視覚障害の友人から届いたメールには雪灯篭のことが書いてあった。
積もった雪をバケツに入れて固めて二つつなげるらしい。
その片方をくりぬいてそこにロウソクを立てるのだ。
雪景色の中でのロウソクの明かり、想像しただけで引き込まれていく。
凛とした空気の中でロウソクの炎が静かに揺れる。
美しさの極限だ。
ふと、22歳の冬を思い出した。
同居していた男友達と横手のかまくらを見に行ったことがある。
泊まるところもなくお金もなかった。
それでも友達は突然言い出した僕のわがままに付き合ってくれた。
当時は夜の鈍行列車があったので実現できたのだろう。
僕達は夜の横手を歩きながら、かまくらのロウソクの明かりに目を奪われた。
心を奪われた。
その景色は僕の人生のアルバムの大切な一枚となっている。
今年、その友達はこの世を去った。
今年はたくさんの訃報に接した一年だったと思う。
青春時代の友人、見えて働いていた頃の同僚、見えなくなってから出会った仲間、先
輩、ボランティアの方・・・。
もう会えなくなった人達は皆やさしい思い出の中にいる。
楽しかったことばかりではないはずなのに不思議だ。
数が増えたと感じるのは自分自身が人生の後半を生きているということなのだろう。
そして今年もまた新しい出会いもあった。
それぞれの出会いに心から感謝したい。
それから、このホームページを覗いてくださった皆様にも心から感謝したい。
そして、迎える新しい年を僕らしく生きていきたいと思う。
そんなに数は望まないけれど、アルバムの写真が一枚でも増えればと願う。
(2021年12月31日)
雪灯篭
雪
ちょっとワクワクしながら目が覚める。
上着をはおってベランダに出る。
靴下をはいていない足がスリッパの中で泣きそうになっている。
それでもそのまま数歩進。
それからベランダの金属の平たい部分にそっと手を触れる。
自然と笑顔がこぼれる。
それから視線を遠くに向ける。
真っ白な世界がそこにある。
予想通りの朝だ。
急いで服を着替えて白杖をにぎって外に出る。
誰も見ていないだろうけど、郵便ポストを確認しに来たふりをする。
少しだけ周囲を歩く。
こんな年になって雪ではしゃぐのは恥ずかしい。
わきあがる幸せをなだめながらまたそっと歩く。
新雪のクッションを足の裏で感じながら歩く。
やっぱり雪が大好きなのだ。
雪景色で頭の中がいっぱいになる。
(2021年12月28日)
大丸の前で
バスを降りて数歩進む。
白杖は自分の身体に並行になるように前に出す。
それを少し斜めにして対角線になるように持っている。
何かにぶつかるために動く時のポーズだ。
ゆっくりとわざとぶつかりに行くのだ。
そうやって目印を探す。
バス停の前には何かの壁みたいなものがあったのを記憶している。
それをキャッチして右に動く。
壁が終わった場所からまっすぐに歩道を横切る。
人波を横切るからゆっくりと慎重に進む。
足の裏が上り坂を感じたらそこがゴールだ。
大丸デパートの入り口ということになる。
そこで待ち合わせの人がくるまでの時間を過ごす。
YMCAの専門学校は三条柳馬場という京都のほぼど真ん中にある。
そこに向かう道はどこも狭い。
歩車道の分離もなく一方通行で交通量も多い。
昔ながらの京都の街中になる。
だから単独で学校に向かうのは難しい。
ゆっくりと行けば行けるのかもしれないがリスクもあるし時間もかかる。
学校の職員に大丸デパートの前まで迎えにきてもらうことにしている。
帰りは学生達と一緒に帰るということになる。
職員が迎えにきてくれるまでのわずかな時間、僕はこの時間が好きだ。
お地蔵さんみたいに街に溶け込む。
白杖を持ったお地蔵さん、ご利益もなさそうだ。
ただじっと、そしてそっと呼吸をする。
数えきれない足音が右に左に動いていく。
