最低気温が15度になった日、半そでからスーツに衣替えした。
僕のスーツはほとんどが襟の立ったスタンドカラータイプだ。
若い頃はジーンズなどラフな格好が多かった。
いろいろな会議に出席したり人前で話をするような機会が増えて、
ちょっとは格好も気にしなければならなくなった。
失礼にならないようにというのが一番の理由だ。
スーツは上下が同じ生地で同じ色なので中のシャツは何でもいい。
見えなくても自分でコーディネイトがしやすい。
元々ネクタイは窮屈な感じがして好きではなかった。
そこでこのスタイルにたどり着いたということだ。
半年間眠っていた上着に袖を通したらなんとなく背筋が伸びるような気になった。
秋が始まったと感じながらバス停まで歩いた。
「松永さん、おはよう。スーツになったなぁ。よう似合うで。」
バス停に着いたらご婦人が声をかけてくださった。
「おはようございます。やっと涼しくなりましたね。」
僕は照れ笑いをしながら挨拶を返した。
「模様かと思ったらひっつき虫やん。」
ご婦人が僕に近寄っておっしゃった。
「ほんまにいっぱいつけて。」
別のご婦人が言いながら取り始めてくださった。
ちょっとの距離を歩いただけだったが、たくさんのひっつき虫を付けていたらしい。
もう一人も加えて3名のご婦人が取ってくださった。
「男前やしひっつき虫もようけい付いてきたんやなぁ。」
笑いながら取ってくださった。
「美女3人がかりで取ってもらえて幸せやろ。」
「はい、その通りです。」
僕は恐縮して答えた。
「3人とも後期高齢者やけどな。」
その部分ではつい笑ってしまった。
笑いながらしみじみとうれしくなった。
見えない僕と見える地域の人達、
僕はご婦人達の顔も名前も知らない。
さりげない秋の始まりの中に一緒に生きている。
ただそれだけなのに、つくづくと幸せだと思った。
(2019年10月11日)
スーツ
少年
竹田駅から地下鉄に乗車した。
大学の帰りにたまに利用する駅だ。
一か月に数回の利用ということになる。
駅の構造は勉強をしたので一応理解している。
問題はホームにたどり着いてからだ。
階段を下りた場所はホームの端なので少し移動しなければならない。
始発の駅なので既に電車が停車していることもある。
この時点では音はしていないので分からない。
なんとなくの気配、他の人の足音などで判断する。
光が分かれば影が分かる。
きっと電車にも気づくだろう。
僕は光も感じられないのでどうしようもない。
停車しているのかもしれないと思ったら白杖をそっと出して車体を確認する。
判断が間違っていて電車がなければ前につんのめりそうになる。
落ちかけてしまうということだ。
重心を残したまま慎重にそっと探るのが大切だ。
毎回肝試しをしているような感覚になる。
今日もやっと電車に乗車した。
無事乗車して入り口の手すりを持ったらやっぱりほっとした。
今日は少し急いでいたので慌ててしまった。
反省した。
電車が四条駅に到着した。
この駅は安全策が付いているので安心だ。
落ちることはない。
ただ、自分のホーム上での正しい位置は分かっていない。
竹田駅から勘で乗車しているのだから仕方がない。
右に進むか左に進むかも勘だ。
ちなみに9割以上の成功率だ。
今日は1割だったらしい。
左に向かって少し歩いたところで誰かが僕の手を二度ノックした。
腰丈ほどの少年だった。
か細い声だったので聞き取れなかった。
僕は腰をかがめて再度尋ねた。
「階段は反対側にあります。」
少年は少しだけボリュームをあげて教えてくれた。
「ありがとう。助かるよ。」
僕は心からの感謝を伝えた。
少年はすぐに姿を消した。
ありがとうカードを渡す間もなかった。
階段を上りながらしみじみとうれしくなった。
夕方のラッシュのホーム、たくさんの人が動いていた。
そのホームの片隅に小さな幸せが待っていた。
未来を予感させる感じがした。
僕はしっかりと白杖を握り直した。
(2019年10月7日)
電話
電話が欲しいとメールがあった。
10年以上の長い付き合いだが初めてのことだった。
彼女は悔しかった体験をゆっくりとゆっくりと話した。
言葉を選びながら確認しながら話した。
幾度も話は立ち止った。
僕はのんびりと待ち続けた。
そしてタイミングを見計らってそっと背中を押した。
話し上手な人なら3分で終わるような話を彼女は10分以上かかって話した。
話し終わると彼女はまず時間がかかってしまったことを詫びた。
