ホームに向かう階段のところでアナウンスが流れているのは分かった。
ただ内容は分からなかった。
車内のアナウンスでもそうなのだが時々ある。
ボリューム、スピード、言葉の明瞭さなどの問題だろう。
話すということと伝えるということは別なのだといつも感じる。
そして伝える仕事の多い僕はどうなのかと振り返る。
人のふり見てと自分自身に言い聞かす。
電車が何らかの理由で遅れているのは間違いなかった。
ホームは人で膨らんでいった。
僕の緊張感も不安も膨らんでいった。
「松永さん、おはようございます。」
この時刻の電車で時々出会う女性の声だった。
僕はすぐに肘を持たせてもらった。
安心した。
「凄い霧ですよ。
霧で電車も遅れているのですね。」
彼女がアナウンスをカバーするように教えてくださった。
「いつも見える琵琶湖も霧の中で見えません。」
僕の心は少しずつうれしくなっていった。
「綺麗ですか?」
僕は尋ねてみた。
「雲の中のような感じです。」
僕はそっと周囲を見回した。
人も線路も街も山も琵琶湖も霧の中。
一面の霧の中。
喜びも悲しみもおはようも霧の中。
ひょっとしたら僕の脳が見ている風景の方が美しいのかもしれない。
その中に存在できていることもうれしかった。
ちょっと幸せな朝の時間を過ごした。
やがて到着した電車は思ったよりも込んでいなかった。
学生達が春休みのせいだろう。
「霧で電車が遅れたことをお詫び致します。」
はっきりとゆっくりと聞き取りやすい車内アナウンスが流れた。
霧の中を走る電車、銀河鉄道みたいでやっぱり美しいと思った。
(2023年3月23日)

卒業式

電車が遅れたりすることはたまにある。
仕方がないことだと思う。
僕の最寄りの湖西線は冬は強風で止まることがあると聞いている。
それにしてもJRは特にトラブルが多いような気がする。
広域のシステムのせいなのだろう。
今朝は神戸線の信号トラブルの影響を受けて僕の乗車していた電車は大津京駅で止ま
ってしまった。
こういう非日常は視覚障害者は苦手だ。
京都方面に向かう人は反対側の電車に乗り換えるようにとのアナウンスが流れた。
僕も人並みに動かされながらホームに降りた。
日常利用しない駅、混雑、恐怖心が強くなってヨチヨチ歩きだ。
僕に気づいた女性の方が肘を持たせてくださった。
その瞬間ほっとした。
なんとか乗車して山科駅に着いた。
ここで地下鉄に乗り換えるのだがこれまた凄い人だった。
他の交通機関に乗り換えるために一斉に乗客が動くのだ。
いつもなんとか動ける駅ももみくちゃ状態になりまた恐怖心が身体を固くした。
気づいた方がまた肘を持たせてくださった。
一緒に地下鉄の山科駅まで行き電車に乗せてもらった。
お二
人とは降りる駅が違うので僕はそこで感謝を伝えて別れた。
僕は電車の入り口の手すりを持って過ごした。
やっとスタッフと待ち合わせの三条京阪駅に着いた。
そこから学校に向かった。
専門学校の卒業式に出席するのが目的だった。
時間の余裕を持って動いていたので楽に間に合った。
おごそかな空気の中で卒業式のセレモニーが進んだ。
最後に皆で記念写真を撮った。
僕は自分で見ることはない写真だが学生達の門出を祝って笑顔でカメラマンの方を向
いた。
会場を出る時にベトナムの女子学生がアオザイという民族衣装を触らせてくれた。
デザインを説明してもらいながらその華やかさが伝わってきた。
「よく似合うね。おめでとう。」
僕は自然にそう言った。
見えないのに出た言葉だったが自分でも不自然とは思わなかった。
「先生のネクタイもよく似合うよ。」
僕は笑顔でお礼を伝えて帰路に着いた。
今朝の電車を思い出した。
これからの彼女たちの人生、きっといろいろあるだろうな。
幸せな人生であって欲しいな。
心からそう願った。
(2023年3月17日)

