僕は大学は社会福祉学科だった。
何の仕事をしようか、何の仕事が僕にできるのか、生き方探しの旅だったような気が
する。
特別な技能もなかったし優秀な学生デモなかった。
それでも、何か社会に貢献できることをしたいという思いだけはあった。
3回生の頃、大阪の児童福祉施設での実習があった。
一か月間、施設の寮に泊まり込んでの実習だった。
僕はその仕事にのめり込んでいった。
実習が終わって、京都の施設を大学から紹介してもらった。
ボランティアという名目の雑用係みたいなものだった。
雑用係の仕事は少しずつ増えてアルバイト勤務となった。
僕は21歳から39歳までのほとんどの時間をその施設で過ごすことになった。
雑用係を続けたのだ。
頑張れば僕にもできることだった。
収入は乏しかったがやりがいだけはあった。
視覚障害になって辛かったことがあるとすれば、
その仕事を辞めなければならなくなったということだったと思う。
退職の後、思い出につながるものすべてを処分した。
見えていた自分自身との決別だったのかもしれない。
それから25年の歳月が流れた。
今でも時々、当時の子供達と会うことがある。
当時の僕はそれぞれの人生の重たさを理解できていなかったのだとつくづく思う。
若さ故の過ちが多過ぎたような気がする。
懺悔の思いが大きい。
久しぶりに当時少女だったおばちゃんと歩いた。
彼女の肘を借りて相合傘で歩いた。
服役中の内縁の夫についての相談だった。
僕は彼女が幸せであることだけを願いながら話を聞いた。
「お兄さん、変わらへんなぁ。」
彼女は笑った。
どんな意味があるのかは分からない。
僕もいろいろな人と相合傘で歩いてきた。
助け助けられて生きてきた。
生き方探しの旅はまだまだ続くということなのだろう。
見えても見えなくても僕は僕にしかなれないのだ。
(2021年8月15日)
相合傘
高校野球
ラジオで高校野球の開会式を聞いた。
「栄冠は君に輝く」の歌声が心に染み渡った。
人間の声って本当に美しく力強いと感じた。
歌声が夏の空に吸い込まれていくような気がした。
見えている頃、幾度か高校野球観戦に甲子園に出かけた。
ギラギラと輝く夏の空が眩しかったのを憶えている。
思いでさえも眩しく感じるから不思議だ。
夏の中にいながら夏を懐かしく思う。
過ぎ去った若い日を懐かしく感じるということなのかもしれない。
過ぎ去った夏は遥か遠くになってしまった。
淋しく感じるのも事実だ。
それでもまだもうちょっとは人生は続いていくのだろう。
豊かであって欲しいと願う。
今年もまたしっかりと応援しよう。
悔いのないプレー、悔いのない試合、悔いのない日々。
悔いがあるからそう思ってしまうのかな。
(2021年8月11日)
ひまわり
暑さの中でふと思い出した。
この夏、僕はまだひまわりを見ていない。
それだけ外出の機会が減ってしまっているということだろう。
夏になれば毎年どこかでひまわりに出会った。
そしていつもうれしく感じた。
自分の命が夏の中で生きていると感じていたのだと思う。
それを教えてくれる花なのだろう。
僕が見るというのは触るということだ。
ひまわりに出会うとまずその高さを触った。
それから黄色の花弁、花の中央の種になる部分を触った。
大きな葉っぱも太い茎もそれぞれを触った。
手から夏のエネルギーを感じたような気がする。
もうどれくらい前だろう。
ひまわり畑に出かけたことがある。
一面のひまわり、実際には見てはいないはずなのに忘れられない映像だ。
思い出がキラキラと輝いている。
今年の夏、このまま夏を終えるのは残念過ぎる。
せっかくの夏、どこかのひまわりに会いに行こう。
(2021年8月7日)
テニス部
気温が30度を超すようになって朝の散歩を中止した。
マスクをしての散歩はきつ過ぎるのだ。
近くに人がいない時はマスクを外してもいいとのことだが、
僕達は近くに人がいるかが分からない。
外してもいい場所とタイミング、見えないと難しい。
コロナ禍、仕事もプライベイトも含めて外出の機会はだいぶ少なくなってしまった。
家にいたらついおやつを食べてゴロゴロしている。
体重計に載るのが怖くなっている状態だ。
困ったものだ。
地域にある福祉施設での仕事、せめてこれくらいは歩いていくことにしている。
月に2回だけなので気分的にも苦にはならない。