僕はそれも貴女の個性だよねと笑った。
電話の向こう側で彼女も笑った。
彼女は視覚障害なのだが心の病気も持っている。
でも僕はそれを病気と感じたことはない。
参加できる社会がなかったことが彼女を苦しめた結果なのだろうと思っている。
苦しんだり悲しんだりしている仲間にたくさん出会った。
失明後の僕にはある意味幸運があった。
本を出せたこともそうだろう。
学校から講師の仕事を頂けたこともそうだろう。
メディアにも取り上げて頂いた。
参加できる社会が少しずつ広がっていった。
いつの間にか多忙さに追われるような生活になった。
いつの間にか悲しさや苦しさを感じる時間がなくなっていった。
たまたまラッキーだったのだ。
ひとつ何かが間違えば、ひょっとしたら僕もまだ怯えの中にいたのかもしれない。
目が見えなくなるってそういうことだ。
苦しみや悲しみの中にいる仲間と出会った時、
ほんの少しでもいいから力になりたいと思ってしまう。
同乗とか憐れみとかの感情ではない。
自分自身を重ねているのだと思う。
でも、現実はなかなかうまくいかない。
自分の無力さを思い知ることがほとんどだ。
「話をしてくれてありがとう。」
電話を切った後、僕はお礼のメールを届けた。
本当にうれしかった。
こんな僕でも彼女の人生にほんの少し寄り添えたのかもしれないと感じた。
そしてまた新しい力が僕の中で生まれていくのを自覚した。
僕には大きなことはできない。
ささやかなささやかな歩みを続けていきたい。
(2019年10月3日)
かたつむり
見えない僕は車の運転はできない。
バイクにも自転車にも乗れない。
ただひたすら歩くだけだ。
しかも白杖で確認しながらなのでスピードは出せない。
車に追い越され、バイクや自転車に追い越され、人にも追い越される。
自分では頑張っているんだけど、見た目にはノロノロだろう。
かたつむりみたいなものだ。
今朝もそう思いながら歩いていた。
突然、香りの空気の塊が僕を包んだ。
キンモクセイの香りだ。
少し湿度が高く微風の日だった。
そこからキンモクセイの香りの中を歩いた。
気づく時はだいたいいつも一瞬なのだが今回はしばらく続いた。
僕の歩くスピードと風の速さが重なったのかもしれない。
幸せがどんどん膨らんだ。
横の道を車が行き交った。
車の中の人達は香りに気づくことはないだろう。
カタツムリにもいいことがあるんだ。
宝物を独り占めしたような気になった。
余計にうれしくなった。
やっぱり根っからの貧乏人なのだろうな。
ごめんなさい。
(2019年9月30日)
つくつくぼうし
台風の過ぎ去った翌日、つくつくぼうしが鳴いていた。
あの風の中でどうやって過ごしていたのだろう。
どうやって呼吸ができたのだろう。
想像さえできない。
人間はいろんなことを知っているつもりでも、
本当はほとんど分かっていないのかもしれない。
セミが鳴いていると勝手に決めているけど、
ひょっとしたら話しているのかもしれない。
セミも小鳥も動物達もお互いの言葉を理解していて、
人間だけがそれができないとしたら・・・。
そこまで考えて、怖くなってふと我に返った。
「よく頑張ったね。もうすぐ夏も終わるよ。」
つくつくぼうしに向かってつぶやいた。
それから、空を眺めた。
息を深く吸った。
両手で白杖を持っている自分に気づいて、セミみたいだなと思った。
(2019年9月24日)
稲穂
草津駅での乗り換えも援助依頼をしていたのでスムーズだった。
終点の貴生川駅でホームに降り立った瞬間、気温が京都よりも数度低いと感じた。
改札口には教頭先生が待っていてくださった。
事前に何かで勉強してきてくださったのだろう。
サポートも快適だった。
車は30分は走り続けただろうか。
先生はいろいろな話をしてくださった。
のどかな田園風景も教えてくださった。
稲刈りが済んだ田んぼもあった。
小学校には全校生徒とたくさんの保護者の皆さんが待っていてくださった。
いつものように心を込めて話をした。
未来につながっていきますようにと願いながら話をした。
講演が終わってから校長室でしばらく歓談し、機会をくださったことに感謝を伝えて
学校を後にした。
午後から京都市内でのガイド研修の仕事が入っていた。
主催者が学校まで迎えにきてくださった。
食事の時間はなかったのでコンビニでおにぎりを買ってもらって車中で済ませた。
高速道路は空いていたが会場に到着したのはぎりぎりのタイミングだった。
