雪の夜、ふと耳を澄ます。
いつもと違う静けさが存在している。
雪のせいで交通量が少なくなっているからかもしれない。
でも、それだけとは思えない静けさだ。
無音と言ってもいいかもしれない。
雪が音を吸い込んでしまうのだろうか。
少しだけ窓を開けて外を眺める。
画像のない絵画の美しさに気づく。
静寂の中に水墨画のような風景がよく似合う。
専門学校で僕の講義を受けた女子学生との会話を思い出した。
「日本で美しいと思ったものは何?」
彼女は即答した。
「雪です!」
彼女の生まれ育ったベトナムでは雪は降らないとのことだった。
人間が美しいと思うもの、
性別も世代も国境も越えていくのだろう。
半年間の講座が終わって、彼女は僕のサポートができるようになった。
やさしさもまた、国境を越えていくのだ。
(2019年1月27日)
雪
歩道橋
バスを降りてから頭の中の地図にしたがって歩き始めた。
わずか30メートルくらい先の歩道橋まで一本道だ。
なんとかなると思っていたが迷子になった。
歩道と歩道橋の登り口が少しずれているのだ。
どうやって解決しようかと思案しながら白杖で周囲を探ってみた。
「どこに行くの?」
通りかかった男性が声をかけてくださった。
「歩道橋の登り口を探しているんです。」
これでもう大丈夫と僕は安心しながら答えた。
案の定、彼は僕を掴んで誘導してくださった。
歩道橋の登り口はすぐそこだった。
お礼を伝えてから階段を上り始めようとした。
「少しは見えてるんやねぇ。」
彼は僕の足を止めた。
「いえ、全盲で光も分からないんですよ。」
僕は笑いながら答えた。
彼は絶句した。
しばらくして、自分が糖尿病でとても見えにくくなっていることを口にされた。
「最近、夕食の後とか目がぼやけてしまう。」
たったそれだけの言葉の途中に彼の声は一瞬涙ぐんだ。
見えなくなるかもしれないという恐怖の中におられることが伝わってきた。
僕は糖尿病ではなかったが失明直前の恐怖感はよく理解できた。
「ちゃんと病院に行ってくださいよ。」
「ちゃんと行ってる。」
それだけのやりとりだった。
階段を上りながら、振り返って言った。
「大丈夫です。」
はっきりとしっかりと強い言葉で言った。
「うん。」
彼は小さく答えた。
何の根拠もない言葉であることは分かっていた。
でもどうしても言いたかった。
彼の視力が少しでも残りますように、階段を上りながら祈った。
何段あるかなんて分からなくても、一段ずつゆっくりと上ればいつかたどり着く。
涙はいつか思い出に変わる。
(2019年1月25日)
助け合える
休日の四条烏丸の地下道はとても混雑していた。
阪急電車と地下鉄烏丸線の乗り換えもあるので日常的に混んでいる場所だが、
満員電車のような混みようは何かイベントでもあったのかもしれない。
僕は緊張感のレベルスイッチを最大限にして少しずつ歩いた。
いつもは白杖で点字ブロックの横を触りながらフラットの床を歩いている。
点字ブロックの上はガタガタして歩きやすくはないからだ。
でもとても混んでいる時はわざと点字ブロックの上を歩く。
人にぶつかるリスクを少しでも少なくするのも技術のひとつだ。
それでも数か所の難所がある。
人の流れがいくつかの方向に分かれる場所、
点字ブロックが人の流れから外れてしまう場所、
大きな音がしている場所などがそうだ。
そして、人波の中の人は意外と前を見ていない。
そこを歩くのだから大変だ。
白杖の長さと角度を調整しながらスピードも周囲に合わせて変化させながら歩く。
今日もそうして歩いている途中だった。
地下鉄の改札を出て点字ブロックの上を歩いて、階段にたどり着いた時だった。
「松永さん。」
去年福祉授業に出かけた小学校の男の子三人組が僕に声をかけてくれた。
この混雑の中で僕を見つけてくれたことに驚いた。
少年達は行先は僕と反対方向だったが、
後戻りしての阪急烏丸駅の改札までのサポートを引き受けてくれた。
手引きの仕方も学校で勉強していたのでスムーズだった。
混雑した人込みの中を少年達はスイスイ歩いた。
目が見えていたら普通のことなのかもしれないが、
僕はその動きに感動してしまった。
