祇園祭

後祭りの宵山は想像したよりも少ない人手だった。
時間が早かったからかもしれない。
僕はガイドの学生とゆっくりと歩いた。
京都で45年くらい生活したが祇園祭に出かけたのは10回くらいだと思う。
そのうちの数回は見えている頃だった。
だから山鉾や提灯の風景などがうっすらと記憶にある。
笛と太鼓、それに鐘の織りなす音色はまさに夏の風物詩だ。
コンチキチン、コンチキチン。
何百年も受け継がれてきた音だ。
狭い路地を老若男女、多国籍の人達が行き交う。
それぞれが譲り合いながらすれ違う。
白杖の僕に気づいて立ち止まってくださる人も多い。
そこに存在するのは平和な世界だ。
祭りを楽しむ人達に国境はない。
この同じ地球で今も戦争が続いている。
胸が締め付けられる。
コンチキチン、コンチキチン。
天まで届け。
(2023年7月23日)

風鈴

天気予報通りの厳しい暑さだった。
お日様は容赦なく光を放ち熱を地上にばらまいておられた。
バス待ちのわずかな時間でも僕の意識はクラクラするような感じだった。
そっと風が吹いた。
風というほどでもないささやかなものだった。
その瞬間聞こえた。
チリン。
小さな小さな音だった。
また少し風が吹いた。
チリンチリン。
今度は音色は主張をしてくれた。
どこからともなく聞こえてきた風鈴の音色。
心がやさしくなるのを感じた。
いつの頃からなのだろう。
どんな人が始めたのだろう。
夏に似合うってどうやって発見したのだろう。
いろいろなことを考えながら人間の感覚の豊かさをしみじみと振り返った。
さりげなく誰かにやさしさを届けられたらいいな。
帰宅したら僕も風鈴をつりさげようと思った時、バスのエンジン音がした。
(2023年7月18日)

雷雨

夢中で草抜きをしていた。
長袖シャツと長ズボン、麦わら帽子を覆うように付いている網が顔も隠していた。
庭仕事の時のユニフォームだ。
前触れもなく突然に冷たい風が吹き始めた。
雨もぽつりぽつりと落ちてきた。
空が我慢できずに泣き始めたような感じだった。
手に当たる感覚よりも麦わら帽子に当たる音の方が早かった。
雨は大粒になり、同時に雷様のうなり声が聞こえた。
凄まじいほどのうなり声だった。
きっと稲光も凄いのだろうと想像できた。
泣き始めた空は大泣きに変わった。
僕は家の中に引っ込もうと思ったが行動が伴わなかった。
なんとなくその場に座りたくなったのだ。
人間は時々思いもよらぬ行動をすることがある。
自分でも意味不明の行動だ。
脳が考えて動くのではなく脳を無視して身体が動くのだろう。
そんな瞬間は結構好きだ。
ゴロゴロ、ババーン、吠え続ける雷様、雨の音も大きかった。
僕は地球に座り込んでその雰囲気を楽しんだ。
自然の交響曲だった。
生きているんだな。
当たり前の何でもないことをただ感じた。
麦わら帽子をとって顔を空に向けた。
口を開けた。
子供の頃にやった記憶がある。
どうしてやったのかは憶えていない。
でも確かにやったことがある。
そしてその時もうれしかったのだろう。
だから記憶の中に残っているのだろう。
見えていたら稲光が怖くてとっとと家の中に引っ込んだはずだ。
そんなことも考えてそれもまたうれしかった。
(2023年7月13日)

