台風

鹿児島県で少年時代を過ごした僕にはいくつかの台風の思い出がある。
台風がくるとなれば雨戸の準備をした。
父ちゃんは針金を使って家のあちこちの戸をくくった。
僕はきっと足手まといだったのだろうけど父ちゃんの作業の手伝いをした。
ろうそくの灯りだけで夜を過ごしたこともあった。
風のうなり声に怯えて眠れなかったこともあった。
近所の河が反乱したこともあった。
家の瓦が飛んでいったこともあった。
幼馴染の家が倒壊したこともあった。
家の前で泣きじゃくっていた彼にかける言葉がなかったことも憶えている。
毎年のように台風を経験しながら大人になっていった。
慣れていながら、その怖さも身体にしみ込んでいるのだろう。
今回の台風はこれまでに経験したことのないものだとのことだった。
数日前からトップニュースで報道された。
幾度も警鐘が鳴らされた。
台風が迫ってきた夜も僕は毎時に流れるNHKのニュースを聞いた。
高校時代に毎日見ていた川内川の様子、聞き覚えのある町名なども流れた。
不安でなかなか眠れない夜を過ごした。
朝起きるなり、いくつか電話をかけてみた。
大切な人達の元気な声が聞こえた。
その声だけでほっとした。
声が聞こえただけで笑顔になった。
それからいつものようにホットコーヒーを飲んだ。
いつものコーヒーをとても美味しく感じた。
(2020年9月7日)

映画音楽

ラジオをBGMにしながらパソコンのキーをたたいていた。
ふと流れてきた映画音楽に手が止った。
「ある愛の詩」、フランシスレイの作曲だ。
エリックシーガルの原作の文庫本を幾度も読んだ。
サントラ盤のLPレコードを擦り切れるほど聞いた。
どの場面でどの音楽が流れたかまで憶えていた。
久しぶりにいくつかの場面が脳裏に蘇った。
蘇るのに映像は意味がある。
最近、副音声の付いた映画を鑑賞できるようになった。
結構楽しんでいる。
でも、映画で流れていた音楽を聴いても蘇らせるのは難しい。
それは映像がないからだろう。
ないものねだりをする気はないし、仕方がないとあきらめている。
ただちょっと寂しいのは事実だ。
どんなに脳が理解をしても、その脳で心までを納得させるのは難しいことなんだな。
煩悩を振り払って、またパソコンに向かう。
(2020年9月2日)

爪切り

左手で右手の爪を確認する。
それから左手で爪切りを持って右手のそれぞれの指の爪を切っていく。
一本ずつ触覚で確認しながら切っていく。
見えないと危険と思う人もおられるらしいが問題はない。
慣れるかどうかだけだと思う。
触覚での確認のせいか深爪になりがちだが構わない。
いつも短く切っていて清潔感があるとほめられたことがある。
爪を切る度にほめてくれた人を思い出す。
ちなみに、僕は足の爪も自分で切っている。
これも慣れなのだろう。
子供の頃、夜に爪を切ったらだめだと叱られた。
親の死に目に会えないという言い伝えだったかな。
暗い中での爪切りは危険ということからの話なのだろう。
今は夜中でも切っている。
朝も昼も夜も変わらないということはいつも安全ということかな。
なんて不謹慎なことを思いながら切ろうとしたらチクッとした。
見えても見えなくても集中しなくっちゃいけないってことだな。
(2020年8月28日)

朝の風景

いつものバス停に向かっていたが、通り過ぎてしまったらしかった。
バス停には点字ブロックがあるのでそれを白杖と足の裏で探しながら歩くのだ。
時々、点字ブロックをまたいでしまったり、
歩道の端の点字ブロックのないところを歩いたりしてしまうらしい。
感覚でちょっと遠いと思ったら引き返して見つけるのが日常だ。
「バス停はここやで。」
男性の声が通り過ぎたことを教えてくださった。
「ありがとうございます。」
白杖の達人の僕としてはちょっと照れながら感謝を伝えた。
それから男性は点字ブロックの上で落ち着いた僕に挨拶をくださった。
「おはようさん。」
「おはようございます。」
間もなくバスが着いた。
僕の乗るバスではなかった。
バスが発車してから男性に声をかけた。
「こちらから挨拶もできないですし、朝から声をかけてもらえるととてもうれしいで
す。」
返事はなかった。
理由はすぐに分かった。
さっきのバスに乗車されたのだ。
それが分からないのが見えないということだ。
誰もいないのに話しかけてしまうのは時々ある。
目が見えなくなった当初はその失敗が恥ずかしかった。
でもそれが見えないということなのだと自分で理解できるようになった。
同じようなことだが、歩きながら何かに白杖が当たったら謝っている。
止めてある自転車やごみ箱にも謝っているらしい。
それも謝れる人生の方が豊かだと勝手に納得している。
「おはようさん。何番のバスに乗るの?」
しばらくしてバス停に到着されたご婦人が尋ねてくださった。
「おはようございます。29番です。」
「私は西1番に乗るから、29番はその後だよ。」
やがて西1番のバスがきて彼女は乗っていかれた。
そしていよいよ僕が乗る29番のバスが到着する直前、
「おはようございます。」
支援学校に通っている子供の声だった。
「行ってらっしゃい。」
お母さんの声も重なった。
「行ってきます。」
僕は笑顔でバスに乗り込んだ。
今日はきっととてもいい日になるなと思った。
(2020年8月24日)

