少女

5年程前、京都ライトハウスで、ハンドベルコンサートがあった。
確か、クリスマスの頃だったような気がする。
中学校のハンドベル部が、僕達に澄んだ音色を届けてくれたのだ。
その時の少女が、看護を学ぶ大学生となって、
再び僕の前に現れた。
ボランティアとして、僕のサポートをしてくれたのだ。
雨風の中、傘を持って、僕に肘を貸して歩く姿勢には、
何か力強ささえ感じた。
歩きながら、あの澄んだ音色が、遠くで聞こえるような気がした。
僕は、あの時の少女も、ちょっと大人になった大学生も、
勿論、見たことはない。
でも、確かに、少女は成長していた。
交わす言葉の端々に、
生きることと向かい合う若者特有の真剣さがあった。
まぶしくも感じた。
僕自身はどうだろう。
5年前と、今日の僕。
ちょっと恥ずかしくなる。
定年予定までの後10年。
まだまだ頑張らなくちゃ。
もうちょっと、頑張らなくちゃ。
希望を見つめて、しっかり歩かなくちゃ。
(2012年10月2日)

深呼吸します

兵庫県の田舎で暮らす友人からのメール。
「今年は彼岸花の開花が遅いようで、
今朝はまだ蕾が朝露に濡れて太陽に照らされていました。
一年で一番深呼吸をしたくなるこの季節に
稲穂の傍らであぜ道を赤く染めるように咲くこの花が
僕はとても好きなんです。
心地良い、おだやかな貴重な季節を楽しくお元気でお過ごし下さい。」
たったこれだけの文章が、
実った稲穂の銀色、
高く澄んだ青空、
彼岸花の見事な朱色、
そして、この国の、素敵な秋を、
僕に届けてくれた。
友人と言っても、僕はまだ、彼と会ったことはない。
ふとしたことで知り合って、何度かのメールをやりとりしただけだ。
つい先日も、別の友人から、
大阪の街の空で見つけた虹の風景が届いた。
確認できた色を並べてあった。
その文章を読んだ時も、僕は幸せな気持ちになった。
見えないことは、仕方ない。
人間は、あきらめる勇気も、我慢する力も持っている。
だから、見えない日常で、
いちいち落胆なんかしていない。
それなりの喜怒哀楽に包まれた、
それなりの日々が存在している。
でも、こうして、目を貸してくれる人達との交わりは、
見えなくなってから知った、
人間社会の素敵な事実だ。
ひょっとしたら、見えている頃に気づかなかった風景が、
いや、見過ごしていたかもしれない季節の色合いが、
そっと届けられる。
ちょっと贅沢な気分になる。
ラジオの天気予報が、今日の降水確率0%を告げた。
よし、今日はどこかで、両手を広げて、
思いっきり深呼吸しよう。
秋の空を眺めながら、
思いっきり深呼吸しよう。
これを読んでくださっている貴方も、どこかでどうぞ!
(2012年9月27日)

グッチのサングラス

打ち合わせが終わり、
カップに残っていたコーヒーを飲み干して、
リュックサックを背負って、
たたんでいた白杖を元に戻した。
準備万端、最後に、テーブルの上に置いていたサングラスをかけようと持った瞬
間、
左側の耳にかける部分がポロリと外れた。
一瞬、何が起こったか判らなかった。
打ち合わせをしていた相手の女性が、
すぐに見てくださり、
ネジが取れて無くなっているのを教えてくださった。
テーブルの上、足元、探してくださったが、
ネジは見つからなかった。
白杖で、単独で移動することの多い僕にとっては、
サングラスは必需品だ。
白杖では確認できない空中の物体、
例えば、木の枝、お店の看板、バスの中の縦の手すりの棒、
しょっちゅう顔に当たる。
サングラスが、クッションの役割をしてくれる。
だから、一歩外に出て動き始める時、必ず、僕の顔にはサングラスがある。
白杖、リュックサック、サングラス、
いつもの三点セットだ。
昔は、100円ショップのサングラスをかけたりしていたが、
最近は、グッチというブランドのものが多い。
特別に、ブランドが好きなわけではない。
お誕生日プレゼントなどに頂いたのが、
たまたまグッチで、しかも、数人から頂いたので、
グッチのサングラスが複数あったのだ。
道具としては、100円ショップもグッチも同じなのだけれど、
庶民の僕は、グッチで、ちょっと優雅な気持ちになっているのは事実だ。
でも、結局、やはり、いろいろなものにぶつかって壊れていく。
僕達にとっては、消耗品になるのかな。
今回も、さすがにあきらめたのだけれど、
その女性が、打ち合わせのカフェの近くの眼鏡屋さんへ連れて行ってくださった。
対応してくださった店員さんは、
僕を椅子に座らせて、数分後には、
新しくネジをはめてちゃんと直ったサングラスを、
僕の顔にかけてくださった。
恐々と、「おいくらですか?」と尋ねる僕に、
「御代は要りません。」
一瞬で、僕は笑顔になった。
サポートしてくださった女性が、
店を出ながら、
「グッチが、笑顔に似合いますね。」
そう、僕は、ただ目が見えないだけの、
正真正銘の庶民です。
眼鏡屋さん、ありがとう!
(2012年9月26日)

