大晦日

華やかなステージの様子がラジオから流れていた。
演出が際限なくエスカレートしているのを感じた。
僕は白杖を拭きながらなんとなく聞いていた。
突然、昨日のニュースが脳裏に蘇った。
世界では飢餓に苦しむ人達が増えているらしい。
お腹を空かせて死んでいく子供達の数も伝えていた。
昔、写真週刊誌で見た少年の姿を思い出した。
ガリガリの身体でお腹だけが異様に膨らんでいた。
栄養失調の少年の姿だった。
その眼差しまで思い出した。
僕はいたたまれなくなってラジオのスイッチを切った。
ただ、無力の自分を悲しく感じた。
眠りから覚めたら、また新しい年が始まる。
この星のために何が僕にできるのだろう。
白杖を拭き終わったら少し気持ちが落ち着いた。
2020年、しっかりと目を見開いて、前を向いて歩いていきたい。
(2019年12月31日)

活動記録

今年の活動を振り返ってみた。
小学校24校、中学校16校、高校4校、福祉や医療の専門学校7校、大学4校、
警察学校、消防学校、社会福祉関係研修会、一般企業、講演回数を合計すれば100
回を超えた。
出会った人たちの数は1万人を超えただろう。
足を運んだ場所も半分近くは京都市以外だった。
まさに元気で精力的に活動できたということだろう。
インフルエンザでドタキャンした中学校がひとつあったことだけが悔やまれる。
生身の人間という証明かな。
京都市内を歩く時はよく足に重りをつけて歩いた。
片方に1キロずつの重りだ。
先日一緒に歩いた人に「巨人の星みたいでしょう。」と言ったら、
「ドラゴンボールみたいですね。」と返された。
ジェネレーションギャップかな。
そして一日5千歩を目標とした。
平均すれば90パーセントの達成率だと思う。
何も見えない中でどうして僕は歩くのだろう。
何のために歩くのだろう。
どこに向かって歩くのだろう。
それを見つけるために歩いているのかもしれない。
そして一緒に歩いてくださる人達がいて、今年も活動を続けることができた。
一人一人の皆様に心から感謝を伝えたい。
このホームページも1年で15万アクセスを超えた。
そのひとつひとつのアクセスの向こう側にはやさしい笑顔がある。
それを思えば、僕も笑顔になれる。
(2019年12月28日)

師走の東京

今年も残りわずかとなった師走の数日を僕は東京で過ごした。
同行援護の研修に参加するためだ。
受講生の皆さんは視覚障害者ガイドヘルパーの養成に携わっておられる先生方だ。
まさにプロの学びの場だ。
毎回、全国から集われて定員いっぱいとなっている。
僕は当事者として参加している。
光栄なことだと思う。
せっかくの機会、仲間の思いを伝える役目ができればと思っているのだが、
実際には僕では力不足の部分も多い。
他の講師陣に助けてもらいながら何とかやっているというのが現状だ。
それでも講座の終了日、僕の中にはささやかな満足感が生まれていた。
受講生の皆さんと交わした何気ない会話、意見のやりとり、質問への対応、そのひと
つひとつに真剣さが潜んでいた。
その真剣さがここまでの歴史を刻んできたのだろう。
僕が3歳の時に日本で白い杖が登場した。
高校生の頃にガイドヘルパーが始まった。
役場と病院にしか行けない制度だった。
それ以外の外出を先輩達は命がけでやっておられたということだ。
全国をカバーする同行援護の制度が登場したのが2011年、
まだまだ改善していかなければならない部分は多くある。
普通に生きていきたい僕達がいて、それを応援してくださる人達がいてくださって、
やっとここまでこれた。
でも、ゴールはまだまだ遥か向こうだ。
受講生の皆さんの真剣さの中にはそれぞれあたたかなぬくもりがあった。
一気に劇的に変えていくようなぬくもりではない。
でも、決して揺るがない消えることのないぬくもりだ。
見えない僕の胸にそっと伝わってきた。
今年もまた、師走の東京はやさしい思い出となった。
(2019年12月23日)

インフルエンザ

大学の講義を終える頃、身体の異常に気付いた。
しんどくてフラフラ状態だった。
学校を出てタクシーでかかりつけの医院に直行した。
インフルエンザA型だった。
頭がガンガンして体温が38度を超えた。
平熱が35度台の僕にしたらとんでもない高熱だ。
思考能力もなくなり食欲もゼロになった。
帰宅してベッドに潜り込んだ。
青息吐息で携帯電話を握った。
予定にあった翌日の中学校の講演をキャンセルした。
迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思った。
そして悔しかった。
ワクチンも接種していたが防げなかった。
講演などの仕事は穴を空けることはできない。
予定してくださっていた関係者に多大な迷惑をかけてしまうことは想像できる。
そして穴を空けたことはほとんどない。
健康だけが僕のとりえみたいなものだ。
残念でたまらなかった。
健康の大切さ、有難さを痛感した。
来週は東京での研修の講師が予定されている。
気を引き締めてまた頑張ろうと思った。
(2019年12月15日)

