毎年立春の前後のこの時期だ。
故郷の小学校時代の友人からキンカンが届く。
春姫というブランドのキンカンだ。
春姫と名乗るには一定の糖度と大きさが条件らしい。
生産者の方のご苦労が偲ばれる。
春姫を水洗いしてそのまま口に放り込む。
大粒だから口が膨らむ。
果汁が口から飛び出さないようにしっかりと唇を閉じてゆっくりと噛みしめる。
とっても甘い、そしてほんのりと酸っぱい味覚が口中に広がる。
脳の中で美しい橙色が蘇る。
濃い橙色と薄い橙色だ。
そこに薄い黄緑色と黄色が少し混ざる。
グラデーションがゆっくりと動きながら輝く。
無条件の幸せを確認したら準備しておいた屑籠に種を吹き出す。
幸せをこぼさないように気をつけて吹き出す。
今年の春が始まる。
(2023年2月5日)
キンカン
プレゼント
例年この季節は時間に余裕がある。
いろいろな学校などが年度末に向かうからだろう。
ところが今年は少し事情が違った。
たまたま予定が集中してしまったのだ。
うれしい悲鳴ということになった。
やりたい活動を元気でやれるということはとても有難いことだ。
ただ気力と体力は必要だ。
勿論そこにはそれなりの自信があるからいろいろなオファをお引き受けしている。
ただやはり疲労は感じる。
今日は中学校で1時間目から6時間目までずっと通しでの授業だった。
不思議と途中で疲労を感じることはない。
まさに気力は充実しているからだろう。
帰路の電車の中などでふと疲労に気づく。
電車の手すりなどを持っている手がそれを感じる。
踏ん張っている足がそれを感じる。
座りたいという欲望が沸き上がる。
空席を見つけられない僕は立つしかない。
一つ間違えば、見えない自分を憐れむことにもなりかねない。
気持ちをごまかし欲望を抑える時が流れる。
今日の帰路は座席に座ることができた。
僕に気づいた乗客の方が空席に案内してくださったのだ。
日常この地下鉄の車内で座れることはほとんどない。
10回に1回もないだろう。
それがこのタイミングであるのだからまさに神様のプレゼントだ。
プレゼントは僕の心を幸せに導く。
エネルギーとなっていく。
確かに僕は今日の中学生にも伝えた。
「人間の社会はとても豊かです。
報道される悲しい事故や事件も確かに事実だけど、
あちこちで巡り合うやさしさもまた事実です。」
しばらくこのスケジュールが続く。
明日は京都の北部にある高校だ。
潮の香りも楽しみだ。
また笑顔で頑張れるな。
(2023年2月3日)
雪かき
秋が終わる頃だったと思う。
お店の入り口で数種類の雪かき用のスコップが売り出されていた。
金属製のものではなく固いプラスチック素材で軽くて丈夫そうなものだった。
ホームセンターではなく生活圏の近所のスーパーの店先だったので驚いた。
そんなに雪が積もるのだろうかと思ったが一応安心のために購入しておいた。
実際に使用することになるとは思ってはいなかった。
寒波は一晩で街を真っ白に染め上げた。
僕はスキーズボンのようなものに着替えロングのダウンジャケットをはおった。
軍手をして長靴を履いて外に出た。
格好だけは一人前だ。
長靴の半分くらいまでが雪に埋もれた。
生まれて初めての雪かきだった。
近所からもスコップの音が聞こえてきていた。
僕は自己流でスコップに玄関先や階段の雪を載せて庭の方に放り投げた。
幾度もやりながら軽いスコップの意味を実感した。
最後に軍手を外して庭の奥野手つかずの雪を触った。
その雪を頬に当てた。
それから口に含んだ。
目以外を使って雪を感じようとしている僕がいた。
真っ白が僕を包んだ。
真っ白な世界をそれだけでうれしいと感じた。
何の脈絡もなく生きていることを感じた。
幸せだと思った。
(2023年1月28日)
さむらいヘルメット
僕は見えなくなってからはフリーターをやっている。
横文字にすれば聞こえはいいが定職につけなかったということだ。
見えなくなった頃、職業はと尋ねられて無職と答えていた。
目が見えないだけなのに無職と言葉にしなければならないのはとても辛かった。
聞こえだけの理由で自由業となりフリーターとなったのだと思う。
定職につけなかったのは僕だけの問題ではなく社会の問題だと得意の責任転嫁もして
きた。
でも最近はここまで頑張れたのだからいいにしようと少し思えるようになってきた。
お金も名誉も縁がなかったけれどそれなりの充実感を感じているからなのだろう。
いくつかの仕事の中に介護福祉士を養成する専門学校の非常勤講師がある。
引き受けてからもう20年くらいになるかもしれない。
「障害の理解」とか「コミュニケーション技術」というのが僕の担当科目だ。
福祉の仕事を目指す学生達は基本的に優しい。
優しい人達と交わるのだから僕自身もうれしくなることが多い。
今日は学生達と折り紙をした。
アイマスクをして折り紙を折るのだ。
今年の学生の中にはフィリピン、中国、ベトナム、ウズベキスタンからの留学生もい
た。
折り紙というのは日本の文化らしくて留学生達は手こずっていた。
その光景がおかしくて僕は笑い転げながら対応した。
年齢を超えて性別を超えて、そして国境を越えて触れ合えるのはとても楽しい。
見える世界と見えない世界を超えて笑顔になれるのは素晴らしいことだと思う。
今日折ったのはかぶとだった。
出来上がりを見ても留学生達は不思議そうだった。
さむらいヘルメット!
