いい色の日

街を歩くとあちこちから聞こえてくる。
「きれいだね。」
「秋だね。」
「素晴らしいね。」
「美しいね。」
自然が織りなす色彩につい言葉がこぼれてしまっているのだろう。
それを聞きながら、僕の頭の中にもいろいろな画像が蘇る。
映画のワンシーンのように、一枚の絵画のように蘇る。
赤茶けた桜の木の葉、黄色から黄金色に移り行く銀杏の葉、常緑樹の緑、こげ茶や茶
褐色の木の幹、足元の灰色の石、青い空、そこに浮かぶ薄い白色の雲・・・。
次から次へと思い出す。
最後に見てから25年の歳月が流れた。
朧気になっている記憶が増えてきたのも事実だ。
それでもまだ残ってくれている景色がある。
思い出せる色がある。
日常の僕の目の前には何も変化のない灰色の世界が横たわっている。
そのせいかもしれないが、こうして時々蘇る色彩をとても愛おしく思う。
その時の僕には悲しさがないわけではない。
でも、それを包み込むやさしさが生まれてきていることも感じる。
見えていた時も見えなくなってからもかけがえのない人生ということなのだろう。
昨日11月16日は「いいいろの日」だったらしい。
そういうことを提案できる社会のセンスに感謝したい。
(2022年11月17日)

皆既月食

皆既月食が見られると報道された日の朝、全盲の友人からメールが届いた。
「今夜は皆既月食です。お月様が欠けてなくなり、また現れるそうです。赤いお月様
になるそうです。綺麗ですね。」
別の友人から届いたメールにも皆既月食のことが書いてあった。
「お月様が赤くなるんだって。お空に梅干しがある感じかな。きれいだね。」
メールを読み終えた僕はクスッと笑って幸せになっていった。
皆既月食なんて見えない僕達には無縁と思われがちだ。
確かに実際に見るということはできない。
それでもこうして語り合っているのが事実なのだ。
不思議な事実なのだ。
そこには悲しみがあるわけではない。
苦しみがあるわけでもない。
淡々と受け入れていく心が存在するのだ。
見たくないと言えば嘘になる。
見たいと言う思いを消し去ることはできない。
でも見ることができないから無縁というものではないのだ。
人間の心の柔軟さなのかしたたかさなのか、両方かもしれない。
そしてそこにささやかな幸せがあるのもまた事実なのだ。
(2022年11月11日)

「じゃあ、またね。」

文化の日、僕は仕事だった。
講義回数確保のために大学自体が通常開講となったのだ。
祭日が休みでないというのは僕も学生もきっと同じ気持ちだろう。
ため息をマスクで隠すようにして家を出た。
最寄り駅のホームで電車を待つ時間、爽やかな秋風が吹いているのを感じた。
行楽日和だなと思いながら電車に乗車した。
予定では京都駅で地下鉄に乗り換えるつもりだったが急遽変更した。
秋の行楽シーズン、全国旅行支援、祭日、京都駅、相当な混雑が予想できた。
リスクを避けるのも技術だ。
僕は遠回りだけど山科駅で地下鉄に乗り換えることにした。
地下鉄東西線は全駅がホームドアで安全だ。
烏丸御池駅で烏丸線に乗り換える時はやはり想像した通りだった。
白杖でホームに向かう点字ブロックを確認しながら進んだが途中であきらめた。
ホーム上のたくさんの人の中を進むのは大変だと思ったからだ。
乗る電車を一本遅らせて人が少なくなってから対応することにした。
少し離れたところで立っていた。
電車がホームに入ってくる音がした。
「一緒に乗りますか?」
ご婦人の声だった。
「助かります。」
僕はすかさず彼女の肘を持たせてもらった。
乗りながら、彼女は京都駅まで、僕は終点の竹田駅までということが確認できた。
乗車すると彼女は僕の手を手すりに誘導しようとしてくださった。
その時、端っこの席が空いているのに気づかれたようだった。
いや、僕に気づいた人が譲ってくださったのかもしれない。
彼女は僕に座るかと尋ねてくださった。
僕は喜んで座った。
今朝家を出る時に今日は一日座れないだろうなと覚悟していた。
僕はきっとマスクでもわかるくらいの満面の笑みだったと思う。
彼女にありがとうカードを手渡した。
三つめが京都駅だった。
京都駅までの間に彼女はありがとうカードに目を通してくださったのだろう。
電車が京都駅に到着する寸前、少しかがんで僕の耳元でおっしゃった。
「松永さん、じゃあ、またね。」
「はい、じゃあ、また。」
僕は子供の頃のように自然にそう返した。
じゃあ、またね。
少年時代、そう言い合いながら友達と別れて一日が終わっていた。
さよならだけど、また会えますようにという願いの言葉だったのだ。
いい言葉だなとうれしくなった。
そう言い続ければ、きっとどこかで会えるかもしれない。
じゃあ、またね。
(2022年11月6日)

