年の瀬

今年最後の朝のコーヒータイムはやはり一年を振り返る時間となった。
一番先に思ったのは新天地でのスタートだった。
これは当然だろう。
ほとんど何もかもが新しい一歩となったのだ。
生活のすべてが不安と希望の中での一年だったのは間違いない。
とりあえず一歩を踏み出せたような気はする。
次に頭に浮かんだのは親友からの電話の声だったのには自分でも驚いた。
「予定より早く退院できたよ。」
ちょっとうれしそうな電話の声だった。
報告を聞いた瞬間に僕も笑顔がこぼれた。
大きな手術だというのは知っていた。
胃の半分以上を切除するということだった。
今年の夏には大腸の一部も切除していた。
それまで故郷で元気でやっていると思っていたのでとにかく驚きの知らせだった。
まさに病魔はいつ襲ってくるかわからないということなのだろう。
還暦を超えた僕達には他人事ではない。
そしてその病魔と向かい合う時にどう生きてきたのかどう生きていくのかということ
にも向かい合うのだろう。
電話を切ってから僕は一人で拍手をした。
よっしゃと呟きながら子供みたいに手を叩いた。
心の底からただうれしかった。
大きな喜びが記憶に記されたのかもしれない。
次に思ったのは姪っ子の結婚や出産のニュースだった。
長生きの母の声も心の中で木霊した。
その次がフィリピンのジョンディーコン達のことだった。
小学生の頃から僕が支援している子供だ。
勿論、ささやかなささやかな支援なのだが、
高校生になって優秀な成績を収めているらしい。
この星のどこかで夢を追いかけている若者がいて、ほんの少しでもそこに関われるの
が幸せなのだろう。
きっとそこに希望が見えることが僕の気持ちを揺さぶってくれるのだろう。
そして振り返りながらふと思った。
悲しみや苦しみよりも喜びが記憶を支配しようとしているのだ。
生きているのだから悲しみも苦しみもあったはずだ。
ひょっとしたらそれによる辛さはとても深いものなのかもしれない。
でも時間はそれを超えていこうとする。
それが何故なのだかは僕は分からない。
でも、それでいいのだとはなんとなく思う。
それができるから人は生き続けていけるのかもしれない。
(2022年12月31日)

良いお年を!

年の瀬の駅のホームはいつもよりは空いていた。
学生達が冬休みになったからだろう。
「おはようございます、松永さん。お手伝いしましょうか?」
ホームの点字ブロックに辿り着いたタイミングでの声だった。
名前を呼ばれて不思議そうに感じている僕にそっと教えてくださった。
「この前のカード。山科までの。」
なんとなく記憶がつながった。
「また声をかけてくださったのですね。ありがとうございます。」
電車が到着した。
僕は彼女の肘を持たせてもらって乗車した。
「席がひとつ空いています。」
彼女は僕を席まで誘導すると僕の左手を持って背もたれを触らせてくださった。
僕は何の問題もなく自然に席に座った。
いつもなら立ったままでの厳しい時間が暖かな時間に変わった。
僕の横に立っている彼女にそっと尋ねた。
プロのガイドさんみたいに上手だったからだ。
「何故誘導の方法などを知っておられるのですか?」
「ブログを読んだからです。」
それから僕達は少しありがとうカードについて話した。
その後の数駅、会話は控えたが彼女のぬくもりが傍にあった。
やがて電車は彼女の降りる山科駅に近づいた。
「私、降ります。」
「ありがとうございました。良いお年を。」
僕は笑顔で答えた。
「良いお年を。」
彼女も笑顔で返してくださった。
その時、ほんの一瞬、僕達は見つめ合った。
それから目的の駅までの時間、僕は幸せに包まれた。
「見えなくなって良かったことってあるんですか?」
時々子供達から質問される。
僕はいつも答える。
「今でも見えた方がいいなと思っているんだけどね。
でも、見えなくなってからやさしい人に出会う機会は間違いなく増えたよ。
それは僕の幸せのひとつかもしれないね。」
1度きりの出会いもある。
今日みたいなこともある。
次回があるかは神様だけがご存知なのだろう。
人間の社会の豊かさ、本当に素晴らしい。
人間同士の交わす言葉、本当に美しい。
皆さん、良いお年を!
(2022年12月27日)

