予感

失明して5年くらい経った頃、エッセイを出版するというチャンスに恵まれた。
振り返ればチャンスだったと思えるのだが、当時は尻込みしたのが現実だった。
僕なんかにできるはずがないと考えたし、恥ずかしいというような思いもあった。
読んでくださる人がおられるかも不安だった。
「活字の力」という編集者の言葉に説得されるような形での出版となった。
もう20年くらい前のことだ。
今でも著書はアマゾンなどで流通している。
そして僕の活動の大きな支えとなったし力となった。
もう天国にいかれたが、僕を説得してくださった編集者の方には感謝してもしきれな
い思いだ。
最初のエッセイが出版された翌年、故郷の高校時代の同窓生達が僕の活動の支援を申
し出てくれた。
毎年秋になると招いてくれる。
故郷の子供達や教育や福祉関係の団体などで講演する機会を提供してくれるのだ。
コロナで一年だけ中止となったが、それ以外はずっと続いている。
出会った子供達、話を聞いてくださった人達の数はもうとっくに1万人を超えた。
同窓生達はまさにボランティアで動いてくれている。
会場への送迎だけでなく、滞在中のすべてを引き受けてくれている。
同窓生達ももう定年退職しそれぞれの事情などもある。
僕自身の体力、気力、これもいつまでかは分からない。
いつまでも続けたいとは思っている。
条件が許すなら続けられれば有難いのは間違いないことだ。
未来への種蒔、ライフワークに終わりはない。
一人でも多くの人に出会いたいのだ。
見えない僕達と見える人達とが共に暮らす社会について伝えたいのだ。
そして今年もまた実現できることになった。
たくさんの人達の支えのお陰だ。
ご尽力くださった皆様に心から感謝したい。
4日間で7会場の予定だ。
僕は500枚のありがとうカードを準備した。
京都駅みどりの窓口に新幹線のチケットを買いにいった。
僕は希望の新幹線の時刻を告げた。
単独で行くので駅員さんのサポートを受けることになる。
だから出入口に近い座席を頼んだ。
加えて、窓際を希望した。
横の座席の人が乗ってこられたり降りられたり、あるいはトイレに動かれたりが僕に
は分かりにくいからだ。
「ラッキーです。8号車のドアからすぐの窓際の席だけが空いていました。」
三連休、しかも鹿児島県で国体が開催されるとのことでとても込んでいたのだ。
まさに最後の1席を希望通りの条件でゲットできたのだった。
駅員さんはまるで宝くじに当たったみたいな感じで教えてくださった。
僕は笑顔で感謝を伝えた。
きっといい旅になる、そんな予感がした。
(2023年10月9日)

