たまにしか利用しないバス停だった。
探すのに戸惑った。
目印の点字ブロックの切れている場所を歩いて越えてしまったらしい。
時々やってしまうことだ。
しばらく歩いて気づいた。
背中の方でバスが停車してそれから発車するエンジン音が聞こえたからだ。
僕は振り返って、そこまでの距離をイメージしながらさっきよりゆっくりと歩いた。
白杖を左右にスライドさせて路面を確認しながら歩いた。
足の裏の神経も頑張らせた。
今度はしっかりと点字ブロックをキャッチすることができた。
点字ブロックの上で両足を揃えたらほっとして溜息が出た。
「座るかぁ?」
僕の左側の腰ほどの高さからおばあちゃんのやさしそうな声がした。
そこに椅子があったのを初めて知った。
「大丈夫ですよ。ありがとう。」
僕は移動するよりも点字ブロックの上でゆっくりする方を選んだ。
しばらくの時間が流れた。
「緑がきれいだよ。」
おばあちゃんは僕の方を向いて突然話された。
「ほんまに綺麗だよ。」
しみじみと話された。
僕は首を上げて遠くを眺めた。
幸せな気持ちが僕を包んだ。
「そうですね。一年で一番緑が綺麗な季節ですよね。」
うれしそうに答えた僕の気持ちが伝わったのだろう。
おばあちゃんは続けられた。
「ほら、緑の匂いがするやろ。」
僕はマスクの中の鼻をピクピクさせた。
残念ながら僕の鼻はあまり感度がよくない。
僕は嘘をつくことにした。
「ほんまですね。微かに緑の匂いがしますね。」
おばあちゃんは納得されたようだった。
やがてバスのエンジン音が近づいてきた。
「5番のバスだよ。桂駅行き。」
おばあちゃんは尋ねる前に教えてくださった。
「僕、これに乗ります。ありがとうございました。」
バスに乗ったら、他の乗客の方が空いてる席に誘導してくださった。
僕はバスの窓越しに外を眺めた。
美しい緑色が頭の中一杯に広がった。
濃淡の緑色が混在するように喜びと悲しみが溶け合った。
僕は長め続けた。
「もう一度見てみたいものって何ですか?」
先日の大学生の質問を思い出した。
僕は即座に答えることはできなかった。
きっとたくさんあり過ぎて選ぶことができなかったからだろう。
僕は心の中でつぶやいた。
「おばあちゃん、嘘ついてごめんなさい。ありがとう。うれしかったよ。」
(2021年5月17日)
嘘
別れ
「汚れちまった悲しみは」だっただろうか。
彼はよく中原中也の詩を音読していた。
古い木造アパートの裸電球の下で僕達の青春は息づいていた。
高校時代に知り合った彼は僕より一歳年上だった。
飾らないやさしさを持ち合わせた人だった。
京都で一緒に学生生活を過ごした。
正確に言えば、大学生の僕とパン屋さんで働いていた彼と一緒に暮らしたのだ。
僕が日本を離れて旅に出たいと言い始めた時、彼は一緒に行くと言ってくれた。
夜盲のあった僕を心配してのことだったのだろう。
僕達は二か月間くらい、リュックサックを背負ってヨーロッパをウロウロした。
サハラ砂漠も見たいと言い始めた僕に、彼はあきれながらも付き合ってくれた。
ナイロン袋に入れて持ち帰った砂漠の砂は今も手元にある。
忘れられない思い出となっている。
彼が仕事で東京に引っ越しても付き合いは続いていた。
突然電話がつながらなくなったのは35歳くらいの頃だっただろうか。
お互いに忙しい時期、いつかそのうちと思って時間は過ぎていった。
男同士なんてそんなこともある。
ただ、それ以後の彼の足取りは同級生達の誰も知ることができなかった。
ひょんなことでやっと彼の消息が分かった。
二か月ほど前に彼はこの世を去っていた。
あれ以来再会できなかった悔しさが僕を包んだ。
訃報を知った僕は正座して合掌した。
心が少しずつ落ち着いていった。
ありがとうの気持ちがどんどん膨らんだ。
記憶の中の様々な映像が蘇った。
おんボロアパートの階段、こわれかけていたカギ、二人で歩いた繁華街の雑踏、