コオロギ

バスを降りて、歩き始めた時、
老婦人が声をかけてくださった。
「22棟の人やね。私も同じだから、一緒に帰ろうか。」
「ありがとうございます。じゃあ、肘を持たせてください。」
僕達は歩き始めた。
ゆっくりゆっくり歩いた。
ご主人とは死別され、子供達は成人して家を離れ、
今は、一人暮らしだとのことだった。
「寂しいですね。」
僕の問いかけに、
「もう慣れてしまったわ。」
彼女は笑った。
同じ団地で暮らし始めて、
お互いに、もう、30年近くの時間が流れていることを知った。
もし、僕が、見えていたら、
ひょっとしたら、最後まで、
話す機会はなかったかもしれない。
たった、数百メートル、たった数分間、
僕達は、それぞれの人生に思いを重ねた。
コオロギの声を聞きながら、
歩いている道を確認するように、
歩いてきた道を確認するように、
僕達は歩いた。
団地の前に着いた時、
「初めてこんなことしたから、うまくできなくて。」
彼女が微笑んだ。
「助かりました。ありがとうございました。
また、声をかけてください。」
僕は、しっかりと頭を下げた。
僕達の足元で、
また、コオロギが歌った。
(2012年9月20日)

高校生

夏休み明けの、久しぶりの授業、
彼女は、僕と会うとすぐに、
どこかの駅で、白杖を持った視覚障害の人のサポートをしたということを、
うれしそうに報告してくれた。
僕は、ありがとうって言いながら、
右手を差し出した。
笑顔がつながった。
毎年、この高校で、
家庭看護の中の、福祉という特別授業を受け持っている。
担当教師と協力しながら、体験実習なども実施している。
今時の、普通の高校生、
きっと寝ている生徒もいるだろうし、
おしゃべりが止まらない生徒もいる。
話を聞いてくれているのかなと、
不安になることもある。
でも、年度の最後に、生徒達の書いたレポートを読むと、
伝えることの大切さを、
いつも実感する。
僕達へのエール、そして、
「これから、白い杖の人を見かけたら、サポートをします。」などの、
共に暮らす社会へ向かうメッセージが並ぶ。
報告してくれた彼女も、
白杖の人を見かけた時、声をかけていいのか、どうしたらいいのか、いつも迷っ
ていたとそして、何もしなかったと、
担当教師に話していたらしい。
何度かの授業で、彼女は理解し、そして、勇気も培った。
若者達が行動する社会は、
そのまま、未来を創造していく。
楽しみだ。
(2012年9月15日)

視能訓練士

京都府の北部の病院で働いている彼は、
仕事が終わってから、
3時間車を走らせて、
僕達との会食に来てくれた。
昨夜の会食は、皆、自己負担。
交通費も出ない。
でも、彼は、喜んでと、来てくれた。
見える人3人、見えない人3人、
ささやかな食事をしながら、
僕達は、目のことを話した。
日本のあちこちで、
まだうつむいて、
僕達との出会いを待っているはずの仲間のことについて話した。
僕達に、どんなことができるのだろうと、話した。
彼の職業は、視能訓練士、
目の検査などに携わる専門家だ。
彼は、医療に携わる彼の立場で、
僕達も笑顔で生きていける同じ未来を見つめた。
丁寧な語り口に、彼の誠実さがにじみ出ていた。
僕達は、笑いながら、時には、シビアな意見にも耳を傾けながら、
あっという間の3時間を過ごした。
それぞれが、それぞれの収穫みたいなものを実感しながら、
次のステージでの再会を誓った。
僕は、烏丸で皆と別れて、
阪急電車で、地元の桂駅へ向かった。
桂駅に着いて、改札を出て歩き出した時、
僕を呼ぶ声がした。
僕が御世話になっている眼科のドクターだった。
ちょっとの時間の立ち話で、お互いに、会食の帰宅途中だと判った。
白衣を脱いでいる彼は、一市民として、僕のサポートを申し出てくれた。
点字ブロックまでのわずかな距離を、手引きで歩きながら、
手引きしている、されている、この二人のオッサンの風景をイメージした。
かっこいいと思った。
ドクターと別れて、乗車したバスの中で、
また、3時間かけて帰路に着いている視能訓練士の彼を思い出した。
僕達の未来に、思いを寄せてくれ、力を貸してくれる医療スタッフがいてくれる
ことを、心から有難いことだと思う。
そして、きっと、つながりが、
大きな力となっていくだろう。
(2012年9月9日)