栄光館のチャペル

栄光館の建物の三階にあるチャペルで講話をする機会を頂いた。
栄光館は歴史の重みを感じさせる重厚な雰囲気が漂っていた。
新島襄の妻の八重の葬儀はここで行われたし、ヘレンケラーの来日の際の講演会場に
もなった建物だ。
そこの三階に続く石段はそのままだった。
エレベーターも何もなかった。
自分の足で一段一段を上っていった。
不思議な感覚になった。
チャペルにはおごそかな空気が流れていた。
歴史が過去の者ではなくて今につながって生きていることを感じさせられた。
僕自身が洗浄されていくような気がした。
空気は誰にも見えない。
僕にも他の人にも見えない。
それでも等しくそこにある。
当たり前のことがとても深い意味のあることのように感じた。
感謝を意識しながら呼吸した。
(2019年12月11日)

ランチへの道

午前の小学校での福祉授業を終えて午後の大学に向かった。
どこで昼食をとれるのか悩みながら移動していた。
慣れないコースの移動だったので記憶のデータはほとんどなかった。
乗り換えの三条京阪で探すことにした。
地下広場のどこかにカフェがあったような記憶があった。
微かな記憶だった。
僕は改札口でカフェがあるかを駅員さんに確認した。
確かに広場にカフェはあるとのことだった。
改札口から歩き始めたが、単独で行ったことはなかったので地図は描けなかった。
コーヒーの香りでもしないかと鼻をピクピクさせながらゆっくり歩いた。
やっぱり僕の鼻はワンちゃんのようにはいかなかった。
サポート依頼をするしかない。
僕は足音に向かって声を出した。
足音はなかなか止まらなかった。
僕を避けて遠回りしていく足音もあった。
年に数回ある運の悪い日だった。
昼食をあきらめようかと一瞬思ったが空腹感が勝利した。
僕はまた声を出した。
やっと止まってくださったご婦人がお店の前まで連れていってくださった。
しっかりとお礼を伝えてお店に入った。
お店はテイクアウト専門のパン屋さんだった。
愕然として悲しくなった。
どこかにカフェがないか尋ねたら反対側にあるとの答えだった。
僕は仕方なく店を出た。
トボトボ歩き始めた。
「カフェまで案内しましょう。」
さっきの店員さんが追いかけてきてくださった。
大学生くらいの若い女性だった。
きっと店番を他のメンバーに頼んで出てきてくださったのだろう。
やさしさが心に沁みた。
単純な僕はまた元気を取り戻した。
カフェの前で彼女にしっかりとお礼を伝えて中に入った。
今度は次のステップが待っていた。
注文をして座席を探さなければならない。
僕の前には他のお客様がいらっしゃるようだった。
僕は確認も含めてすみませんと声を出した。
何の反応もなかった。
とりあえず、その方の注文が終わるまで動かないことにした。
僕の順番になったことを確認してから注文カウンターに移動した。
いや正確に表現すれば、白杖がカウンターにぶつかるまで動いた。
「店内でお召し上がりですね。」
確認してくださったお店の人に簡潔に話した。
「コーヒーと一緒に何か食べたいのですが、目が見えないので教えてください。」
彼女はサンドウィッチの種類などを上手に説明してくださった。
そのやりとりでサポートを受けられる自信が生まれた。
僕はスモークサーモンとアボガドのサンドウィッチを注文した。
予定通り、座席まで誘導してくださって問題なく食べることができた。
たった一度の食事、どれだけのエネルギーが要るのだろうとしみじみと感じた。
そのせいもあってかとてもおいしかった。
コーヒーの香りが胃袋から脳に伝わっていくような気分になった。
食事が終わって座席を立った。
さっきの店員さんが出口まで誘導してくださった。
「点字ブロックまで動いた方がいいですよね。」
彼女はそう言って離れた場所の点字ブロックまで動きながら、次にどこに向かうかの
確認をしてくださった。
僕は京阪電車の改札口に向かうことを告げた。
「じゃあついでだからそこまで行きます。」
僕は彼女の肘を持たせてもらって改札口まで行くことができた。
悲しいことも残念なこともある。
でも同じくらいうれしいこともある。
だからこうして一人での外出を続けられるのだろう。
僕は彼女に深く頭を下げてから次の駅に向かった。
(2019年12月6日)

