遠くからの音

ホームページの来訪者数は2018年がスタートする時、556,000だった。
そして大晦日の前日、67万を超えた。
毎月延べ1万人近くの方が覗いてくださったということになる。
たまにという方もおられるだろうし、一度きりという方もおられるだろう。
ひょっとしたらほとんど毎日という方もいらっしゃるかもしれない。
いや、これは希望的観測なのですが・・・。
とにかく、自分でも驚く数字になっている。
メッセージを発信する方法としては一定の成果だ。
その数は僕自身の励みにもなっていて、ブログの更新につながっている。
インターネットの素晴らしさなのだが、
いろいろな世代の人が日本の各地で読んでくださっているらしい。
外国でという方もおられるらしい。
視覚障害の仲間にも読んでくださっている人がいる。
これはとても光栄なことだと感じている。
数日前、遠音さんからブログへの感謝のメールが届いた。
1年に1回あるかないかのメールだ。
遠音というのは本名ではなくて、彼女のブログのペンネームだ。
どういういきさつで僕のホームページを覗くようになられたのか分からない。
以前のメールに書いてあったのかもしれないが、憶えていないのも僕らしい。
遠音さんは僕よりもお姉さんで道東に住んでおられる。
面識はないし、会うこともないのかもしれない。
それでも人間はつながれる。
人間だからつながれる。
遠音、遠くの音、遠くからの音、未来からの声なのかもしれない。
この1年、読んでくださったお一人お一人に心から感謝申し上げます。
未来からのエールにありがとうです。
(2018年12月31日)

ささやかな日々

団地ではいつもエレベーターを使用している。
エレベーターの前に着くと柱の左側を触ってボタンを探す。
2個の丸いボタンが縦に並んでいて上が上方向のボタン、下が下方向のボタンだ。
僕にも押せる。
エレベーターに乗ると出入り口の左の壁に行先ボタンがあって点字表記もある。
数字はちゃんと書いてあるし、閉めるボタンには「しめ」と書いてある。
僕にも楽に使えるのだ。
点字を勉強していて良かったと思う瞬間でもある。
今日もいつものように1階に降りるために下のボタンを押して待っていた。
エレベーターが到着してドアが開く音がした。
エレベーターのドアはシースルーらしいが僕には分からない。
上がる時に同乗者があるのはたまにあるが、下りる時にはほとんどない。
だから、つい誰もいないと思って乗り込んでいる。
ところが今日は先に乗っている人がいた。
突然、しかも思いっきり乗り込んだのだからぶつかりかけた。
「おっとっと。」
先に乗っていた男性が声をかけながら僕の身体を支えてくださった。
「すみません。」
僕は慌てながら声を出した。
「大丈夫ですよ。1階ですね。」
彼は笑いながら僕の行先を確認してくださった。
エレベーターが1階に到着して、僕が先に降りた。
後から降りた彼は僕の横に並ぶと、前の道路までのサポートを申し出てくださった。
僕は有難く彼の肘を持って歩いた。
「団地の方ですか?」
僕は歩きながら尋ねた。
「違います。荷物の配送業者です。」
それだけの会話だった。
道路に着くと僕はお礼を伝えて歩き始めた。
やがて彼がトラックのドアを開ける音が聞こえた。
僕はその横を歩いて行った。
それから大きな声が僕の後ろから追いかけてきた。
「良いお年を!」
僕は振り返って頭を下げた。
満面の笑みで頭を下げた。
深々と下げた。
こんな爽やかな気持ちで一年を終えられる。
人間っていいな。
うれしすぎて涙がこぼれそうになった。
(2018年12月30日)

歩く

ゆるやかな下り坂を歩き始める。
しばらく歩くと横断歩道がある。
信号機が設置されているが音は出ない。
車のエンジン音に集中して青になったタイミングを確認する。
そこから先はもう横断歩道はない。
行き交う自転車だけに気をつけて歩けばいい。
白杖の振り幅が大きくなり過ぎないようにしながら歩く。
やがてせせらぎの音が聞こえてくる。
小川にかかる橋の上だ。
水の音の清らかさにいつも心が和む。
それからしばらく歩くと点字ブロックが現れる。
バス停を知らせる点字ブロックだ。
行程のおおよそ半分を歩いたことになる。
さらに緩やかな下り坂が続く。
道を隔てた病院の入り口の誘導鈴の音が聞こえてきたらもう少しだ。
その先に鉄製の交通標識があるから少しスピードを落として慎重になる。
二度ぶつかって学習したものだ。
そこを越えれば路面の舗装が変わる。
それを合図に左に90度曲がって溝蓋沿いに歩けば目的のバス停に到着。
点字ブロックの上で深呼吸をする。
2千歩くらいだから1キロはない。
一日のスタートには丁度いい距離だと感じている。
人間の感覚って本当に素晴らしい。
見えなくなった頃はほんの少し歩くのも怖かった。
何も見えない状態で白杖だけでこんなに歩けるなんて想像できなかった。
慣れというものなのかもしれない。
バス停の点字ブロックの上で深呼吸した後、
感謝のような感情が僕を包む。
どこに向けられた感謝なのかは分からない。
歩けたことへの感謝なのか、
生きていることへの感謝なのか。
それから空を見上げる。
その瞬間、いつも幸せを感じている僕がいる。
(2018年12月26日)