草抜き

バケツに小さなスコップを入れて左手に持つ。
右手には100円ショップで買ったお風呂用の小さなイスを持つ。
庭をソロリソロリ歩きながらお日様を探す。
足の裏の触覚と音だけが頼りだ。
庭だから車も自転車も人も通らない。
溝に落ちるのと木にぶつかるのが危険ということになる。
歩くスピードはとても遅い。
木の枝にぶつかっても痛くない程度のスピードだ。
たいした恐怖心もなく歩けるのは見えないということにすっかり慣れているというこ
となのだろう。
見た目には酔っ払いみたいな動きなのだと思う。
光は判らないが日差しのぬくもりは判る。
陽だまりを見つけたらそこにイスを置いて腰掛ける。
上着の左ポケットからアイフォンを出してシリにお願いをする。
「ユーミンを聞きたい。」
「春よこい」の曲が最初に流れ始めてちょっと驚く。
たまたまの偶然なのだが笑顔になる。
お茶目な神様の悪戯と理解する。
いよいよ草抜きのスタートだ。
指先がいろいろな草達を感じて驚く。
冬の間にもいろいろな種類の草達が生きてきたことを知る。
ごめんねという思いを少し感じながらその草達を抜いていく。
手強い草はスコップを使う。
バケツの中の草達が少しずつ増えていく。
いつの間にか無心になっている。
計算できない時間が流れていく。
黙々と草を抜く。
ふと手が止まる。
何のきっかけもなく繋がりもなく突然親父の思い出が蘇る。
僕の少年時代から晩年、そして息を引き取った日までがリフレインする。
ちゃんと親孝行できなかった悔しさが胸を締め付ける。
「父ちゃん」
そっとつぶやく。
息を吸い込んで空を見上げる。
愛してもらっていたことを今更ながら深く感じる。
愛は失ってから気づくものなのかもしれない。
だとしたらそれは寂し過ぎるな。
もう一度深呼吸をしてまた草抜きを続ける。
草抜きは好きだ。
(2023年3月11日)

和宴

高橋竹山の津軽三味線を聴きに出かけたのはまだ20歳台だったかもしれない。
彼の人生の重たさと三味線の音色が増幅しながら魂を揺さぶったのを憶えている。
勿論、当時は自分自身が盲になるなんて思ってもみなかったし
他の和の音楽への関心につながることもなかった。
見えなくなってからたまにお琴の演奏会などに出かける機会が生まれた。
出会った仲間に演奏家がいたからだ。
最初の頃は見えない人がお琴をやっているという感覚があった。
その感覚は幾度か演奏会に出かける過程で変化していった。
見えない人がお琴をやっているのではなかった。
お琴をやっている人がたまたま見えない人だったのだ。
演奏の力がそれを教えてくれたのだと思う。
舞台には見える人も見えない人もおられたが何の違和感もなかった。
あえて取り上げれば、楽譜が置いてあるかないかくらいのことなのだろう。
久しぶりに演奏会に足を運んだ。
和宴という名の演奏会だった。
三弦、お琴、尺八、そして謡。
和の音楽がホールにこだました。
回を重ねることで僕自身にも味わうゆとりも出てきたのだろう。
穏やかで豊かな時間を過ごすことができた。
昔から見えない音楽家達が活躍してこられたらしい。
見えないからできないではなく、何ができるのか。
先達がその考え方を教えてくれているのかもしれない。
またたまには出かけたいなと思った。
(2023年3月6日)

地面に膝をついて這いつくばる。
目線を地面に近づけてそっと右手を前に出す。
それから掌を下にして地面すれすれを動かす。
右から左、前から後ろ、ゆっくりゆっくり動かす。
掌の触覚が地面とは違うものを見つける。
今度はそれを人差し指の腹でそっと触って確認する。
やっぱりあった。
チューリップの芽だ。
秋の終わりの頃に植えたものだ。
そろそろだと思ってた。
見つけた芽を指先が幾度も撫でる。
自然にそっと愛おしそうに撫でる。
うれしくてたまらなそうだ。
指先の喜びが僕に伝染する。
生まれたての春を撫でる。
瞬間をしみじみと幸せだと思う。
そしてまた飽きずに撫でる。
春がきた。
(2023年3月1日)

