観光都市

桜と紅葉の季節の京都は観光客が多くなる。
場所によっては凄い人口密度だ。
それも半端じゃない。
世界の観光都市のひとつなのだから仕方ない。
それによって地域が潤っているのも事実だし、
この歴史のある京都が僕自身も大好きだ。
ただ、白杖で移動する僕達には結構大変だ。
障害者がどれだけ社会に参加しているかは国によってだいぶ違う。
そしてそれぞれの国の文化も違う。
点字ブロックは日本で考案されたものだが、その意味を知らない外国人も多い。
それは外国だけではない。
同じ日本でも日常にどれだけ白杖の人が風景の中にいるかは違うだろう。
日本中から、そして世界の各地から桜を求めて人が集まる。
白杖が人波に飲み込まれそうになったり、進路がふさがれたりする。
でも、それは故意でもないし仕方のないことなのだ。
かと言って外出しないわけにもいかない。
結局は白杖の技術を磨くしかないのだろう。
今日も数人とぶつかってしまった。
「すみません。」
「sorry」
しっかりと声を出すのも大切な技術のひとつだ。
バス停の点字ブロックでぶつかった人に謝った。
「いえいえ、大丈夫です。」
返してくださった。
数分後、バスのエンジン音がした。
「206号のバスですよ。」
先ほどの方が教えてくださった。
僕は感謝を伝えた。
見えなくなってから使用頻度が増えた言葉、
「すみません」と「ありがとう」。
それは悲しいことではなくてうれしいことなのかもしれない。
桜の咲く季節、桜色に染まる京都を僕も溶け込んで歩いていきたい。
(2019年4月8日)

桜蕎麦

「鰆の薄い切り身を道成寺粉に混ぜ、それを桜の葉で包んで蒸したものです。」
板前をしている甥っ子が説明してくれる。
料理の説明だけでなく、目前の桜島の風貌も教えてくれる。
彼は三重県で育ち、僕の妹の娘と出会った。
二人は結婚して僕とも親戚ということになった。
叔父さんが目が見えないということできっと少しの戸惑いはあっただろう。
いつの間にか一緒に話すことも一緒に歩くことも自然になっていった。
桜島が小さく噴火して空がほんのり灰色になった。
その様子を聞きながら次の料理にお箸を進めた。
フキノトウの天ぷらの苦みが口中に広がった。
季節の巡りを感じた。
彼の2歳の娘が成人する頃、僕は80歳ということになる。
生きていられるのかは分からない。
一緒に歩ける日があればそれはまた幸せということになるのだろう。
そんなことを思いながら閉めの桜蕎麦を味わった。
淡いピンク色でほんのりと桜の香りもした。
希望が似合う花なのだと思った。
(2019年4月4日)

桜餅

桜餅の香りを嗅ぐ。
それが直接桜に結びつくわけでもない。
特別に甘いものが好きでもない。
それでもなんとなくうれしくなるのは何故だろう。
春に参加しているという感覚だろうか。
昨日も桜まつりの会場でボランティアさん達と会話をした。
「今年の桜はまだですね。」
「ちらほら咲きってところですかね。」
「来週くらいが満開になりそうですね。」
見てはいないのに、さっき見たように話をしている。
もう二十年以上も見てはいないのに、知っているかのように話をしている。
照れくささを隠すみたいに桜餅をかじる。
ほんのりと口中に桜が舞う。
僕もここにいる。
僕も春の中に存在している。
そうありたい。
(2019年3月31日)

メジロの地泣き

健康を考えての散歩が日課になってきた。
父ちゃんも高齢になってから毎日散歩していた。
見えなくなってから一度だけ父ちゃんと一緒に歩いたことがある。
父ちゃんに手引きしてもらって歩いた。
うれしい思い出だ。
ただ、そのコースは白杖の僕が単独で歩くには難易度が高い。
一部だけを往復するのを僕の散歩コースにしている。
そのせいか歩きながらよく父ちゃんを思い出す。
無口で地味で努力家の人だった。
あの父ちゃんの子供がどうしてこんなのだろうと考えると悲しくもなる。
海の近くで育った僕は海に関わる仕事をしたいと思っていた。
父ちゃんと魚釣りをしながら幾度もそう思った。
子供の頃描いた夢の中に見えない僕はいなかった。
どうしようもないことを運命と呼ぶとしたら、
それは悲しすぎることなのかもしれない。
いろいろな人生の岐路で考えながらここまできたのだろう。
仕方なかったのかもしれない。
次生まれてきたらやっぱり海の近くで釣りをしながら暮らしたい。
そんなことに思いを巡らせながら歩いていたらメジロの地泣きに気づいた。
足が止まった。
父ちゃんが好きだった鳥だ。
父ちゃんが何か言ったのかもしれない。
父ちゃんに再会するまでのもう少しの時間、しっかり生きていきたい。
なんとなくそう思った。
(2019年3月27日)

卒業式

専門学校の卒業式に出席していてふと気づいた。
昨年までおられた先生の姿がなかった。
先生は牧師という仕事をしながら専門学校の非常勤講師をしておられた。
入学式や卒業式では大きな声で讃美歌を歌ってくださった。
僕はその歌声が大好きだった。
不思議と心に沁み入るような感覚になった。
先生が講師という仕事を卒業されたのだと分かった。
淋しい気分になった。
そんな中で今年の卒業生の名前が呼ばれ、卒業証書が手渡された。
自然に拍手をしていた。
拍手には力が籠った。
拍手ををする毎に気持ちはどんどん清々しくなっていった。
専門学校の学生達は若者ばかりではない。
僕と同世代という学生も珍しくはない。
それぞれの学生がそれぞれの人生で踏み出そうとする一歩を力強く感じた。
そして美しいと思った。
一人一人の人生に幸あれと心から願った。
(2019年3月23日)