よく通った銭湯の様子、すべて懐かしく蘇った。
そしてあのヨーロッパの風景・砂漠の上にあった真っ青な空、蘇った。
彼の笑顔も蘇った。
蘇る映像があることをとても幸せだと感じた。
「会うは別れの始めなり。」
これも彼の口癖だった。
確かに、たくさんの人と出会い、そして別れてきた。
その出会いの中で生きてこられたのだろう。
「僕はもう少し、こっちで頑張るよ。
のんびり待っていてね。」
僕は心の中で彼につぶやいた。
(2021年5月13日)
介護士
緊急事態宣言が発出されているせいか、以前のようなラッシュは姿を消した。
それでも、朝の電車はそれなりに混んでいる。
いつもの烏丸駅から四条駅への乗り換えはやっぱり緊張する。
ホームから落ちないようにしなければいけない。
白杖が他の通行人の足に引っかかったりしないように気をつけなければいけない。
ホームを歩き、エスカレーターに乗り、改札口まで無事にたどり着く。
失敗が許されない日常がそこにある。
「一緒に行きましょう。」
エスカレーターに乗る直前に女性の声がした。
「ありがとうございます。肘を持たせてください。」
僕は彼女の肘を持ちながらエスカレーターに乗った。
「ホームは怖いので助かります。
改札口の点字ブロックまでお願いします。」
わずかな時間の中で、感謝と目的の場所を伝える。
これもサポートを受ける僕達のエチケットだろう。
「分かりました。」
彼女は改札口の手前の点字ブロックの上に僕を誘導してくださった。
お礼を言いながらありがとうカードを手渡した。
「介護士です。」
別れ際に彼女はそうおっしゃった。
堂々とした感じだった。
高齢者や障害者、いろいろな人の人生を支えてくださっているのだろう。
自分の仕事に誇りを持っておられるのが伝わってきた。
「ご苦労様です。」
僕は自然にそう返しながら笑顔になった。
プロの姿をかっこいいと思った。
(2021年5月9日)
おもちゃ箱
子供の日に届いた宅急便は僕を子供の頃に連れて行ってくれた。
故郷のともだちが故郷の香りをあれこれと送ってくれたのだ。
うるめいわし、海苔、キビナゴ、東シナ海で捕れたものだった。
げたんは、スズメのたまご、子供の頃のお菓子もあった。
粽にはちゃんと黄な粉も添えられていた。
海苔巻きおかきは故郷には関係ないが僕の好物と知ってのことだろう。
鹿児島の新茶に合わせてくれたに違いない。
阿久根で収穫されたソラマメもあった。
名物のラーメンもあった。
まるでおもちゃ箱から出てくるようだった。
童心に帰るってこういう感覚のことなのだろう。
少年時代を一気に思い出した。
映像でもなく音でもなく、空気を思い出したのだ。
少年時代の空気に包まれていくようだった。
懐かしくてぬくもりのある空気だった。
ひょっとしたら、おもちゃ箱の隅っこに空気も入れてくれていたのかもしれない。
さすがともだちだなと僕は微笑んだ。
(2021年5月6日)
やさしいプロの技
激しい雨だった。
バスで帰宅することにした。
乗車時間は長いが乗り換えなくて済むからだ。
ボランティアさんが傘をさしてくださったが、ちょっと濡れながらの乗車だった。
ボランティアさんは空いてる席を探して僕を座らせてから自分は別の席に移られた。
1時間程の帰路の旅だ。
これで安心して帰れると思った。
ボランティアさんは途中で降りてバスを乗り換えて帰られる。
ボランティアさんの降りるバス停が近づいてきた。
「お先に失礼します。お気をつけて。」
ボランティアさんは僕に声をかけて降車口に向かわれた。
「ありがとうございました。」
僕はボランティアさんの背中に向かってお礼を伝えた。
降車口で運転手さんとボランティアさんが何か話しておられた。
雨音で内容は聞こえなかったが、ボランティアさんの笑い声は聞こえた。
バスは発車した。