七夕会

視覚障害者施設の七夕会に参加した。
司会も利用者の視覚障害者の人達が受け持っていた。
それぞれに緊張しながらも一生懸命やっているのが伝わってきた。
プログラムの前半はボランティアさん達の朗読だった。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の朗読が進むにつれ会場が聞き入っていくのが分かった。
ゆっくりと静かに時間が流れた。
それからティータイム。
それぞれの席にレモンケーキがひとつ、そしてビスケットの小袋がひとつ配られた。
インスタントコーヒーがプラスチックのカップに注がれた。
限られた予算、限られたスタッフ、ささやかさの中には精一杯の思いがあった。
おいしく頂いた。
その後のゲームはグループ対抗だった。
ステージのテーブルには重さが違うペットボトルが4本並べられた。
各グループ代表の選手は30秒でそれを軽い順番に並べていくのだ。
ペットボトルの中の水の量は見た目ではあまり変わらないくらいに微妙な違いだとス
タッフの人が教えてくださった。
選手は全盲の人も弱視の人もいるので公平にするために全員アイマスクだった。
結果、6チーム中1班と4班が見事パーフェクトだった。
でも賞品が1グループ分しかなかった。
今度は1班と4班の次の選手がジャンケンをした。
白熱の中で4班が勝った。
ちなみに僕も4班だったから賞品の箱ティッシュをひとつ頂いた。
それから全員が舞台に集まった。
僕は隣の席の弱視の女性にサポートしてもらって動いた。
皆で七夕を歌った。
「お星さまキラキラきんぎん砂子」
お星さまを見たことのない人も大きな声で歌った。
金色も銀色も見たことのない人もうれしそうに歌った。
僕も歌った。
年齢も様々、生まれた場所も育った場所もバラバラ、障害になった理由もいろいろだ
った。
見えない人、見えにくい人、この社会では行き辛いのが唯一の共通点だった。
そして仲間だった。
短冊には書けないけれど、それぞれの願いが天まで届きますようにと僕は願った。
(2023年7月8日)

雨音

平日の朝9時半のホームは込んではいなかった。
僕は到着した電車にゆっくりと乗車した。
そして当たり前のように入り口の手すりを握った。
動く電車の中ではどこか握っていないと不安定で怖い。
だからいつもそうするのだ。
座るのが一番安全だと分かっているけど席を見つけるということは僕にはできない。
気づいた乗客の方が声をかけてくださった時だけが座れる。
先日調査をしている人から頼まれて回数を確認した。
この数か月をさかのぼってみたが、声をかけてもらって座れたのは20回に1回くらい
だった。
ちなみにこれは社会が冷たいということではない。
全盲の僕達には席を見つけることができないというのがあまり知られていないのだ。
白杖を持った視覚障害者の中には自分で席を見つけることができる人もいる。
弱視の人達だ。
視覚障害者に全盲と弱視の2種類があるということさえあまり知られていない。
白杖を持った人の中に席を見つけることができる人とできない人がいるということが
理解されていないのだ。
だから僕は仕方ないことだと思っている。
そしてそれを社会に丁寧に説明していくのはまさに当事者の僕達の活動なのだろう。
今日の中学校での福祉授業もそこにつながっているのだ。
「補助席がありますけど座りますか?」
女性の声だった。
「どこですか?」
彼女は尋ねた僕の手を持って座席を案内してくれた。
僕はありがとうカードを渡ししっかりと感謝を伝えて、それから座った。
20回に1回が今日になったのはとてもうれしいと思った。
今日はハードスケジュールで午後は激しい雨という天気予報もあったからだ。
中学校での福祉授業とその後の大学の講師会までの時間が30分しかなかった。
中学校の校門にタクシーを待機させておいて飛び乗るという予定だった。
その一日の始まりにラッキーを感じられたのだ。
なんとかなるぞとなんとなく思った。
僕は中学生にいろんな話をした。
今朝の出来事も話した。
人間って素敵だよと伝えた。
それから予定通りにタクシーに飛び乗った。
土砂降りの中を大学に向かった。
10分の遅刻だったが一応セーフだった。
その会議も終えて帰路に着いた。
バス、地下鉄烏丸線、東西線、そしてJRと4つを乗り継いだが、やっぱりすべて立っ
たままだった。
データ通りだ。
地元の駅で電車を降りて歩き始めた。
激しく雨が降っていた。
僕は慎重に歩みを進めた。
階段を知らす小鳥の鳴き声の案内放送が雨音で聞こえなかった。
いつの間にか通り過ぎてしまったらしかった。
「階段、通り過ぎましたよ。」
僕に気づいた若い男性が追いかけてきて教えてくれた。
僕はまたありがとうカードを渡してから階段を降りた。
今日の始まりと終わり、ラッキーな一日だったなとつくずく思った。
こうして頑張れば、20回に1回がいつか10回に1回になる。
いつか5回に1回になる。
そしてきっと未来は。
そんなことを考えたら雨音までがやさしく感じた。
明日も頑張ろうと思った。
(2023年7月6日)