笑顔で納得してくれたようだった。
(2023年1月24日)
ライフワーク
伏見稲荷大社の近くの小学校が僕の今年最初の小学校での活動ということになった。
それだけで何か縁起がいいような気になって出かけた。
京都駅で乗り換えた電車は観光客らしい外国人でいっぱいだった。
真っ赤な鳥居が並ぶ景色を思い出した。
最寄りの稲荷駅までは校長先生がわざわざ迎えにきてくださった。
校長先生とは担任を持っておられた頃に出会って以来10年ぶりくらいの再会だった。
僕の活動ももう20年くらいとなるので時々こういうことがある。
そういう流れでまた子供達に出会えることを心から有難いことだと思う。
子供達に話をするということは未来への種蒔だ。
いつかきっと芽を出してくれる。
そう願って、いやそう信じての活動だ。
授業が始まると僕はいつの間にか必死になって話をしている。
ひょっとしたら今回が最初で最後の出会いとなる子供もいるかもしれないという思い
が僕の心を突き動かすのだと思う。
どこかで大人気ないという気もするのだが自然にそうなるのだから仕方ない。
今日もそうだった。
僕の質問をそれぞれの子供が考えてくれるように担任の先生が全体を見渡しながらつ
ないでくださる。
時間の流れの中で教室の空気が代わっていった。
子供達は僕の言葉を受け止めてくれた。
キラキラと輝く眼差しで僕を見つめてくれた。
一緒に笑って一緒に悩んで一緒に未来を見つめてくれた。
終わってから校長室で暖かいコーヒーを頂いた。
おいしいチョコレートも添えてあった。
ご苦労様という校長先生の思いがそこにあった。
心に染みた。
子供達に出会える機会があとどれくらいあるのかは分からない。
ただ、ひとつひとつの機会を大切にしなければと思う。
見えなくなった時にもう何もできなくなるのかもしれないと思った。
実際できなくなったことも多い。
でも見えない僕にでもできることが少しはあることも分かった。
子供達に伝えていくこともそのひとつなのだと思う。
「困っている視覚障害者の人を見かけたら手伝いたいと思います。」
授業の最後に挨拶してくれた代表の女の子が思いを言葉にした。
その言葉に他の子供達が拍手を送った。
その言葉がそのまま僕の力となっていくことを感じた。
僕にできることを今年もコツコツとやっていきたい。
コツコツとそして一生懸命にやっていきたい。
(2023年1月20日)
笑顔の記憶
幼稚園に通う彼女の笑顔を憶えている。
声も憶えている。
僕が働いていた養護施設で彼女は育った。
10数年の歳月、一緒に暮らした。
中学校を卒業した彼女は神戸で暮らすことを選んだ。
母親と過ごしたかったのだ。
夢にまで見た親子の生活だったのだろう。
運命というものがあるのか、それは僕には分からない。
ただ、神戸を選んだがために彼女の人生は19歳で止まった。
1月17日が近づくと僕の足は自然にお寺に向かう。
彼女が眠っている寺だ。
ただ手を合わせて祈る。
本当の悲しみは歳月では解決できないことを思い知らされる。
神戸を選ぶか迷った時に彼女は僕に相談した。
条件は厳しいものばかりだった。
不安を感じた。
それなのに僕は何故引き止めなかったのだろう。
答えを出せない自問自答は28年目を迎えた。
最後のクリスマスの夜、レストランで一緒に食事をした。
駅まで送って改札口で別れた。
振り返ってバイバイと手を振った彼女は素敵な笑顔だった。
あの頃、僕は見えていた。
見えていたことを有難かったと心から思う。
(2023年1月17日)
出会い、別れ、そして再会
長い休みの後はいつも少し緊張する。
ちゃんとバスに乗れるか、電車に乗れるか、ホームは大丈夫か、道を歩けるか、階段
はどうか、エスカレーターもいけるか、放送をちゃんと聞けるか・・・。
いろいろな小さな不安が緊張につながるのだろう。
今年になって二度目の外出は幸いにのんびりとお昼前からだった。
電車の乗り換えの時にご婦人が声をかけてくださった。
会話をしながらホームを歩いた。
到着した電車に乗り込む時から彼女が降りる予定の次の駅まで会話は続いた。
5分間くらいだっただろうか。
彼女は自分が血液のガンであること、今受けてる治療を乗り切れば後2年くらいは生
