僕の散歩コースは団地を起点にして2コースある。
団地を出発して右に行くか左に行くかだ。
右に行けば上り坂が多くなる。
左に行けば距離が長くなる。
どちらに行く時も両足に1キロずつの重りを付けて歩いている。
僕なりのトレーニングだ。
散歩の目標は1日に3千歩だ。
簡単ではないけれど意識して努力していればクリアできる数字でもある。
スマートフォンには歩数計をセットしている。
ここの道は勿論見たことはないが頭の中に地図はできている。
坂道の感じ、バス停の点字ブロック、交差点の車の音、河のせせらぎ、路面の変化。
すべての情報が僕の頭の中で地図となっている。
少しずつ作り上げていった地図だ。
それをヒントにして白杖を左右に振りながらの歩行だ。
緊張感も少しの不安も常にある。
それでも歩きたいという気持ちが大きいのだろう。
もう何百回も歩いている道なのだが今でも失敗する。
今朝もいつものように散歩を終えて団地の近くまでたどり着いた時だった。
「団地の入り口、通り過ぎましたよ。」
聞き覚えのある声は団地の清掃をしてくださっている女性だった。
バス停の点字ブロックに気づかなかったのだろう。
点字ブロックをまたいでしまったのかもしれない。
「ひょっとしたらと思って歩いていたところでした。どれくらい過ぎていますか?」
「バス停まで20メートルくらいです。」
「ありがとうございました。助かりました。」
僕は的確な情報に感謝しながら後戻りを始めた。
「あの・・・。」
彼女は少し言葉を選んでから話された。
「怖くないんですか?」
ある意味、当然の疑問だろう。
「ちょっとは怖いですけど、もう慣れました。なんとかなっていますよ。」
僕は笑いながら答えた。
彼女と別れて団地に入りながら思った。
なんとかなっているのは何故だろう。
見えなくなって歩き始めた頃を思い出した。
とにかく怖かった。
見えない僕達が単独で歩く。
それはどんなに白杖技術が上達したとしてもそれだけではどうしようもない。
失敗した時に、迷った時に助けてくださる人達がおられるからだ。
歩くたびに迷うたびにそういう人達に出会ってきた。
老若男女いろいろな人達に助けてもらった。
その人達がおられたからここまで歩いてこられたのだろう。
今日の女性もそうだ。
社会にはさりげない目立たないやさしさがある。
いや、見えなくなったからこそたくさん出会えたのかもしれない。
見えなくなって良かったとは言わない。
でも、たくさんのやさしさに出会えたのは確かだ。
そして、そのやさしさが僕の人生をも豊かにしてくれた。
ありがたいことだと思う。
(2021年4月14日)
散歩コース
大学
大学での僕の授業は必須科目ではない。
興味を持った学生だけが選択してくれる。
しかも4講目だから終わるのが17時くらいになってしまう。
遠方から通学している学生やアルバイトが忙しい学生には受講しにくいと思う。
昨年度は4月にコロナによる緊急事態宣言ですべての授業がオンラインになった。
突然の変化だった。
見えない僕はその変化についていくことができなかった。
僕は渋々1年間の休講を決めた。
残念だった。
1年の歳月が流れた。
また新しい年度がスタートし、僕の授業も始まった。
初日、僕は授業の前にキャンパスにあるスターバックスでコーヒーを飲んだ。
いつもは雑音に聞こえる学生達の話し声をとても懐かしく感じた。
それから教室に向かった。
教室のドアを開けると学生達がいた。
受講してくれる学生達がいてくれたことをうれしく感じた。
僕はマイクを握ると、まず、素直にその気持ちを伝えた。
「僕の授業を選択してくれてありがとう。」
それから講義に入っていった。
1年間に90分の授業を30回実施する。
1年後、学生達は成長し、視野を広げ、新しい価値観を身に着けたりする。
そしてキラキラと輝く。
その姿はまさに未来を感じさせる。
ほんの少しだけれども、そこに関われることを幸せだと思う。
僕にできるささやかな活動のひとつだ。
授業が終わってパソコンなどを片付けていたら、女子学生が教壇の前にきた。
「ありがとうございました。」
彼女は小さな声でそうささやきながら教室を出ていった。
「こちらこそ。」
僕も笑顔で返した。
1年間頑張ろうと思った。
(2021年4月10日)
北の国から
30年以上前のドラマの再放送を見た。
懐かしい音楽がBGMで流れた。