日本点字制定記念日

僕は少しだけ点字が読める。
40歳で失明した後、京都ライトハウスで社会復帰のための訓練を受けた。
白杖歩行、点字の読み書き、音声パソコン、日常生活訓練などだ。
最初に点字を指先で触った時は愕然とした。
ただのブツブツだった。
週3回のペースで点字を学んだが遅々として進まなかった。
教えてくださった先生は全盲の年配の女性だった。
いろいろな訓練生に寄り添ってくださっているのが伝わってきた。
自分ではおっしゃらなかったが風の噂で先生の失明理由を知った。
17歳の時、通り魔に液体をかけられて一瞬にして光を失ったということだった。
それを知った時になかなか習得できなくてイライラする自分を恥ずかしいと感じた。
挫折しそうになる僕にかけてくださる先生の声は優しくて力強かった。
いつも励ましてくださった。
それからせめて五十音と数字は読めるようになろうと頑張った。
同期生の何割かはアルファベットまで読めるようになったから僕の努力嫌いはやはり
一流だったのだと思う。
点字を読めるようになって良かったと実感するのはトイレを使用した時だ。
流すボタンに「ながす」と書いてある。
ウォシュレットの好きな僕はここの点字にも助けられている。
「おしり」、「つよく」、「とめ」などのボタンをちゃんと使えるのだ。
先日お出会いした人の名刺には点字で肩書、氏名、電話番号が書かれていた。
僕との名刺交換のために手作りで準備してくださったものだった。
その気持ちがしみじみとうれしかった。
視覚障害者は点字を使用するとよく言われるが実際の使用率は低い。
一般の文字が読めなくなった人の中で点字使用者は1割程度ではないかと言われてい
る。
視覚障害原因の一位が緑内障、二位が糖尿病網膜症、障害発生時期はほとんどが中高
年という現代の日本では仕方のないことだ。
点字を教えてくれる場所、教えてくれる先生、そしてやる気、根気、すべてが整って
習得ということになる。
点字ができるということは失った読み書きを取り戻すということだ。
天国にいらっしゃる先生にあらためて感謝したい。
今日11月1日は「日本点字制定記念日」だ。
点字のなかった時代、見えない人は文字のない世界にいたということになる。
想像しただけで怖くなる。
点字、この素晴らしい文字はきっと永遠に僕達をサポートしてくれると思う。
(2022年11月1日)

ホテルにて

手探りでデスクの端にある電気ポットを探す。
コードを取り出してこれまた手探りでテーブルの上にあるコンセントにつなぐ。
それからポット本体だけを持って洗面台に向かう。
ポットの蓋を外して蛇口にあてる。
ポットを持っている手で感じる重さと変化する音を頼りに水道水を入れる。
元の場所にもどったらそのポットをセットしてお湯を沸かす。
沸かし始めた音を確認したらコーヒーカップにスティックコーヒーの粉を入れる。
持参したいつものイノダコーヒーだ。
沸騰したお湯を少しずつカップに注ぐ。
一番集中する瞬間だ。
こぼしたらいけない。
少し注いでカップを持つ。
重たさを確認するのだ。
それを数回繰り返してモーニングコーヒーの準備終了。
スマートフォンのシリを呼び出してリクエストする。
「朝のクラシックを聞きたい。」
音楽の中でコーヒーを飲みながら静かに時が動き出す。
東京のホテルでの三日目の朝が始まる。
コロナの影響で3年ぶりとなった研修会は定員を上回る応募があった。
4日間連続の研修会は結構ハードなカリキュラムとなっている。
受講生も僕達スタッフも体力が必要だ。
あとどれくらい僕は関われるのだろうとふと思ったりしてしまう。
とにかく関われる今は頑張るしかない。
受講してくださった人達に思いと感謝を伝えるのが僕の役目だ。
コーヒーを飲み終えて身支度を始める。
白杖のグリップを握った右手に少し力が入る。
いい仕事をしたいと思う。
(2022年10月28日)