水無月

山科駅で地下鉄を降りた。
点字ブロックに沿って歩いていたら販売員さんの声が微かに聞こえてきた。
駅構内のスイーツショップからの声だった。
いろいろなショップが期間限定で入っている。
スイーツ系のショップがほとんどなので僕はいつもはスルーしている。
「水無月いかがですか?6月30日ですよ。」
その言葉に引き寄せられてショップに向かった。
僕は鹿児島県出身なのだが大学時代から京都で暮らし始めた。
昨年滋賀県に引っ越したがそれまでの50年近くを京都で暮らしたということになる。
京都の暮らしの中で6月30日には水無月を食べるようになった。
白いういろうの上面に甘く煮たあずきを散らし、三角形に切った和菓子だ。
抹茶入りの緑色のものもあったような気がする。
夏越しの祓いを行う6月30日に1年の残り半分の無病息災を祈って食べる習慣だ。
あずきの赤い色が厄除けになるらしい。
特別においしいとは思わないのだがそこにあるささやかな祈りをやさしいと感じる。
ういろうの白い色やあずきの赤い色を思い浮かべながら食べる。
ささやかだけど大切な自分の人生に心を寄せる。
今年も半分が過ぎた。
残りの半分、元気で過ごしたい。
(2023年7月1日)

爽やかな朝を迎えた。
小さな願いがかなった朝だった。
寝る前に神様にお願いした。
「夢の中で空を見させてください。」
時々お願いする。
空だけじゃない。
忘れかけた花の色だったり友人の顔だったり昔訪れた街の風景だったり・・・。
どうしても見たいという気持ちが強い時にお願いする。
ないものねだりみたいなものかもしれない。
布団に入って眠る前にお願いするのだ。
合掌してお願いしているからこれも変なのかもしれない。
こんな年齢になって神様にお願いするなんてとは思うが時々する。
ほんのたまに神様は願いをかなえてくださるのだ。
昨夜は神様が奮発してくださった。
真っ青な空を鳥のように飛んでいる夢を見たのだ。
たまに雲の中に入ったりもしたが、それも楽しかった。
本当に美しい空だった。
薄い透き通るような青色だった。
夢に出てくるのだからいつか見たことがある空なのかもしれない。
だとしたらそれも幸せなことだ。
僕は両手を羽ばたかせるようにして大空を進んだ。
うれしくてうれしくて飛んでいた。
ふと下を見たら地球が見えた。
そこで夢は終わった。
夢らしい夢だった。
夢でもいい。
美しい青色を見れたことがうれしい。
神様にありがとうございますと伝えた。
(2023年6月27日)

白杖でつんつん

京都駅でJR京都線から湖西線へ乗り換えようとしていた。
これはたまたま同じホームなので単独で対応できる。
17時台だったからまだラッシュもピークではなかったがそれなりに込んでいた。
僕は白杖を自分の身体に寄せて点字ブロックを確認しながらゆっくりと進んだ。
こういう場所はゆっくりというのが一番重要だ。
ホームの反対側に着いた時だった。
白杖の先で木製の板みたいなものを感じた。
怪訝に思って再度触ったが何か分からなかった。
始発だから前に電車がいるかもしれない。
もしいれば、直進すれば電車の車体が確認できる。
でもその木製のものが気になって躊躇してしまった。
僕は左に曲がって少し歩いて立ち止まった。
そこからどう動くべきか考えるためだった。
「おっちゃん、迷てんのか?」
高校生くらいの女の子の声だった。
「うん、この前に電車がいたら乗りたいねん。湖西線。」
僕は前を指差しながら、彼女の雰囲気に合わせて答えた。
「電車おるで、こっちこっち。」
彼女はそう言いながら僕の左手首を持って歩き始めた。
いつもだったら肘を持たせてくださいとお願いするのだが、短い距離だったのでこれ
も彼女のやり方に合わせることにした。
きっと元々がやさしい子なのだろう。
手首を持つ力もそっとだったし歩くスピードも僕に合わせるようにゆっくりだった。
十数歩くらい進んで彼女は止まった。
「あのな、今黄色のぶつぶつの上やねん。前に入り口があんねん。その棒でつんつん
してみ。」
僕は言われるがままに白杖で前を確認した。
確かにそこに入り口の床があった。
それを見ていた彼女が言い直した。
「つんつんちごてとんとんやなぁ。」
僕は少し笑いながらお礼を言った。
「おおきに。これでもう大丈夫や。帰れるわ。」
「ほなおっちゃん、気いつけてな。バイバイ。」
僕は乗車して入り口の手すりを持って彼女の方向に頭を下げた。
飾らない関西弁をとても暖かく感じた。
爽やかな喜びに包まれていた。
僕が誰か彼女は知らない。
彼女が誰か僕も知らない。
お互いにどこに住んでいるかも分からない。
もう二度と会うこともないかもしれない。
それでもこんなことができるのが人間の社会なのだ。
人間て本当に素敵な生き物だ。
僕は右手で持った白杖で床を軽くとんとんと二度たたいた。
つんつんでもいいかと思って笑顔になった。
(2023年6月23日)

