外出はできるだけ自粛している。
でも、どうしても出かけなければいけない用事もたまにはある。
出かける前に体温は測るようにしている。
全盲の僕には体温計の表示は見えないから困ることになる。
家族に見てもらうことが多い。
でも、いつも家族が近くにいるわけではない。
視覚障害者の中にもお一人暮らしの方もおられる。
僕の友人の視覚障害者も一人暮らしだが、彼は音声体温計を持っている。
何年か前、僕も手に入れようかと思ったが計測時間を知ってあきらめた。
5分かかるらしい。
当時の僕は元気で使用頻度も少なかったということもあきらめた理由かもしれない。
状況が変わってしまった。
まさか日常的に体温を測定しなければならない日があるとは想像しなかった。
困っていたら、『Be My Eyes』というアプリを教えてもらった。
早速スマートフォンにアプリを入れて試してみた。
体温計を脇に挟んで熱を測った。
ピピッと音がしたところで体温計をテーブルの上に置いた。
それから、『Be My Eyes』をスタートした。
1分もたたないうちにつながった。
「はーい、どうしました?」
スマートフォンから誰かの声が聞こえてきた。
「体温計の表示を読んで欲しいんですが。」
「分かりました。カメラをもう少し左に動かしてください。
もうちょっと体温計に近づけてください。」
僕は言われるままにスマートフォンを動かした。
「35,6度ですよ。」
「ありがとうございます。」
「お大事にね。」
そして通話は終わった。
感動して目頭が熱くなった。
どこに住んでいる人かも分からないし、年齢も分からない。
男性の声ということだけは分かった。
勿論、これまで会ったこともない人だろう。
一生会うこともない人かもしれない。
そんな人が赤の他人の僕に目を貸してくださったのだ。
さりげなく助けてくださったのだ。
アプリの説明には、「『Be My Eyes』の目的は、ささやかで親切な行為を行うこと、
またその恩恵を受けることにあります。」と書いてあった。
ささやかな行為が見えない誰かの命を救うのかもしれない。
こういうアプリを開発してくださった人、そして、趣旨に賛同して参加してくださっ
ている見える人、心から感謝致します。
本当にありがとうございます。
そして、このブログを読んで興味を持ってくださった見える方、
是非、僕達に目を貸してください。
お願い致します。
(2020年4月29日)
Be My Eyes
つつじ
「つつじが咲きはじめました。
時間が止まってるように感じてたから、ドキッとしました。
白もピンクも朱色もあります。」
突然飛び込んできたメールは鮮やかに彩られていた。
春が歩いていることを教えてくれていた。
立ち止らない季節が時を伝えていた。
読み終えた僕もドキッとした。
僕の時間も止まりかけていたということだろう。
今このひとときも、本当はとても大切で貴重なものなのだ。
背筋を伸ばして顔を上に上げた。
気合を入れて立ち上がってベランダに出た。
遠くを眺めた。
春を眺めた。
光を眺めた。
笑顔になった。
(2020年4月24日)
ワカメ
突然の電話は懐かしい声だった。
彼女は京都市内の大学で社会福祉を学んだ。
学生時代に受講してくれた同行援護の講座で僕と知り合ったのだ。
卒業後は故郷に帰省したので会う機会もなくなった。
電話口の声は変わっていなかった。
口数の少なさも同じだった。
「わかめのふりかけを少し送りました。私の好物なんです。」
理由も経緯も言葉にはしなかったが十分伝わってきた。
彼女の故郷は海の近くだった。
コロナの影響で活動ができなくなっている僕を思いやってくれたのだろう。
電話を切ってからぼんやりとやさしい時間が流れた。
少年時代に海辺でワカメを取っていたことを思い出した。
春先だったような気がする。
薄灰色の波打ち際にワカメが流れてきているのだ。
漁師さん達が船でワカメを取った際の一部だ。
持ち帰って縄にくくりつけて干していた。
それがお味噌汁の具になったりしたのだ。
干したワカメの映像までが蘇った。
潮風が薫ような気になった。
(2020年4月22日)
スケジュール
2020年がスタートした時点のスケジュールを振り返ってみた。
僕は今日は会議で東京にいるはずだった。
それが朝から晩まで家の中にいた。
ちなみに、去年の今日の記録を調べたら、午前中に専門学校で午後が大学だった。
学校で講義をしたり、どこかで講演をしたりするのが僕の日常だった。
毎日のように外に出て、いろいろな人に会っていた。
それが、今年は既に6月までの予定はほとんどキャンセルになった。
家の中にいるのが日常となってしまった。
この様子では6月以降もどうなるかわからない。
とりあえず、僕にできることは家にいることくらいしかない。
淋しい現実だ。