長い、ながーい一日

1時限目から5時限目までを京都市内の小学校で過ごした。
4年生の子供達だ。
講演、質問タイム、視覚障害者のサポート方法の実演、点字体験学習、フルコースだ
った。
給食も子供達と一緒に頂いた。
子供達はどんどん理解してくれた。
出会った最初の固まっていた表情は時間と共に笑顔に変化していった。
いろいろな形でサポートを申し出てくれて、そして実際にやってくれた。
「松永サん、サインしてください。」
こっそりとささやくおしゃまな女の子もいたりしてこの年頃らしいと笑顔になった。
「君にしたら皆にしなくちゃいけなくなるから我慢してね。ごめんね。」
女の子は納得してくれた。
そんなやりとりも含めて、いろいろなことが豊かな時間となった。
関わってくださった先生方に感謝を伝えて、それからいつもの大学に向かった。
ボランティアさんが小学校から大学まで車で送ってくださった。
公共交通機関では間に合わないスケジュールだったので助かった。
大学では学生達に二人一組になってもらい、視覚障害者に言葉だけで説明するという
体験をしてもらった。
僕が折り紙を折り進めていくのを見える学生がアイマスクの学生に説明するのだ。
そして最後に僕と同じ作品が折れていたらいいということになる。
学生達は一生懸命に取り組んでくれるのだが、その言葉、ボキャブラリー、声の大き
さ、僕には可笑しくてたまらない。
「むずい。」
「そうそういい感じ。」
「ななめってる。」
「ちょう、いけてる。」
僕には宇宙人的に感じる言葉も飛び交う。
笑い転げながらの授業となった。
「来週は僕は鹿児島に行くから休講だからね。間違ってこないようにね。」
学生達に連絡事項をしっかりと伝えて一日の仕事を終えた。
充実感と結構な疲労を感じながら帰路に着いた。
難関のひとつの烏丸御池駅で電車を乗り換えようとした時だった。
ラッシュの人込みの中からサポートの声がした。
僕はすかさず声の主の男性の肘を持った。
数歩進んだだけで彼の歩行が困難なのに気づいた。
片手には杖もついておられるのも分かった。
僕は彼の肘を持つ手の力を極限まで緩めて彼の歩調に合わせて歩いた。
僕が単独で歩くスピードの半分くらいだったかもしれない。
エレベーターに乗るなり彼は僕に話された。
「20年前に交通事故で片足を切断したんだ。義足だよ。」
それを伝えたいとの思いがあったようだった。
「大変な経験をされたのですね。でも、死ななくて良かったですよね。」
エレベーターが停止して僕達は再び歩き始めた。
そこから先は手が逆転した。
僕が彼の肘を持たせてもらうのではなく、彼が僕の肘を自然に掴まれた。
僕は少しずつ歩いた。
僕の有人にも義足の人が数人いらっしゃるが、ここまで不安定な人は珍しかった。
ちょっとのことで転んでしまうような感じだった。
僕はそういうことがおきないようにと慎重にゆっくりと歩いた。
彼の歩調に合わせながら彼の指示通りに歩みを進めた。
駅がいつもと違う雰囲気だなと一瞬思ったがかき消した。
いや検証する余裕がなかった。
やがて別のホームに到着した。
ギリギリのタイミングで電車に乗車した。
彼は僕だけを座席に座らせようとしてくださった。
僕は一瞬たじろいだが、彼の言うがままにした。
そうすべきだと思った。
その後流れた電車の案内放送を聞いて愕然とした。
彼は何か勘違いされたのだろう。
「間違ってしまった。違う電車だ。」
彼の戸惑いが伝わってきた。
僕はもっと先の駅で乗り換えるから大丈夫と告げた。
彼を安心させたいと思った。
彼は先に降りていかれた。
「ありがとうございました。」
僕は感謝を伝えた。
僕がもっと神経を集中させたら彼を失敗させずにすんだかもしれない。
申し訳なく感じた。
一瞬後悔が浮かんだが、体力も気力も限界だったのは間違いなかった。
なんとか京都駅まで辿り着いて乗り換え用としたが大変だった。
彼の目の誘導で歩いた僕は自分が電車のどのあたりに乗車したのかも理解できていな
かった。
いつもは頭の中にある地図をイメージして動く。
メンタルマップというやつだ。
まさに迷子状態になった。
地下鉄の改札を出たところで固まってしまった。
どちらに動けばいいのかさっぱり分からない。
僕に気づいてくださった女性がサポートしてくださった。
とんでもない場所にいたらしかった。
JRに乗り換えて青息吐息で地元の駅に着いた。
いつもの倍くらいの時間を要した。
急いで歩けばバスにギリギリ間に合うのは分かっていたが身体が動かなかった。
僕はあきらめながら改札を出てバス停に向かった。
しばらく歩いたところで声がした。
「バスの発車時刻です。持ってください。」
運転手さんだった。
僕は彼の肘を持って急いだ。
よく利用する僕をいつの間にか憶えてくださっていたのだ。
「いつもの席が空いています。」
運転手さんは僕を乗降口まで案内して運転席にもどられた。
「皆さん、お待たせして申し訳ありませんでした。」
運転手さんはそう告げてからバスを発車された。
たまたま同乗していた近所の方が僕の隣にこられた。
「発車時刻になって、突然運転手さんが運転席から飛び出していかれたので何があっ
たのだろうと思いました。
松永さんに気づいたから走って迎えにいかれたのですね。
素敵な運転手さんですね。」
彼女がそっと教えてくださった。
今朝小学校の子供達に話した言葉が僕の中で木霊した。
「助け合えるって人間だけだよ。素敵だね。」
長い、ながーい素敵な一日となった。
(2023年10月6日)

