講演、点字体験、手引き体験、二日間を使ってのフルコースの学習だった。
点字体験、手引き体験には地域のボランティアの皆さんも協力してくださった。
生徒達はそれぞれに何かを感じてくれたと思う。
この中学校に関わるようになって20年くらいの時間が流れた。
ほぼ毎年、こうしてお招き頂いている。
有難いことだと思う。
この地域ではバス停や信号などで僕達にサポートの声をかけてくださる人の割合は他
の地域よりも高いような気がする。
それは僕だけではなく仲間からも聞いたことがある。
こういう地道な活動が少しはいい影響につながっているのだと思う。
毎年いろいろな関わりがあるのだが、今回も印象的なことがあった。
あるクラスでのすべてのプログラムを終えた時だった。
担当の先生と一人の女生徒が僕のところにきた。
「生徒がお伝えしたいことがあるようです。」
先生の声に背中を押されるようにして女生徒は口を開いた。
「白杖を持った視覚障害者の人が電柱にぶつかって、持っていたスマホも落とされま
した。私は近くで見ていたけど、何もできませんでした。」
彼女がどこかで自分自身を責めているのが伝わってきた。
僕はただ聞いていた。
彼女は続けた。
「でも、もし同じようなことがあったら、今度は勇気を振り絞って声をかけて手伝え
るようになりたいです。」
彼女の精一杯の言葉が僕の胸に染み込んでいった。
「できたことを人は言うけど、できなかったことを言うのは勇気がいるよね。貴方の
心の中に勇気が生まれたということだよね。いつかきっとできるようになるかもしれ
ないよ。急がなくていいからね。」
僕はゆっくりと言葉を返した。
「ありがとうございました。」
彼女は小さな声でそれだけを残して会場を出ていった。
僕はその後姿を素敵だと感じた。
生徒に何かを教えられたような気がした。
年を重ねて、言い訳も上手になってしまった。
それが大人になるということなのかもしれない。
でもやっぱり、正直であるということが美しいのだ。
今年も生徒達に出会えてよかったと思った。
(2022年7月12日)
正直
七夕
今週は月、火、水と京都市内の小学校に出かけた。
山科区、下京区、南区とそれぞれ違う場所にある小学校だ。
こうして滋賀県に引っ越してもお招き頂けることを素直にうれしいと思う。
知り合った先生方が僕の話を子供達に聞かせようと思ってくださるのだ。
有難いことだと思う。
小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生、これから未来を創っていく人たちに
メッセージを届けるのはとても大切なことだと思っている。
そして、それは僕のライフワークだとも思っている。
子供達と向かい合う時の僕は活き活きとしているのが自分でもわかる。
昨日も45分の授業を2時限、それを2クラスでやったのだから4時限話をしたという
ことになる。
結構体力も使う。
疲労を感じないはずはないのだが、それを上回るエネルギーが湧き出てくるようだ。
見えない僕達が生きやすい社会はまだまだ遠くにある。
先輩達から受け取ったバトンをしっかりと握って走るのが大切なことだ。
いや歩いているのかもしれない。
とにかく歩き続ける。
あきらめずに歩き続ける。
そしてまた後輩たちにしっかりと渡す。
バトンはいつかきっと未来に届く。
そんな思いが僕を駆り立てているような気がする。
今日は前期最後の専門学校の授業だ。
前期だけの学校なので最後の授業ということになる。
思いを込めて締めくくりたい。
そうだ、今日は七夕だ。
帰りがけには必ず夜空を眺めよう。
(2022年7月7日)
野の花のように
大学の講義は毎週木曜日の4時限目が基本だ。
終了が16時45分、学生達が一気に大学前の駅に向かう時間帯ということになる。
大学前の横断歩道には警備員の方々が立って学生達の波を誘導しておられる。
駅のホームは学生達で溢れかえる。
たまに利用するのだが必ずもみくちゃになる。
最近の僕はそれを避けて経路の地下鉄の駅までをバスを利用するようにしている。
バス停までは大学の職員が送ってくれる。
駅でのバスから地下鉄への乗り換えは少し複雑だがなんとかクリアできている。
少し時間はかかるが僕には安全な方法だ。
