家を出たところでちょっと後悔した。
背中のリュックサックが重た過ぎる。
いつものパソコンなどに加えて着替えやお土産などを詰め込んだのだ。
結婚祝いの陶器のペアカップ、依頼を受けた著書6冊までが入っていた。
一泊二日の研修への参加予定だ。
往路はほとんどが新幹線の中だし、復路は軽くなるからいいと思ったのだ。
自宅から地元のバス停まで歩いただけで辛くなった。
ぎっくり腰にならないようにしなければとさえ思った。
引き返す時間はない。
覚悟を決めてバスに乗車した。
バスの乗車時間は比叡山坂本駅まで5分程度、そこまではあっという間だ。
比叡山坂本駅から湖西線で20分くらいで京都駅に着く。
20分くらいの時間なのでいつもは問題ない。
今回は想像しただけで辛いと感じた。
自分で空いてる席を見つけられない僕には入り口で立っているしかないという日常が
ある。
ちょっと悲しい現実だ。
頑張るしかない。
そう思いながらバスを降りて歩き始めた。
そのタイミングで声がかかった。
ホームまでのサポートを申し出てくださった。
僕は彼女の肘を持たせてもらって改札を抜け、階段を上り、ホームに移動した。
「サポート、慣れておられますね。」
僕の問いかけに、彼女は介護職だからとおっしゃった。
ホームに到着して電車待ちの時間、自然にいくつかの会話が生まれた。
ホームからは琵琶湖が見えるとおっしゃった。
これは僕も知っていた。
天気がいい日だけ琵琶湖の向こう側に近江富士が姿を現すらしい。
これは知らなかった。
僕の頭の中の風景がちょっとグレードアップした。
朝のやさしい光が琵琶湖と近江富士と僕と彼女に降り注いでいた。
朝から幸せだなと思った。
電車はそれなりに込んでいるようだった。
彼女は空いてる席をひとつ見つけて僕だけを座らせてくださった。
そして途中の駅で降りていかれた。
僕は京都駅までの20分間をのんびりと過ごした。
琵琶湖の向こう側に見えた近江富士の風景をそっと思い出した。
重たいリュックサックは膝の上でおりこうさんにしていた。
今日もいい仕事をしたいねと僕はリュックサックにつぶやいた。
(2022年5月29日)
近江富士
立ち食いきしめん
名古屋駅に早めに到着した。
駅のホームにある立ち食いきしめん屋さんで玉子入りきしめんを食べた。
目が見えていた頃、ここでよくこのきしめんを食べた。
旅好きだった僕は鈍行列車であちこち旅をしていたのだ。
あの頃は玉子が入っただけで贅沢だったのを憶えている。
一滴も残さずおだしも頂いた。
そして幸せだった。
30年ぶりに僕はまったく同じように頂いて、そしてやっぱり幸せだと思った。
それがうれしかった。
あの頃、見えなくなる自分を想像したことはなかった。
不思議な感じがした。
今回名古屋に行ったのは東海音訳学習会の研修会にお招き頂いたからだ。
愛知県、岐阜県、三重県で音訳に携わっておられる皆様の研修会だ。
視覚障害者の大きな困難のひとつが文字を読めなくなることがあるということだ。
人の日常を考えるとそれがいかに大変なことなのかは想像してもらえるだろう。
大好きな読書ができなくなったらどうしますか?