夏至

最後に見た景色はと尋ねられても答えることができない。
異変が始まったのは35歳くらいの時だった。
目の前に霧がかかったようになったりした。
最初は気のせいかと思ったりもした。
その頃は目をこすったり目薬をさしたりして対応できていたような気がする。
やがて霧を確認できる日が増え、その霧は気づかないくらいのスピードで深くなって
いったのだと思う。
一か月前と比較しても、いや一年前と比較しても、変化を感じることのできないくら
いの緩やかなスピードだった。
だいたいの数字だが3千日くらいかかって画像は完全に消えた。
だから最後に見た光もいつだったのか分からない。
どんな光だったのか分からない。
自分では部屋の蛍光灯をつけていたつもりがついてはいなかった。
窓を開けて朝の光を浴びたつもりが実際にはまだ夜だった。
そんなことを幾度か繰り返しながら自覚していったような気がする。
いつの間にか目の前にはただ無機質のグレーが横たわるようになった。
目を開けても閉じても、朝でも夜でも、季節が変化しても変わらないグレーだ。
それでも時々ふと思う。
目を見開いて空を眺めて思う。
ひょっとしたらこれは光りかもしれない。
一瞬見えたのかもしれない。
そんなことを思う情けない自分が愛おしい。
弱虫の自分を嫌いにはなれない。
顔や手に当たる熱で光に気づくことがある。
気づいた時に心はいつも少し喜んでいるのが分かる。
見えなくても光が好きなのだろう。
夏に降り注ぐ光は力強い。
今年もまた夏至がやってきた。
(2023年6月21日)

コロナワクチン

子供の頃は注射が大嫌いだった。
たまたまだったのだが、採血がどんなに怖いことかと幼馴染が話してくれたことがあ
った。
小学校高学年の頃だった。
それから一か月もしないうちに僕は実際に採血をすることになった。
病院で泣きわめきながら暴れまわったのを憶えている。
連れて行ってくれた母親も病院関係者も大変だった。
小学校高学年だったから不通なら少しは分別もあったはずだ。
幼馴染の話が強烈だったのだろう。
大人になって流石に暴れまわることはなくなったが注射が苦手ということは変わらな
かった。
画像から注射器を遠ざけるような感じがあった。
見えなくなってからいつの間にか注射が怖くなくなった。
年齢を重ねたからなのかもしれないが、画像がなくなったことも大きい理由のような
気がする。
「チクリとしますよ。」
お医者さんはそう言いながら僕の肩に注射針を刺された。
確かにチクリだった。
このチクリにどうしてあんなに怯えたのだろう。
見えることが必ずしもいいということではないのだろう。
見えなくなってから高所恐怖症もなくなった。
これもきっと画像のせいだ。
とにかく無事コロナワクチン6回目が終了した。
発熱に備えて休日前に接種した。
作戦成功という感じかな。
のんびりしてまた月曜日から頑張ろう。
(2013年6月17日)