一期一会

福祉の専門学校でオープンキャンパスの仕事があったので出かけた。
JR山科駅で地下鉄に乗り換えるために動いた。
ホームにたどり着き、ぼぉっと地下鉄を待っていた。
「松永さん、久しぶり。」
懐かしい声だった。
失明して間もない頃に知り合ったボランティアさんだった。
彼女のご主人は耳鼻科のドクターで、その後京都市の会議などで幾度もご一緒した。
まさにご夫婦でいろいろと応援してくださった。
体力的にも限界だからと今年度で医院を閉められるらしい。
そのタイミングで再会できたことをうれしく感じた。
これまでのことに再度感謝を伝えた。
彼女は僕が乗り換える駅のひとつ手前で降りていかれた。
僕は予定の烏丸御池駅で電車を降りた。
ここの駅での乗り換えはハードルが高い。
駅自体が複雑な構造なのだ。
周囲の音に耳を凝らしながらどう動けばいいか考えていた。
突然、外国人の二人の女性が話しかけてきた。
何か尋ねられると思った僕は即座に手でサングラスを示しながら断った。
「I am blind!」
それでも彼女たちは会話を続けてきた。
どうやらサポートを申し出てくださっているらしいと分かった。
そこからは片言の英語とジェスチャーで僕達はコミュニケーションを取った。
彼女の肘を持たせてもらって駅構内を歩きエスカレーターにも乗った。
エスカレーターに乗る時も大丈夫かと確認してくださった。
どこの国からきたかを尋ねるとスコットランドという単語が聞き取れた。
京都見物が終わって、これから東京に向かうとのことだった。
日本は美しい国だとの感想だった。
お寿司とラーメンがおいしかったとの言葉には僕も笑った。
会話の流れの中で、彼女たちの職業がドクターだと分かった。
しかも眼科のドクターだった。
僕の中で喜びが弾けた。
言葉もなかなか通じないのに、困っていそうに見えた僕を眼科医の彼女達は放ってお
けなかったのだろう。
地下3階の東西線のホームから地下2階の烏丸線へ移動した。
京都駅方面行の電車を待つ間も僕達は親交を深めた。
白杖を持った僕とサポートしながら歩く外国の女性達、語らう笑顔、なんとなくこの
街に似合うように感じた。
やがて電車がホームにはいってきて僕達は一緒に乗車した。
彼女達は僕を空いてる座席に座らせて自分たちは立っておられた。
僕は日本語のありがとうカードを渡した。
「thank you card please!」
次の駅で僕は電車を降りた。
乗降口で見送っている彼女たちに向かって深く頭を下げた。
「Have a nice day in Japan! thank you! ありがとう!」
それから改札口に向かった。
改札口でサポーターと待ち合わせていた。
サポーターは京都の大学で学んでいる医学生だった。
僕は学生とまた別の電車に乗って近鉄向島まで移動した。
ランチタイムだったので僕達は学生が探してくれたパスタ屋さんに向かった。
彼女は僕と歩きながら、田んぼに稲穂が実っていることを教えてくれた。
その上にある空の表情も伝えてくれた。
僕はそこに田んぼがあることさえ知らなかった。
秋の気配をただうれしく感じた。
日本の美しい風景のひとつだろうと思った。
あのスコットランドのドクター達も見てくれたのだろうとなんとなく思った。
帰宅してパソコンを開いたら、ホームページのお問合せフォームにメッセージが届い
ていた。
今朝のスコットランドのドクターからだった。

