とうもろこし

北海道産のとうもろこしを頂いた。
かぶりついた。
甘いと聞いていたが予想以上だった。
品種改良、輸送技術、時代が進んでいるのだろう。
食べながら美しい黄色を思い出した。
鮮やかに思い出した。
最後に見てから25年も経ったなんて信じられない。
それくらい鮮やかな記憶なのだ。
とうもろこしからひまわりへと思い出はつながった。
黄色つながりだ。
幼稚園の長靴からカボチャの花まで思い出した。
こうして何かのタイミングで宝物の思い出が宝石箱から零れ落ちる。
魔法みたいに出てくるから不思議だ。
坂道を上ったところの空地のヒマワリ、綺麗だったなぁ。
蒼い夏空をバックに笑ってた。
少女のように笑ってた。
(2022年8月26日)

高校野球

いつの間にかラジオの放送に引き込まれていた。
気持ちだけは甲子園に出かけていたのかもしれない。
昔見たあの青空の下のグラウンドが蘇る。
金属バットの快音が夏空を飛んでいく。
アルプスの歓声が大波のように押し寄せる。
野球の神様は無情に微笑む。
帰らない時間が過ぎていく。
ゲームセットのサイレンの音が流れる。
目頭が熱くなる。
最後まで全力でプレーした選手達に拍手までしてしまう。
ありがとうと言いたくなる。
ここまで心を揺さぶられるのはどうしてなのだろう。
勝てなかった僕自身の人生と重なるのかもしれない。
三振ばかりしてきたような気がする。
エラーも多くあった。
それでも精一杯やってきたと自分を納得させているのだろうか。
起死回生のホームランは僕には無理だ。
ただ最後まであきらめないでプレーすることは僕にもできるかもしれない。
いやそうしていきたい。
(2022年8月21日)

当事者

地下鉄からバスに乗り換えるために二条駅を歩いていた。
お盆の午前8時の二条駅は空いていた。
「せんせーい!」
遠くから声が聞こえた。
僕のことかなと立ち止まった。
しばらくして彼女は駆け寄ってきた。
介護の仕事をしている彼女は夜勤明けとのことだった。
当たり前だけど介護の仕事などに関わっている人達はお盆も夏休みも関係なく働いて
おられるのだ。
改めて感謝しなければと思った。
福祉の専門学校で彼女と出会って10年になる。
いつどこで出会っても声をかけてくれる。
今回もバス停までサポートしてくれバスがくるまでの時間を付き合ってくれた。
そしてバスが到着すると乗降口までサポートしてくれた。
「乗ってすぐの左側が空いています。
行ってらっしゃい。」
バスに乗車するタイミングでの彼女の声だった。
「ありがとう。行ってきます。」
僕は聞こえないだろうけとそう返した。
いろいろな学校などで出会った人達がこうしていろいろな場所で手伝ってくれる。
しかも見えない僕が何が不便で不自由かを理解してくれている。
有難いことだと思う。
僕がいい先生だったということではない。
やさしい人達が学んでくれたということだ。
当事者の僕が先生の端くれにいるのも少しは意味があることだと思っている。
(2022年8月17日)

夏空

世間はお盆休暇なのだろう。
いつもは結構込んでいる7時過ぎのバスは僕以外の乗客は一人だけだった。
駅もまばらな人だったし電車も混んではいないようだった。
それでも空席を探せない僕はいつものように立ったまま電車の中で過ごした。
JRから地下鉄に乗り換え、そこからバス停に向かった。
迷子になった。
たまにしか利用しない場所だから仕方ない。
僕は点字ブロックをあちこち探し始めた。
気づいた男性が声をかけてくださった。
僕と同世代くらいだろう。
彼の肘を持たせてもらって歩き出した。
そして気づいた。
蝉が元気よく鳴いていた。
何故かとってもうれしくなった。
このお盆の四日間は僕は同行援護の研修会のスタッフだ。
研修会には全国から関係者の方々が参加されている。
受講生の皆さんが少しでも満足してくださるように頑張らなくちゃと素直にそう思っ
た。
男性と別れてバスを待つ間に空を眺めた。
夏の青い空が広がっていた。
当たり前だけど夏だなと思った。
またうれしくなった。
(2022年8月13日)