きれるということ、くじけそうになったこともあるけど今は頑張ろうと思っているこ
となどを話された。
前を向いて生きていこうということで僕達の意見が合った。
あっという間の時が過ぎた。
そして僕達はお互いの手をトントンとして別れた。
社会に参加するということはまさにこういうことなんだなと思った。
大学での今年度最後になる授業が今日の仕事だった。
一年に30回という講義で僕は学生達に思いを伝えた。
時間と回数が理解と親しみを深くしていった。
たった一年、それでも別れを辛く感じた。
学生達もその気持ちを口にこぼしてくれた。
少しの疲れと淋しさを感じながら学校を出た。
乗換駅で電車を降りた時だった。
「お手伝いしましょうか?」
さりげない男性の声だった。
行く方向も同じと分かったので僕はサポートをお願いした。
電車待ちの時間も長かったのでいろいろな会話をした。
降車を考えてどこに乗車するのがいいかなども尋ねてくださった。
会話はいろいろと続いた。
そして、僕が以前は京都市内の洛西ニュータウンに住んでいたと話した時だった。
「ひょっとして松永さん?」
元消防署員の方だった。
名乗られた苗字も記憶にあった。
人権講演で二度ほどお会いした方だった。
10年の時間が流れての再会だった。
定年退職後の今も働いているということ、白髪が増えたということなどを話された。
僕達は笑いながら流れた時間を懐かしんだ。
「松永さんの話を伺ってから、駅などで困っていそうな白杖の方を見かけたら声をか
けるようにしてきました。」
確かに今日も僕にそうしてくださった。
僕の中で喜びが爆発した。
ささやかな活動が実を結んでいるのだ。
出会い、別れ、そして再会。
社会に参加するということはこうして人間同士がつながることなのだろう。
午前中に出会ったご婦人、また二年後にどこかでばったり再会できればと願った。
そして、今年一年、僕自身が元気でいい仕事ができればと心から思った。
(2023年1月13日)
エッヘン
比叡山坂本駅で電車を降りたらバスに乗車するために点字ブロックに沿って歩く。
白杖は前方に突き出して左右に振って歩く。
改札を出て右に曲がり階段を二つ降りて次の角をまた右に曲がる。
そこからは点字ブロックの左端をを確認しながら歩く。
枝分かれしている点字ブロックの二つ目がバスの乗車位置につながる。
先に待っている他の人にぶつからないように先頭に向かって少しずつそっと歩く。
この時の白杖は前に突き出さないで身体の前で斜めに持っている。
防御の姿勢だ。
白杖が前の人に当たったらすぐに謝る。
この状態で当たるとしても少し触れる程度ということになるから問題はない。
それから次のバスの時刻を調べる。
バス停にある時刻表は見えないのでスマホを使う。
スマホにはこのバス停の時刻表を入れてあるので音声で読むことができる。
アイフォンのボイスオーバーという機能だ。
バスが到着したら乗り込んですぐに左手の優先座席を確認して座る。
始発だからほとんど空いている。
最寄バス停で下車したらそこからはナビを使って自宅まで帰る。
ナビの音声を聞くためにソニーのリンクパズというイヤホンをしている。
このイヤホンの中心は外部音も聞こえるように穴が空いているのだ。
直角三角形の直角ではない二つの角がバス停と自宅という感じだ。
見える人は距離的にも近くて行きやすいその2点を結ぶ道を選ぶ。
ところがそこは僕には行き難い。
団地内なのだが他の車道との交差点もあるし歩道もない。
僕はわざと直角部分で曲がるコースを選ぶ。
直角の場所はナビの音声が曲がり角と確実に教えてくれる。
ちなみにマイクロソフト社のサウンドスケープという視覚障害者用のナビだ。
無料のアプリだがその精度の高さには驚く。
曲がった後の細い路地の端は溝になっている。
僕はその道はわざと白杖を溝の角に当てて歩く。
溝に落ちないためだ。
人と自転車しか通れない道なので危険はない。
白杖の使い方をその場その場で変化させて歩いて自宅に帰り着く。
帰り着く瞬間、僕の頭の中には「達人」という言葉が浮かぶ。
白杖の達人だ。
エッヘンと満足気に玄関の階段を上る。
帰路は引っ越し当初からの練習でカバーできたが往路はどうしようもなかった。