僕はスマートフォンのYouTubeを起動させて音楽を聞いて過ごした。
ブルートゥースイヤホンの音はとてもいい。
しかも音はほとんど漏れないので安心だ。
バスの中がコンサート会場に早変わりだ。
たまにそっと外して停留所のアナウンスを確認しながら過ごした。
雨はずっと降り続いていた。
最寄りのバス停のアナウンスを確認したのでアイフォンを片付けた。
リュックを背負って、折りたたんでいた白杖も伸ばした。
反対の手には傘も持って準備万端で降車ボタンを押した。
バスが停車したので降車口に向かった。
「ありがとうございました。」
僕はいつものようにお礼を言って降りようとした。
「点字ブロックにぴったり合わせてあります。隙間もありません。気をつけて。」
運転手さんが説明してくださった。
バスを降りて、僕は感動した。
白杖も入らないくらい隙間のないぴったりだった。
点字ブロックの上にはバス停の屋根もあったので、濡れないで傘の準備もできた。
本来なら点字ブロックは降車口ではなく乗車口に合わしてくださる。
本来の場所に停車すれば屋根からはずれてしまって雨に濡れることになる。
運転手さんは僕が降りるバス停を知っておられたのだろう。
プロの技と運転手さんのやさしさに胸が熱くなった。
僕は走り出したバスに向かってもう一度頭を下げた。
帰宅したらボランティアさんからのメールが届いていた。
「バスを降りる時に運転手さんから声をかけられました。
降りるバス停を知っているからちゃんとお届けしますとのことでした。
知っている人、多いですね。」
確かに知ってくださっている人は多い。
白杖を持って毎日のように出かけているからだろう。
目立つ姿であるのは間違いない。
それから、どこかで講演を聞いてくださったとかもあるかもしれない。
子供が学校で話を聞いたというのもあるのだろう。
たくさんの人達に見守られながら活動を続けられているのだ。
きっと気づいてはいないやさしさもたくさんあるのだろう。
そのすべてに心から感謝したい。
(2021年5月3日)
風景
僕が住んでいる洛西は1970年台に開発されたベッドタウンだ。
戸建ての住宅だけではなく、公営住宅などの多くの団地が街全体に並んでいる。
名称はニュータウンだがすっかりオールドタウンになってしまった。
たくさんいた子供達も成人して他の地域に出ていったのだろう。
高齢化率も高い地域となった。
街全体が歳を重ねてきたのだ。
ただ、それはマイナスだけではなくていいこともある。
例えば街路樹が成長した。
今、街全体が活き活きとした緑の中にある。
黄緑、緑、濃い緑、新緑に埋め尽くされている。
花が終わった桜の木には若葉が芽吹き葉っぱの間からは小さなピンクの実が顔を覗か
せている。
あちこちのつつじは赤、白、ショッキングピンク、まるで歌を歌っているようだ。
街路樹の根元では紫のかきつばたが微笑んでいる。
街全体が春から初夏に少しずつ衣替えをしている最中だ。
時折吹く風ものどかな肌合いだ。
呼吸するだけで気持ちが豊かになる。
ふと気づく。
見たことのない僕に風景がある。
自分でも少し可笑しくなる。
教えてくれる人がいる。
伝えてくれる人がいる。
いろいろな人との関わりの中で生きているということなのだろう。
ふっと空を見上げる。
真っ青なブルースカイ。
これは教えてもらったのではない。
僕の脳が想像したこと。
これも僕にとっては大切な目なのだ。
(2021年4月28日)
コーヒーの木
専門学校が1時限目からの授業だったので7時過ぎには家を出た。
午前中に2時限の授業をして午後は大学での授業があるのでとてもハードな日だ。
乗り換える予定のバスや電車は10を超えるし、帰宅は19時を過ぎることになる。
気力も体力も必要だ。
桂駅で最初の電車に乗ろうとした時だった。
電車のドアが開く音が聞こえて、僕は点字ブロックの上を少しずつ前に移動した。
