僕を先生と呼んだが僕はそんな偉い人ではない。
視覚障害者としては僕の方が少し先輩なのだろう。
僕が社会に発信している様々なメッセージに共感するとおっしゃってくださった。
仲間にそんな風に言われるのは何よりも光栄なことだと思っている。
彼女は言葉を選びながらゆっくりと話をされた。
語り口には気品があって声には力が宿っていた。
教師時代を彷彿させるものがあった。
素敵な先生だったのだろうなと思った。
「今度どこかで出会ったら握手してください。」
僕は彼女にお願いした。
お互いの生きている幸せを分かち合いたいと思った。
(2018年10月30日)
募金
JR桂川駅に着いた。
駅前ではあしなが育英会の募金活動が行われていた。
募金は交通事故や自殺などで親を亡くした子供達の奨学金となる。
僕は見えている頃児童福祉の仕事に携わっていた。
大好きな仕事だった。
見えなくなって仕事は続けられなかったけれど思いだけはずっとある。
だからあしなが育英会に出会ったら必ず募金すると決めている。
けちん坊だから金額に迷うので、
小銭入れにある小銭を全部寄付と10年くらい前に決めた。
小銭がなかったら千円札1枚だ。
そう決めておけば迷うことはない。
ところが数年前、愕然となったことがあった。
友人に貸していた7千円が500円玉で返ってきたことがあって、
その帰りにあしなが育英会と出会ってしまったのだ。
「どうして今日なの?」
さすがに一瞬迷ったが、意を決して募金した。
苦い思い出だ。
思い出が苦いということは根っからのけちん坊ということなのだろう。
今日はそんなには入っていなかった。
千円には届かなかったかもしれない。
僕はいつものように係りの人にコインを渡した。
「小銭入れに今日はこれだけしかありませんでした。ごめんね。」
「ありがとうございました。」
担当の若者が驚くような大きな声でありがとうを言ってくれた。
あんなに喜んでくれるのならもう少し入っていれば良かったのに。
僕はまた少し変な後悔をした。
やっぱり僕は現金な奴です。
(2018年10月28日)