【Dear Mr Shinya Matsunaga,
We are the two Ophthalmologists from Scotland that met you on the subway in Karasuma Station this morning. We are honoured that we helped you and so amazed to see you do so much incredible work for and with visually impaired people. You are inspirational and I hope that we maybe meet again sometime in the future.
We learnt a phrase on our trip to Japan and our meeting with you fits it perfectly ichi go ichi e
Best wishes
Umaima & Mariam】

日本語訳
【親愛なる松永信也さん
私たちはスコットランドの眼科医で、今朝烏丸駅であなたにお会いしました。
あなたをお助けできたこと、光栄に思います。
そして、あなたが目に障害を抱える人たちと一緒になって、そうした人々のためにな
る素晴らしいお仕事をされているということに感動しました。
あなたは人の心を動かすことのできる人です。
いつか将来、またお会いできたらと思います。
日本への旅行であるフレーズを学びましたが、あなたとの出会いはこの言葉にぴった
りです。
「一期一会」
ご多幸を
ウマイマとマリアム】

インターネットで僕の活動などを検索されたのだろう。
正直、僕はそんなに素晴らしい人ではない。
でも、この一期一会という言葉、とてもうれしく思った。
日本の旅を終えたら、またスコットランドでお仕事をされるのだろう。
いろいろな病気の患者さんを治療してくださるのだろう。
そして励ましてくださるのだろう。
日本のドクターに僕がしてもらったように。
心から感謝の思いが沸き上がった。
一期一会、僕も大切にしたいと思った。
それにしても、ドクターという職業の人達に縁のある不思議な日となった。
(2023年10月2日)

行ってらっしゃい

通勤通学の時間帯、ホームはたくさんの人だった。
一般の人達は整列乗車のために並んでおられるのだと思う。
僕には列の最後尾を探すことはできない。
万が一そこに案内してもらっても動き出した列に着いていくことも無理だ。
結局僕はいつも点字ブロックを白杖で確認しながら最前列に動く。
順番抜かしになるのかもしれないが抗議を受けたことはない。
それどころか、僕の歩く点字ブロックは空けてくださっているように感じる。
引っ越してきた1年半前よりもそうなってきたと感じる。
地域の暮らしに少しずつ溶け込んできたのかもしれない。
電車の行先を告げるアナウンスが流れ電車がホームに入ってきた。
緊張の瞬間だ。
数十名の乗り降りが30秒足らずで行われる。
その流れに僕も入らなくちゃいけない。
早過ぎたら降りてくる乗客とぶつかってしまうし遅かったらドアが閉まってしまう。
周囲の音を聞きながら白杖で確認しながら動く。
入り口がどこにあるかも電車とホームの溝も本当は分かっていない。
まさに毎回挑戦だ。
ドアが開いた音を確認した瞬間だった。
「一緒に乗りましょう。」
若い男性の声がした。
僕はすかさず彼の肘を持たせてもらった。
無事電車に乗ると彼は当たり前のように僕の左手を吊革に案内してくださった。
その瞬間ピンときた。
「先週の人ですか?」
先週サポートを受けた人にどこか持たせて欲しいとお願いした記憶があった。
先週渡すタイミングを逸したありがとうカードを今回はお渡しすることができた。
山科駅でJRから地下鉄に乗り換えた。
いつものように乗降口の近くの手すりを持って立っていた。
「おはようございます。」
ささやかな声は僕に向けられた挨拶だった。
「おはようございます。」
僕は知ってる人かなと思いながら返したがそうではなかった。
「座りますか?」
その声の主は僕の左手首をそっと持って近くの席に誘導した。
僕は感謝を伝えて座った。
中学生か高校生くらいの女子だったと思う。
勿論声だけのイメージなので自信はない。
いつものことだが座って手が離れた瞬間にその人がどこにいるかは分からない。
久しぶりに座れた朝に感謝しながら数駅を過ごした。
三条で京阪電車に乗り換えだ。
僕は電車がホームに入って減速する感覚を頼りに立ち上がった。
その僕の左手首をそっと握ってくれる手がそこにあった。
さっきの女子学生は前にいてくれたのだ。
彼女は僕をホームまで案内してくれた。
「行ってらっしゃい。」
彼女の素敵な言葉に送られて僕は歩き始めた。
僕が中高生だった頃、障害者の人達にどう接していたのだろう。
だいたいあまり見かけなかった。
当時の障害者の方の社会参加はままならなかったのかもしれない。
たまにお見掛けする機会があっても、ジロジロ見てはいけないという感覚があった。
かわいそうという感覚だけで動いていたような気がする。
半世紀、社会は確かに少し変わった。
今日は胸ポケットから6枚のありがとうカードが僕の手から誰かの手に渡った。
勿論、1枚も減らない日もある。
減らないことを悔やむよりも渡せた時を感謝して生きていきたいと思う。
光も見えない僕が社会に参加する意味はそこにあるのだと思っている。
「行ってらっしゃい」という暖かな言葉で背中を押されてスタートした一日、確かに
幸せな一日となった。
(2023年9月29日)