白杖は身体の前で斜めに持って防御の姿勢になっている。
その白杖が僕の前の人に触れた。
「すみません。」
僕は少し後戻りした。
数秒経過して動き始めたが、また同じことが起こってしまった。
「すみません。」
僕はまた後戻りした。
また数秒経ってから今度は声を出した。
「進んでもいいですか?」
返事はなかった。
もう大丈夫かと思って動こうとした瞬間、電車のドアが閉まる音がした。
乗り遅れたのだ。
以前の僕はいろいろな思いになっていたことを思い出した。
どうして返事をしてくれないのだろう。
気づいた他のお客さんはいなかったのだろうか。
どうして助けてくれないのだろう。
僕は点字ブロックの上を歩いていたから間違ってはいない。
駅員さんは見てくれていたのだろうか。
微かな怒りさえ感じることもあった。
いろいろ思いをめぐらして悲しくなっていたような気がする。
いつの頃からかは分からない。
なんとなく別の考え方をするようになっていった。
朝から後ろから当たられたら、嫌な思いをする人はきっといるだろうな。
朝は皆急いでいるから当然だよな。
声をかけるって勇気がいるしな。
何故そう変化していったのかは分からない。
悲しみや怒りという感情はほとんど姿を消した。
歳を重ねて丸くなったのだろうか。
そういうことでもないような気がする。
ただ、その変化で自分自身の表情の変化を自覚できるようになった。
勿論笑顔にはなってはいないが、こわばった表情ではなくなった。
それは結局、一日の終わりの感情にもいい影響を与えるようになった。
今日も一日を振り返って最初に出てきたのはモントーヤ君とのランチの時間だった。
モントーヤ君はコロンビアからの留学生で僕の授業を受けている。
コロンビアの自宅には普通にコーヒーの木があることや空の青さを教えてくれた。
僕の好きなコスモスの花、その名前には宇宙という意味があることも教えてくれた。
とても豊かな時間だった。
一日の終わりに鍵をかける時、悲しみよりも喜びがあった方がいい。
そう考えたら、朝の出来事さえ幸せな一日の中にあることだと思った。
(2021年4月24日)
母校
後輩達はしっかりと僕の話を聞いてくれたようだった。
鹿児島県立川内高等学校、僕の母校だ。
創立記念日の講演にお招き頂いた。
同窓会の関係者の皆様が僕を推薦してくださったのだ。
光栄なことだと感謝した。
僕は後輩達の前で正直に話をした。
僕は決して成功した人達の代表にはなれない。
ひょっとしたら、挫折を味わった人の代表なのかもしれない。
僕は偉くもなれなかったしお金持ちにもなれなかった。
失明というとんでもないことも起こってしまった。
それでも頑張って生きてきた。
振り返ってみれば、ささやかな幸福感はある。
そして、それはたくさんの人達との交わりの中で感じてきたものだ。
どんな人生にも悲しみや苦しみはある。
そして、その向こう側にはそれぞれの幸せもきっとある。
僕は僕自身に伝えるかのように話をした。
帰りの新幹線の中で卒業式の日の光景が蘇った。
47年前の光景だ。
ラブビー部の部室の前から眺めたグラウンドが輝いていた。
真っ青な空の下で過ごした時間が微笑んでいた。
確かにそれは豊かな時間だったと思う。
その豊かな時間がその後の僕の人生を応援してくれたのだ。
後輩達の人生がそれぞれに未来につながっていくようにと心から願った。
(2021年4月19日)
散歩コース
僕の散歩コースは団地を起点にして2コースある。
団地を出発して右に行くか左に行くかだ。
右に行けば上り坂が多くなる。
左に行けば距離が長くなる。
どちらに行く時も両足に1キロずつの重りを付けて歩いている。
僕なりのトレーニングだ。
散歩の目標は1日に3千歩だ。
簡単ではないけれど意識して努力していればクリアできる数字でもある。