82回

今年最後の講演は「ゴールデン・エイジ・アカデミー」というイベントだった。
京都市主催の生涯学習の取り組みでもう30年くらい続いている。
教育、文化、歴史、科学、スポーツ、様々なテーマで毎週開催されている。
12月が人権月間ということで僕に声がかかった。
人権という言葉は堅いイメージがあるので心配したが、
300を超える人達が来場してくださった。
話を聞いてくださるのは人生の先輩達ということになる。
光栄なことだと思った。
僕はいつものように自然体で話をした。
正しい理解は共感につながる。
共感は未来を創造する力になる。
僕はしっかりと未来を見つめながら話をした。
暖かな盛大な拍手が答えだったと思う。
会場を出て歩き出した時、同行してくれたボランティアさんが教えてくださった。
「一点の曇りもない蒼い空です。」
僕はうれしくなった。
僕自身の気持ちと重なった。
今年一年で82回の講演の機会があった。
勤務している高校、福祉の専門学校、大学を除いてのこの数は自分でも驚く。
小中高、看護学校、警察学校、消防学校、大学、福祉関係者や教育関係者の研修会、
PTA、企業、自治会、当事者研修・・・。
京都以外にも数多く出かけた。
白杖を振りながら笑顔で出かけた。
社会の広さからすればほんの少しかもしれないけど、
確実に未来への種蒔きができた。
話を聞いてくださった皆様に感謝します。
そして、そういう機会を作ってくださった皆様に心から感謝します。
来年も頑張ります。
(2018年12月22日)

ラジオのお知らせ

広島県のRCCラジオに電話で出演予定です。
番組名は「一文字弥太郎の週末ナチュラリスト 朝ナマ!」です。
毎週土曜日朝7時から10時54分まで放送しているバラエティ番組です。
僕の出演は12月22日・土曜日の、朝10時すぎ頃の時間帯、20分くらいの予定ですが
時間が合えば、聞いてください。

一筋路地を入っただけで駅前の喧騒は嘘のようだった。
路地を少し進んだところにそのウナギ料理店があった。
小上がりを上がって掘りごたつに座るとおいしいお茶が出てきた。
食いしん坊の僕のために彼はちゃんと人気店の予約を取ってくれていた。
20人も入れば満員の店は僕達でいっぱいになった。
この店は注文があってからさばくので少し時間がかかるらしい。
他のお客様が注文される声が聞こえていたが、
やはりみなさん40分の時間を求められていた。
僕の忙しさを知っている彼は約束の時刻から逆算して注文を済ませてくれていた。
だから僕達にはそんなに待たずに料理が運ばれてきた。
四角いお盆にはうな重と肝吸いとお漬物が行儀よく並んでいた。
うな重の蓋を開けた瞬間香ばしい匂いが広がった。
一瞬で笑顔になった。
しかも、僕が楽しめるように関西風と関東風のウナギが載っていた。
そのままで少し食べた後、次に山椒をふってくれた。
味わいが変化していった。
肝吸いも端正で上品な味だった。
これほどおいしいと感じた焼きたてのウナギは初めてだったかもしれない。
僕はまんまと彼の計算通りに幸せになった。
そしてまた笑顔になった。
ひょんなことで彼と出会ってからもう10年以上になる。
最初は仕事で奥様と知り合ったのだが、いつの間にか彼との再会が楽しみになった。
僕が出張で東京に来た機会を狙ってだいたい毎年会っている。
特別に長話をするわけでもないし深刻な相談事があるわけでもない。
少しの近況報告をして、それぞれが元気で再会できたことを喜び合うという感じだ。
ひっつき過ぎず離れ過ぎずの関係は大人の男同士だからこそのものだろう。
絶妙の距離感のような気がする。
いつものようにホテルの部屋まで送ってもらって硬い握手をして別れた。
また来年もお互い元気で会えますようにと自然に思った。
(2018年12月17日)

冬の朝

まだ始まったばかりの朝の中を歩く。
冷たい風が冬を主張している。
無意識に息を吐いてみる。
息が白くなるのは見えないのにそうしてしまうから不思議だ。
コートの襟を立てて手袋をはめて歩く。
白杖の動きは季節に無関係だ。
左右にしっかりと振りながら歩く。
僕の日常がそこにある。
いつの間にか地域の風景にも溶け込んできたのだろう。
「おはようございます。」
すれ違いざまに挨拶をしてくださる人がいる。
落ち葉を掃いている箒の音がした。
「おはようございます。ご苦労様です。」
僕の方から声を出す。
「おはようございます。気をつけていってらっしゃい。」
初老の男性の返事の声をうれしく感じる。
「行ってきます。」
僕は元気に返して朝の中を進む。
いい一日になりそうな気になる。
(2018年12月14日)