フェンシングの剣

彼女から電話が入ったのは京都駅で地下鉄に乗り換えるタイミングだった。
14時くらいだったと思う。
「試合が終わったので今から大学に向かいます。
間に合わないかもしれないので待ってもらう必要はありません。」
それだけ言うと彼女は電話を切った。
大学のフェンシング部で活動している彼女はたまたま僕の担当科目を受講してくれて
いる。
僕の担当科目は「社会福祉特殊講義」という名称で選択科目となっている。
午後にポツリと入っている科目だし講師も僕なので受講学生数は多くはない。
たくさんの学生に受講して欲しいと思っているが仕方ない現実だ。
でも、少ないと学生達との距離も近くなるというメリットもある。
教室に入ってくる時に学生達は「こんにちは」と声をかけてくれる。
出ていく時も「ありがとうございました。」と声をかけてくれる。
他の科目ではあまり見かけられない光景らしい。
勿論初めの頃はそんなことはなかった。
いつの間にか少しずつ、学生達は見えない僕を理解していってくれているのだろう。
有難いことだと思う。
その学生達の中でも彼女は欠席ゼロの熱心な学生だ。
ただこの日は大学のフェンシング部として大会に出場するということで公欠扱いとな
っていた。
だから実際には来なくてもいいという状況だった。
大学の講義は90分なのだが僕はだいたい80分くらいで終わっている。
いつものように15時15分丁度に講義を始めて1時間以上が計かした時だった。
彼女がそっと教室に入ってきた足音に気づいた。
それから間もなく講義は終了した。
ほとんどの学生達が教室を出ていった後、彼女は教壇のところまできた。
そして僕にフェンシングの剣を手渡した。
持ち方やどういう感じで動かすとか説明してくれた。
握り方に戸惑っている僕の手を取ってきちんと握らせてくれた。
重量が違う剣や持ち手の違う剣も触らせてくれた。
勿論僕はそれを手に取るのは初めてだった。
その重たさと金属の鋭さに驚いた。
頭からすっぽりかぶるヘルメットのような防具も触らせてくれた。
重たかった。
「これ以外には特別な防具はないので体中があざだらけです。」
彼女は腕まくりをして見せてくれた。
近くにいた学生がそのたくさんの青あざを説明してくれた。
「間に合って良かったです。先生に剣を見せたいと思っていたから。」
彼女は微笑んだ。
素敵な笑顔だった。
この学生と出会わなかったら本物のフェンシングの剣を見ることはきっと一生なかっ
ただろう。
僕が見るというのは持つということ、握るということ、触るということ。
彼女はしっかりと見せてくれた。
うれしい思い出となった。
(2022年10月24日)

本当の言葉

講演が終わって後片付けをしている時だった。
主催団体の関係者である男性が僕の前に経たれた。
役職もある立場ということはきっともう50歳は過ぎておられるだろう。
挨拶も慣れておられるしイベントなどへの対応も数えきれないくらい経験しておられ
るはずだ。
僕自身の日常からしても中年男性は無難に過ごすことに長けているようだ。
街中でのサポートの声を分析すると、一番多い声は若い男性だ。
その次が中年女性、それから若い女性、高齢者、最後が中年男性かな。
勿論声だけの分析だし、あくまでも個人的な感想だ。
中年男性が周囲を気にせずにアクションを起こすには結構エネルギーが要るのだと感
じている。
僕の前に立たれたその中年男性は短い言葉を僕に伝えて去っていかれた。
「松永さん、感動しました。」
中年、いや高年の僕もやはり短い言葉だった。
「ありがとうございました。話を聞いて頂けて感謝です。」
会場を出て帰路についた車内で彼の短い言葉がリフレインした。
少しずつ喜びが沸き上がってきた。
短い言葉が真実だったということだろう。
伝える口調もまたそうだったのだろう。
僕自身の活動もそうなのかもしれない。
言葉の数などに頼ってはいけない。
心の中の本当の言葉を思いを込めて伝えることが大切なのだ。
僕自身も間違いなく彼の短い言葉に感動したということだったのだ。
(2022年10月21日)

ごんぎつね

信子先生と出会ったのは2005年だったと思う。
「風になってください」が2004年の暮れに慣行された。
翌年に出会ったということになる。
当時保育園の園長をしておられた先生はたまたま僕の本を読んでくださった。
読み終わってすぐに数十冊を購入して保育士の先生方にプレゼントされたらしい。
うれしかった。
地域や保護者の研修会にもお招きくださった。
それからのお付き合いだ。
保育園を退職されてから先生との交流は深まった。
僕と会う時間のゆとりが先生にできたということ、僕が先生の朗読に魅かれたのが大
きな理由だったと思う。
故郷への帰省、先生のご自宅を訪ねて朗読を拝聴するのが恒例行事となった。
田園の中にある静かな家でコーヒーを頂きながらの贅沢な時間だ。
毎年違う絵本を準備してくださった。
今年は新見南吉の「ごんぎつね」だった。
これまでこの作品は小学校の頃から幾度となく読む機会があった。
若い頃に演劇も見たことがあるし、朗読も聞いたことがあったと思う。
先生は僕のために読んでくださった。
強弱をつけながら音量も変えながら読んでくださった。
でもそれは意図的ではなく自然に変化しているものだった。
僕はどんどん違う世界に入っていった。
魂がゆっくりと穏やかになっていくのが分かった。
そして膨らんでいくのを感じた。
生まれたてのようになっていった。
真っ赤な彼岸花のシーン、ずっとあったはずなのにこれまで記憶になかった。
「もう80歳を超えたから上手には読めないけど。」
先生は読み終わった後にそうおっしゃったがそこには年齢は無縁だった。
柔らかな空気、豊潤な時間だった。
僕はきっと、彼岸花の季節になると「ごんぎつね」を思い出すことになると思う。
そして先生との出会いを見つめることになるのだろう。
僕の目は景色どころか光さえ感じなくなってしまった。
そしてそれはきっとずっと続くのだろう。
でも、確かに僕の幸せはあるのだ。
ささやかかもしれないが確かに存在するのだ。
そしてそれは人間同士の交わりの中にある。
有難いことだとしみじみと思う。
(2022年10月17日)