ポインセチア

新島記念講堂の入り口には大きなクリスマスツリーがあった。
館内にはパイプオルガンの音色が響いていた。
生演奏だった。
厳粛な空気と12月のやさしさが同居していた。
僕は心を落ち着けて話をした。
いや、パイプオルガンの前奏の中で心が自然に穏やかになっていった。
空から降ってくる音の中で洗浄されていくような不思議な感覚だった。
心の中で讃美歌を口ずさみ最後にアーメンと唱えた。
礼拝を終えて出口に向かう時だった。
ポインセチアの鉢植えが並んでいることを教えてもらった。
僕は足を止めてそこにしゃがみこんだ。
右手の白杖を左手に持ち替えた。
それから空いた右手でポインセチアをそっと触った。
明るい赤から黒に近い赤までいろいろな赤が脳裏に浮かんだ。
以前どこかで葉と思う部分が実際には花だと聞いたような気もする。
そのいくつかの葉を触りながら赤色のグラデーションが僕を取り囲んだ。
今ここに生きていることが幸せだと自然にそう思えた。
久しぶりの美しい赤色を見た。
立ち上がって関係者に感謝を伝えて歩き出した。
歩きながら空を眺めた。
この空がウクライナにも続いている。
そう思ったら奥歯を噛みしめてしまった。
平和への祈りが届きますようにと心から願った。
(2022年12月24日)

幸せのおにぎり

午前中は9時過ぎから自宅でzoom会議に出席していた。
会議はお昼までかかってしまった。
急いで昼食を済ませて家を出た。
午後の専門学校の授業にギリギリのタイミングだった。
お昼時間の駅のホームは空いていた。
乗り換えがスムーズに行くように考えてホームを少しずつ移動した。
サポートの声がした。
僕は喜んでお願いした。
最近、彼女は丸太町駅付近で僕を見かけたらしかった。
「サングラスが素敵だったから憶えています。」
怪訝な感じの僕にそうおっしゃった。
単純な僕はそれだけで上機嫌になった。
電車に乗ると僕達はボックス席に向かい合って座った。
友達みたいに会話が流れた。
彼女は2個あるおにぎりをひとつあげようとおっしゃった。
何かの記念のお土産らしかった。
「梅と昆布とどっちがいいですか?」
昆布と出そうになった言葉を飲み込んで僕は答えた。
「レディファーストです。貴方はどちらがいいですか?」
彼女は梅を選んだ。
僕は心の中でそっと喜んだ。
わずか10分ほどの出会い、それも初対面だ。
しかもお土産のおにぎりまで頂いた。
厚かましいのかもしれないが人生にはこういうこともある。
ちょっと早いクリスマスだなと思いながら彼女と別れた。
学校に到着して学生達に今日の出会いの話をした。
昆布のおにぎりがうれしいんじゃなかった。
人間同士の交わりの中で生まれる時間と空間、素敵だと思った。
学生達の中には留学生も多くいた。
その中に昼食をとっていない学生がいた。
僕は授業の後そっと彼に伝えた。
「幸せのおにぎり、どうぞ。」
幸せが連鎖した。
笑顔がつながった。
(2022年12月20日)