今朝も歩いて出かけた。
僕の足で30分、2キロはないだろう。
8時を過ぎたくらいの夏の朝は既に過酷だった。
セミの合唱をうるさくも感じながら青息吐息で歩いていた。
「松永さん、おはようございます。大丈夫ですか?」
女の子の声だった。
僕の福祉授業を受けてくれた地域の中学生だった。
彼女はこれからテニス部の練習に向かうらしい。
「大丈夫だよ。ありがとう。」
僕は彼女と別れてまた歩き始めた。
「気をつけてくださいね。」
背中から彼女の明るい声が追いかけてきた。
中学生、テニスの朝練、夏がよく似合う気がしてうれしくなった。
中学校の頃のガールフレンドがテニス部だったのを思い出した。
ラケットを持った笑顔を思い出した。
キラキラとした笑顔だった。
夏の映像だったような気がする。
うれしくなった。
(2021年8月2日)
セミ
セミが大きな声で鳴いている。
一匹一匹の鳴き声は普通なのかもしれないが、
何百匹何千匹と集まった音量は凄まじい。
その音量はすべての音をかき消す。
僕はセミの鳴き声の中におぼれていく。
セミの鳴き声が記憶の旅路をエスコートしてくれているようだ。
カンカン照りの水色の空の下に少年の僕がいる。
半ズボンにランニングシャツ、ゴム草履を履いている。
麦わら帽子をかぶっている。
僕の後ろには僕の影がある。
少年はどこに向かって歩こうとしているのだろうか。
思い出そうとしても思い出せない。
手がかりもない。
まっすぐ前を向いて歩いている。
とぼとぼ歩いた方が絵になるのかもしれないが、
少年は元気に歩いている。
やせこけた身体は日に焼けている。
突然少年の足が止る。
立ち止った少年の顔を覗き込む。
頬が涙で濡れている。
濡れているのに笑っている。
戸惑う僕の耳にセミの鳴き声が再び届く。
僕は現実に引き戻される。
ほんの一瞬、僕の魂は50年以上前にスリップしていたようだ。
どこに向かおうとしていたのか、
何故涙があったのか、
何故笑っていたのか判らない。
不安なのか希望なのか判らない。
間違いないのはずっと歩いてきたということなのだろう。
ずっとずっと歩いてきたということなのだろう。
そして明日も歩いていく。
明後日も歩いていく。
まだまだ歩いていきたいと思う。
なんとなくそう思う。
(2021年7月28日)
ふれあい
授業を終えて、サポートの先生がバス停まで送ってくださった。
この高校では総合的な学習で点字を担当している。
僕の点字力はそんなに高くない。
点字力の高い視覚障害者の人が本を5ページ読む間に僕は1ページしか読めない。
40歳になってから学んだのだから仕方ない。
でも本当はそれに加えての努力不足もあるのも事実だ。
点字力は低くても高校生や先生方と関わることに意味があると思っている。
今日も点字を通して女子高校生と会話があった。
彼女の名前に櫻という字があった。
恥ずかしながら、僕は見えている頃にその漢字を記憶していなかった。
彼女は桜の旧字と僕に教えてくれたが分からなかった。
「左に木を書きます。右の上に貝を二つ、その下に女です。」
僕の頭の中で櫻が完成した。
僕はうれしくてありがとうと笑った。
彼女も微笑んだ。
こういう瞬間に人間同士は何かがつながるのだろう。
僕の知り合いに指点字を使うボランティアさんがいる。
左手の指、右手の指、それぞれ3本ずつの計6本の指を使って、点字の6つの点を表
すのだ。
見えない聞こえない人とのコミュニケーションの方法として使っておられる。
そもそもそういう人自体が少ないから使う機会も少ない。
使わないと力は劣るらしい。
ボランティアさんはテレビニュースを見ながら、アナウンサーの言葉を指点字にして
よく練習しておられるとのことだった。
その話を聞いた時微笑ましく感じた。
人間同士って素敵だなと思った。
実際にコミュニケーションが成立した時はきっと両者ともうれしいのだろう。
バス停まで送ってくださった先生は歩きながら蟷螂山の話をしてくださった。
学校は祇園祭の蟷螂山の鉾町にあるのだ。
昔見た鉾の上にあったカマキリを思い出した。
今年は山鉾巡行は中止となったが鉾立は行われたらしい。
先生にお礼を伝えてバス停で別れた。
人間同士、いいなと思った。
祇園祭は千年を超える歴史があるらしい。
僕の人生、長くてもせいぜい百年くらいだろう。
せっかくの人生、いろいろな人とのふれあいを大切にしながら生きていきたい。