好きだった俳優さんの語り口が胸に響いた。
その俳優さんも今はもう天国だ。
30年という時間の流れを不思議に感じた。
僕自身もずっといつの間にか生きてきたのだ。
生き続けてきたのだ。
きっとそれだけで幸せなことなのだろう。
ドラマの中のいくつかのシーンはなんとなく蘇った。
見えていた頃の証のような気がした。
映画の舞台になっていたのは北海道の富良野地方だ。
いつかフラフラと訪ねてみたい。
見えなくても空気は感じられるような気がする。
そんなことを考えていたらテーマ曲を口ずさんでいた。
幸せな気分になった。
(2021年4月5日)
新しい白杖
真新しい白杖で散歩してみた。
新年度の明日からデビューする白杖だ。
重さはこれまでで一番軽いし、グリップも細目だ。
使い心地がどうなのかの予行演習で歩いてみた。
白杖の先の樹脂の部分がまだ馴染んでいないので路面のあちこちにひっかかる。
握った感じも左右に振った感じも少し物足りない。
軽いせいなのかもしれない。
歩きながら、きっと日に日に慣れていくのかな。
期待の気持ちに少しの心配も重なる。
コロナ禍の社会はまだまだ続くのだろう。
すべての人がマスクを装着して歩いている社会、画像を想像するのは僕には困難だ。
見たことがないということからくる困難さなのだろう。
ただ、映画の世界でもなくSFでもなく、現実がそこにあるのだ。
見えない僕はどう向かい合い、どう生きていけばいいのだろうか。
朧げな不安はある。
未来を見つめて一歩ずつというのはきっと変わらないことなのだろう。
変わらないことであって欲しい。
新しい白杖のグリップを強く握ってみる。
白色がキラキラと輝いている。
新年度もまた頑張っていこうと素直に思う。
(2021年3月31日)
赤いハートのシール
先輩はいつも決まったガイドさんと通院しておられる。
そのガイドさんと出会ってもう6年になるそうだ。
先輩は弱視で僕よりお姉さんだ。
一人暮らしで頑張っておられる。
気丈に振舞っておられるがいろいろと不安もあるのだと思う。
ある時、通院の時にガイドさんは残りの薬の数が合わないことに気がついた。
「お薬は忘れたらだめですよ。」
ガイドさんはシールを買ってきて先輩の部屋のカレンダーに貼った。
ハートの形の赤いシールだ。
先輩の目でも確認できるシールだ。
「お薬を忘れるとガイドさんに怒られるの。」
先輩はうれしそうにつぶやかれた。
その話を聞いて無関係の僕もとてもうれしくなった。
「赤いハートのシール、喜んでおられましたよ。」
僕はそのガイドさんにそっと伝えた。
ガイドさんは先輩の人柄がそうさせたのだとのことだった。
先輩とガイドさん、家族でもないし幼馴染でもない。
福祉サービスをする人と受ける人という関係だ。
仕事上の関係だ。
それでも人間同士はやさしさを分かち合えるのだ。
寄り添うってことなのだろう。
人間って本当に素晴らしい。
(2021年3月27日)
幸せな朝
先輩から頂いたコーヒーカップでモーニングコーヒーを飲む。
ウェッジウッドのカップの大きさも手に馴染む感じもいい。
先輩が選んでくださったということがうれしいのかもしれない。
コーヒーはいつものイノダのコーヒーだ。
インスタントコーヒーなのだが一杯分の個包装になっている。
ティファールでお湯を沸かして自分で入れられる。
飽きがこないということは好みに合っているということなのだろう。
ドトールやスターバックスなども試したが結局イノダになっている。
オリジナルブレンドとキリマンジャロブレンドを交互に飲んでいる。
ブルーマウンテンブレンドもあるがオリジナルブレンドの倍以上の価格なので滅多に
買わない。
価格も満足度に関係してしまうということは基本的にケチな性格なのだろう。
日曜日の朝はこのコーヒータイムをクラッシック音楽が包んでくれる。
歌声のない音がいい。
いろいろな楽器の織りなす音に心がくつろいでいる。
新しい一週間が始まるということを自然に感謝している僕がいる。
若い頃にはなかった感覚だ。
コーヒーカップを持った時の餅ての感じ、コーヒーの味と香り、そして音楽。
触覚と味覚と嗅覚と聴覚、ここに視覚はない。
ひょっとしたら、視覚がないということが時を高品質にしているのかもしれない。
なんて、負け惜しみかな。
こっそり笑いながら最後の一口を飲み干す。
幸せな朝。
(2021年3月22日)