朗読

僕はこれまでに3冊の本を世に出すことができた。
幸運だったと思う。
凡人が思いだけで書いたのだから中身はまあまあというレベルだろう。
ただ社会にメッセージを発信するツールとしては大きな力となった。
「活字には力があるのよ。」
僕に最初に本を書くことを勧めてくださった方はそうおっしゃった。
彼女は現役の頃、大手の出版社で推敲の仕事をしておられたらしい。
我儘でなかなか書かない僕に辛抱強く寄り添ってくださった。
彼女との出会いがなければ本を書くことはなかったと思う。
人生にはきっと運命のような出会いがあるのだろう。
本のお陰で僕を知ってくださる人も多くなったし講演などの機会も格段に増えた。
彼女の言葉通りに活字は力となったのだった。
終末病棟で亡くなられる三日前に僕は彼女に直接感謝を伝えた。
彼女はきっと最後の力で僕の手を握られたのだと思う。
「書くことは貴方の使命なのよ。」
その言葉はこうしてホームページのブログにもつながっている。
本はいろいろな人が購入してくださっただけでなくあちこちの図書館などにもある。
もう年月が経ったのだが今でも手に取ってくださる人がおられるようだ。
そしていろいろな形で読んでくださるのもある。
地域の録音図書の蔵書にしたいという申し出も多くあった。
インターネットでも朗読をしてくださっている人達がある。
活字が朗読によってまた違う味覚を備えている。
まさにそれぞれに関わる人の個性が深みや味わいを付けていくのだろう。
僕は幾度かインターネットでも対面でも聞く機会があった。
書いた筈の僕自身が引き込まれてしまったりする。
これもまた力なのだろう。
人間が創造していく文化だ。
(2022年10月11日)

いい日旅立ち

鹿児島県薩摩川内市の小学校での福祉授業は3年ぶりだった。
10数年続いていた年中行事がコロナの影響で中止となっていたのだ。
これは鹿児島県だけではない。
一昨年は地元の関西でも対面の授業も講演も激減した。
時代の流れでオンデマンドの授業やzoomでの講演は増えていったが対面が一番伝えや
すいのは間違いない。
社会は少しずつ回復していったのだろう。
この秋の僕のスケジュールもほとんどコロナ前のようになった。
やっと社会がwithコロナになったんだなと実感しながらホームに立っていた。
小学校や中学校での福祉授業、社会人向けの人権講演、高校時代の友人達との交流、
妹宅で頑張っている母との再会、どれもがワクワクの予定だ。
一週間くらいのホテル暮らしも楽しみだ。
山科で新快速に乗り換えて新大阪、そこから新幹線で川内までの旅。
最寄りの比叡山坂本の駅を出発して6時間くらいかかることになる。
ほとんどの荷物は宅急便で送ったがパソコンなどはリュックの中だ。
いつもよりちょっと思いリュックを背負って雨空を眺めていた。
ラッシュの時間でホームが込んでいるのは雰囲気で伝わってきた。
電車が入ってきた。
慎重に動いて乗車しなければと思った時だった。
「大丈夫ですか?」
隣で声がした。
「肘を持たせてください。」
僕は声をかけてくださった女性の肘を持たせてもらって無事乗車した。
「どこか手すりを持たせてください。」
彼女は僕の手を通路の手前の座席の後ろの手すりに誘導してくださった。
他の乗客の迷惑にもならない安全な場所だ。
「ありがとうございます。もうこれで大丈夫です。」
僕はいつものありがとうカードをそっと渡しながら感謝を伝えた。
ホームで彼女が声をかけてくださってから60秒はかかっていなかっただろう。
人間のやさしさはたった60秒で誰かの緊張を受け止め安心させ、そして笑顔にでき
るのだ。
山科へ向かう間に頭の中で「いい日旅立ち」の懐かしい曲が流れた。
いい旅になるなと思った。
いやそうしたいと思った。
(2022年10月8日)