点字を習得して点字で読書するという方法もある。
ただ、中高年になってからの視覚障害発生が多い現代の日本、これは結構ハードルが
高い。
ボランティアさん達が朗読してくださったCDなどを聞いて読書を楽しむという方法も
ある。
現代ではこれが主流となっている。
本だけでなく、それぞれの自治体の情報誌や時にはイベントの案内チラシなどもこの
方法で僕達に届けられる。
どう読めば僕達が聞きやすいのか、写真などはどう説明すればいいのか、研鑽を続け
ながら活動を続けておられる。
それによって、僕達の生活が支えられている。
僕の周囲にも趣味は読書という視覚障害者は多くおられる。
まさに人間同士が支えあう形が脈々と続いてきたのだ。
音訳について僕があれこれ言うことはない。
僕は視覚障害の意味、その内容、課題などを話、そしてしっかりと感謝を伝えた。
AIが進み、文字を読んでくれる機器も発達してきている。
でも、朗読はずっと続いていくだろう。
人間の声のぬくもり、やさしさ、それは機械では無理だ。
どう伝えるか、それぞれの個性がそこに微笑むのもいいのかもしれない。
「真っ白なおわんに八分目のおだしが入っています。
きしめんがキラキラと輝いています。
張りのある卵黄が満月のようです。
かつおぶしは元気よく乗っています。
少し小さめのおあげさん、それから薬味のおネギ、一味をかけましょうか?」
きっと食べる前から幸せですね。
ご馳走様でした。
(2022年5月20日)
檜のコースター
広島県尾道市の先輩宅を訪れた。
同行援護研修のお手伝いだ。
先輩は僕より20歳くらい年上で数年前に東京で開催された研修で知り合った。
失明理由は小学生の頃のはしからしい。
父親は盲学校の寄宿舎に幼い娘を預けることを拒否した。
彼女が点字を習得し学校らしきものへつながったのは父親の死後、彼女が成人してか
らのこととなった。
父親の愛情を理解できるようになったのは随分のちのことだったと、彼女は天国の父
親に申し訳なさそうに語る。
教育との出会い、仕事との出会い、伴侶との出会い、そしてたくさんの別れ。
実母は彼女を産んですぐに逝ってしまったらしい。
父親も継母も勿論もうおられない。
やっと巡り合ったご主人も50歳くらいで病魔が奪っていってしまった。
数奇な運命を超えて最後の時間を天涯孤独で暮らしておられる。
悟りを開いておられる訳でもないし我儘も多い人なのかもしれない。
まさに普通の人なのだろう。
でも僕は彼女が好きだ。
どこかで尊敬している。
障害の意味は時代と共に変化してきたのだろう。
たくさんの先輩達の人生が今につながってきたのだ。
帰宅してリュックサックから檜のコースターを取り出して香りを嗅いだ。
支援者の方からお土産に頂いたものだ。
心が深い海に落ちていくような気がした。
香りが脳を抱きしめた。
今が過去よりも前進してきたとすれば、それは当事者の思いや努力だけではない。
それを理解し共感し支援してくださった人達のお陰だ。
心から感謝したい。
そして僕自身もしっかりと未来を見つめて歩いていきたい。
(2022年5月16日)
コーラのアプリ
僕のスマホにはこれまでコーラのアプリが入っていた。
一日平均5千歩、週に3万5千歩をクリアするとスタンプを1個もらえるというもの
だった。
スタンプだけで歩こうとはなかなかならない。
スタンプを15個集めるとプレゼントがもらえるというものだった。
自動販売機でドリンクを1本プレゼントしてもらえるのだ。
毎日5千歩は意識しないと達成できない。
2日歩かないとその週は他の日に7千歩をクリアしなければいけない。
3万3千歩に気づいて、大雨の中を2千歩のために外出したこともあった。
その闘志に我ながらあきれながら歩いた。
しみったれというのかケチンボというのか情けない。
でもどこかで情けない自分が好きだ。
達成した後の1本のコーラを本当においしいと思って飲んだものだ。
引っ越してきて分かった。
以前暮らしていた団地の周囲は歩きやすかったのだ。
川沿いの散歩コースの道は平たんだし他の音も聞きやすかった。
小鳥達の歌声や川のせせらぎの音を聞きながら歩いた。
現状の僕は家から100メートルも歩けない。
バス停から家まで帰る練習はしたからそれはできる。
でも、その逆コースで家からバス停まで行くのは難しい。
見えないというのはそんなことなのだ。
