えみちゃん

僕が彼女と始めて出会ったのは見えなくなってからだった。
たまたま視覚障害者関係のイベントで出会った。
僕の講演を聞きにお母さんと一緒に参加してくれていたのだ。
口数の少ない彼女の笑顔が印象的だった。
あれから、もう10年以上の付き合いとなった。
昨夜の夢に彼女が登場した。
数日前に電話で話をしたせいかもしれない。
夢の中では何の違和感もなく僕達は話をしていた。
目が覚めて気づいた。
僕は彼女の顔を見たことはないのだ。
それでも夢の中では彼女の笑顔があった。
どういうことなのだろう。
不思議な感じがした。
彼女の雰囲気、やさしい語り口、控え目な笑い声、
それが朧げな顔の映像につながっているのかもしれない。
朧げだから思い出せるような記憶には残っていない。
でも確かに普通に笑顔があったのだ。
そして納得した。
うれしいから思い出せるのだ。
思い出すということが幸せなことなのかもしれない。
それはきっと見えるか見えないかなんて関係はないことなのだろう。
(2021年2月24日)

富士山

コロナで対面の講演会が実現するか不安だったが、
なんとか実施することができた。
ふとしたことで縁がつながった東京の高校に3年連続で伺ったことになる。
講演を聞いてくれた高校生と帰路の北千住駅で偶然出会った。
「講演してくださってありがとうございました。」
彼女は爽やかに挨拶をして改札口に吸い込まれていった。
京都であっても大阪であっても東京であっても、高校生は輝いて見える。
そういう年頃なのかもしれない。
彼女達が未来を創ってくれると思うと出会えたことに感謝の思いだ。
僕はすっかりいい気分で東京駅に向かった。
東京駅でサポートしてくださった駅員さんはとても丁寧だった。
何両目がいいかとか、トイレの近くがいいかとかいろいろ尋ねてくださった。
僕はどこでも大丈夫と告げた。
駅員さんは最後までいろいろ考えておられるようだった。
車内に入ってから僕を右側のシートに案内しようとしてそれを変更された。
「左側に変更しましょう。こちらが富士山が見えるんです。」
僕は吹き出しそうになるのをこらえて返事をした。
「ありがとうございます。」
思いは例え少々ずれていても構わない。
思いがあることが素敵なことなのだ。
僕は雪をかぶった富士山を想像しながら車窓を眺めて過ごした。
(2021年2月19日)

キンカン

小学校時代の友人からキンカンが届いた。
春姫というブランドのキンカンだ。
春姫をひとつ口に入れる。
大粒で口一杯になる。
最初はゆっくり齧る。
果汁が口中に広がる。
甘さの中野ほろ苦さが春を主張する。
それを確認できたらモグモグと食べる。
種を山車ながら食べる。
春が口中から食道を通って胃袋にたどり着く。
そして最後に脳まで届く。
かけがえのない幸せを感じる。
彼女とは小学校からずっと連絡を取っていたわけではない。
卒業して40年くらいのブランクがあった。
たまたま新聞記事で僕のことを知った彼女が連絡をとってくれたのだ。
40年という時間を超えて人間同士は再会できる。
こういうことができるのが人間という生き物の魅力だ。
今年出会った人と百歳を超えてからまた会えたらうれしいだろうな。
そんな風に考えながら生きていければいいのかもしれない。
(2021年2月14日)