点字ブロックの日
1967(昭和42)年3月18日、日本で初めての点字ブロックが岡山県で敷設された。
岡山県立岡山盲学校(当時)の生徒が登下校の際、利用していた旧国道2号線の横断
歩道に230枚の点字ブロックが敷設されたのだ。
「視覚障害者の人間としての自立のために」という夢に向かった人達が私費を当時て
のことだった。
最初に関わった人の動機は白杖の人の直前をトラックが橋っていった光景だったらし
い。
白杖の人が安全に歩ける社会がその人の自立につながっていくはずだ。
夢に向かう力は受け継がれ、広まり、大きな力となっていったのだ。
そして、僕は毎日それを利用している。
毎日、その恩恵に授かっている。
白杖の先で、足の裏で、点字ブロックを確認する。
横断歩道、バス停、駅のホーム、階段、そのすべてが安心につながる。
感謝という言葉だけでは伝えきれない思いがある。
人間同士、人が人を思いやるということは素晴らしいことなのだろう。
社会が成熟していくというのはそういうことなのかもしれない。
点字ブロックは海を越えて、現在75の国や地域で使われているらしい。
海外の視覚障害者が笑顔になったのかもしれないと想像すると、それだけで僕もうれ
しくなる。
(2021年3月18日)
桜待つ思い
見える頃によく歩いていた道をたまたま歩いた。
歩道橋の下り坂にさしかかった。
ふと、思いでの中の桜に気づいた。
見える頃はそこで毎年見ていた。
当たり前の春の風物詩だった。
その道で桜を見ていたのは20歳過ぎの頃から40歳手前までの20年くらいだ。
そして見えなくなって25年くらいの時が流れた。
もう遥かな昔のことだ。
それなのに満開の桜が蘇る。
真っ青な空の下の薄桃色の桜、本当に美しい。
僕にとっての見るは触るということに変わった。
それは淋しい変化でもなく悲しい変化でもなく、豊かな変化なのだと思う。
指先で感じる桜の花弁を愛おしいと思う。
愛おしいと想える自分自身も愛おしい。
桜を見たいと思うのは春を感じたいという願いなのだろう。
自然に沸き起こる思いは変わらないということだ。
今年はどこでどんな桜に出会うのだろう。
楽しみだ。
(2021年3月16日)
黙祷
今日は出かける用事はなかった。
自分の部屋で音楽を聞きながらパソコンに向かっていた。
14時40分を知らせるアラームが鳴り響いた。
今朝セットしたものだった。
僕はグーグルホームにNHKラジオ放送の受信を指示しながら立ち上がった。
北の方向に向き直ってから気を付けをした。
そしてラジオから流れた時報に合わせて黙祷した。
その日、その時、僕はライトハウスの喫茶室にいたことを思い出した。
コーヒーを飲みながら休憩していた。
お気に入りの携帯ラジオのイヤホンを耳に入れていた。
突然、地震のニュースが飛び込んできた。
尋常ではないことが最初の報道から感じられた。
それでも、その後の津波や原発事故までの想像力はひとかけらも僕にはなかった。
たった一分間の黙祷の間に津波が襲ってくる映像が脳裏に浮かんだ。
見てはいない筈なのに浮かんだ。
そして亡くなられた方々のご冥福を心から祈った。
次の10年間をどう生きていくのか、それはきっと僕にも課せられた命題なのだろう。
黙祷が終わって目を開けた。
「今日はきっと一日中、雲一つない青空でしょう。」
今朝の天気予報を思い出した。
ほんの少し、救われたような気がした。
与えられた命をしっかりと生きていこうと思った。
(2021年3月11日)
予感
「沈丁花が咲いていますよ。」
一緒に歩いていたボランティアさんが突然声を出された。
僕が香りに気づくのと同時だった。
僕達は立ち止った。
香りに吸い寄せられるように沈丁花に近づいた。
ボランティアさんは僕の指先を小さな花に誘導してくださった。
僕は小さな花をそっと触った。
それから、葉っぱと木の幹を触った。
そしてまた、花に顔を近づけて香りに埋もれた。
幸せに埋もれた。
「蝋梅、モクレン、沈丁花、春の香りですね。」
ボランティアさんの声が弾んだ。
モクレンの香りなど知らなかった僕は、その話だけでもうれしくなった。
ささやかな単純な喜び、不思議だけどそんなことがアルバムの中では色あせない。
いくつもの季節が通り過ぎても、
沈丁花の香りに出会ったらこの道を思い出すのだろう。
そんな予感がしてうれしさは膨らんだ。
(2021年3月10日)