そしてこの時期はクリスマスソングが空から降り注ぐ。
すべてを包み込みながら街を彩っていく。
音景色の中で自然と心があたたかくなっていく。
お地蔵さんがそっと微笑む。
そこに存在していることに感謝する。
平和であることに心から感謝する。
(2021年12月22日)
2021年 活動記録
今年最後の講演は京都市内の中学校だった。
ご挨拶させて頂いた時の校長先生の笑顔が会場に向かう僕を勇気づけてくれた。
僕はしっかりと前を見つめながら会場に入った。
僕の目の前には何もない。
ただ灰色が覆っているだけだ。
それはもう20年以上も変化のない現実だ。
僕はその向こう側の生徒達に向かって一生懸命に語りかけた。
心を込めて語りかけた。
この生徒達が未来を創っていくのだ。
僕は祈りながら話をした。
講演の後、代表の生徒が挨拶をしてくれた。
自分自身で紡いでくれた言葉にはやさしさがあった。
僕はうれしかった。
生徒にありがとうと言ってから僕は今年のマイクを置いた。
コロナの影響なのか例年よりは活動が制限されたような気がする。
それでも僕なりに頑張った。
頑張れたのは一緒に未来を考えてくださる人達がいたからだ。
機会をくださった皆様に心から感謝申し上げます。
2021年 講演活動記録
小学校 13校
下鳥羽小学校、嵐山東小学校、元町小学校、松陽小学校、樫原小学校、桂東小学校、
同志社小学校、梅小路小学校、嵯峨野小学校、高倉小学校、御所東小学校、祥栄小学
校、葛野小学校
中学校 9校
城陽中学校(城陽市)、洛西中学校、西宇治中学校(宇治市)、西小倉中学校(宇治市)、
南宇治中学校(宇治市)、双ヶ丘中学校、槙島中学校(宇治市)、凌風小中学校、向島東
中学校
高校 8校
枚方なぎさ高校(大阪府)、潤徳女子高校(東京都)、長尾谷高校、京都海洋高校(宮津
市)、春日丘高校(大阪府)、川内高校(鹿児島県)、嵯峨野高校、同志社高校
専門学校 6校
京都YMCA国際福祉専門学校、大阪医療福祉専門学校(大阪府)、京都消防学校、京都福
祉専門学校、京都桂看護専門学校、京都文化医療専門学校
大学 3校
龍谷大学、四天王寺大学(大阪府)、同志社女子大学
その他・一般講演
同行援護研修など
街中でありがとうカードを受け取ってくださった人 100人くらい
すべて合計すれば、
未来に向かって蒔いた種 1万粒くらい
(2021年12月17日)
寒蘭
父の趣味は寒蘭を育てることだった。
父が亡くなった後、寒蘭のほとんどは同じ趣味を持っておられる方にお譲りした。
丹精込めて育てていた寒蘭を誰かが育ててくだされば有難いと思った。
そしてその中の一鉢だけを僕が引き取った。
枯らしてしまうのが怖かったが育ててみたいと思った。
春夏は三日に一回、秋冬は一週間に一回水やりをした。
妹が送ってくれた専用の土で植え替えもした。
肥料も与えてみた。
枯らさないで育てていることで精一杯だった。
その寒蘭が今年は花を咲かせてくれた。
7年ぶりということになる。
清楚で気品のある姿だった。
僕は赤紫色の数厘の花に幾度も触れた。
鼻を近づけて微かな香りを確認した。
そして父の遺影から見えるようにした。
僕が見えなくなった頃、父は60歳代だった。
だから晩年の父の顔を僕は知らない。
思い浮かべるのは僕が少年だった頃の顔だ。
厳しかった父の顔が寒蘭の前で少し笑った。
僕も笑った。
(2021年12月12日)
バトン
中学校の生徒達の感想が届いた。
結構な量だったがメールで届いたので読むのには困らなかった。
パソコンが文字を読んでくれるので、誰かに読んでもらっているような感覚だ。
届けてくださった先生の労力は大変だっただろうなと思った。
ひとつひとつの感想が心に染み込んだ。