真っ白な彼岸花

彼女の家の庭には今年も白い彼岸花が咲いたらしい。
お彼岸の頃に決まって咲いてくれることにいつも感激するとのことだ。
確かにそれは僕もそう思う。
ここ数日、ラジオからは日本各地の彼岸花の開花の便りが流れた。
日照時間とか降雨量とか毎年違うはずなのに不思議だ。
僕は少しだけの理科の知識で答えを出そうと頑張った。
「神様が小鳥さん達を使者にして彼岸花に伝えてくださってるんだと思うよ。」
彼女は当たり前のように笑った。
だから、咲いてくれた彼岸花にありがとうって話しかけているらしい。
僕の頭の中で映画のワンシーンのような映像が流れた。
真っ白な彼岸花の前に彼女は腰を降ろしている。
空は雲一つない綺麗な青空だ。
彼女はつぶやきながら真っ白な彼岸花を見ている。
何か話しかけているのかもしれない。
その言葉は聞き取れない。
聞き取れなくていいんだ。
答えの出ないことが大切なこともある。
生きていくってそんなことの繰り返しなのかもしれない。
暑さ寒さも彼岸まで。
確かに朝夕ちょっと涼しくなった。
朝のホットコーヒーがおいしくなったように感じる。
気温と味覚の関係、考えるのはやめておこう。
(2023年9月24日)

映画「こんにちは、母さん」

有人と友人の奥様と3人で映画に出かけた。
有人は車いすで僕は視覚障害者、奥様はちょっと大変だったかもしれない。
僕は何も予定のない3連休だったので丁度いい気分転換にもなった。
映画は観たいと思っていた「こんにちは、母さん」という作品だった。
90歳を超えてメガフォンをとられた山田洋次監督の作品だ。
『男はつらいよ』
『釣りバカ日誌』
『幸福の黄色いハンカチ』
『遙かなる山の呼び声』
目が見えていた頃、心に残るいくつもの作品に出合った。
そして今回の作品もやっぱり山田洋次監督作品だなとしみじみと思った。
吉永小百合さんの演技も流石だと感じた。
寺尾聡さんは僕より10歳くらい年上の筈だが依然と変わらない現役だなと思った。
大泉洋さんの顔は実際には見た記憶はないのだが、『こんな夜更けにバナナかよ』で
ファンになった。
映画が進むに連れ心がやさしくなっていった。
見たことはないのにスカイツリーや浅草界隈を思い浮かべた。
エンドロールのシーンでは花火が描かれた。
パーンパーンシュルルルー
花火の音がシアター全体に木霊した。
僕の心の中にも木霊した。
突然目頭が熱くなった。
心が穏やかさの中にあるタイミングだったのかもしれない。
やさしい気持ちは自分自身を素直にしてしまうのだろう。
見えない自分を頭では理解している。
見えない自分の人生を不幸だとも思わない。
でも、見タイトいう思いはきっといつもどこかにあるのだろう。
あきらめるという課題をいつまでもあきらめられない僕がいる。
もう25年も経ったのに情けない。
つくづくと弱虫だと自覚する。
映画のあと3人でコーヒータイムだった。
いい映画の後のホットコーヒーは格別に美味しい。
見えるお二人と見えない僕が同じ映画を観て自然に語らう。
それだけで素敵なことなのかもしれない。
彼がまた観に行こうと誘ってくれた。
また連れて行ってもらおうと思った。
映画は好きだ。
(2023年9月19日)