そのまま講座が始まった。
実技も含めての研修だったので僕も一緒に外を歩いた。
ハードなスケジュールだった。
以前どこかで出会ったことのある受講生が名乗ってくださっても僕はほとんど分から
なかった。
毎年とても多くの人と出会うのだが画像はない。
そして何より、元々の記憶力が低すぎるのだ。
申し訳ないと思うのだが仕方がない。
講座が終了した後、一人の男性が僕の記憶のカギを開いてくださった。
珍しい職業をしておられた方だったので憶えていた。
今は障害者施設で頑張っておられるとのことだった。
希望と信念が伝わってきた。
うれしくなった。
握手をして別れるまでずっと控え目で誠実だった。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
中学生の頃に好きになった言葉が蘇った。
朝の田園風景が重なった。
いい一日となった。
(2019年9月21日)
足音
駅の改札を出てから点字ブロック沿いにバス停まで歩く。
ほとんど何も問題はない。
たまにゆっくりと歩いている高齢者がおられるので、
後ろからぶつからないように気をつけるくらいだ。
でも、その道の両側にあるお店を利用するとなったら一苦労だ。
右側には和菓子屋さん、ラーメン屋さん、カフェが並んでいる。
左側にはロッテリアがある。
頭の中で地図はできあがっているのだが、お店の入り口まではたどり着けない。
完全に勘の世界だ。
スマートフォンのカメラで風景を撮影しながらボランティアさんの目を借りるという
アプリもあるらしいが僕は利用していない。
立ち止って足音に援助依頼の声を出す。
急ぎ足の音、おしゃべりに夢中の人達などは避けた方がいい。
僕の方に向かいながらも遠回りしている音も避けた方がいい。
足音が日本人なのか外国人なのか、男性なのか女性なのか、大人なのか子供なのか何
もわからない。
声を出すタイミングも早過ぎず遅過ぎず、
そしてはっきりと聞こえるように言わなければいけない。
見えなくなった最初の頃は小さな声で「すみません。」とつぶやいていた。
勿論、足音は通り過ぎるだけだった。
すみませんとお願いするよりも、
直接目的を伝えた方が止ってくださりやすいというのも経験で学習した。
タイミング、声の大きさ、聞き取りやすさ、すべてが技術なのだろう。
笑顔で頼んだ方がいいと言われるがなかなか余裕はない。
結構こわばった表情なのかもしれない。
2,3回のトライで成功したら有難いのだが、
10回ともなれば少しへこんでしまう。
久しぶりにラーメン屋さんに立ち寄ろうと思った。
頭の地図でだいたいの場所までたどり着いた。
深呼吸をして気合を入れている間にもいくつかの足音が通り過ぎていった。
いい感じのスピードの足音が近づいてきた。
「ラーメン屋さんの入り口を教えてください!」
足音の持ち主は止って笑顔でおっしゃった。
「どうぞ肘を持ってください。」
爽やかな女性だった。
ほんのスウメートル先が入り口だった。
「ありがとうございました。一発で止まってもらえました。」
僕はそう言いながらお店に入った。
運ばれた野菜炒め定食を食べながらふと思った。
ありがとうございましたは通じても、
一発で止まったというのは伝わらなかったかもしれない。
言葉って難しい。
伝えるって難しい。
とにかく、止まってくださる人のお陰で僕の毎日は成り立っている。
止ってくださった皆様、ありがとうございます。
(2019年9月17日)
トラック
会議は予定通りに終了した。
もてなしてくださったお茶と和菓子を頂いてから身支度をした。
会議中に聞こえた大きな雨音は消えていた。
玄関を出て数歩歩いて小雨に気づいた。
タクシーを呼ぼうかとも思ったが時間がかかるだろうと想像した。
施設の傘を借りて帰ることにした。
しばらく歩いていたらまた雨がきつくなった。
雷の音もした。
周囲の音が取りにくくなった。
路地から大通りへ出る手前で立ち止った。
たまに車が行き来するが横断歩道はない。
雨はどんどんきつくなっていた。
雨以外の音はほとんど聞こえなくなっていた。
僕は耳に全神経を集中した。
大丈夫だと判断してゆっくりと渡り始めた。
ガツン。
白杖が車にぶつかった。
車が停車していたのだ。
「すみません。」
僕は引き返した。
再度エンジンの音を聞こうと頑張ったがやっぱり雨に消された。
僕は立ちすくんだ。
