未来予想図

小学校での福祉授業に出かけた。
自宅の近くから乗車したバスは座ることができた。
地域住民の皆様が僕に気づいて声をかけてくださることが多くなった。
地元の風景の中に白杖の僕も溶け込んできたということだろう。
阪急電車、乗り換えた地下鉄はいつものようにずっと入り口で立っていた。
入り口の手すりを握って立っていた。
手すりを持っていないと電車がカーブした時などにバランスがくずれることがある。
座りたいけど空いている席を探すのは不可能だ。
仕方なく立っている。
見えなくて困ることを実感する時間だ。
「白杖や盲導犬の人にあたたかな声かけをお願いします。」
車内のアナウンスがいつものように流れている。
見える人達にとったら、イメージはできても実際はハードルが高いのだろう。
そしてアナウンスを聞く度に僕が淋しさを憶えるのも事実だ。
この現状を変えていくには当事者の僕がメッセージを発信することが大切だ。
正しく知る機会があるかないかが鍵だと思っている。
待ち合わせの駅に迎えにきてくださった先生は笑顔だった。
ほっとしてうれしくなった。
秋空の下、先生の手引きで学校までのんびりと歩いた。
会場は一部の児童だけが入室して、ソーシャルディスタンスを保っての空間だった。
それをzoomで他の教室にも配信するという方法だった。
先生方のご苦労が感じられた。
出会える時間を作ってくださったことに感謝した。
子供達と過ごした時間はやっぱりいつものように楽しかった。
子供達がキラキラした目で僕を見ていた。
僕からの質問に一生懸命考えて答えてくれた。
いつものことだが、僕も自然に一生懸命になっていた。
たった一度きりのチャンス、未来を創っていく子供達へのメッセージだ。
終わった時には爽やかな疲労感に包まれていた。
帰りは子供達と一緒に帰ることになった。
僕に肘を貸して一緒に歩いてくれた児童は上手に僕をサポートしてくれた。
構内を歩き、階段を降り、停車中の地下鉄の空席まで案内してくれた。
何の違和感もなかった。
電車の中では他の子供達も交えていろいろ話をした。
これもまた楽しいひと時だった。
子供達は僕の乗り換えを心配しながらそれぞれの駅で降りていった。
電車が四条駅に到着して僕はホームに降りた。
駅のホームは一番緊張する場所だ。
「お手伝いしましょうか?」
若い女性の声だった。
大学生だった。
経路が一緒という確認をした後、僕達は一緒に歩いた。
一緒にエスカレーターに乗り、改札を出て、階段を上って烏丸駅に着いた。
そして梅田方面行の電車に乗車した。
彼女は空いている席に僕を誘導して自分は僕の前に立っていた。
僕は彼女に「ありがとうカード」を渡した。
桂駅に到着して、彼女は僕を階段の入り口までサポートしてくれた。
停車時間が長いから大丈夫と僕を安心させながらのサポートだった。
僕は彼女にしっかりと感謝を伝えて別れた。
コンコースの点字ブロックを確認して歩きながら思った。
今日出会った子供達の中から、きっと同じような大学生が生まれる。
間違いなく生まれる。
未来予想図という言葉を思い出した。
僕はこみ上げてくるうれしさを感じながらバス停に向かった。
(2021年9月30日)

お彼岸

仏壇には花が供えられている。
線香を立てて鐘を鳴らす。
星座して合掌する。
見えないこととは無関係にしっかりと目を閉じる。
心が落ち着いていく。
特別な宗教心もないし、来世を信じているわけでもない。
命が終われば土に帰っていくのだと思っている。
それなのに清らかな気持ちで掌を合わせているから不思議だ。
子供の頃は親族の中での儀式だったような気がする。
それだけ近くに死は存在していなかったのだろう。
年齢を重ねながらその数は少しずつ増えていった。
自分の人生の中で深く関わった人、傍らで話し合った人、一緒に喜んだり悲しんだり
した人、その人達の死と向かい合うようになっていった。
そして自分自身の命に終わりがくることを実感するようになった。
若い頃に感じた死への怖さも少しは小さくなったような気がする。
それでも掌を合わせながら別れた人達に話しかけている。
「僕はもう少し、こちらで頑張るよ。ありがとう。」
別れた命と向かい合う時間は自分自身の命と向かい合っているということなのかもし
れない。
毎日を大切に生きていきたいと思う。
(2021年9月25日)