少女達の笑顔

ライトハウスでの理事会が終了したのは15時半過ぎだった。
16時半のさわさわでの職員面接にぎりぎりのタイミングだった。
晩秋の京都の好天の日曜日、道も駅も大混雑なのは予想できた。
僕は瞬間的に頭の中でルート設定をした。
そしてバッチリのタイミングでバスに乗車した。
乗客がすぐに空いてる席を教えてくださった。
座席に座ってほっとした。
何とかなるかなと漠然と考えていた時だった。
「松永信也さんですね。」
先日講演にお招き頂いた中学校の生徒達だった。
話しかけてくれた時から彼女達は笑顔だった。
僕は3人と自然に握手した。
映画を見に行った帰りとのことだった。
映画の感想などを聞いているうちにバスはターミナルに着いた。
地下鉄の改札口まで彼女達がサポートしてくれた。
何の問題もなくスイスイと歩いた。
僕が一人で動くのと比べればはるかに早く動くことができた。
改札口で彼女達にお礼を伝えてホームに向かった。
ホームに着くのと同じタイミングで電車が到着した。
僕は昨日の今日と自分に言い聞かせながら慎重に乗車した。
もういないはずの少女達の笑顔が見守ってくれているような気がした。
有難いことだと心から思った。
(2019年12月2日)

勘違い

めったに利用しない駅だった。
駅の構造は何も分かっていなかった。
僕は躊躇なくサポート依頼を駅員さんに告げた。
駅員さんは慣れておられた。
エスカレーターは大丈夫かと尋ねられたので何でも大丈夫と答えた。
エスカレーターに乗るのも降りるのも僕達は息が合っていた。
「椅子に座りますか?」
駅員さんは急ぎ足で歩きながら尋ねてくださった。
「立っていて問題なしです。」
僕は電車が到着するまでのわずかな時間くらい平気だった。
「どうぞ。」
それでも駅員さんがおっしゃってくださったので僕は座ることにした。
椅子を白杖で確認して座ろうとした。
瞬間、電車とホームの間に見事に落ちてしまった。
幸い、僕のサポートの駅員さんと見守りの乗務員さんが両脇におられたので瞬間的に
引き上げてくださった。
ケガはなかった。
エスカレーターでホームに着いた時点で電車は到着していたのだった。
僕はそれを分かってはいなかった。
駅員さんが座るかと尋ねてくださったのは電車の中でという意味だった。
電車の到着を待つと思った僕は、ホームの待合の椅子に座ると思ってしまったのだ。
白杖で確認して椅子と思ったのは電車の乗り口だった。
そこに足を出してしまったのだから見事に落ちてしまったのだ。
勘違いで起こってしまったことだった。
駅員さんは幾度もケガがないかと尋ねてくださった。
大丈夫ですと僕は恐縮して答えた。
勘違いしたことを申し訳ないと思った。
毎年のように視覚障害者のホーム転落のニュースが流れる。
原因のひとつは方向を勘違いして動いてしまうことらしい。
慎重に動いているつもりでも起こってしまう。
それが見えないということなのだろう。
用事をすませて、バスと電車を乗り継いで地元の駅に着いた。
いつもの半分のスピードで恐る恐る歩いていた。
「一緒に行きましょうか?」
女性の声がした。
彼女の肘を持たせてもらった瞬間、本当にほっとした。
恐怖がまだ身体のどこかに残っていたのだろう。
僕は改札口で彼女にしっかりとお礼を伝えて歩き出した。
勘違い、きっとまたいつかどこかで起きるだろう。
助けてくれる人がいるかいないか、そこで運命が分かれてしまうのかもしれない。
そんなことを考えたらまた怖くなった。
とりあえず、頑張るしかない。
もっと慎重にもっと集中して動かなければとあらためて思った。
(2019年11月30日)

加茂街道

教頭先生と担当の先生が最寄り駅まで車で送ってくださった。
生徒達は落ち葉の掃除をしていた。
その中を車は動き出した。
どこの道をどう通ったのかは分からない。
会話の中に加茂街道というワードが出てきた。
その辺りを通ったのだろう。
ふと懐かしい映像が蘇った。
見える頃、北大路橋から加茂川の西側の堤防を数えきれないくらい歩いた。
春夏秋冬歩いた。
加茂川の流れも北山の風景も大好きだった。
特に桜の季節はわざわざ足を運んだ。
桜街道と勝手に名付けていた。
紅葉の中を車は走っていたはずだが、
僕の頭の中では桜が満開になっていた。
青空に映えて美しかった。
「忘れられない景色ってありますか?」
講演の後に中学生から出た質問を思い出した。
そんな質問が出る空気になったことだけで僕は満足していた。
見えない悲しさを消し去ることはできない。
見えない悔しさを忘れることも無理だ。
でも、人間同士の交わりがふと幸せを運んでくることもある。
眠っていた桜街道が見事に蘇った。
少年少女達にそっと感謝した。
この道はきっと未来につながって行くだろう。
(2019年11月27日)

小春日和

落ち葉を踏みながら歩く。
足裏の感覚も微かな音もうれしくなる。
楽しくなる。
黄色や赤色を思い出す。
自然に「もみじ」の童謡の歌詞とメロディィが頭の中で蘇る。
心の中で口ずさみながら歩く。
また足裏が秋を見つけた。
そっとかがんで触ってみたらやっぱりどんぐりだった。
頭の中の音楽が「どんぐりころころ」に変わる。
風さえ愛おしく感じる。
のんびりとした時間、やっぱり必要だな。
空を眺めて深呼吸したら何故だか涙がこぼれた。
(2019年11月24日)