(2021年7月23日)
丸いシール
著書「風になってください」がデビューした2004年に彼と知り合った。
正確に言えば、読者として彼が僕を知ってくれたのだ。
同世代の男同士、生きる意味を見つける旅の途中で出会ったということなのだろう。
17年の歳月が流れたということになる。
実際に会ったのは一度だけ、メールのやりとりは年に数回あるかないかだ。
何かのきっかけでお互いに思い出したりするのだろう。
今回は彼からレターパックが届いた。
コーヒーのスティックタイプを見つけて僕を思い出してくれたらしい。
同時に案内のメールも届いた。
「ジッパー袋に入れて、袋中央にシールを貼っています。
シールは縦に並べて貼っています。
1枚がモカ、2枚がコロンビア、3枚がブラジル、4枚がキリマンジャロです。
わかりにくくて申し訳ありませんが、指でなぞってみて下さい。
それから、油で揚げていないローストアーモンドを同封しています。
あっさりしていて、僕のお気に入りの品なんです。
コーヒーと一緒につまんで頂ければ幸いです。」
僕は早速ジッパー復路のシールを指先で確認した。
シールが3枚のブラジルを選んでステックの封を開けてマグカップに入れた。
それからティファールでお湯を沸かしてマグカップに注いだ。
コーヒーの香りが僕を包んだ。
ローストアーモンドをつまみながらコーヒーを味わった。
至極の時間、時計を止めて味わった。
届けてくれた彼に、そして生きている自分自身に感謝した。
この時代にこの社会で出会う偶然と必然、不思議に感じた。
僕はもう一度、ジッパー復路のシールを指先でなぞった。
丸いシールを指先で幾度もなぞった。
幾度も幾度もなぞった。
ゆっくりとなぞった。
なぞりながらやさしい気持ちになっていくのを感じた。
人間には伝えるという力があることをあらためて感じた。
そして、こんなやさしさを届けられる人になりたいと思った。
(2021年7月18日)
梅雨明け
いつもの散歩道、突然僕の横で一匹のセミが鳴き始めた。
大きな声で独唱を始めた。
僕の足は勝手に止まった。
地面に白杖の先を立ててグリップを両手で握った。
それから空を眺めた。
いや、眼差しが勝手に空に向かった。
澄んだ蒼い色の大きな空があった。
僕の耳に再びセミの声が届いた。
高校野球の試合開始のサイレンを思い出した。
今年の夏のプレーボールだ。
真っ白に浮かぶ雲も思い出した。
僕はうれしくなって微笑んだ。
気象予報士よりも早く梅雨明けを知らせてくれたセミを愛おしく感じた。
頑張って一緒に生きていこうね。
心の中でセミにつぶやいた。
(2021年7月12日)
教えられて
きつい雨だった。
午前中は専門学校で1時限目と2時限目の授業の予定が入っていた。
午後の大学も対面授業の予定だった。
天気予報は終日の豪雨を告げていた。
逆算すれば7時半の出発で間に合うが豪雨対策で30分早めた。
僕はいつもの折りたたみ傘をやめて大きなジャンプ傘を選択した。
一番広くてしっかりした作りだからだ。
右手に白杖、左手に傘、土砂降りの雨、僕は出発した。
予定通りに僕のバランスはくずれ、雨音で他の音はかき消された。
僕は左のガードレールにぶつかり、右側の壁にぶつかりを繰り返しながらゆっくりと
歩いた。
バス停までの距離もいつもの倍くらいに感じた。
石垣のびしょ濡れの草が突然顔に当たった時はちょっと悲しくなった。
湧き上がってくる恐怖心をなだめながら少しずつ少しずつ前に進んだ。
バス停の点字ブロックをキャッチできた時は何とも言えない安堵感に包まれた。
始発から二つ目のバス停なのでいつものように座れた。
駅までの20分ほどをのんびりと過ごした。
ただ、その後の電車はすべて立ったまま過ごすということになった。
桂から烏丸までの阪急電車、さすがに朝のラッシュで混んでいた。
人波にもまれながら乗車して入り口の手すりを掴んだ。
二つしかない手で白杖と傘と手すりの三つを持つのは結構大変だった。
濡れた傘が他の乗客に当たらないようになど、いつもとは別のマナーも必要だった。
そんな感じで移動を続けた。
地下鉄、近鉄を乗り継いで専門学校のある向島駅に到着した。
向島駅と学校の間は学校が車で送迎してくださる。
有難いことだ。
予定通りに授業を追え、昼食を済ませてから大学に向かった。