朝の始まり

早朝に目覚めるようになった。
年齢のせいだろう。
だいたい4時くらいには目が覚めてしまう。
その分一日が終わるのも早くなった。
22時くらいまでには睡魔に襲われてしまう。
なんとかもう少し遅くまで起きていて6時くらいに朝を迎えようと努力もしてみた。
結局、それは無駄な努力であることも自覚した。
あきらめるのは特異な性格なのでそれを受け入れている。
時々、2時台とかに目が覚めるとそれはさすがに悔しい。
ベッドの中で眠ったふりをすることにしている。
4時くらいになるとベッドから起きだしてトイレと洗面を済ます。
それからお湯を沸かしてコーヒーを飲む。
朝の空気を確かめながら飲むコーヒーはゆっくりと胃袋に浸み込む。
いい時間だ。
いつのまにかツクツクボウシの鳴き声が消えた。
虫の声が凪の日の波のように聞こえている。
その不思議な変化はまさに音楽だ。
近くの道路を走る車の音が少しずつ増えていく。
自転車やバイクの音も動き出す。
今日も一日が始まる。
おしゃべりを始めた小鳥の声でお日様が昇り始めたこともわかる。
世界中の人が幸せな一日でありますように。
僕の一日もそうでありますように。
コーヒーを飲み干して窓越しの朝の空を眺める。
(2021年9月21日)

後期スタート

夏休みが終わって大学の授業が再開した。
前期が終わる頃にやっと対面になったのに、
後期はまたオンラインでの授業となった。
僕は誰もいない教室で授業をした。
その方法にもすっかり慣れてしまった。
パソコンの画面に向かっての話はする方にも淋しさがある。
仕方ないという思いだけがこの方法を受け入れているのだ。
授業の最初に「夏休みに感じた障害者のこと」ということで学生達に話をしてもらっ
た。
「バイト先のレジに耳の聞こえない方がこられたので、咄嗟にポケットにあったメモ
帳を使って筆談をしました。
最後に、ありがとうと書いてくださってうれしかったです。」
「パラリンピックの協議を見て、自分が骨折した時のことを思い出しました。」
「帰宅する時に腕がつってしまって車椅子を動かせなくなってしまっている女性と出
会いました。車椅子に乗った経験があったのですぐに理解できました。その方の行か
れようとしていたコンビニまで車椅子を押しました。」
「駅で困っていそうな視覚障害者の方がおられたので、初めて声をかけました。」
「パラリンピックのゴールボールという協議をテレビで観戦して感動しました。」
学生達はそれぞれの夏休みの1コマを紹介してくれた。
そこには大学で社会福祉を学びながら、
成長していく若者達の姿があった。
キラキラとしていた。
ぬくもりが感じられた。
僕はどんどんうれしくなった。
ずっと学生達の話を聞きたいという思いになった。
オンラインでも頑張っていい授業をしなければと、
当たり前のことを再度自分に言い聞かせた。
そして早く、対面の授業になればいいなと思った。
(2021年9月18日)

宇宙

今日の午後は研修会と会議の予定がある。
同行援護事業所等連絡会という団体の研修会とその運営委員会だ。
研修も委員会もzoomを使用しての実施だ。
zoomにもすっかり慣れてその便利さには驚いている。
日本中のあちこちから研修に参加される。
僕も含めて、画面の見えない視覚障害者も違和感なく参加している。
映像のバックに自分の好きな風景や絵を入れたりしての参加だ。
僕のバックは宇宙になっている。
最初の頃、自分の部屋の様子や洗濯ものまで映って困った。
機械に詳しい目の見える友人がバックに宇宙を入れてくれたのだ。
宇宙から参加しているってことかな。
その映像を想像するだけでちょっとワクワクする。
それでもそれは仕方ないというあきらめの結果だ。
本当は集うのが一番いいと思っている。
同じ空間で空気を共有できる距離がいい。
ぬくもりの届く距離はわずかなのかもしれないと思う。
もうしばらくは宇宙旅行を続けるしかない。
早く地球に帰還できる日がくればと願いながら、今日も宇宙から参加予定です。
(2021年9月13日)