言葉を超える

改札口を入ったところで声がした。
「お手伝い、ありますか?」
せっかくの声だったので僕はサポートを受けることにした。
僕は彼に人差し指で示しながら伝えた。
「こっち側で肘を持たせてください。」
彼は僕の背中側に回ってしまった。
「こっち」も「肘」も伝わっていなかった。
幾度かのやりとりがあった。
なんとか左側に立ってもらって肘を持たせてもらった。
やりとりの中で彼が日本人ではないのかもしれないと思った。
「留学生ですか?」
僕は一緒に階段を上りながら尋ねた。
「アメリカ人です。」
それからいくつかの会話を試みたがうまくいかなかった。
彼の日本語力、僕の英語力、どちらもあまり役に立たなかったのだ。
彼は同じホームの反対側の電車に乗車するということが分かった。
僕は僕の側の点字ブロックの上に誘導してくれるように頼んだ。
「点字ブロック」、伝わらなかった。
彼の困惑が伝わってきた。
「イエローブロック!」
僕はホームの端の方を指差しながら言った。
「OK」
今度は通じた。
彼は僕を点字ブロックまで案内してくれた。
僕はいつものようにポケットからありがとうカードを取り出した。
「サンキューカード、プリーズ!」
彼はオウと言いながらうれしそうに受け取ってくれた。
バイバイ、僕達は手を振って別れた。
人間同士なんとかなるもんだ。
15年ほど前、京都市の障害者の体育大会に出場した時のことを思い出した。
最後の種目は地域対抗のリレーだった。
車いすの人が第一走者、そして数人の障害者の選手がバトンをつないで僕はアンカー
だった。
僕にバトンを渡す走者はろうの人だった。
手話通訳の人を交えて打ち合わせをした。
「僕は左手でガイドさんの肘を持ったまま走るので、僕の右手の掌にバトンを渡して
ください。」
リレーはスタートした。
僕は右手の掌だけに集中してバトンを待った。
ガイドの男子大学生が僕に伝えた。
「もうすぐです。今2位です。」
次の瞬間、僕の掌はバトンをしっかりと掴んだ。
足に自信はあった。
僕は全力で走った。
1位でゴールを駆け抜けた。
たくさんの仲間や関係者と喜びを分かち合った。
「あー、うー。」
僕にバトンを渡したろうの走者が何か言いながら僕に抱き着いた。
「有償だよ。良かったね、良かったね。僕達の地域の初めての優勝だよ。」
僕はそんな言葉を連呼しながら彼とハグを続けた。
お互いの背中を叩きあった。
その経験は大きな宝物となった。
その後、盲ろう者通訳解除員研修などでろうの人達と関わる機会が度々あった。
僕はいつも笑顔で挨拶ができた。
言葉を超えて伝え合うものがあるとあのろうの人からまなんだのだと思う。
(2022年12月16日)

恐怖感

見えないで一人で外を歩いて怖くないかと尋ねられることがある。
もう光も感じなくなって20年以上の時間が過ぎたのだから慣れもある。
でも、恐怖感が消えるということはない。
同じ場所でも季節によって日によって時間によって恐怖感は違う。
僕自身の体調によってあるいは疲れ具合によっても違うのかもしれない。
風の強さ、雨の音などの影響も少しはあるだろう。
気温が高いよりも低い方が感じやすいのも事実だ。
一番恐怖感を感じるのはやはり駅のホームだ。
いつもの路上などはそれなりに普通に歩いているつもりだ。
それなのにホーム上では自分自身のバランスの不安定さを感じてしまうことがある。
先日、とても強い恐怖感を覚えた時があった。
後でデータ的に考えると自分で納得できた。
人権月間の今月、僕は中学校などからの講演依頼が多い。
先週は月曜日から木曜日まで4日間で4つの中学校と1つの専門学校と1つの大学に
出かけた。
一日に二か所という日もあったということだ。
金曜日は視覚障害者の研修が奈良県の柏原市で開催されてその挨拶に出かけた。
結構遠かった。
その帰りに京都駅から乗車した電車は何両編成でどこに乗車したかなどは分かってい
なかった。
発車ギリギリのタイミングで乗車してしまったのだ。
1本遅らすと20分くらいホームで待たなければいけないという気持ちがそうさせたの
だと思う。
地元の駅に着いて、少し動きかけて足が止まった。
階段はどちらの方向だろう。
それなりの数の人がホームにおられる雰囲気もあった。
反対側に到着する電車を待っている人達だった。
僕は数歩進んだが足が勝手に止まってしまった。
怖いという感覚だった。
改札口につながる階段はこの方向で合っているだろうか。
耳を一生懸命澄ませてみたが階段を知らせる鳥の声の案内音も聞き取れなかった。
足元には点字ブロックが確認できていたが恐怖感は僕を包んでいた。
少しずつ歩くしかないと決心した。
そしてそろりそろりと歩き始めようとした瞬間だった。
「お手伝いしましょうか?」
女性の声だった。
僕は階段の入り口を知りたいとお願いした。
確認したら改札に向かう人ではなく反対側の電車を待っている人だった。
放送はその電車の接近を知らせていた。
僕は彼女の右肘を持たせてもらって歩いた。
彼女の左手がゴロゴロを引っ張っている音がした。
狭いホームの人の中を僕達はスピードをあげながら心を合わせて歩いた。
階段の入り口に到着して御礼を言う間もなくすぐに彼女はその電車に乗り込んだ。
僕は深呼吸をして階段を降り始めた。
「ごめんなさい。ありがとう。」
急がせてしまった彼女に言葉が独り言で口に出た。
改札を出たところで交通カードを片づけるために立ち止まった。
ホームと同じような点字ブロックが足元にあった。
同じ点字ブロックなのに安心感を覚えた。
そして大きな恐怖感が幸福感に変化しているのが分かった。
(2022年12月11日)