改札口で少年達に感謝を伝えた。
それから改札口を入って、また白杖で歩き始めた。
「松永さん、お気をつけて。」
少年達の大きな声が背後から聞こえてきた。
しかもその声は周囲の雑踏をかき消してハーモニーとなっていた。
僕は振り返って笑いながら手を振った。
少年達も手を振った。
「助け合えるって人間だけだよね。」
学校で少年達に語り掛けた言葉が僕の頭の中で蘇った。
(2019年1月21日)
春近し
年明けの大学の講義がスタートした。
キャンパスは学生達でにぎやかだった。
僕は21号館の教室へ向かうため、エレベーターを待っていた。
突然、横から挨拶の声が聞こえた。
前年度、僕の科目を受講していた学生だった。
背がとても高かったし、声も記憶していたのですぐに判別できた。
その頃は金髪だったのも憶えていた。
「今、髪の毛は何色?」
僕は笑いながら尋ねた。
「今は赤茶色ですよ。」
彼も笑いながら答えた。
それから、卒業後の進路が決まったことを教えてくれた。
愛知県に行くとのことだった。
初めての一人暮らしへの期待と不安が感じられた。
夢に向かって歩き始めている若者の姿があった。
彼の笑顔はキラキラしていた。
まぶしかった。
僕達は自然に握手した。
彼もうれしそうに笑った。
もうすぐ春が来るんだと思った。
(2019年1月18日)
少年達の笑顔
大学の社会福祉学科に通っていた僕が養護施設を知ったのは21歳の時だった。
親と離れて過ごさなければならない子供達に出会って愕然とした。
大学を卒業して、何の躊躇もなくそこに就職した。
見えなくなる直前の39歳まで働いた。
我武者羅に必死に働いた。
労働時間も収入も一般社会とはかけ離れていたが使命感はそれを越えていた。
子供達への愛情もあっただろうし、社会の不合理への怒りみたいなものもあった。
憤りも悔しさも抱えながらの毎日だった。
若いエネルギーが僕を支えてはいたが、薄っぺらい正義感だったのかもしれない。
振り返れば恥ずかしく思うことばかりだ。
卒園生の一人の女の子は神戸の震災で命を落とした。
19年という短い生涯だった。
震災の直前、最後に会った日のことを僕は忘れることはできない。
それから毎年、1月17日の前後の休日にお寺にお参りをしている。
当時の保母さん、亡くなった女の子と同じ年の子供達も一緒だ。
子供達ももう43歳になった。
親の顔を知らないで育った子供達が親になっている。
不思議な感じがする。
そして見えなくなった僕を彼らは自然に受け入れてくれている。
普通に介助をしてくれ、普通に手伝いをしてくれる。
「比叡山が頂上までくっきり見えていますよ。」
洛北のホテルのレストランから見える風景を語ってくれる。
勿論、僕に殴られた話はいくつも出る。
和やかな時間が通り過ぎていく。
そして僕の前にはいつも、あの頃の少年達の笑顔がある。
亡くなった女の子の笑顔がある。
映像があの頃のままで止まってしまっているのは、
ひょっとしたら幸せなことなのかもしれないとさえ思う。
(2019年1月14日)
中学校
講演にお招き頂いた中学校、挨拶をすませた後、出されたお茶を頂いていた。
「松永さんが以前京都新聞に連載されていたコラムを楽しみに読んでいました。」
先生はそっと僕に伝えてくださった。
新聞に写真も掲載されていたので、待ち合わせの場所でもすぐに僕を見つけられたと
もおっしゃった。
「見た目に変化はないということですね。」
僕は笑いながら返した。
京都新聞への連載はもう10年以上前のことだ。
視覚障害を正しく知って欲しい、誰もが参加しやすい社会になって欲しい、
そして一人でも多くの人に読んで頂ければという願いを持って書いていた。
10年の時を超えて、願いが届いていたことを実感した。
僕と先生との距離は一気に縮まった。
わずかの時間ではあったけれども、福祉や教育について大人同士として語り合った。
教育者と当事者、同じ未来を見つめていることを確認した。
それから会場に向かい、生徒達に話をした。
いつものように話をした。
次の時代を創っていく生徒達に希望を話した。
未来への種蒔きだ。
いつかきっと、種は発芽する。