生徒達が未来を見つめながら書いてくれているのが伝わってきた。
知ったことを家族や友人に伝えたい。
困っている白杖の人を見かけたら必ず声をかける。
信号が青になったら教えてあげたい。
私たちが皆が笑顔になれる社会を創ります。
知らなかったことをたくさん知れた。
バスの席が空いていたら案内します。
可愛想の言葉の意味を学んだ。
もっといろんな人に松永さんのお話を聞いてほしいです。
そして一番最後に二人の先生の感想も添えてあった。
一人の先生は小学生の頃に僕の話を聞いてくださったらしい。
点字名刺を大切にしていたとも書いてあった。
15年程前のことだと思う。
感謝とエールが綴られていた。
やさしさに満ちていた。
もう一人の先生はたまたま僕の著書の読者だった。
コスモスの表紙との出会いをそっと伝えてくださった。
共有した時間への感想も記してあった。
きっと生徒にも話をされたのだろうと思った。
生徒達だけではなく先生方も一緒に未来を見つめる時間となったのが伝わってきた。
うれしく感じた。
幸せなことだと思った。
見えなくなった僕ができること、
僕にでもできること、
僕なりに一生懸命やってきた。
書くことも話すことも目的は同じだった。
ささやかな活動、祈りながらやってきたのかもしれない。
ほんの少し、未来に近づけたかな。
そんな気がした。
でもまだまだだ。
まだまだ頑張る。
出会った子供達が次の時代にバトンを引き継いでくれるだろう。
そしていつかきっと、皆が笑顔になる。
見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が一緒に笑顔になれる日がきっとくる。
さすがにあと15年は無理だろう。
もう少し頑張るつもりだ。
(2021年12月8日)
パイプオルガン
京田辺にある同志社女子大学にお招き頂いた。
新島記念講堂チャペルでの礼拝での講演だ。
毎日の祈りの時間の中でのひとときだ。
今出川の栄光館での取り組みと同じだ。
僕のような凡人には不似合いなのかもしれないという自覚も少しはある。
それでもこの場所とこの機会が大好きだ。
僕自身の心が静まりほんのりとやさしくなる。
不思議な空間だ。
その理由のひとつにパイプオルガンの音色があるような気がする。
ここのパイプオルガンのパイプ数は3千本を超えているらしい。
僕の想像力を超えてしまっていて、その姿は実感には結びつかない。
ただ、その重圧であたたかな音色が身体全体を包んでいくのは不思議な事実だ。
血流にまで溶け込んでいくのかもしれない。
音が空から降りてくるという感じだ。
「12月ですから、少しクリスマスの雰囲気をアレンジしましたよ。」
オルガニストの先生が微笑んで教えてくださった。
元々の音楽にも讃美歌にも疎い僕はその意味さえあまり分かってはいない。
でもその一言で幸せの度合いが増したのは間違いなかった。
いつかゆっくりこの音色のコンサートを聞いてみたいと思いながら学校を後にした。
(2021年12月4日)
高校生
講演の後、ガイドヘルプの体験ということで高校生達と学校の周囲を歩いた。
去年講演を聞いてくれた生徒達だった。
同行援護の資格を取得している彼女達の基本姿勢はプロのレベルだった。
脇はしっかりと締まっていて手はまっすぐに伸びていた。
背筋も伸びたそのサポートの姿は美しいとさえ感じた。
そして、僕の目の代わりになろうというやさしさも伝わってきていた。
僕は気持ちよく歩いた。
一歩一歩を大切に歩いた。
一人一人を信じて身を任せた。
頑張っている彼女達に僕ができるたったひとつのプレゼントのような気がした。
最寄り駅まで送ってくれた彼女達と別れて東京駅に向かった。
新幹線の中では充実感と快い疲労感を感じながら少し眠った。
京都駅からは地下鉄と阪急電車を乗り継いで帰った。