ラグビー

4時からラジオの前で動けなかった。
敗れはしたが戦う気迫は伝わってきていた。
ノーサイドの笛の後、自然に拍手をしていた。
桜のジャージの選手達をなんとなく誇らしく感じた。
高校生の頃、ラグビー部に入れてもらった。
既に少し視野が欠けていた僕は選手にはなれなかった。
公式戦に出たことはない。
それでも練習にはいろいろな形で参加できた。
楕円形のボールを必死で追いかけた。
同学年の部員とは今でもつながりがある。
まなぶもただともしょうじもとしも皆かっこよかった。
そのひたむきさは素敵だった。
卒業式の後、一人で部室にさよならを言いに行ったことを憶えている。
最高だった時間にありがとうを言ったのかもしれない。
まなぶは20歳代後半、一人でニュージーランドを自転車旅行した。
お土産はオールブラックスのジャージだった。
僕の人生の宝物のひとつになっている。
ラグビーに縁があったお陰でラジオ中継を画像で思い浮かべることができる。
スクラムもモールもラックもラインアウトも一応分かる。
トライの瞬間もわかる。
キックされたボールがゴールポストを通過する数秒は美しい。
美しい映像の思い出を幸せだと思う。
そんな時間を過ごせたことを幸せだと思う。
また次のサモア戦も応援したい。
(2023年9月18日)

タイガース優勝

6時半には出発して枚方市の高校で授業をして午後は京都市内の大学だった。
夕食は学生と中華料理屋さんで済ませて帰ってきた。
乗り換えた電車6回、歩数1万2千歩、帰り着いたのは19時半、ヘトヘトだった。
でもワクワクしていた。
ドキドキしていた。
帰り着くなりラジオのスイッチを入れた。
間に合った。
ゲームはまだ中盤だった。
僕は下柳さんの解説を聞きながら幾度も頷いた。
岡田監督の優勝インタビューを聞き終わるまで動けなかった。
あれの瞬間、そっと万歳をした。
拍手をした。
監督の言葉を聞きながら笑顔がこぼれた。
目頭も熱くなった。
2005年以来18年ぶりのセリーグ制覇、とにかくただうれしかった。
そしてふと思った。
顔が浮かんでくるのは岡田監督と解説者の下柳さんだけだった。
しかも若い現役の頃の顔だ。
他の選手は観たことがない。
それでも今年も幾度もラジオ観戦した。
一喜一憂した。
先日のラグビー日本対チリ戦もラジオでずっと聞いていた。
無心で応援できるのがスポーツの魅力なのかもしれない。
何もしないで何も考えないで心が解き放たれる。
これから始まるクライマックスシリーズ、その先の日本シリーズ、ラグビーワールド
カップ、楽しみが続く。
勿論、相撲も気になる。
スポーツ観戦も趣味のひとつかな。
見えなくてもあまり支障はないと思っている。
(2023年9月15日)