一人一人が大切にされる未来、誰もが笑顔になれる未来につながる。
今年ももっともっと頑張ろうという思いを強くしながら学校を後にした。
(2019年1月12日)
粉雪
先日、ふと色を思い返していた。
赤色はどんな色だったか、
緑色はどんな色だったか、
山吹色はどんな色だったか、
自分の記憶のテストみたいにして挑戦してみた。
すっと脳裏に浮かぶ色もあれば、
なかなか思い出せない色もあった。
群青色や藍色、紫色などはなんとなくゴチャゴチャになって難しくなっていた。
意外と出てこなかったのが白色と肌色だった。
一生懸命に記憶をたどったがなかなかたどり着けなかった。
途中で仕方がないとあきらめた。
今朝団地を出て歩き始めたら、顔に何かが当たった。
すぐに粉雪だと分かった。
小さな粉雪がいくつも僕の顔を触った。
歩きながら感じ続けた。
やがて白い粉雪が僕の頭の中で舞い始めた。
うれしさがこみあげてきた。
僕は立ち止って空を眺めた。
真っ白な粉雪が空一面にあった。
真っ白が踊っていた。
なんとなく安心した。
記憶のアルバムは少しずつ古くなってきた。
それは時の流れの結果だ。
一喜一憂しても仕方ない。
でも、なんとなく、神様からのプレゼントみたいな気になってうれしかった。
(2019年1月10日)
初日の出
視覚障害の仲間達との初詣に出かけようとして、
さわさわの玄関を出た瞬間、顔にお日様の光を感じた。
正確にはおでこでぬくもりをキャッチした。
僕にとっては今年最初のお日様だ。
初日の出かな。
目で光を確認できなくなってもう20年、それが当たり前で暮らしている。
慣れているから特別な感傷もない。
時々目の前がどんな感じなのかと尋ねられる。
目の前はグレー一色だ。
明るいコンクリートの壁のような感じかな。
これは人によって違うらしく、白色という方も黄色という方もおられる。
黄土色という方、緑っぽい色という方もおられた。
不思議と、黒という方はあまりおられない。
光が分からなくなるということは影も分からなくなるということなのだろう。
グレーとかの色は視覚からのものではなくてそれぞれの脳が感じているものなのだ。
だからお日様に気づいてもその色は変化はない。
でも心は明るくなる。
うれしくなる。
やっぱりお日様はいい。
初詣の神社では入院している友達の回復だけを願った。
100円のお賽銭だから願い事はひとつだけにしておいた。
その後ひいたおみくじは大吉だった。
友達が笑ってくれたような気がした。
(1月8日)
62歳
62歳になった。
僕が生まれた日、鹿児島県も寒い日で小雪が舞っていたらしい。
未熟児で生まれて、体重は1キロなかった。
小さな田舎町にはまだ保育器もなかったし、電化製品もない時代だった。
僕が育つのは難しいと多くの人が思ったらしい。
それでも産婆さんはあきらめなかったし、
両親は寝ずに湯たんぽを取り替えてくれた。
それから、22,265日、生きてきたということになる。
その間、ずっと呼吸してきたのだ。
気が遠くなるような数字だ。
たくさんの人達の愛情に支えられて生きてこられたのだろう。
すべての人にありがとうと言いたい。
振り返れば、道がある。
自慢できるようなものではないけれど、
僕なりに歩いてきた道がある。
そして見渡せば笑顔がこぼれる。
まだまだ道は続くのだろう。
一歩一歩、しっかりと、でものんびりと歩いていきたい。
(2019年1月5日)
幸せな一年に
晴れ渡った空を眺めたら、幸せ。
おいしい食事の時、幸せ。
お風呂に入っている時、幸せ。
季節の花に出会ったら、幸せ。
小鳥のさえずりに気づいたら、幸せ。
コーヒーの香り、幸せ。
ぼぉっとしている時間、幸せ。
いい映画を観たら、幸せ。
昼寝ができたら、幸せ。
柿の種を食べている時、幸せ。
潮風に吹かれたら、幸せ。
いい音楽を聞いたら、幸せ。
一日一万歩達成したら、幸せ。
せせらぎの音が聞こえたら、幸せ。
風を感じたら、幸せ。
笑顔に出会ったら、幸せ。
ありがとうって言われたら、幸せ。
ありがとうって言えたら、もっと幸せ。
幸せいっぱいの一年になりますように。
(2019年1月1日)