自分の顔

家族や友達の顔は思い出せるのに自分の顔は思い出せない。
アルバムにあった子供の頃の写真を朧げに憶えているくらいだ。
成人してからは自分の顔はあまり見ていなかったということだろう。
女性のように鏡も見なかった。
見えている頃に男前とかイケメンと言われたことは一度もなかった。
そんな顔にあまり興味もなかったのだろう。
よく着ていたポロシャツなどのデザインや色合いなどはしっかりと記憶している。
好きだったからだろう。
60歳を超えてから風貌がどう変化しているのか少しは興味がある。
興味ではなくて不安なのかもしれない。
シルバーグレーのおじいさん、素敵だと思っていた。
残念ながら僕はハゲるタイプだ。
シャンプーしながら指先で実感している。
先日、中学校の福祉授業で生徒から質問を受けた。
「もしいつか見えるようになったら、自分の顔を見たいですか?」
咄嗟に答えられなかった。
20年も自分の顔を見ていないのだから仕方ない。
見えた方がいいものとそうでないものとがあるような気もする。
今日、散髪屋さんに行った。
60歳以上は200円のシルバー割引のある店だ。
「まだ60歳ではないですね。」
レジのおねえさんが自信あり気におっしゃった。
一瞬ニヤリとしたけれどしっかりと主張してしまった。
「60歳を超えています!」
あーあ、どんな顔で言っていたのかな。
(2018年12月10日)

趣味は映画鑑賞

「趣味は何ですか?」
問われるたびに僕は口ごもっていた。
忙しさでごまかしているのは自覚していた。
そんな自分が少し情けなかった。
そんな生き方を寂しく感じていた。
僕の周囲の視覚障害の仲間達はいろいろな趣味を持っておられる。
読書、俳句、短歌、川柳、楽器の演奏、音楽鑑賞、カラオケ、散策、登山、旅行、
ジョギング、マラソン、視覚障害者用の卓球、タンデム自転車、水泳、社交ダンス、
食べ歩き、手芸・・・。
ちょっと思い出しただけでもどんどん出てくる。
そして活き活きと人生を楽しんでおられる。
趣味はそれぞれの人生を豊かにしてくれているのは間違いない。
うらやましさも悔しさもあった。
その僕が今年はやっと言えるようになった。
「趣味は映画鑑賞です!」
20年前、見えなくなった時に映画鑑賞はあきらめた。
数回映画館に足を運んだが途中でストーリーについていけなくなった。
やはり見えないと無理だと感じた。
その後ボランティアさん達の努力でバリアフリー映画が登場した。
いろいろな映画に副音声を付けて上映会が催されるようになったのだ。
僕も何度も足を運んだ。
ただ、日時と場所が決まっているのでなかなか手軽に参加は難しかった。
今年、スマートフォンに映画館で副音声が聞けるアプリを入れた。
一般の映画館で僕の時間に合わせて映画鑑賞ができるのだ。
『万引き家族』
『焼肉ドラゴン」
『空飛ぶタイヤ』
『カメラを止めるな』
『コーヒーがさめないうちに』
『ビブリア古書堂の事件手帖』
『人魚の眠る家』
毎月のように映画館に足を運んでいる。
東京で会議の後、3時間くらいあったら映画と決めている。
一般の映画館で見える人達と一緒に新作の作品を鑑賞できる。
ひとつの未来の形があるのかもしれない。
今年中に『家族色』も是非見たいと思っている。
僕の故郷の阿久根市が舞台になっている映画だそうだ。
ほんの少しだけど、確かに人生が豊かになった。
(2018年12月6日)

経験

彼は未熟児網膜症で生後三か月で光を失った。
体重は1500グラムだったそうだ。
保育器は彼の命を救ったが網膜の成長は止めてしまったらしい。
だから見た経験はない。
「IPS細胞の研究も日進月歩だから、いつか見えるようになるかもしれないね。」
50歳前の彼にはチャンスがあるかもしれないと思って、僕は希望的観測を伝えた。
彼はきっぱりとそれを拒否した。
「見えるという言葉を知っているし、なんとなくの想像はあります。
でも、あくまでも僕の想像です。」
彼は淡々と語った。
想像と違ったら、それを受け止める自信がないとのことだった。
怖いとも表現した。
そして、見えないと言われる状態でもちゃんと生きてこれたのだと言った。
僕は50年という歳月を彼が生きてきたのだと痛感した。
医学は見えない人が見えるようになることをよしとするだろう。
でも、人間の心はそうとも限らないのだ。
それは見たことのある僕には理解できないことなのかもしれない。
別れ際にそっと尋ねてみた。
「なんとなくだけど、今日は声が弾んで聞こえたんだけど。」
「そうでしょう。今、好意を寄せている人がいるんですよ。」
彼は笑った。
僕はなんとなくほっとした。
見えるとか見えないとか、彼にはたいしたことじゃないのかもしれないと思った。
(2018年12月3日)