いつどうやって知り合ったのかは忘れてしまった。
知り合ってもう何年になるのかも定かではない。
彼女が僕の著書を読んでくださったかホームページを覗いてくださったかのどちらか
だったのだろう。
僕は日常、話したり書いたりの活動をしている。
講演活動も不特定多数の人とコニュニケーションをとることになる。
ホームページにもお問合せフォームがある。
だから時々そんな出会いがあるのだ。
老若男女、地域もいろいろだ。
広島県に住んでおられる彼女とは直接に出会ったわけではない。
これまでのメールと電話を合わせてもその数は10回程度かもしれない。
ひょっとしたら直接に出会うことは一生ないのかもしれない。
それでも僕達はつながっているから不思議だ。
お互いの心の中を行き来したからかもしれない。
彼女は僕とは違う病気だ。
いつか見えなくなるかもしれないという不安も持っておられるのだろう。
見えない僕の暮らしの中に不通の笑顔があることが彼女の安心につながっているよう
だ。
ということは僕のノーテンキもちょっとは役に立っているということになる。
素直にうれしい。
久しぶりに彼女と話をした。
自分と同じ病気の後輩達に何かを届けたいと思っておられるらしい。
その中身は彼女が決めればいいし僕のアドバイスなどはささやかなものだ。
その話しぶりが活き活きとしていることに僕はほっとしてしまう。
出会った頃はそうではなかったと記憶している。
会話の最後は高層マンションの彼女の部屋から見える景色の話だった。
他のビルの屋上ばかりが見えてあまりいい景色ではないと彼女は笑った。
僕はそれが一番うれしかった。
まだ少し見えておられるのだと感じた。
その屋上の上には空がある。
眩しかったり曇っていたり真っ青だったり夕焼だったりの空がある。
この地球が暮らしている空がある。
見つめ返してくれる空がある。
包んでくれる空がある。
電話を切って僕は窓の向こう側の空に視線を向けた。
彼女の目にいつまでも空が映りますようにとそっと願った。
(2023年2月24日)

雪やこんこ

雪やこんこ あられやこんこ。
灯油販売の車が数日前も走っていた。
暖かい日だったのでちょっと違和感を覚えた。
でもそれは僕の間違いだった。
今朝の大津はまさに銀世界になった。
しばらく外に出てみたがどんどん雪が降っていた。
雪やこんこの歌が自然に口からこぼれた。
小さな小さな声で歌い始めたがいつの間にか少しだけ大きくなった。
さすがに近所に聞かれるのは恥ずかしいからそこは気をつけた。
うれしい気持ちが歌になっていったのだろう。
子供の頃を思い出した。
いろいろな歌を大きな声で歌いながら学校から帰った日もあった。
冬には冬の歌を歌った。
雪やこんこの歌も焚火の歌も好きだった。
雪山讃歌も好きだった。
雪やこんこはずっとこんこんと歌ってた。
どの歌も分からない歌詞の部分は適当な替え歌で歌ってた。
それも楽しかった。
一番好きだったのはスキーかな。
ヤマハ白金 光を浴びて。
少し急ぎ足で帰るには丁度いいリズムだったのかもしれない。
あれから60年生きてきたのだ。
ここまで元気でよく生きてこれたなとふと思う。
ただそれだけで自分自身にご苦労様と言いたくなる。
見えていた時があった。
見えにくい時があった。
そして今がある。
どの時も僕にとったら大切なかけがえのない人生だ。
そしてこれからも大切にしていきたい。
雪の降る街を 雪の降る街を。
(2023年2月21日)