桂川駅からタクシーという選択枝もあったがなんとなく電車で帰りたい気分だった。
桂駅の改札口を出たところで声がした。
「お手伝いしましょうか?」
僕はバス停までのサポートを依頼した。
高校3年生の彼は中学1年生の時に僕の講演を聞いたと話してくれた。
6年ぶりの再会だった。
勿論、6年前の少年を僕は憶えてはいない。
でももうすぐ受験だと笑った彼は確かに少し大人になっていた。
同じ日に東京の女子高校生と京都の男子高校生にサポートしてもらったことになった
のは偶然とは思えなかった。
少し早いクリスマスプレゼントを未来から受け取ったような気分だった。
幸せだと感じた。
一晩寝て、また明日は午前が大学、午後が中学校での講演だ。
僕も未来に向かって頑張ろうと強く思った。
(2021年12月2日)
バイバイ
地元のバスはほとんど座れる。
始発から2つ目のバス停だから基本的に空いていることが多い。
乗客も地域の方が多いせいか空席を教えてくださることも少なくない。
時には馴染みの運転手さんがマイクで誘導してくださることもある。
今日は昼前に自宅を出たのだが乗車したバスは既に込んでいた。
「どこか空いていませんか?」
声を出すタイミングも逃した。
きっとどこかで座れると思いながら結局20分間立ったままだった。
運河悪い日だなと朝のラジオの血液型占いを思い出したりしていた。
桂駅から乗った阪急電車も立ったままだった。
烏丸駅までわずか10分程度だし座れる日はほとんどないから苦にはならない。
座れないのが普通だと受け止めてしまっている僕がいる。
烏丸駅から乗り換えた地下鉄も予定通りに立ったままだろうと思って乗車した瞬間、
ご婦人のサポートがあった。
声をかけてくださり空席を教えてくださり座らせてくださった。
座れるってこんなに幸せなことなのだとしみじみと感じた。
何度も何度もお礼を言いたい気分だった。
僕はうれし過ぎてありがとうカードを渡すタイミングさえ見失ってしまっていた。
電車が京都駅に着いた時、横から声がした。
「気をつけて行ってくださいね。」
さっきのご婦人の声だった。
時間は数秒しかなかった。
「ちょっと待ってください。」
僕はそう伝えながらあわてて胸ポケットを探ってありがとうカードをつかんだ。
「ありがとうカードです。どうぞ。」
ギリギリセーフだった。
僕は渡した後、バイバイをしていた。
電車が動き出して気づいた。
初めて出会った人にバイバイをしてしまっている自分がおかしかった。
仲良しの友達にバイバイしている感覚だった。
でもなんとなく納得した。
友達同士とまではいかないにしても、間違いなく人間同士なのだ。
バイバイ、バイバイ、バイバイ。
手を振ってバイバイ。
幸せの表現のひとつなのかもしれない。
(2021年11月27日)
伝える仕事
講演会場は体育館だった。
中学1年生、12歳13歳の生徒達が対象だった。
約80分のたった一度の出会いだ。
僕は精一杯の心を込めて話をした。
視覚障害を理解してもらうという大きな目的がある。
でもそれだけではない。
生きていく中で出会う失敗や挫折、悲しみ、苦しみ、
そしてそれをあきらめていく力、そんなことも伝えたいといつも思っている。
どんな環境の中でも人は幸せを夢見て生きていける。
僕がたくさんの仲間達から教わったことだ。
生徒達は真面目に話を聞いてくれた。
質問も多くて時間が足りないくらいだった。
講演が終わって担当の女子生徒二人が僕を校門まで送ってくれた。
講演の前と比べると、そのサポートはとても上手になっていた。
寄り添う気持ちが上達させたのだろう。
僕は記念の点字名刺を渡してお礼を伝えた。
「気をつけて帰ってください。」
二人は素敵な笑顔だった。
(2021年11月21日)