虫の声

草むらから聞こえてくる虫の声に足が止る。
コオロギ、マツムシ、クツワムシ、カネタタキ、スズムシ・・・。
名前だけは知っているけれど、判別はできない。
どの虫がどんな姿をしていてどんな声で鳴いているのか、
見える頃にもっと学んでおけばよかったと後悔がある。
それは虫の声だけではない。
草花の名前、空に浮かぶ雲の種類、いろいろな魚の特徴、鳥の声、すべてそうだ。
もっとちゃんと見ておけばよかった。
ちゃんと知っておけばよかった。
きっと、どうでもいいことに視線は向かっていたのだろう。
知らなくていいことを知ろうと頑張っていたのかもしれない。
それはそのまま人生の反省につながっていく。
でももう戻れない。
否定してもやり直すこともできない。
それも含めて僕の人生なのだろう。
人生の秋にさしかかって思う。
見えなくなって見えてきたことも確かにある。
それを大切にしながら生きていきたい。
今年の秋が始まった。
(2021年9月8日)

仕事

同行援護研修が舞鶴市で開催された。
受講生は舞鶴市内だけではなく周辺の地域からも参加されているとのことだった。
日本中でガイドヘルパーさんが僕達視覚障害者の日常を支えてくださっている。
僕は当事者の講師としてこの制度の大切さと感謝を伝えた。
帰路に予定していた特急電車はコロナ禍での減便対象となってしまっていた。
仕方がないので普通列車を3回乗り継いで帰ることになった。
僕は普通列車は好きだ。
それぞれの地域の香りがある。
故郷なまりの乗客の会話も楽しい。
若い頃は経済的理由だけではなく、そこに魅かれてよく乗車した。
ただ、見えなくなってからは単独で乗り換えができないという現実がある。
今回も3つの駅で駅員さんのサポートを受けることになった。
二つ目の乗換駅の駅員さんは声が若かった。
乗り換え時間も10分程あったので自然に会話も生まれた。
18歳の今年の春に入社した駅員さんだった。
いろいろな会話の後、僕は尋ねてみた。
「鉄道が好きで駅員さんになったのですか?」
「嫌いではないですけど、特別に好きということもありません。
誰かの役に立つ仕事をしたいと思っていました。」
彼はちょっとはにかみながら応えてくれた。
「ありがとう。頑張ってくださいね。」
午前中の受講生の皆さんとの時間が重なった。
いろいろな人達のいろいろな力が集まって社会が成り立っている。
仕事って、誰かの幸せを支えるものなのだ。
その中で僕も生きていける。
当たり前のことに改めて感謝しながら次の電車に乗り込んだ。
そして、僕もそんな仕事をしていきたいと思った。
(2021年9月3日)

ガラスの風鈴

団地の傍を歩いていたら聞こえてきた。
間違いなくガラスの風鈴だ。
乾いた澄んだ音が風に揺られた。
少年時代の記憶が鮮やかに蘇った。
阿久根大島の海の家、たくさんのガラスの風鈴が揺れていた。
毎年、夏になると出かけた。
港から15分程の船旅、海も波も美しかった。
船の後ろに出来る波をじっと見つめていた。
波の先に見えた赤茶色に錆び着いた灯台さえも美しいと感じた。
阿久根大島の桟橋から海の家までの遊歩道が思い出された。
白い砂浜、茶褐色の岩、緑の松の木。
まるで昨日見たような活き活きとした色彩だった。
砂浜には手漕ぎボートが無造作においてあった。
海の家の前にはカラフルな浮き輪や水中メガネなどが並んでいた。
テーブルに腰かけて食べたかき氷には着色剤の赤色のシロップがかかっていた。
妙に甘い砂糖の味もそのどぎつい色さえも夏によく似合った。
空はどこまでも蒼かった。
海風に揺れるガラスの風鈴の音色はその風景の中に存在していたのだ。
当時はもちろん気づかなかった。
あぶり出しの絵のようなものなのだろう。
今年の夏も過ぎ去ろうとしている。
半世紀前の記憶、そっと音の中に仕舞っておこう。
色あせないように大切に仕舞っておこう。
またいつかの日のために。
(2021年8月29日)