全集中

ニュースは科学の進歩を伝えていた。
受精卵の遺伝子検査についてだった。
命に関わる病気などが予想される場合が対象になるとのことだった。
治療法のない難病などで失明の危険性がある場合も同様との内容だった。
ひとつ時代が違えば僕は生まれてくることができなかったのかもしれない。
寒々とした思いで家を出た。
白杖を左右に降りながらいつもの道を歩いた。
横断歩道の点字ブロックで立ち止った時だった。
「おはようございます。」
少年とお母さんの声が重なりながら聞こえた。
「おはようございます。久しぶりですね。」
僕は聞き覚えのある超えの母子に挨拶を返した。
僕達は揃ってバス停に向かった。
僕が市バスを待っている近くで母子は支援学校の送迎バスを待っていた。
バスが来るまでのわずかな時間、母子の笑い声が辺りにこだました。
「じゃんじゅうじゅう」
少年は幾度も繰り返していた。
僕はその意味はさっぱり分からなかった。
お母さんが一言ずつ区切って教え始めた。
「ぜん しゅう ちゅう」
少年は一生懸命に繰り返した。
「じゃんじゅうじゅう」
お母さんと少年のの笑い声が朝の陽だまりに溶け込んだ。
疑うことのできない幸せがそこに存在していた。
障害はない方がいい。
元気で一生を過ごしていく。
それは誰もが望むことだろう。
でもそうあり続けるなんて不可能だ。
生きているから病気もするしケガもする。
年もとる。
そのすべてを含めて人が生きていくということなのだと思う。
そこには悲しみもあれば喜びもある。
そして、涙が笑顔に変わっていくこともあるのだ。
支援学校のバスが到着した。
「いってらっしゃい。」
お母さんが少年に手を振った。
僕も一緒に手を振った。
「全集中」
今日も頑張って生きていこうと思った。
(2021年2月9日)

春の光

立春なのにまだ寒いなと思いながら歩き始めた。
気温は3度だった。
8時半を過ぎていたので朝日はもう昇っていた。
しばらく歩いてすぐに気づいた。
やっぱり春が始まったのだ。
気温3度は冬と同じ数値なのだが感じる光は違っていた。
僕の目では光の明るさなどは分からない。
僕の身体全体が光を感じてくれたのだ。
光が包んでくれたのかもしれない。
光の中にしっかりと熱が含まれていることに気づいたのだ。
冬の光とは少し違う熱だった。
夏のような強烈さはないのだけれど、存在感のある熱だった。
その光が降り注いでいた。
音もなく気配もなく降り注いでいた。
草にも木々にも土にも、そして僕にも降り注いでいた。
僕はうれしくなった。
身体の中にエネルギーが充電されていくような感覚になった。
草も木々も土も今エネルギーを蓄えていっているのだろう。
冬の後には必ず春がくるのだ。
当たり前のことを何故かとてもうれしく感じた。
満開の春が待ち遠しくなった。
(2021年2月4日)

満月

満月だとラジオから聞こえてきた。
僕はわざわざダウンコートに袖を通してからベランダに出た。
それからそっと夜空を見上げた。
見えないということは焦点を合わす必要はない。
探さなくてもいい。
ただそっと見上げて記憶に語りかければいい。
青白い光のお月さまが静かに迎えてくれた。
子供の頃、青年の頃、壮年の頃、そして今、
きっと変わらない光が零れているのだろう。
天文学とか物理学とか文系の僕は苦手だった。
苦手だけれどその雰囲気は好きだった。
時の流れの壮大さ、自分自身のちっぽけな命、
それを想うことが好きだったのかもしれない。
今年の満月は特に綺麗に思えた。
しばらく佇んで呼吸をした。
お月さまが帰られたらまた明日が始まる。
(2021年1月30日)

点字の年賀状

毎年いろいろな学校にお招き頂く。
小学校から大学までいろいろだ。
今年度はコロナの影響で少なくはなったが、それでもゼロにはならなかった。
有難いことだと思う。
小学生、中学生、高校生、大学生、それぞれに感じて受け止めてくれる。
当たり前のことだが子供達は成長して大人になっていく。
未来を創造する主役になっていく人達なのだ。
ささやかでもその人達の創る未来に関われるというのはうれしい。
時々、小学校、中学校、高校、3回も話を聞いたという人に出会うこともある。
縁があるということなのだろう。
今年届いた年賀状の中には高校の先生からのものがあった。
小学校、中学校で僕の話を聞いてくれた。
高校生の時には部活動帰りの彼女と幾度か駅で出会った。
いつもサポートしてくれた。
教師を目指した彼女は教育大学に進み夢をかなえた。
年賀状には点字でメッセージが書いてあった。
僕達も参加しやすい社会はまだまだ遥か向こうにある。
あきらめないでコツコツと進むことが大切なのだ。
エールに感謝した。
(2021年1月26日)