鉄火巻き

「今年の冬は寒いよね。」
何気ない会話から二人の時間がスタートする。
施設内にある小さな小部屋、テーブルのこちらとあちらとで向かい合う。
概ね一人につき30分程度のピアカウンセリングの時間だ。
障害当事者の僕が施設を利用している障害当事者の声に耳を傾けるのだ。
強制ではないので希望した人が利用してくれる。
毎月2回、この施設を訪れるようになってもう10年くらいになるだろうか。
「生きる」ということを確認したり、「幸せ」の意味を考えたりする大切な時間とな
っている。
今日話をした彼女とは特別な縁を感じている。
二人とも酉年で僕が丁度一回りお兄さんだ。
僕が養護施設で働き始めた頃、彼女は別の養護施設で中学生だった。
ひょっとしたらどこかで出会っていた可能性もある。
彼女は視覚障害とは別に身体障害もある。
もう20年くらい前、視覚障害者の忘年会の帰り道にロービジョンの彼女に手引きして
もらった時にそれを知った。
そして天涯孤独だ。
彼女が参加できる社会がなかなか見つからなかったのは想像できる。
この施設で18歳からもう35年くらい暮らしているということになる。
仕事はお菓子の箱を折ったり手芸用品を製作したりしているらしい。
週休二日の勤務で一か月の収入は工賃という名目の2万円程度だ。
僕はこの数字を初めて知った時に愕然とした。
ちなみに就労継続B型事業所の昨年の日本全体の平均工賃は1万5千円程度だ。
僕はどう説明をされてもこの数字を正常とは思わない。
ただ、これを拒否すれば、彼女が行く場所がないのも事実だ。
僕と会話する時の彼女に悲壮感はない。
僕の理解などとは別の次元で運命と向かい合っているのかもしれない。
今年一年の夢を尋ねた。
「コロナでの外出制限がなくなったら、回転寿司で鉄火巻きを食べたいね。」
僕は覆いかぶせるようにまた尋ねてみた。
「ビールを飲みながら?」
「ううん。酎ハイの方がいいねん。健康のためにもね。」
屈託のない笑顔と笑い声が小部屋の空気を包んだ。
鉄火巻きを想像しながら僕も笑った。
今年中になんとか一緒に行ければと思った。
(2023年2月17日)

春の光

白杖を使って歩きながら寒いとか暑いとか感じる日はある。
気温、湿度、風の向き、強さ、いろいろな条件で感じるのだと思う。
あらかじめ知り得た天気予報の情報でそう感じる時もあるのかもしれない。
この季節は白杖を握る手の冷たさでそう感じることもある。
そして歩きながらふと気づく。
耳たぶに当たるお日様のぬくもりだ。
柔らかな光の中に熱を感じる。
そして集中するとそのお日様の光の力を感じる。
秋の日だまりとは少し違うような感じがする。
そしてちょっとうれしくなる。
お日様の方に顔を向ける。
そっと視線をあげる。
無意識に深呼吸をする。
光が恋しくて目頭が少し熱くなったりする。
悲しいわけでも辛いわけでもないのに変な感じだ。
もう25年も経ったのに往生際の悪さに情けなくもなる。
そして情けない自分をどこかで許してしまう僕がいる。
春まだ遠し、笑みがこぼれる。
(2023年2月13日)

お弁当

仕事柄、いろいろな場所でお弁当を食べる機会は多い。
街角のお弁当屋さんとかコンビニとかのお弁当だ。
リーズナブルだしさっと食べられるので重宝している。
たまに贅沢な幕の内弁当などを先方に準備して頂いてうれしくなることもある。
ちなみに、東京出張の帰りには東京駅の駅弁屋さんで浅草今半のすき焼き弁当を買う
ことにしている。
少々お高めだが自分へのご褒美だ。
新幹線が新横浜を過ぎたくらいからお弁当を開けて食べる準備をする。
蓋を開けると微かに香りがしてくる。
幸せのひとときだ。
見える人と一緒に食べる時、よく面白いなと感じることがある。
僕にお弁当を渡される時、ついでに割り箸を割ってくださるのだ。
実は見えなくても割り箸は割ることができる。
そんなに難しいことではない。
お弁当を開けた時、危ないからと緑のバランを取ってくださる人もおられる。
見えないと間違ってお箸でバランを掴んでしまうことはある。
口まで持っていくこともある。
唇などの触覚ですぐに気づく。
その時点で取れば問題はない。
僕もそうだが僕の仲間でも、バランを食べてしまったというのは聞いたことがない。
割り箸もバランもどちらも善意なので僕は拒否はしないことにしている。
お弁当の中身を説明してくださる人もいる。
これは喜ぶ視覚障害者が多いかもしれない。
僕はあまり希望しない。
早く食べたいという気持ちが勝ってしまうのだと思う。
結果、口に入れるまでどんなおかずなのか分かっていない。
たまに食後の甘いお菓子を途中で食べてしまって悔しい気持ちになることもある。
食べ終わる頃に小袋のソースに気づいてがっかりすることもある。
そんなことも含めて食べる楽しみなのだろう。
もうすぐ菜の花のお浸しやフキの煮物にも出会うかな。
たけのこご飯やエンドウ豆ご飯も楽しみだな。
見えなくても思いっきり食いしん坊なのだと思う。
(2023年2月9日)