スマートフォンには歩数計をセットしている。
ここの道は勿論見たことはないが頭の中に地図はできている。
坂道の感じ、バス停の点字ブロック、交差点の車の音、河のせせらぎ、路面の変化。
すべての情報が僕の頭の中で地図となっている。
少しずつ作り上げていった地図だ。
それをヒントにして白杖を左右に振りながらの歩行だ。
緊張感も少しの不安も常にある。
それでも歩きたいという気持ちが大きいのだろう。
もう何百回も歩いている道なのだが今でも失敗する。
今朝もいつものように散歩を終えて団地の近くまでたどり着いた時だった。
「団地の入り口、通り過ぎましたよ。」
聞き覚えのある声は団地の清掃をしてくださっている女性だった。
バス停の点字ブロックに気づかなかったのだろう。
点字ブロックをまたいでしまったのかもしれない。
「ひょっとしたらと思って歩いていたところでした。どれくらい過ぎていますか?」
「バス停まで20メートルくらいです。」
「ありがとうございました。助かりました。」
僕は的確な情報に感謝しながら後戻りを始めた。
「あの・・・。」
彼女は少し言葉を選んでから話された。
「怖くないんですか?」
ある意味、当然の疑問だろう。
「ちょっとは怖いですけど、もう慣れました。なんとかなっていますよ。」
僕は笑いながら答えた。
彼女と別れて団地に入りながら思った。
なんとかなっているのは何故だろう。
見えなくなって歩き始めた頃を思い出した。
とにかく怖かった。
見えない僕達が単独で歩く。
それはどんなに白杖技術が上達したとしてもそれだけではどうしようもない。
失敗した時に、迷った時に助けてくださる人達がおられるからだ。
歩くたびに迷うたびにそういう人達に出会ってきた。
老若男女いろいろな人達に助けてもらった。
その人達がおられたからここまで歩いてこられたのだろう。
今日の女性もそうだ。
社会にはさりげない目立たないやさしさがある。
いや、見えなくなったからこそたくさん出会えたのかもしれない。
見えなくなって良かったとは言わない。
でも、たくさんのやさしさに出会えたのは確かだ。
そして、そのやさしさが僕の人生をも豊かにしてくれた。
ありがたいことだと思う。
(2021年4月14日)
大学
大学での僕の授業は必須科目ではない。
興味を持った学生だけが選択してくれる。
しかも4講目だから終わるのが17時くらいになってしまう。
遠方から通学している学生やアルバイトが忙しい学生には受講しにくいと思う。
昨年度は4月にコロナによる緊急事態宣言ですべての授業がオンラインになった。
突然の変化だった。
見えない僕はその変化についていくことができなかった。
僕は渋々1年間の休講を決めた。
残念だった。
1年の歳月が流れた。
また新しい年度がスタートし、僕の授業も始まった。
初日、僕は授業の前にキャンパスにあるスターバックスでコーヒーを飲んだ。
いつもは雑音に聞こえる学生達の話し声をとても懐かしく感じた。
それから教室に向かった。
教室のドアを開けると学生達がいた。
受講してくれる学生達がいてくれたことをうれしく感じた。
僕はマイクを握ると、まず、素直にその気持ちを伝えた。
「僕の授業を選択してくれてありがとう。」
それから講義に入っていった。
1年間に90分の授業を30回実施する。
1年後、学生達は成長し、視野を広げ、新しい価値観を身に着けたりする。
そしてキラキラと輝く。
その姿はまさに未来を感じさせる。
ほんの少しだけれども、そこに関われることを幸せだと思う。
僕にできるささやかな活動のひとつだ。
授業が終わってパソコンなどを片付けていたら、女子学生が教壇の前にきた。
「ありがとうございました。」
彼女は小さな声でそうささやきながら教室を出ていった。
「こちらこそ。」
僕も笑顔で返した。
1年間頑張ろうと思った。
(2021年4月10日)