会話

視覚障害者関係の会議に出席するためにライトハウスまで出かけた。
バス、阪急、バスと乗り継いで1時間20分くらいはかかる。
天気予報、コロナの状況、いろいろ考えるとどうしてもお尻は重たくなる。
こういう活動は手弁当が原則なのでお財布も軽くなってしまう。
なかなか厳しい現実だ。
それでも結局は出かけるということは使命感のせいなのだと思う。
自分のためだったら辞めてしまうだろう。
仲間や後輩のためになるのかもしれないという思いがエネルギーになるのだ。
自分自身を冷静に見つめると情けないほど欠点が多い。
恥ずかしくなる。
それでもこの使命感の部分だけは自分のことを好きだと想える。
微かな薄っぺらいものかもしれないけれどそう想える。
会議の前にライトハウスの近くのコンビニにペットボトルを買いに行った。
買い物を済ませてコンビニを出て少し歩いたところで呼び止められた。
以前専門学校で一緒に仕事をしていた先輩の先生だった。
先生はとってもうれしそうに話された。
失敗して遠回りのバスに乗ってしまわれたらしい。
乗り換えのためにライトハウスのバス停で降車したら僕を見つけたとのことだった。
失敗してもいいことはあるんだとおっしゃった。
そんな大層なことではないと思うけれど再会はうれしかった。
お互いにまだまだ元気で頑張りましょうと誓い合って別れた。
ライトハウスに向かう足取りが軽くなっているのを感じた。
人が人と出会う、人間同士が会話する、それはとても大切なことなのだと感じた。
(2021年8月25日)

幸福色

土砂降りの雨だったが出かけなければならなかった。
変更が厳しい約束だった。
僕は意を決して出発した。
案の定雨音で外界の音は確認が難しかった。
白杖で前方の路面を確かめながらゆっくりと歩いた。
路面があるのを確認できれば、そこに足を運べばいいのだ。
それを交互に繰り返せば前に進んでいることになる。
しばらく歩いて足の裏で点字ブロックを感じた。
交差点までたどり着いたのだ。
頭の中の地図に従って進んでいることが確認できた。
信号のある交差点を渡るのが最大の難関だ。
雨音で車のエンジン音はまったく確認できない。
ドライバーの視界が遮られる状況なのも想像できた。
僕はスマートフォンを取り出してボリュームを最大にした。
それから「Be my eyes」のアプリを立ち上げた。
すぐにボランティアさんに繋がった。
「僕は日常、車が停止した時、発車した時のエンジン音で信号を確認しています。
今日は土砂降りで車のエンジン音が聞こえないので、信号の青が分かりません。
信号が青になったら教えてください。」
「分かりました。スマートフォンを少し左に動かしてください。
信号がありました。今、青です。」
僕のスマートフォンのカメラから見える映像がボランティアさんに届いているのだ。
カメラは外を向いているので僕自身は映らなくて景色だけが届いているのだ。
まさに僕が見えたら僕の目に映っている映像だ。
僕は再度お願いをした。
「途中で赤になったら怖いので、青になったタイミングで渡り始めたいです。
少し時間がかかりますが、次に青になった時点で教えてください。」
「分かりました。今点滅になりました。今赤に変わりました。」
「時間がかかってしまってすみません。」
「大丈夫ですよ。凄い雨ですね。音も聞こえています。あっ、今青になりました。」
「助かりました。ありがとうございました。」
僕は精神を集中して白杖を左右に振りながらゆっくりと歩き始めた。
無事反対側にたどり着いた。
それからアプリを閉じてスマートフォンを片付けた。
どこの誰だったかも分からないボランティアさんに今度は心の中でつぶやいた。
「目を貸してくださってありがとうございました。本当に助かりました。」
それからしばらく歩いてやっとバス停にたどり着いた。
ずぶ濡れの傘をリュックサックにぶら下げた。
友人が濡れた部分が内側になる不思議な傘をプレゼントしてくれた。
お陰で他の人に迷惑をかける不安もなく片付けることができた。
目的のバスが到着した。
乗り込んだ僕に向かって運転手さんの声が聞こえた。
「そのまま前に進んでください。もうちょっと、もうちょっと、そこです。
右が一番前の席です。段差を昇ってください。」
運転手さんの完璧な音声誘導だった。
段差を上る座席は高齢の方には難しいと思う。
運転手さんは僕が視覚障害者でそこは大丈夫と判断されたのだ。
僕は座席に座ると大きな声で伝えた。
「ありがとうございました。助かりました。」
運転手さんだけではなく他の乗客の方にも聞こえるようにわざと大きな声で伝えた。
プロの運転手さんの対応を皆で共有できればいいと思った。
皆で拍手をおくりたいような気分だった。
「ありがとうございました。助かりました。」
そしてふと気づいた。
その言葉が僕自身を幸せにして、僕自身を応援してくれているのだ。
僕は更にうれしくなった。
リュックサックからワイヤレスイヤホンを出して装着した。
ブルートゥースでスマートホンにつなげてあるのだ。
僕は躊躇することなく桑田佳祐を選んだ。
歌声が僕を幸福色に包んだ。
人間っていいなとしみじみと思った。
(2021年8月19日)