道を挟んだバス停に行くには遠回りして点字ブロックもない信号を渡らなければいけ
ないからだった。
ある時、運転手さんが教えてくださった。
いつも降りる場所で乗ってもいいとのことだった。
バスは循環バスなので団地内を一周してまた駅に戻るのだ。
乗車時間が少し長くなるだけで運賃も変わらない。
循環バスという放送をずっと聞きながらその意味に気づいていなかったのだ。
エッヘンの僕がそれを知った時にショボンとなった。
でも、うれしいショボンとなった。
往路も復路も単独移動が可能になったのだ。
白杖や点字ブロックを使いこなし、スマホのアプリなども利用し、そしてたくさんの
周囲の人達に助けてもらいながらまた今年も歩く。
目隠し状態で日々歩く。
見えない人間がこうして歩くなんて見える頃は想像できなかった。
人間の持つ力って素晴らしい。
あっ、やっぱりエッヘンかな。
(2023年1月11日)
蝋梅
賀状やメールでたくさんの新年のご挨拶を頂いた。
昨年幾度も出会った人もいれば、この時期だけにお互いの健在を確認する人もいる。
それはそれぞれでいいと思う。
繋がっているということがうれしいことだ。
ある教え子から届いたメール、一年に一度のメールだ。
福祉施設で働いている彼女にはのんびりとしたお正月は縁がないのかもしれない。
彼女のような人達のお陰で施設で暮らす人達の生活、命が守られているのだ。
あらためて、そういう職業に携わる人達の働きに感謝したい。
メールの最後に彼女の家の庭先の蝋梅が膨らみ始めたと書いてあった。
透き通るような花弁でほんのりと香るらしい。
僕は蝋梅を見た記憶がない。
僕の鼻は鈍感なのか梅の香りにもあまり反応しない。
残念なことだ。
でもそのメールを読み終えて、やさしい香りが脳に広がるから不思議だ。
それを僕に届けようと思ってくれた彼女の気持ちもうれしい。
「では、仕事に行ってきまーす。」
結びの言葉には彼女の笑顔があった。
一年、元気で頑張ってくれますようにと心から願った。
(2023年1月7日)
新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。
昨年の春、長年暮らしていた京都市から大津市に引っ越しました。
比叡山の山麓、琵琶湖の風を感じられる場所です。
65歳を過ぎての新しい土地での生活、どうなるのだろうかと不安はありました。
でも、これまで通りとはいかないまでもなんとか活動を続けることができました。
僕の活動を理解して応援してくださった皆様のお陰だと思います。
一年間、本当にありがとうございました。
そして、2012年7月14日にスタートしたこのブログが昨年で10年を超えまし
た。
我ながらよく書き続けたと思います。
子供の頃から宿題の夏休みの日記はいつも一週間で止まっていました。
継続や努力が苦手の僕にしたら人生で一番続けられたことになるかもしれません。
そして、見える人も見えない人も見えにくい人も、皆が笑顔で参加できる社会を感じ
られる日まで書き続けられたらと思っています。
僕にできるささやかな運動です。
いつの間にかアクセス数は135万に達しました。
覗いてくださったお一人お一人に、そして今これを読んでくださっている貴方に心か
ら感謝申し上げます。
また今年も宜しくお願い致します。
2022年 活動報告
小学校 11校
川岡、大宅、梅小路、祥栄、下鳥羽、桂東、隈之城(薩摩川内市)、平佐西(薩摩川内
市)、御所東、葛野、嵯峨野
中学校 14校
洛星、大原野、洛西、れいめい(薩摩川内市)、南宇治(宇治市)、西小倉(宇治市)、槙
島(宇治市)、涼風、洛北、神川、嵯峨、向島東、深草、洛南
高校 6校
枚方なぎさ(大阪府)、春日丘(大阪府)、京都海洋、長尾谷、嵯峨野、桃山
専門学校・大学 7校
京都福祉専門学校、京都YMCA国際福祉専門学校、大阪医療福祉専門学校(大阪府)、京
都文化医療専門学校
龍谷大学、四天王寺大学(大阪府)、同志社女子大学
同行援護養成研修以外にも民生児童委員研修会、人権擁護委員研修会、教育局研修会
、自治会研修会などからのお招きもありました。
(2023年1月3日)