幸せな日

福祉の専門学校のオープンキャンパスに出かけた。
夏休みになって久しぶりの仕事だった。
午前中には知り合いの小学生の娘さんのインタビューに答える用事もあった。
夏休みの自由研究のお手伝いを頼まれたのだ。
電車に乗るのも久しぶりだった。
僕は久しぶりの外出を楽しむようにいい気分で家を出た。
もうすっかり慣れたつもりの乗り換え駅に到着してすぐのことだった。
点字ブロック沿いに通路を歩いていたら突然人にぶつかりかけた。
体格のいい男性だった。
その瞬間彼の大きな手で突き飛ばされそうになった。
残念だが故意の動きなのは伝わってきた。
そんなに込んでいた訳でもなかった。
ひょっとしたらスマホを見ながら歩いていた人だったのかもしれない。
いつもは「すみません。」を言う僕も言葉を飲み込んだ。
お互いに無言で離れた。
朝から後味の悪い気持ちになった。
ただ、その後すぐに次の乗換駅で若者が声をかけてくれた。
ホームで迷いそうになった僕に気づいてくれたのだ。
彼は急行、僕は不通と電車は違ったがホームは同じだった。
彼は僕を安全な場所に誘導してから急行に乗っていった。
僕はそれから小学生のインタビュー、学校のオープンキャンパスと頑張った。
帰りの乗り換え駅で高齢の男性が声をかけてくださった。
85歳の彼は義足で杖もついておられた。
電車待ちの時間、僕達はいくつかの会話を交わ下。
彼は60歳の定年退職の3日前に事故で足を失ったということだった。
それから25年を生きてこられたのだ。
その年数は僕の失明の年数とも重なった。
「人生、こんなもんやなぁ。」
彼は笑いながらつぶやかれた。
そこにはもう悲しさも悔しさもないようだった。
むしろ、今生きている命を喜んでおられる空気が伝わってきた。
「あまり役には立たんかもしれんけど、白杖の人を見かけたら声をかけるようにして
いるんや。」
電車が入ってきた。
彼は僕の左手を持つと少しグラグラしながら僕を座席に誘導してくださった。
僕は深々と頭を下げてから座席に腰を下ろした。
あと25年、こんな風に老いていけたらいいなと思った。
その後も数人の若者が手伝ってくれた。
結局、たくさんのありがとうカードがポケットから消えた日だった。
幸せな日だった。
(2022年8月7日)

草取り

バケツとイス、それにカゴを持って庭に出る。
イスは百円ショップで購入したお風呂用のイスで軽くて大きさも丁度いい。
カゴの中にはスコップ、剪定ハサミ、蚊取り線香、スポーツドリンク、ハンディ型扇
風機などが入っている。
麦わら帽子をかぶって作業服、靴は運動靴だ。
作業服の胸ポケットにはアイフォンが入っている。
アイフォンにはアップルミュージックのアプリが入れてある。
「ユーミンを聞きたい。」
シリに話しかければすぐに対応してくれる。
好きな音楽の中で草取りをしている時間が至福のひと時となっている。
指先の感覚で雑草を確かめる。
根から引き抜くようにしているが時々失敗して途中で切れる。
切れると悔しい。
難しそうな草を上手に引き抜けた時は逆にうれしい。
抜いても抜いても生えてくる。
ほとんど無意味に近い作業なのかもしれない。
無意味なことに夢中になっている自分自身がうれしい。
子供の頃に帰っているのかもしれない。
必死でやっている時、見えていないということも忘れている。
いや、見えていたということを忘れているのかもしれない。
見えなくなってから長い時間が流れたということなのだろう。
アリンコ、バッタ、ハチ、トンボ、ナメクジ、ミミズ、いろんな命と遭遇する。
頭上ではいろいろな鳥が歌ってくれる。
それぞれの命を感じると自分の命もうれしくなる。
そしてたまに吹いてくれる風を感じてそこにも命があると気付く。
世界中のすべての命が平穏であって欲しいと心から願う。
(2022年8月5日)

爽やか

大学の夏休み中の補講として施設見学を実施した。
学生達を引率してライトハウス見学に出かけたのだ。
コロナの影響もあってか参加した学生は少なかったが皆楽しそうだった。
終了後、僕は学生達と別れて二条駅に向かった。
地下鉄を利用して山科でJRに乗り換えるコースにしたのだ。
これが一番早く帰れると思った。
これまで地下鉄二条駅は数えきれないくらい利用している。
でも迷子になった。
振り返ってみれば、二条駅の利用はほとんどサポーターと一緒の時だった。
頭の中の地図はいい加減なものだったのだ。
迷子の僕は足音に向かってサポートをお願いした。
学生みたいな若い女の子だったがとてもやさしく対応してくれた。
横を一緒に歩いてくれていたようで、点字ブロックの曲がる方向を教えてくれた。
間違って反対側のホームに行きかけた僕にそれも教えてくれた。
そして電車の乗車後にはわざわざ空いてる席に座るか尋ねてくれ案内してくれた。
それ以外には何も会話はなかった。
その後、彼女がどこの駅で降りていったかなど何も分からなかった。
暑い一日の仕事帰りの僕には天使に出会ったような爽やかなうれしさが残った。
帰宅してから久しぶりに後輩の女性と電話で話をした。
彼女は以前よく二条駅を利用していたのを知っていた僕は駅の構造を彼女に尋ねた。
「階段を降りたら下りのスロープです。
右側の壁を白杖でたたきながら歩くと白杖が抜けたところが右に曲がるところです。
そこからは点字ブロック沿いに進んで左に曲がる点字ブロックを探せばそこが有人改
札です。」
地図は彼女の身体が憶えている感じだった。
僕は構内についても尋ねた。
「改札を入ると数メートル先で左に曲がります。
並んでいる改札を左に見ながら進み次の曲がり角を左に、そしてまた左に曲がると下
り階段です。
コの字に曲がったことになります。」
僕は頭の中の地図を再確認しながら彼女に確認した。
「そうです。
階段を降りる時は先ほどの駅員さんと向い合せになる感じで降りていきます。
降り切って左を向いたら山科方面行の電車のホームです。」
見えない人に教える時には見えない人が一番上手と聞いたことがあるがまさにそうだ
った。
僕の頭の中の地図がどんどん完成していった。
「白杖の達人の僕が後輩に教えてもらうって悔しいけどよく分かったよ。
これでもう大丈夫だね。」
彼女は電話の向こうで照れくさそうに笑った。
爽やかな笑顔だった。
夕方出会ったサポーターの学生にしてもこの後輩にしても、爽やかさは夏によく似合
うとなんとなく思った。
(2022年7月29日)