でも、いつかの日のために、心は前を向いて生きていこう。
見えなくなった時もそうだった。
絶望の中でゆっくりと呼吸した。
ただ耐えるように呼吸した。
きっといつか光が見えてくる。
そう信じて頑張るんだ。
(2020年4月18日)
タケノコ
クール宅急便で届いたのはタケノコだった。
朝掘りのタケノコを焚いてくださったのだ。
早速頂いた。
取り立てならではの柔らかさが丁度いい歯ごたえになっていた。
この季節ならではの苦みを舌先が見つけた。
苦みは遠慮がちに口中に少しずつ広がった。
添えられた山椒の葉の香りがすべてを引き立てた。
春の緑色の風景をなんとなく想像した。
生まれ育った日本が好きなのだと思った。
「頑張れよ。」
届けてくださった先輩夫婦の声が聞こえるような気がした。
見たことはないはずなのにぼんやりと顔まで思い出した。
お二人とも笑顔だった。
いつも変わらないやさしい生き方を素敵だと感じた。
こんな時期だからかもしれないが、僕もそうありたいとつくずく思った。
(2020年4月13日)
希望
高校の授業も延期になった。
専門学校の授業も延期になった。
予定されていた講演はすべて中止となった。
大学の講義はオンラインでやることになったので一年間休講することにした。
見えない僕が単独でパソコンを駆使してというのは無理だ。
日常が一気に変化した。
それでも今朝、いつもの時間に起きてしっかり顔を洗った。
いつものようにコーヒーも飲んだ。
服は普段着に着替えた。
足が寂しがったらいけないのでたまには散歩もすることにした。
ささやかな日常を受け止めていきたいと思う。
その中でひとつでも、僕にできることをやっていきたい。
ほとんどないことは分かっているけれど、希望は持ち続けたい。
そうだ。
希望を持ち続けることなら僕にもできる。
(2020年4月10日)
ウグイス
ウグイスかなと思いながら朝の空気に耳を澄ませた。
判断するには時間がかかった。
それくらい下手な鳴き方だった。
ウグイスと分かった後でも僕の耳は聞き続けた。
少しハラハラしながら聞き続けた。
そして微笑んでいる自分に気づいた。
上手な鳴き方だったらここまで聞き続けなかったのかもしれない。
下手でも一生懸命に頑張っていることに心が動くのだろう。
自然に応援してしまうのだ。
劣等生だった自分自身の人生へのエールかな。
今日も頑張ろうと思った。
ウグイス君、ありがとう。
頑張り続ければ、きっと少しはうまくなるからね。
(2020年4月6日)
新年度
たぶんほとんどの人達が不安の中で新年度を迎えたのだろう。
僕自身もそんな感じの一日となった。
一年後の自分自身の命にさえいつもと違う思いがある。
生きていくということは本来はそういうものなのかもしれないが、
これまでそんなにシリアスに感じることはなかった。
平和な社会で生きてこれたということなのかな。
戦争や飢饉の中の人達はこうして命を紡いでこられたのかもしれない。
先が見えないということは目が見えないということに似ている。
手探りで前を確かめて歩いていくしかない。
大切なことは希望を失わないということだ。
信じる道を歩いていく一年にしたい。
(2020年4月1日)
原風景
ラジオから流れてきた風景には山も畑もあった。
田んぼのあぜ道もあった。
青空も白い雲もあった。
小川のせせらぎも添えられていた。
訪れたこともないはずなのに記憶が少しずつ蘇っていくような気がした。
セピア色の写真が色彩を取り戻していくような感じだった。
いつどこで見た風景なのかと思いめぐらしたが答えは出なかった。
のどかな原風景が無言で存在していた。
光の柔らかさが春を告げていた。
何気ない風景なのにそこには幸福が感じられた。
風景の中の幸福を僕自身が求めていることにふと気づいた。
広がっていく不安の裏返しなのかもしれない。
今度晴れた日に歩きたいと思った。
光を感じながら歩きたいと思った。
そして春の光の下で両手を広げて深呼吸をしたいと思った。
(2020年3月29日)
指先
右手の人差し指の先の裏側で桜の花を触った。
人差し指の先の裏側は1センチ四方よりも狭いかもしれない。
桜の花弁はそれよりも小さいはずだ。
それなのに触った瞬間に包まれるのはなぜなのだろう。
ピンク色のやさしさに身体全体が包まれる。
時が止る。
お互いの命を確かめ合うように静かに呼吸する。
特別に桜だけが好きなわけではない。
特別に春だけが好きなわけではない。
生きていることを実感する瞬間が愛おしいのだろう。
見えなくなって24年の歳月が流れてしまった。
見た記憶が少しずつ確実に遠ざかる。
その流れの中で生きてきた。
生きてこれた。
一度指を離してからもう一度桜の花弁を触った。
なんとなくわざとそうした。
やさしいピンク色が辺り一面に鮮やかに蘇った。
(2020年3月25日)