チューリップの球根

プレゼントに頂いた網の袋には12個の球根が入っていた。
チューリップの球根だった。
球根を触ったのは見えなくなってからは初めてだった。
僕の手は愛おしそうにそれを触った。
球根の形状を確かめるように指が動いた。
それから薄茶色のはずの皮をやさしく撫でた。
そこに眠っている命を今更ながら不思議に感じた。
庭の片隅にスコップで穴を掘った。
指先で球根の上下を確認しながら植えていった。
春になったら何色の花が咲いてくれるのだろう。
ワクワクしている自分に気づいた。
始まったばかりの冬空を眺めた。
光を恋しいと思った。
(2022年12月6日)

師走

11月の最終日、僕は同行援護の研修で東京出張だった。
東京駅を18時過ぎの新幹線に乗車して自宅に帰り着いたのは22時を過ぎていた。
夕食は駅弁でわらせていたので帰り着いたら寝るだけだった。
熟睡した。
あっという間に朝が始まった。
師走の初日、小食にコーヒーとハムエッグとトーストをしっかりと食べた。
ついでに栄養ドリンクも飲んで家を出た。
駅に着いたら、点字ブロックの上でご婦人達が会話に夢中のようだった。
仕方ないとあきらめて少し離れた場所で電車を待っていた。
電車の到着が遅れるという案内放送も流れたりしていた。
やがてホームに入ってきた電車の音が反対から聞こえたような気がした。
僕は動かなかったが、それは僕の錯覚で失敗だった。
電車に乗り遅れてしまったのだ。
午前中は同志社女子大学の寒梅館での講話の仕事が入っていた。
関係者と待ち合わせた地下鉄今出川駅に少し遅れての到着となってしまった。
寒梅館に入るとパイプオルガンの音色が聞こえた。
心がゆっくりと静まっていくような感じがした。
寒梅館はヘレンケラーさんが講話をされた場所だ。
同じ場所に経つというだけで光栄だと思い、そして魂が揺さぶられた。
終了後は地下鉄で龍谷大学に向かった。
今出川駅で電車に乗ると女性の乗客の方がすぐに空いてる席に案内してくださった。
本当に有難いと思った。
大学に着いて昼食を済ませた。
講義が始まるまでの時間、教室で少し休憩をした。
珍しく疲労を実感している自分に気づいた。
講義が終了すると学生に京都駅まで送ってもらった。
無理はしない方がいいと判断したのだ。
駅でも夕方のラッシュだったので駅員さんにサポートをお願いした。
親切な駅員さんは空いてる席を探して座らせてくださった。
座った途端に安ど感みたいなものを感じた。
そして電車が京都駅を出発して二つ目の駅を出た辺りで睡魔に襲われてしまったらし
かった。
一瞬のことだった。
気がついた時は既に電車は降りる予定だった地元の駅を通り過ぎていた。
愕然とした。
僕は仕方なく次の駅で電車を降りた。
初めての駅だった。
駅の構造も何も分かっていなかったので一歩も動けなかった。
恐怖心だけを感じていた。
僕は周囲に声を出した。
気づいてくださった男性が助けてくださった。
階段を降りて反対側のホームに連れて行ってくださった。
次の電車の到着時刻を教えてくださりドア付近の点字ブロックを教えてくださった。
僕は心からの感謝を伝えた。
次の電車に無事乗車して最寄り駅に着いたがまだ喚問があった。
逆方向からだったので頭の中の地図が混乱してしまっていたのだ。
どちらに動けばいいか迷ってしまった。
あせって立ち止まった僕に子供連れの女性が声をかけてくださった。
僕は階段を教えてくださいとお願いした。
そして無事帰宅できた。
長い長い師走の初日となってしまった。
体力の衰えを感じた。
耳も少し遠くなってきているのかもしれない。
更に慎重に動かなければと思った。
そして助けてくださった人達に心から感謝した。
人権月間の12月、たくさんの学校からお招きを受けている。
丁寧な毎日を過ごしながら、人間の社会のやさしさをしっかりと伝えていければと思
う。
師走の一日一日、ささやかな歩みを続けていきたい。
(2022年12月2日)