蝉時雨

例えば歩いている時に聞こえる工事現場の音、例えば駅のホームで聞こえる電車の通
貨音、大きな音は苦手だ。
怖いと思ってしまう。
画像のない状態での音なのでそう感じるのだろう。
でも、大きな音が別の効果を生み出すことがあるのを知った。
朝の庭で草取りの手を休めた時だった。
聞きたいと思ったわけでもなかった。
セミの鳴き声が止まない雨のように空から降ってきているのに気付いた。
他の音は姿を消してセミの鳴き声の中で僕は息をしていた。
いろいろな思い出が次から次へと蘇った。
思い出の旅路は終着駅がなかなか見つからなかった。
僕は時を忘れてそこに溶け込んだ。
画像がないということが長所になってしまったのだろう。
画像のない僕に思い出の画像が寄り添った。
活き活きとやさしく微笑んだ。
とっても幸せな時間だった。
空を眺めながらもう辞めてしまった煙草を一本吸いたいとさえ思った。
見えていた頃の思い出が残っていることに心から感謝した。
(2022年7月26日)

新しい仲間

大津市在住の視覚障害者の人達数人でランチをした。
引っ越してきた僕のために一席設けてくださったのだ。
48年暮らした京都、そのうちの25年は視覚障害者としての暮らしだった。
25年の間にたくさんの視覚障害者の人と縁が繋がっていった。
視覚障害になった理由も時期もそれぞれ違っていた。
世代も生い立ちも性格も価値観も宗教も政治もそれぞれ違った。
視覚障害ということだけが共通点だった。
縁は僕自身を励ましてくれ豊かな人生に繋がっていった。
また新しい場所で繋がれるというのはうれしいことだ。
これから25年、それはちょっと難しいかもしれない。
少しずつのんびりと繋がりながら笑顔になれればいいと思う。
今日のランチ、皆で笑顔で乾杯した。
仲間ができるって幸せなことだと感じた。
(2022年7月18日)

カナダの友人

「松永さーん。」
待ち合わせの地下鉄の改札口に彼女は笑顔で現れた。
僕は仕事帰りだったので時間はあまりなかった。
僕達は近くのレストランで夕食をとりながら懇談することにした。
彼女はカナダに住んでいて5年ぶりの再会だった。
コロナで帰国のチャンスが数回延期になっていたのだ。
彼女と出会ってもう15年くらいにはなるだろうか。
僕の著書を読んでカナダから点字の手紙をくれたのがきっかけだった。
それ以後、彼女の帰国の際のこの懇談は僕の楽しみのひとつになった。
彼女はカナダで視覚障害の子供の支援の仕事をしていて点字もスペッシャリストだ。
趣味も豊かでヨガのインストラクターの資格まであるらしい。
何より僕の知らない世界で生きている。
今回も予約した大浴場のあるホテルで入浴を断られたという話題がスタートだった。
5年前は肩にだけタトウがあったらしい。
今回は増えて腕には2匹の鯉が泳いでいるとチャーミングに笑った。
カナダでは警察官も医師も教師もタトゥをいれていて、いれていない人を探す方が困
難なのだと教えてくれた。
そしてその先にある自由とかそれぞれの個性の尊重とか話してくれた。
それはそのまま人生の豊かさを意味していた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
レストランを出て駅の改札口まで送ってもらった。
途中、彼女は駅の混雑の中から引き受けてくれそうな青年を探し出して写真撮影を依
頼した。
勿論、彼は快く引き受けてくれた。
僕達は笑顔で写真に納まった。
駅に到着して僕は握手の右手を差し出した。
彼女はその右手を無視して僕にハグした。
「カナダではハグなの。」
他人の目を気にしながら生きている日本人の僕はちょっと恥ずかしかった。
でもうれしかった。
それから彼女は人込みの中に消えていった。
その後姿をただただかっこいいと感じた。
そんな生き方を少し見習いたいと思った。
(2022年7月16日)