最近、このバスに一緒に乗ってくださる男性と出会った。
地下鉄の駅の乗り換えで危なかしく見えた僕に声をかけてくださったようだ。
僕よりは少し年上のようだが大学の近くのどこかで働いておられるらしい。
乗るバス停も降りるバス停も同じ、時間も同じ、乗り換える地下鉄も同じという幸運
だった。
同じ方面に向かう地下鉄に乗車して僕達は横並びに一緒に座る。
「今日も暑かったですね。」
定型句のような会話が幾度か交わされる。
僕は京都駅で下車、彼はそのまま国際会館前まで乗車されるらしい。
安全に乗り換えられること、一本早い地下鉄に乗れること、座れること、いいことだ
らけだ。
京都駅で先に降りる僕の背中に彼の声がそっと手を振る。
「お疲れさん、また来週。」
嫌な悲しいニュースは大々的に報道される。
こんな小さな善意は誰も知ることはない。
僕と彼だけの間でのことかもしれない。
でも、まさに野の花のようにこの国のあちこちで咲いている。
その野の花の咲き乱れる中で僕は生きている。
生かされている。
心から幸せなことだと思う。
(2022年7月2日)
ドヤ顔
雑草の勢いは僕が草抜きをするスピードよりも勝っている。
呆然としてしまう。
でも除草剤などは使用したくない。
無駄な抵抗と自覚した上での草抜きを続けることにした。
熱中症も怖いので30分に一回くらい水分補給を心がけている。
途中で手を止めて玄関に置いてあるお茶を飲む。
水筒をとも思ったがぬるくなるのでそれはあきらめた。
お茶を飲んだ後、元の場所まで戻るのが一苦労だ。
歩数を数えたりしたが手がかりがないので方向が定まらない。
なかなか元の場所に戻れないのだ。
悔しさも感じていた。
ふと思いついた。
アイフォンにはアップルミュージックを入れてあるので好きな音楽が聴ける。
草抜きを始める前にアイフォンに話しかけた。
「桑田佳祐を聞きたい。」
すぐに桑田佳祐の曲が流れ始めた。
草抜きも一気に楽しくなった。
球形でお茶を飲む時、そこにアイフォンを置いたまま玄関に向かった。
お茶を飲んだ後は音楽に向かって歩けばいいのだ。
元の場所にたどり着いた瞬間、僕は自分でも分かるくらいの思いっきりのドヤ顔だっ
た。
うれしくなっていくつかの曲をつい一緒に口ずさんだ。
夏空の下での音楽もいいものだと思った。
雑草達も桑田のファンになるかもしれない。
(2022年6月28日)
タンタンメン
総会と研修会が東京で開催された。
あまり役には立っていないのは自覚しているが一応役員という肩書がある。
無事終えて安堵したのは間違いない。
新幹線に乗る前にタンタンメンを食べに行った。
ミシュラン一つ星のお店だ。
タンタンメン一杯千円、自分へのささやかなご褒美だ。
営業時間は11時から15時までらしい。
小さな店内には5人くらいしか入れない。
1時間くらい並んだ。
やっと僕の番がきてひとつしかないテーブル席に案内してくださった。
何もおっしゃらなかったが白杖に気づいての配慮だったような気がした。
白いどんぶり、オレンジ色のスープに自家製の麺が適量で入っていた。
まずスープを味見してそれから一気に食べた。
舌が喜び胃袋が喜び脳が喜んだ。
自然に笑みがこぼれた。
黙々と食べて次のお客さんと交代するという感じで時が流れる。
不思議な幸せが店内に満ちていた。
見えなくなってから、元々の食いしん坊が余計に成長してしまったような気がする。
食べるということは見えなくても十分に楽しめることなのだろう。
そして当たりに出会えれば必ず幸せになれる。
幸せを求めて生きていくのは目には関係ない。
そんな言葉をいつの間にか衒いもなく言えるようになった。
僕は僕でいいのだと気付いたのだろう。
インスタ映えとまではいかないが、今年の総会とタンタンメンが並んで僕のアルバム
に残った。
(2022年6月22日)
蚊
庭で草抜きをしていて気づいた。
夕方になるとたくさんの蚊が飛んでいる。
そして不思議に思った。
あまり、いやほとんどさされない。
どうしてだろう。
昔はあんなにいっぱいさされていたのに。
もう若くないから血もまずくなったのだろうか?
それとも加齢臭だろうか?
どちらにしてもちょっと淋しい。
見えない僕は蚊との戦いは不得意だ。
ひょっとして見えない僕をいたわってくれてるのだろうか?