断腸の思いでコーラのアプリを削除した。
悔しいと思いたくないからだ。
これまでよく歩いて基礎体力を継続できたことに感謝しよう。
そしてまた次の何かを探すことにしよう。
少しずつ少しずつ歩きながら。
(2022年5月10日)
琵琶湖の風景
坂道を登ったところで振り返った。
琵琶湖が見えると教えてもらった。
僕は視線を遠くに向けた。
風が京都と少し違うように感じた。
琵琶湖を渡る風がこれからの僕の人生に寄り添ってくれるのかもしれない。
そう思うととても愛おしくなった。
児童福祉施設で働いていた頃、子供達の引率で幾度も琵琶湖を訪れた。
琵琶湖の遊覧船に乗船したこともあった。
湖西線の列車に乗って湖の雪景色に胸を打たれたこともあった。
これから先何年ここで暮らしても景色を目にすることはない。
見たことのない場所で生きていくのだ。
そして最後まで見ることはないのだ。
だからしっかりと感じて暮らしていこう。
音を聞いて匂いをかいで、そして手で触れて生きていこう。
たくさんの思い出が生まれるように。
(2022年5月8日)
駅の音
初めての駅で電車を降りた。
改札口に行くにはどこかにある階段を見つけなければいけない。
単独の時にはエレベーターやエスカレーターは基本的に使用しない。
駅の構造が頭に入っていないと混乱しやすいからだ。
階段の場所には鳥の鳴き声の音が流れている場合が多い。
鉄道会社によって駅によって音の種類は違うから特別な基準はないのかもしれない。
その音が聞こえるまで勘を頼りに動く。
聞こえ始めたら方向が正しかったということだし、いくらか歩いても何も聞こえない
場合は反対方向に歩いてしまっているかもしれないということだ。
その時は逆戻りするのだ。
ホームの移動は本当に大変だ。
ホームの移動中に次の電車や反対側の電車がくることがある。
両側で電車が発着する形式のホームを島型ホームと僕達は言う。
海に浮かんでいる島のようなものでどちらも落ちる危険性があるということだ。
そう考えると点字ブロックの存在はとても大きい。
その上を歩く限り落ちることはない。
「1番ホームを電車が通過します。」
アナウンスが教えてくれるが1番ホームがどちら側なのかは分かっていない。
動かないようにして通過を待つ。
大きな音がホームに近づいてくる。
音が一定の大きさを超えると場所はまったく分からなくなってしまう。
自分の立っている側に近づいてきているのか反対側なのか判断できなくなるのだ。
ただじっと音が通り過ぎるのを待つ。
先日踏切で亡くなられた方はきっとこの状況だったのだろう。
音から遠ざかりたかったはずだが実際には近づいてしまっておられたようだ。
日常歩きなれた場所でも工事中の大きな音が聞こえたりしたら遠回りをする。
音を判断できない状態になるというのは見えない聞こえない状態になるということだ
からあまりにも無茶だ。
階段を探して少しずつ移動していたら声がした。
「何か探しておられますか?」
若い女性の声だった。
「はい、改札口の方向に行きたいんです。」
彼女は僕に肘を持たせてくださった。
そして改札口まで誘導してくださった。
いろいろな音が駅にはある。
人間の声という音、本当にほっとする。
だから僕もしっかりと自分の声で感謝を伝える。
「ありがとうございました。助かりました。」
(2022年5月2日)
ニュース
朝起きていつものようにコーヒーを入れた。
それからスマホのアップルミュージックに話しかけた。
「ユーミンを聞きたい。」
言い終わるとすぐに曲が流れ始めた。
コーヒーの香りを朝寝坊の脳に届けながら友人達からのメールを読み始めた。
新居のワイファイがまだ工事が終わっていないのでほとんど読むことしかできない状
況だ。
昨日のzoom会議もスマホでパソコンをつないで実施したが電波が不安定で音声がうま
く届かなくて大変だった。
幸い慣れたメンバーだったのでごめんなさいと言いつつ無事終了できた。
今朝届いたメールも読むだけなのだがなんとか対応できた。
そのひとつを読みながらコーヒーカップを持つ手が止まった。
奈良県で白杖を持った全盲の女性が電車に接触して亡くなられたというニュース記事
だった。
防犯カメラには踏切の遮断機の内側と外側を勘違いしたような動きが映っていたらし
い。
引っ越してきて間もなかったという最後の文字が僕の胸を鷲掴みにした。