あら煮

宮津市の高校まで出かけた。
漁業関係に進みたい高校生達が学ぶ高校だ。
学校は海のすぐ横にあり、校内に桟橋がある。
そこには学校の実習船が停泊している。
校舎内にはあちこちに水槽があっていろいろな魚が泳いでいる。
小学校低学年の頃、船長さんに憧れていた僕には夢の学校だ。
海の近くで育ったのでいつも船を見ていたからだろう。
港にはいつもいろいろな漁船がつないであった。
ちょっと不思議な感じの高校だが、生徒達は普通の高校生だ。
しっかりと話を聞いてくれたしいろいろな質問もしてくれた。
有難いことだと思った。
この学校にはもう数年出かけているのだが、もうひとつ楽しみがある。
駅前の食堂でのお昼ご飯だ。
予定の電車を早めて到着するようにしている。
お刺身定食が目当てだ。
新鮮なお刺身がたくさん着いていて信じられない安さだ。
まさに堪能できる。
今回は「あら煮」も追加した。
山盛りのあら煮を黙々と食べた。
見えないと魚の骨が危なくないかと心配されることもあるが何の問題もない。
唇、歯、口中の触覚で対応できている。
おいしいものを食べている時は見えないことも完全に忘れてしまっている。
おいしさの中で幸せになっている。
食べ終わってしばらくして、店のおばちゃんが食器を片付けにこられた。
「まあ、きれいに食べたね。」
おばちゃんは驚いたような声を出された。
「おいしかったです。」
僕はまさにドヤ顔で答えて微笑んだ。
また来年も宮津に来れたらいいな。
このお魚を食べに、いやいや、高校生に会いに。
(2021年1月21日)

使命感

友人は故郷で臨床検査技師という仕事をしている。
ふと思い出してご機嫌伺いのメールをしてみた。
返信のメールには元気で頑張っている姿があった。
正月休みも返上しながらPCR検査に追われたらしい。
仕事には誇りとやりがいを感じているけれども、
いつも感染への不安はあるとのつぶやきもあった。
それでも正確な検査結果を出すことは自分達の使命だとのことだった。
「使命」という言葉が輝いていた。
キラキラではないけれどしっかりと存在していた。
今この瞬間も使命感に支えられて仕事をしている人達がおられる。
人間の社会の強さみたいなものを感じた。
僕にできることって何だろう。
マスクをしたまま、しっかりと白杖を握って前に進むことなのだろう。
少しずつでもあきらめないで進むことなのだろう。
コロナが終息したら、また彼と笑顔で再会したいと思った。
(2021年1月18日)

シラバス

今月中に来年度のシラバスを提出するようにとの大学からの指示だった。
シラバスというのは一年間30回の講義計画だ。
学生達の受講動機のひとつになる。
僕はまた新しく出会うであろう学生達をイメージしながらいろいろ考えた。
校正を幾度も繰り返しながら作成していった。
専門学校や大学の講義は1回が90分だ。
講義する方も講義を受ける法も結構大変だ。
受講してくれる学生達が喜んでくれる内容にしたい。
楽しみながら深い学びにつながってくれればと期待する。
今年度は入学式の直前にオンラインでの講義となった。
準備ができなかった僕は一年休講することにした。
見えない僕が突然オンラインで実施するのは無理な話だった。
社会情勢からして仕方ないと理解はしながら残念に感じた。
この一年の間に僕もなんとかzoomくらいはできるようになった。
大学の教務課の支援を受ければなんとかなるだろう。
また新しい学生達に会えると思うとうれしくなる。
仕事ができるというのは幸せなことだ。
冬が終われば春がくる。
必ず春がくる。
笑顔で迎えられる春であって欲しい。
(2021年1月14日)