やさしい蚊なのかな。
やさしい蚊には申し訳ないが、
蚊取り線香の渦巻きの形、緑色、思い出した。
夏が始まったということだな。
(2022年6月16日)
素敵な週末
今週はハードスケジュールだった。
月曜日は歯科衛生士の専門学校、水曜日は高校、木曜日は介護福祉士の専門学校と大
学、金曜日は同行援護養成研修。
気づいたら火曜日だけがオフの日だった。
長時間の仕事も多かったし、気温も高かったのも原因だろう。
昨日の帰路はヘトヘト状態だった。
9時からの仕事が終わってライトハウスを出たのが17時過ぎだった。
たまたま受講生の男性と一緒になったので山科駅までは楽に行けた。
山科駅で地下鉄からJRに乗り換えなのだが、まだまだ駅の構造などが頭に入っていな
い。
夕方のラッシュウアワーも始まっていた。
僕は迷いかけながらゆっくりゆっくり点字ブロックの上を歩いた。
あぶなっかしく見えたのだろう。
通行人がJRの改札口まで誘導してくださった。
山科駅では駅員さんにサポートを依頼した。
比叡山坂本駅での降車を考えて、後ろから2両目の反対側のドアをお願いした。
電車が到着すると、駅員さんはお願いした通りにドアの近くの手すりを僕に握らせて
降りていかれた。
これで帰れる。
15分くらい立っていれば、比叡山坂本駅で目の前のドアが開いて簡単に降りれる。
そこから階段まではそんなに遠くはない。
点字ブロック沿いにゆっくり歩けばいいのだ。
よし、あと15分、しっかりと手すりを握って頑張ろう。
僕はシュミレーションしながら自分を勇気づけた。
その時、すぐ横から声がした。
「座られますか?」
僕は喜んで座らせてもらった。
そしてありがとうカードを渡して感謝を伝えた。
女性お二人のような気がしたが小さな声だけなので自信はない。
とにかく感謝は伝えた。
しばらくして驚いて急に不安が膨らんだ。
車掌さんの車内アナウンスのボリュームが小さすぎて聞こえないのだ。
耳を凝らして必死に聞き取ろうとしたが聞こえない。
次の駅がどこなのか分からない。
僕は先ほどの隣の方に尋ねた。
「アナウンスが聞こえなくて次の駅がどこか分かりません。僕は比叡山坂本駅で降り
たいのです。」
彼女は次が唐崎駅だということ、自分も比叡山坂本駅で降りること、バスの車内で僕
を見かけたことがあるからきっとバスも一緒だということを教えてくださった。
僕はすかさず電車を降りた後のサポートもお願いした。
電車が比叡山坂本駅に到着し僕達は一緒に階段を降り改札を出てバス停に向かった。
そして停車中のバスに乗車して座らせてもらった。
すぐにバスは発車した。
点字ブロックを確認しながらのいつもの僕だったらこのバスには間に合わない。
たまたま聞こえなかった車内放送がこういう幸運につながったのだ。
安全に移動し電車もバスも座れ、そして帰路の時間を20分も短縮できたのだ。
ハードスケジュールを頑張ったご褒美を神様がくださったのだなと思った。
「助かりました。ありがとうございました。」
バス停で降りる時に僕は再度感謝を伝えた。
「素敵な週末を!」
彼女はそんな言葉で僕の背中を見送ってくださった。
人間っていいな。
久しぶりにその言葉が僕の頭の中で木霊した。
実は今週は今日も仕事、福祉専門学校でのオープンキャンパスだ。
これを書き終えると出発の準備だ。
すがすがしい気持ちで朝を迎ることができた。
いい週末、きっとそうなると思う。
(2022年6月11日)
カレーライス
教え子からのメールで一日がスタートした。
ジャガイモと玉ねぎを収穫したので食べるかとの質問だった。
僕は欲しいと即答の返信をした。
専門学校ではいろいろな世代の人達が学んでいる。
社会人経験者もいるし志望動機も多種多様だ。
時には僕より人生の先輩がいらっしゃることもある。
講義をするという立場なので先生と呼ばれるがまさに立場上だ。
同じ時代にそれぞれの人生を重ねてきたのだからこちらが教えられることも多い。
彼は僕よりは年下だ。
現在農業をしながら学びを続けている。
多忙な学生生活だがその傍ら趣味の山歩きも楽しんでいる。
若い学生達や留学生達とも流石の距離感で信頼されているのを感じる。
おっちょこちょいの僕は時々そういう人を羨ましく感じることがある。
授業が終わっての昼休み、彼はジャガイモと玉ねぎの袋を僕にそっと渡すと講師室を
出ていった。