脳が一気に覚醒していくのを感じた。
ニュースを届けてくれたのは長い付き合いの全盲の友人だった。
彼が僕に届けようとしたのは戒めなのかもしれない。
しっかりと受け止めて行動していきたい。
こんな事故がもう起きませんようにと強く思った。
(2022年4月26日)
出勤
新しいルートでの出勤が始まった。
水曜日は四条烏丸の高校、木曜日は午前が向島の専門学校、午後が伏見区の大学だっ
た。
石橋を叩いて渡るという感じだ。
幾度も歩いて頭の中の地図を整理した。
それにしても見えないというのは不便なことだ。
初めてのバスに乗車してつり革を握ろうとして、つり革がないバスだと知った。
いろいろな種類のバスが運行されているのだ。
これまでの私鉄の駅のホームはフラットだったが、JRの駅のホームはガタガタで柱も
立っていてとても歩きにくい。
歴史があるという裏返しなのだろう。
朝の京都駅のラッシュもすごかった。
京都では横断歩道に点字ブロックが敷設されているのは当たり前だったが、新しい地
域ではそうではない。
それでもこの二日間だけでも大きな発見があった。
胸ポケットのありがとうカードが10枚以上消えたのだ。
途中で足りなくなったりもした。
つまり、あちこちでサポートしてくださったのだ。
困難、そこに向かう僕の姿はヨロヨロ、オドオドだったに違いない。
見てはおられない姿だったのかもしれない。
それに気づいた人たちが支えてくださったのだ。
あちこちに「ありがとう」の言葉を振りまいた二日間だった。
帰宅してどっと疲れている自分に気づいた。
そして幸せな気持ちになっている自分に気づいた。
どこに行ってもやさしい人達がいるのだ。
感謝して暮らしていきたい。
(2022年4月22日)
朝
一杯分が個包装になっているから便利だ。
ハサミで片方を切って粉を陶器のマグカップに入れる。
それから沸かしたてのお湯を注ぐ。
引っ越し祝いにと友人がプレゼントしてくれた真っ赤なティファールだ。
同じお湯のはずなのにちょっとうれしくなる。
いつものイノダコーヒーの香りを嗅ぎながら朝が始まる。
新しい土地での朝、まだまだ慣れてはいない。
清閑な住宅街、幹線道路からも離れているので音は割と静かだ。
小鳥の鳴き声が聞こえる。
比叡山の麓だからたくさんの野鳥達が先輩なのだろう。
敬意を表してお付き合いしていかなくちゃいけない。
白杖で歩きながら少しずつ地域に溶け込んでいければいいな。
「お一人では火は使わないのですよね。」
以前引っ越した時に近所の人から尋ねられたことがあった。
僕が見えないと知って家事を心配されたようだった。
「使いませんから大丈夫です。」
僕は嘘をついた。
安全に気をつけて使いますと答えても意味がないのは分かっていた。
嘘も方便というやつだ。
今回の引っ越しの際にその方も声をかけてくださった。
「淋しくなります。」
心のこもった言葉だった。
どれだけの時間がかかってどれだけの人に伝わるのか、
それは僕にも想像できない。
ただ、僕が生活するということはそういうことなのだろう。
僕のペースで焦らず惑わず暮らしていきたい。
(2022年4月16日)
引っ越し
学生時代から暮らした京都を離れることにした。
40年くらいの団地生活だった。
ここ数年、先輩や仲間とのお別れに接しながら少しずつ考えていった。
京都での生活に不満があるわけでもないし、まだ隠居生活をする気もない。
京都にはあちこちに思い出もたくさんある。
でも、僕に残っている時間がどれだけなのか、それは誰にも分からない。
後悔しない人生を考えた時、すぐに答えが出た。
違う風を感じる街で少年時代のように暮らしたい。
少しの花を育てて、犬や猫を飼って・・・。
琵琶湖の風を感じられる街に小さな家を見つけた。
あちこち手直しすれば暮らすには十分だ。
何よりバス停から近い。
バスと電車を乗り継いで京都市内の学校などにもこれまで通りに通勤できる。
見えない人間の引っ越し、一歩一歩頭の中に地図を描いていかなければいけない。
気の遠くなる作業だしとても大変なことだ。
でも今なら、それに対応する体力と気力がまだ残っている。
決心した。
京都で出会った皆様、支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
残りの人生、いやこれからの人生、頑張って生きていきます。
(2022年4月9日)