爪切り

僕は手の爪も足の爪も自分で切っている。
見える頃は目で見ながら切っていたのだと思う。
だんだん見えなくなる中で長さなどを触覚で確認するようになっていった。
爪切りを右手で使いながら左手の人差し指で爪先を触って確認するのだ。
触覚での確認はついつい深爪になってしまう。
痛みを覚える直前まで切手しまうからだろう。
見える人に切り過ぎだと時々言われるが長過ぎるよりはいいと思っている。
爪きりの後はなんとなく気分もすっきりする。
好きな作業のひとつかもしれない。
夢中になれるからかな。
視覚障害者の友人の中には爪切りは怖いと言う人もおられる。
その人はやすりを使って手入れしているらしい。
怖いとか危険とかの感覚には個人差がある。
視覚障害者の中には階段を降りる時には必ず手すりを持つという人もおられる。
エスカレーターは絶対に乗らないという方もおられる。
どちらも理由は怖いという感覚だ。
先日出会った先天盲の人は猫が怖いらしい。
犬は大丈夫とのことなので理由を尋ねたら、猫はひっかくからとの答えだった。
ひっかかれた経験を尋ねたらそれはないらしい。
ひっかかれると痛いという知識が恐怖感を育んでしまったのだと思う。
猫は怖いのに蛇は怖くないとのことだった。
ひっかかないし噛みつくこともないかららしい。
ちなみに、彼は自分では爪切りを使うことはできない。
ずっと家族に切ってもらっていたからだ。
恐怖感は人それぞれ違うし変化もする。
見えなくなってから恐怖感を覚えるようになったものもある。
ホームに立っている時に通過する電車の音などはまさにそうだ。
一瞬身がすくむような気がしてしまう。
いつか出会った視覚障害者の人は電車とホームの間の溝が怖くてたまらないとのこと
だった。
彼女はできるだけ電車には乗らないようにして生活していると話してくださった。
やっぱり、感覚って人それぞれなのだと思う。
ちなみに爪切りの好きな僕は高級な爪切りを使っている。
京都のど真ん中にある刃物屋さんで3千円くらいする爪切りだ。
これだけは100円ショップのものには変えられないと思っている。
(2023年9月11日)

神様のサポート

福知山市で開催される講座は9時スタートだった。
僕は関係者と7時25分にJR嵯峨野線の丹波口駅の改札口で待ち合わせをした。
そこから車で高速を使えばギリギリセーフという計算だ。
6時過ぎに自宅を出発して、湖西線の電車で京都駅に向かう。
これは問題ない。
でも、限られた時間で京都駅の一番端にある嵯峨野線に乗り換えるのは無理だ。
朝の京都駅のラッシュは半端じゃない。
僕は毎朝その電車で通勤している同世代の男性に相談した。
幾度か駅で彼のサポートを受け、それで縁がつながったのだ。
朝のその時間の電車だったら、だいたいサポートを引き受けてくださる。
今週は月曜日に東京に言ったのだが、その時もサポートをしてくださった。
そして今日も引き受けてくださった。
今週は2回もサポートをお願いしたということになる。
予定の嵯峨野線の電車まで送ってもらって彼と別れた。
先が見えたと安堵したら疲労感を憶えた。
昨夜、東京から京都に帰ってきたのは21時を過ぎていたのだから無理もない。
12時間も経たないうちにもう動き始めていることに気づいた。
軽く深呼吸をして丹波口の駅で電車を降りた。
改札口に向かって歩き始めようとして愕然とした。
白杖でどこを触ってもガタガタで点字ブロックが分からない。
この駅は普段利用しないので構造もよく分かっていない。
「お手伝いしましょうか?」
途方に暮れようとした瞬間、サポートの声がした。
僕は点字ブロックが確認できなくて動けない状態だということを説明した。
彼女は改札口までのサポートを引き受けてくださった。
僕達は友達同士みたいに歩調を合わせておしゃべりしながら改札口へ向かった。
改札口で彼女と別れて関係者と合流した。
それから予定通りに車で福知山市に向かった。
9時数分前、無事会場に到着できた。
あのタイミングで声をかけてくださる人がいることをいつも不思議に思う。
神様が助けてくださっているのかもしれないと本気で思ってしまう。
本当に有難いことだ。
いろいろな人達に支えられて僕は生きている。
だからこそ、僕にできることは頑張ってやっていきたいと思う。
(2023年9月7日)