右手

もう20年くらいだろうか、毎年数回先輩と会う機会があった。
先輩はいつも信念を持って堂々と活動されていた。
穏やかな語り口には強さと謙虚さが同居していた。
僕はそれをいつも素敵だと感じていた。
会う度にやさしく声をかけてくださった。
エールを送ってくださった。
いつもうれしかった。
その先輩が体調を壊されたと風の噂で聞いたのは一年くらい前だった。
まさか会場に足を運んでくださるとは思ってもいなかった。
先輩は僕を待っていてくださった。
座ったままで声を出された先輩に僕は少しかがんで挨拶をした。
「コロナの時代だから。」
奥様の静止を聞こうとはされない先輩の右手が空中をさまよった。
僕はその右手を自分の右手で強く握った。
「ありがとう。」
先輩は弱弱しい声でやっとそれだけをおっしゃった。
僕は先輩が病の中におられることを事実として受け止めなければならなかった。
「いろいろ教えてくださってありがとうございます。
しっかりと養生してくださいね。
また会いましょうね。」
僕はやっとそれだけを伝えた。
伝えながら僕達の右手はお互いの右手を幾度も握り合った。
なかなか離すことができなかった。
関係者に促されて我に返った。
僕は先輩と握手した右手に白杖を持ち替えた。
それから先輩に深く一礼して研修会の講師席に向かった。
しっかりとバトンを預かったと感じた。
そして僕自身の残り時間も意識した。
(2022年11月29日)

真っ白な新米

米どころの有人から新米が届いた。
開けた箱の中には僕の好物の海苔巻きおかきなども入っていたから笑ってしまった。
届けてくれたのは視覚障害の有人だった。
見えていた頃は学生時代の同級生や職場の先輩や同僚などとのお付き合いがほとんど
だった。
見えなくなってからたくさんの視覚障害の仲間と出会った。
時には視覚以外の障害の人とも出会った。
その数は少しずつ増えていった。
見える頃は故郷の鹿児島県と居住地の京都での交流がほとんどだったが、見えなくな
って地理的にもどんどん広域になっていった。
障害者団体の活動に参加したり同行援護の制度に関わったのが大きな理由だろう。
当たり前のことだけど、障害があろうがなかろうが素敵な人に出会うことになった。
素敵な人に出会うと僕自身の人生が豊かになっていった。
「白鳥が朝晩鳴き交わして飛んでいきます。
毎年の冬の使者です。
耳で季節を感じることにも慣れてきました。
大雪しないことを祈るばかりです。
お米を送ったとの知らせのメールにはそう書かれてあった。
僕は炊き立ての新米を味わいながら僕の知らない土地の暮らしを想像した。
真っ白に輝くご飯が真っ白な雪に溶け込んだ。
彼女の心が織りなす風景が伝わってきた。
その空に舞う真っ白な白鳥もきれいだろうなと思った。
秋から冬に白が輝き出すのだ。
彼女の心配とは裏腹に僕の心はそれを期待してしまう。
雪国での白杖は大変なのよと怒られそうだ。
そうか、真っ白な白杖もその風景に似合うかもしれない。
いつか訪ねてみたいと思った。
(2022年11月25日)