そのさりげなさも素敵だなと感じてしまう。
午後の大学への移動、そこからの帰路、リュックサックが重たかった。
幸せの重さだなと思った。
重たさを感じる度に笑顔になった。
近日中にカレーライスを食べようと決めた。
そしてまた笑顔になった。
(2022年6月10日)
蒼い匂い
引っ越してきた家は中古の戸建てで小さいながらも庭がある。
その小さな庭にこれまた小さな畑を製作中だ。
あこがれの家庭菜園というやつだ。
二坪程度の場所に夏野菜を植え始めた。
どこからどこまでが畑か確認が難しい。
ちょっと方向を間違えるとせっかくの苗を踏んづけてしまうことになりかねない。
あれこれ考えて、周囲をコンクリートブロッキュで囲むことにした。
それはこれからの作業だ。
順番が違うのだがそれは素人考えだから仕方ない。
とりあえずは周囲の草引きを始めた。
児童福祉施設で働いていた頃、子供達と畑仕事をしたりしていた。
梅雨の前後の草引きも仕事のうちだった。
草引きをしながらその蒼い匂いを好きになっていった。
畑仕事の合間には煙草を吹かしながら夏の始まりの空をよく眺めた。
いろいろな形の雲を追いかけた。
蒼い匂いが時計を逆回りさせてくれた。
僕は幾度も手をとめてそっと空を眺めた。
確かに見えていた頃があった。
ずっとずっと昔の話だ。
とっても愛おしい昔の話だ。
(2022年6月6日)
不審者ではありません
京都市にある施設での用事を済ませて帰路に就いた。
最寄りの桂川駅のホームに降りる階段は左右にあるのだが、僕は左側を選んだ。
比叡山坂本駅で電車を降りた時に少しでもホームの移動距離を短くしたいからだ。
比叡山坂本駅のホームは古くてでこぼこしているし柱も多い。
できるだけ階段の近くで降車したいと思っている。
そのために場所を逆算して乗車しなければいけない。
桂川駅で電車の後方に乗車するのがこの方法につながるのだ。
その前に京都駅での乗り換えも大変だ。
京都駅の一日の利用者数は40万人を超えている。
これまでよく利用していた桂駅は3万人くらいだから10倍以上の人が行き来している
ということになる。
混雑も半端じゃない。
点字ブロックを利用しながらゆっくりと歩く。
それでも時々ぶつかるのは仕方ないとあきらめている。
ぶつかることが少なくなるように、白杖にもリュックサックにも鈴をつけている。
京都駅で無事乗り換えればそこからは後半戦だ。
比叡山坂本駅に到着して改札口を出る時、いつも安ど感に包まれる。
なんとか無事に帰ってこれたという感じの安ど感だ。
点字ブロックをたどってバス停まで行く。
ここは短い距離で分かりやすい。
バス停に着くと僕はリュックサックからイヤホンを出して装着する。
ソニーのリンクパズというイヤホンで、外部の音も聞きやすい設計になっている。
それからアイフォンを操作してサウンドスケープというアプリを立ち上げる。
「ヘッドホンの調整が必要です。あらゆる方向に10秒間首を動かしてください。」
僕は指示通りに首を動かす。
周囲にはきっと不審な行動と映っているだろう。
両耳にはイヤホンがありそれをつないでいるヒモが首の周囲に垂れ下がっている。
首からはアイフォンがぶら下がっている。
それで白杖をしっかりと握っているのだから、
きっと行動だけでなく見た目も滑稽だ。
サウンドスケープを操作して自宅をセットする。
その状態でバスを待ち、バスが来たら乗車する。
最寄りのバス停でバスを降りてサウンドスケープのナビを開始する。
僕の進むべき方向から案内音が流れる。
歩き出すとポイントまでの距離も教えてくれる。
「あと50メートル、あと30メートル」
ポイントまでくるとまた音声が流れる。
「曲がり角です。左に進むと自宅です。」
僕はその指示に従って進む。
ちなみに、この曲がり角は人と自転車だけが通れる細い路地だ。
それをピンポイントで指示してくれるのだから現代科学は素晴らしい。
家に帰り着いて白杖を玄関の傘立てに片づける。
自分の部屋に入るとイヤホンを外しアプリを終了する。
見えないで外出するというのはたやすいことではない。
体力、考える力、いろいろなサポートの道具、そしてやさしい人達、そこで初めて安
全が確保できるのだ。
無理をせず、自分のペースで歩き続けたい。
おかしな格好で歩いていますしおかしな動きをすることがありますが不審者ではあり
ませんのであしからず。
(2022年6月1日)