近鉄、京阪と乗り継いで大学の最寄り駅まで行かなければいけない。
乗り継ぎ駅の構内で迷子になってしまった。
両手がふさがった移動は僕の頭の中の地図までをだめにしたらしかった。
僕はウロウロと歩き回ったが、目的のホームにはたどり着けなかった。
しばらく立ちすくんでも援助の声はなかった。
あきらめて、聞こえてきた足音に向かって声を出した。
「階段を教えてください。」
足音は通り過ぎた。
しばらく待って次の足音に向かって声を出した。
また足音は通り過ぎた。
年に数回の運の悪い日だったらしい。
僕はまた駅の構内をウロウロした。
長いジャンプ傘は幾度も僕をからかった。
どれほどの時間が流れたのだろう。
「お客様、何かお探しですか?」
駅員さんの声だった。
僕は龍谷大学前深草の駅まで行きたいことを告げた。
駅員さんはホームへの階段まで案内してくださった。
僕はホームに移動して電車を待った。
やがて到着した普通電車に乗り込んで手すりを持った。
やっぱり手すりを持つのも大変だった。
背中のリュックサックまでが重くのしかかった。
「僕は何をしているのだろう。」
自問自答の言葉が自分自身に向けられた。
ちゃんと歩けない苛立ち、運の悪さ、気持ちを支えきれなくなったのだろう。
大きな疲労感も加勢したのかもしれない。
すぐ近くからご婦人達の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
すぐ近くなのに別の世界だった。
不意に悲しみがこみ上げてきた。
どこかに空いてる席があるだろうに、それに座れない自分が悔しかった。
見えないということが悔しかった。
僕はその場に座り込みたくなった気持ちを押さえるために手すりを強く握った。
一度座り込んだら、もう立てなくなることは分かっている。
それは阻止しなければいけない。
僕は意識して手すりを持つ手に力を込めた。
ふと、午前中の専門学校での前期最後の授業が蘇った。
学生達の思いの書かれた文章を皆で共有した。
やさしさに包まれた内容だった。
思いやりがにじみ出た内容だった。
介護と言う仕事を目指そうとしている人達のぬくもりが伝わる内容だった。
僕への質問もあった。
「何故頑張るのですか?」
僕は当たり前のように答えた。
「自分のために頑張るのは長続きしない。
でも、誰かのためにと思えば、人は頑張れるよね。
未来のためにと思えば頑張れるよね。
ささやかだけど、僕にできることを僕がするのは僕のミッションだと思っている。」
学生達の声や名前や言葉が蘇った。
「誰かのために、未来のために」というフレーズがリフレインした。
気持ちが緩やかに落ち着いていった。
手すりを持った手の力が抜けていった。
僕は自分の力でしっかりと立っているのを感じた。
僕が教えているのではなく学生達に教えられていることを実感した。
エールをくれた学生達に感謝しながら大学の仕事に向かった。
いい授業をしようと強く思った。
(2021年7月9日)
コロナワクチン終了
コロナワクチンの二回目の接種が終了した。
今年度中に65歳を迎える僕はギリギリセーフで高齢者と認められたのだ。
うれしいようなちょっと淋しいような複雑な気持ちだった。
若い人は発熱などの副反応が出やすいとのことだったのでちょっと心配していた。
こっそりと発熱の予感もあった。
残念ながら腕が痛い以外は何も起こらなかった。
これもまた複雑な思いだった。
自分で思っているよりも老化は始まっているのかもしれない。
自分自身の画像を確認できないということは致命的な弱点なのかもしれない。
いや、考えようによっては得をしている可能性もある。
見た目を気にする必要もないのだ。
接種の日は家で安静にして過ごした。
そして翌日から普通の生活に戻った。
午前中は小学校での講演だった。
午後は京都の真ん中にある福祉の専門学校での特別講義だった。
結構ハードな一日となった。
クタクタになって四条通を歩いた。
コンチキチンの鐘の音が流れていた。
録音の放送だった。
通りには提灯も飾ってあることをボランティアさんが教えてくれた。
今年も祇園祭は中止らしい。
コンチキチンが淋しそうに聞こえた。
人間は失ってから初めてその大切さを知るのだろう。
振り返れば人生もそんな感じだ。
さりげない日常が早く戻ってくれるようにと願った。
(2021年7月6日)