夏の信号

朝、いつものバス停に向かう。
途中に一か所だけ信号がある。
南北は片道一車線、東西は片道二車線の信号だ。
バス停に行くにはその信号を南に渡り、それから西に渡らなければいけない。
つまり、対角線方向に二度渡るのだ。
小さな交差点だから音響信号ではない。
僕はそこに着くとまず点字ブロックを探す。
まっすぐに渡るために足の裏で点字ブロックの方向を確認する。
それから車のエンジン音を探す。
最近の車はアイドリングストップになっている。
停車中はエンジン音は消えているのだ。
車の燃費も向上するしガソリンの節約にもなるし大気汚染にも貢献するシステムだ。
それはいいことだと思う。
ただ、僕にとっては怖い存在だ。
たまにバイクが信号待ちにいるとうれしい。
ちゃんとエンジン音が聞こえるからだ。
エンジン音が聞こえ山車、それが動き始めるのが信号が青に変わったという合図だ。
いつも緊張する瞬間だ。
そして、この夏の一時期、エンジン音よりもやっかいな音がある。
セミの鳴き声だ。
朝のセミの合唱はエンジン音どころではない。
その状況で青を確認するのは至難の業だ。
今朝も聴覚に神経を集中させて立っていた。
セミの声が僕の不安感をどんどん増幅していた。
エンジン音はほとんど聞こえない状況になっていた。
青に変わったのも分からずに立っていたのかもしれない。
「青になりましたよ。」
どこからか女性の声がした。
その方向さえ分からなかった。
とにかく僕は大きな声でお礼を伝えた。
「ありがとうございます。助かります。」
それから白杖をしっかりと左右に振りながらまっすぐ歩いた。
このまっすぐは勘の世界だ。
少しずれていたがなんとか無事に渡れた。
見えないで歩くってやっぱり大変だ。
セミの声、嫌いではありません。
夏を感じる風物詩みたいなものですからね。
でも、あの信号のところだけでもボリュームを下げてくれればいいんだけど。
誰かセミと話せる人、どこかにいませんか?
(2020年8月22日)

活動

高校の補講を4時限続けてやった。
さすがに最後はちょっと疲れていた。
授業を受けていた女子高生がバス停までサポートしてくれた。
サポートは初めてとのことで緊張が伝わってきた。
バス停に着いて感謝を伝えた。
「どこかで見かけたら、また手伝ってね。」
「はい。」
彼女ははっきりとした声で答えてくれた。
来年の春、卒業と同時に海外に留学するらしい。
夢がキラキラと輝いていた。
そして、それがコロナでどうなるかという不安も垣間見えた。
時代を感じながら彼女と別れた。
目的のバスがきた。
声をだしながら乗車した。
「どこか空いていますか?」
返事はなかった。
始発から二つ目のバス停だからきっとどこかは空いているだろうと思って出した声だ
った。
30分ほど立ったまま過ごした。
暑さと疲れが淋しい気分を倍増させていた。
「お座りになられますか?」
突然、老婦人の声がした。
斜め後ろからだった。
「ありがとうございます。」
僕はしっかりと感謝を伝えた。
立っている間にバスはいくつもの停留所に停車した。
かなりの乗降客が僕の傍を通り抜けた。
僕の白杖に気づいた人もおられるだろう。
ただ、見えないから空席が探せないということまでは気づかないのだ。
僕が見えている頃そうだったように。
それでも老婦人のように気づいてくださる人もたまにはいる。
個人の想像力に任せてもそんなにうまくはいかない。
こうして当事者として活動することはやはりとても大切なことなのだ。
女子高生の返事の声が蘇った。
また明日も頑張ろう。
(2020年8月18日)