しばらくして少し大きなエンジン音が聞こえた。
トラックだと思った。
僕はまた数歩後ろに下がった。
エンジン音は僕の前で止まった。
「今、渡ってください。止まっているから大丈夫です。」
豪雨に負けない大きな声だった。
運転手さんはわざわざ窓を開けて教えてくださったのだ。
しかも僕を安全に渡らすために動かないよとおっしゃったのだった。
僕も負けない大きな声で叫んだ。
「ありがとうございます。助かります。」
渡り終えると僕は振り返って深くお辞儀をした。
運転手さんはクラクションを軽く鳴らされた。
やっぱり渡り終えるのを見ていてくださったのだ。
トラックが動き始めるエンジン音がした。
僕はまた歩き始めた。
熱いものが頬を伝うのが分かった。
雨に濡れていると思われるくらいだから拭う必要もなかった。
誰も知らない誰も気づかないやさしさが街のあちこちに転がっている。
そんな街で暮らせるのを幸せだと心から感じた。
(2019年9月12日)
姉妹
妹はチューブにつながれた姉の前で立ちすくんだ。
姉はベッドの上で眠り続けていた。
命だけは助けてくださいと妹は必死でドクターに訴えた。
そしてただ神様に祈った。
祈りは通じた。
姉の命は助かった。
でも、光は失った。
神様に約束した通り、妹は姉の目になった。
二人は一緒に暮らしている。
一緒に俳句を学び、一緒に大正琴を楽しんでいるとのことだった。
時にはケンカもすると妹は照れながら話した。
姉妹が逆転したようだと姉がつぶやいた。
僕はふとお二人の両親を思い浮かべた。
娘が失明したと知ったら、きっと悲しまれるだろう。
でも、その後の娘達を知ったら笑顔になられるに違いない。
我が子を誇りと感じられるかもしれない。
僕の問いかけに姉ははっきりと答えた。
「今、幸せです。」
隣で妹が微笑んだ。
障害って何なのだろう。
家族って何なのだろう。
生きるってどういうことなのだろう。
深いやさしさに包まれながら福知山を後にした。
(2019年9月8日)
学生達
新大阪の学校で開催されたガイドヘルパー養成に出かけた。
視能訓練士を目指す学生達が受講生だった。
38人の学生達と僕は真剣に向かい合った。
学生達が直接ガイドヘルパーの仕事をすることはないのかもしれないが、
眼科を受診する僕達の後輩と出会うのだ。
その中には悲しみや苦しみを抱えている患者さんがきっといる。
僕達にそんな時期があったように。
僕は一人一人の学生に心を込めて語りかけた。
5時間の実習の後はクタクタになっていた。
学校から途中の駅までは方向が同じだった学生達がサポートしてくれた。
そこからは単独だった。
最寄り駅に着いてからは階段を探すのにも手間取った。
疲労のせいだと分かっていた。
何とか改札を出てバスのロータリーに向かった。
雨がきつかったらタクシーにと思っていたが、
小雨だと自分に言い聞かせて2千円をケチってしまった。
また道を迷いそうになりながらも周囲の人の力を借りてバス停までたどり着いた。
今度はそのバス停に停車するバスから自分のバスを探さなければならない。
集中して音を聞かなければならない。
2千円をケチってしまったことを後悔して立っていた。
「先生、村上です。お手伝いしましょうか?」
僕は最初誰か分からなかった。
毎年いろいろな学校で沢山の学生達に出会う。
ほとんどが同じ年頃だし声だけでは記憶まではできない。
フルネームや居住地や部活動などをを尋ねてやっと記憶がつながった。
今年度、大学の社会福祉学科で僕の授業を受けている学生だった。
部活動の帰り道、彼女は僕を見つけて声をかけてくれたのだった。
本当は一分一秒でも早く帰宅したいはずだった。
「先生がバスに乗られるまで一緒にいます。」
彼女は僕の困難や不安を理解しているようだった。
僕はその言葉に甘えた。
15分くらいは立っていたかもしれない。
僕と出会ってから他の視覚障害者にも声をかけられるようになったとのことだった。
そしてそれをうれしそうに話してくれた。
僕が乗るバスがきてドアが開いた。
彼女は僕を乗車口まで誘導し、座席に座るのを確認した。
「失礼します。」
運動部らしい歯切れのいい爽やかな挨拶を残して帰っていった。
彼女はきっと社会人になっても困っている僕達の仲間をサポートしてくれるだろう。
一生続けてくれるかもしれない。
そんな19歳をかっこいいと思った。
そしてこれからもしっかりと学生達と向かい合おうと思った。
(2019年9月5日)