夢占い

久しぶりに夢を見た。
高校時代の友人と再会する夢だった。
駅の改札口の近くで彼は待っていてくれた。
眼鏡は昔と変わっていなかった。
体格も服装も普通のおじさんだった。
ただ、黒々としていた髪は白くなっていた。
顔にも少しシワが出ていた。
笑顔はそのままの気がした。
声もそんなに変化はなかった。
でも、歳月の流れは感じた。
握手をしてそれから彼の肘を持たせてもらって歩き始めた。
そこで気づいた。
僕は見えないはずなのにどうして彼の顔が見えるのだろう。
見えるはずがないのにどうしてだろう。
そう思いながらまた彼の横顔を見つめた。
しばらくして、夢から覚めた。
夢だから話に一貫性も合理性もない。
それは理解できるのだが、
見たことのない現在の彼の顔がしっかりと出てきたのはどうしてだろう。
不思議な感覚でしばらく呆然とした。
夢占いでもしてみたい気分になった。
とにかく、今度会ったら髪の毛がどうなっているか尋ねてみよう。
もしハゲていたら、なんとなくショックだな。
(2019年3月19日)

夜の声

雨が降っていた。
19時過ぎという時間からすれば、もう夜の帳が降りているのだろう。
街灯も少ない道だった。
街灯は僕自身の役には立たないのだけれど、
少なそうなのはなんとなく心細かった。
雨音で他の音も聞き辛かった。
僕は白杖を慎重に左右に振りながら足を一歩一歩前に出した。
足裏で地面を確かめながら歩いた。
点字ブロックがあるところまでたどり着けば無事に帰れる。
自分に言い聞かせながら歩いた。
どこを歩いているかは分からなかったが祈りながら歩いた。
「松永さーん!ボランティアの者でーす。大丈夫ですか?」
道を隔てた反対側から大きな声が聞こえてきた。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
僕は声の方に向かって頭を下げた。
そして無意識に手を振った。
うれしさを身体全体で表していた。
人間の声にはぬくもりがある。
ぬくもりには力がある。
不安がそれをキャッチしたのだろう。
あともう少し!
また自分に言い聞かせて歩き始めた。
なんとなく先ほどまでよりも背筋が伸びていた。
(2019年3月16日)

5年

講演のお礼の電話だった。
彼女は5年前くらいにも僕の話を聞いたと教えてくださった。
その頃と比べれば、スマートフォンの話題が増えていたとのことだった。
話す内容も順番も少しずつ変えてきた。
限られた時間に何をどうやって伝えるか、試行錯誤の連続だった。
それは今も続いている。
視覚障害者数は全国で34万人、その中で全盲は4万人。
まさにマイノリティだ。
電車の中に優先座席があったとしても、
それを見つけられないのが見えないということだ。
そんなささやかな事実をしっかりと伝えていくのが当事者の役目だと思っている。
見える人も見えない人も見えにくい人も、皆が笑顔で参加できる社会。
目標はまだまだ先にある。
でも、5年前を憶えていてくださったということは、
ほんの少し、そこに近づけたということの証だろう。
ほんの少し、ほんの少し、それがいつかきっと力になる。
憶えていてくださって、またお招きしてくださったことに心から感謝した。
(2019年3月12日)

おすそ分け

彼女は白杖を使いながら単独で駅に向かっていた。
「お手伝いしましょうか?」
自転車に乗った男性が横にきて声をかけてくれた。
自転車をひきながらのサポートは難しいと判断して彼女は丁重に断った。
しばらく歩いたらまた声がした。
「先ほどの者です。自転車を置いてきました。駅までお手伝いしましょうか。」
彼は自転車を置いて引き返してきてくれたのだった。
彼女は駅まで彼のサポートを受けて歩いた。
近くにある高校の生徒だと分かった。
『短い間でしたが、血の繋がった孫と歩いたようなほのぼのとした幸せなひと時でし
た。今時こんな若者がいることに感激と嬉しさで胸が熱くなりました。』
彼女から届いたメールからは喜びが溢れていた。
ささやかな喜びは間違いなく確かな幸せだった。
幸せはメールから零れて僕の心にも染み渡った。
僕も自分がサポートを受けたような気分になっていた。
僕と彼女は視覚障害者協会の仲間だ。
見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が参加しやすい社会になるように日々一緒に活動している。
僕達は生まれも育ちも何もかもが違う。
同じなのは視覚障害でたまたま同じ地域で暮らしているということだ。
そして、同じ未来を見つめているということだ。
そういう仲間に出会えたことに感謝したい。
幸せをおすそ分けしてくれた彼女に心からありがとうを言いたい。
(2019年3月8日)

雨上がり

半日以上降り続いた。
大雨ではなかったけどしとしとと降り続いた。
しとしとと冬が溶けていった。
なんとなくだけど春が生まれている気がした。
風が教えてくれた。
空気が教えてくれた。
光が教えてくれた。
白杖を左右に振って歩きながら自然と笑顔が生まれた。
足元で生まれたての春が微笑んだ。
車の運転ができない僕は歩くことが多い。
歩けば風を感じる。
匂いに気づく。
光を浴びる。
フェラーリの乗り心地よりも豊かな時間を味わっているのかもしれない。
なんて思いながら歩いたら、
負け惜しみに気づいてちょっと悲しくなった。
足元でまた春が微笑んだ。
いや、春が声を出して笑った。
(2019年3月6日)