流れ星

後輩からメールが届いた。
不定期に届くメールだ。
気が向いた時に送ってくれるのだろう。
題名はいつも同じで「祥治です」となっている。
年齢は僕よりは10歳くらい下だろうか。
祥治は板前をしている時に、仕事の帰りに交通事故で失明した。
ノーヘルで電信柱に激突したらしい。
若いころは暴走族で運転技術を磨いたらしいが、
酔っ払い運転ではどうしようもなかったのだろう。
家庭にも恵まれず、職も転々としていたような中での交通事故だった。
「ほんまに片目が飛び出したんですよ。」
祥治が笑いながらその時のことを教えてくれたのを憶えている。
脳に強い衝撃を受けてしまったので後遺症も大変だ。
様々な福祉制度を利用して一人暮らしをしている。
継続は力ですと言いながら、継続できたためしがない。
ひょうひょうと生きているという感じかな。
祥治の名前の漢字を調べるためにパソコンのカーソルを動かしたら、
「不祥事の祥」という説明が流れて一発で憶えてしまった。
よく似合う名前だねと言ったら照れていた。
今回のメールには「ペルセウス座流星群」のことが書いてあった。
そう言えば、以前も何かの流星群のニュースを教えてくれたことがある。
祥治は流れ星が好きなのかもしれない。
全盲の中年男性が全盲の先輩に流れ星のニュースを伝える。
不思議な感じはするが、僕達に違和感はない。
いつか一緒に流れ星を見に行こうか。
そして祈ろう。
「目が見えるようになりますように!」
(2020年8月13日)

黙祷

ラジオがその時を教えてくれる。
僕は静かに黙祷する。
僕は戦争を知らない世代だ。
戦争も被爆地も実際には知らない。
でも、成人してから訪れた広島や長崎の原爆の傷跡は忘れることはないだろう。
そして、父ちゃんが話してくれた戦争体験の話は僕の細胞に浸み込んでいる。
父ちゃんは青春時代を兵士として過ごした。
終戦の時は満州にいたらしい。
それからシベリアで捕虜としての生活を送った。
口数の少なかった父ちゃんが戦争は二度としてはいけないとつぶやいていた。
いつの頃からかその日になると祈るようになった。
平和への祈りだ。
小さな一市民にできること、それは祈り続けるということだろう。
見えない僕にもできることだ。
日本だけじゃない。
世界中から戦争がなくなりますように。
僕にもできること、これからも祈り続けていこう。
(2020年8月10日)

皮をむいただけの桃を丸ごとかじる。
味覚と嗅覚だけが研ぎ澄まされる。
意図的にそうしているのではない。
無意識にその感覚に包まれていく。
幸せに気づいてふと微笑む。
食べ終わってからそっと瞼を開ける。
赤色と黄色が溶け込んでいた桃を思い出す。
桃色ではなかった。
しばらく考えてから桃の花の桃色を思い出す。
そして自分が恥ずかしくなる。
懐かしい色の記憶だ。
もう見ることはないのだろう。
それを自然に受け止められるようになっている自分を愛おしく思う。
ご苦労様と自分自身に言葉が漏れる。
受け皿にしていた皿を両手で抱えてこぼれた果汁を飲み干す。
思いっきりの笑顔になる。
(2020年8月5日)

また

いつものように人が行き交っている。
いつものようにアナウンスが流れている。
いつものように電車がホームに入ってくる。
いつものように点字ブロックをを白杖で触りながら、
いつものように僕は歩いた。
でも、気持ちはいつもと違ってとっても重たかった。
電車の音を聞いて胸が締め付けられた。
また、東京で視覚障害者の人が線路に落ちて犠牲となった。
またという言葉に悔しさと虚しさが浸み込んでしまっている。
ホームによじ登ろうとしながら聞こえてきた電車の音はどれほど恐怖だっただろう。
事故を防ぐためにはやはり転落防護柵が必要だ。
ただそれには時間もお金もかかる。
安全のためには見える人の力を借りるしかない。
僕達に声をかけるのは勇気のいる行動だ。
でも、それが一人の人間の命を救うことになるのだ。
ホームで困っていそうな白杖の人がいたら声をかけてください。
宜しくお願い致します。
(2020年7月31日)