姫りんご

あの頃、僕は、大徳寺の近くに部屋を借りて、
千本北大路にある仏教大学に通っていた。
彼女は、同じ大学の同じ社会福祉学科だったが、
一緒に授業を受けた記憶は残っていない。
僕は、たまにしか学校に行かない学生だったし、
彼女は、確か、勉強よりも、バレーボールに夢中になっていた。
女子学生には縁が薄かった僕にとっては、数少ないガールフレンドの一人だった。
たまに会って、どんな話をしていたのだろう。
卒業後、一度だけ、お茶をしたが、
その後、会うことはなかった。
それぞれの人生を歩んでいった。
50歳になった時、彼女が、たまたま見たテレビに、
たまたま、僕が出演していた。
偶然が、僕達を再度結んだ。
と言っても、幾度かのメールだけで、
まだ、再会はしていない。
今回も、さわさわに彼女が来てくれた時、僕は、仕事でタイミングが合わなかっ
た。
彼女が置いていった花篭を触った。
バラの花の横に、姫りんごがあった。
それを触った時、
僕のことを、おにいちゃんと呼んでいた彼女の、
屈託のない笑顔が蘇った。
人は、視線が合っただけで、友達になれることがある。
人は、ちょっと会話をしただけで、友達になれることがある。
人は、握手をしただけで、友達になれることがある。
そして、何十年経っても、築いた思いは変わらない。
人間って、素敵な生き物だと、つくづく思う。
(2012年9月8日)

池袋にて

東京での会議は、京都からは日帰りが多いのだが、
今回は、二日連続なので、
僕は、これを、池袋のホテルで書いている。
18歳の秋から冬を、僕はこの街で過ごした。
たった半年間程だったのに、
池袋駅北口を出て、
アパートまでの道筋や、
その中の風景をしっかりと憶えている。
もう30年以上も暮らしている京都での、
去年や一昨年のことを、
いくら頑張っても思い出せないのに、
あの頃のことは、
まるで、昨日のことのようだ。
故郷への新年の挨拶をするために、
10円玉を何個か握りしめて、
公衆電話に並んだ時の、
ふと見上げた空の蒼さ。
何年ぶりかの大雪が、
東京を
真っ白に染め上げた静寂の街並み。
ネオンライトの中の、
客引きのお姉さんの、
一瞬の悲しそうな微笑。
仲間と遊び明かした朝、
高層ビルの間で輝き始めた太陽。
確かに、あの頃の僕は、見えていたんだ。
当たり前だけど、見えていたんだ。
今、見えなくなっている自分を、
僕は不幸だとは思わない。
あの頃の僕も、今の僕も、
僕にとっては、大切な僕に変わりはない。
でも、青春の風景が残っているのは、
素直に、うれしいことだと思う。
(2012年9月3日)

タオルハンカチ

見える人、見えない人、見えにくい人、
皆で何かやりたいねと、
僕達が始めた町家カフェさわさわ。
試行錯誤しながら、きっと前に進んでいるのだと思っている。
先日、友人から、さわさわに立ち寄ったら、臨時休業だったとメールがあった。
オープンして、50日程度、スタッフを集められなくての臨時休業は2回だから、
まさに、タイミングが悪かったのだ。
汗かきの彼が、タオルハンカチを片手に、
店の入り口でがっかりしている光景が浮かんだ。
彼との出会いは、もう15年くらい前、
失明して、訓練を受けて、何も再就職の場所が見つけられなくて、
一人で視覚障害者用の物品の販売をやった頃だ。
「夢企画」という名前で、まさに、夢みたいなことをやっていた。
当時、40歳になったばかりの働き盛りで、
ただ、目が見えなくなっただけで、
無職という自分が許せなかった。
でも、雇用してくれるところもなく、
仕方なく、始めたものだった。
京都市の指定業者の資格を取ったり、
携帯電話の代理店をしてみたり、
僕なりに頑張ったけれど、殆ど、収入にはならなかった。
人生に、無駄な時間なんてないと、聞いたことがあるが、
今振り返れば、その通りだ。
お金儲けはできなかったけれど、その5年間で、たくさんの仲間達と話す時間が
あった。否応なしに、「見えないってどんなことだろう?」とか、
「障害って何だろう?」とか、
自分自身とも向き合う時間になった。
そして、エールを送ってくれる人達がいるのも知った。
彼は、僕のところに、商品を届けにくる業者だった。
エレベーターのない団地の5階まで、
フーフー言いながら、商品を運んでいた。
いつも、タオルハンカチで汗を拭きながら、
さりげない会話で、僕を励ましてくれた。
そして、そのうち、時々、僕の配達を手伝ってくれた。
きっと、リュックサックにたくさんの商品を入れて、
大きな紙袋を下げて、白杖で歩く僕を見かねてのことだろう。
15年の間に、お互いに転職した。
タイガースが優勝した年には会いましょうが、
僕達の合言葉だ。
だから、会ったのは・・・。
人生には、こんな感じもいい。
男同士、こんな出会いもいい。
(2012年8月28日)

浜松にて

僕は、これを、静岡県浜松市のホテルで書いている。
昨日から、三泊四日の予定で、
日本盲人会連合主催の資質向上研修に参加しているのだ。
仕事柄、興味のある研修なので、
自己研鑽の機会になればと願っている。
とは言え、せっかくの旅気分、そんなひとときも大切にしたい。
今朝、京都のいつもの暮らしより早起きして、
仲間達と海を見に出かけた。
ホテルを出て、コンビニでおにぎりを買って、
それから、タクシーに乗り込み10分程度、
そこから、日本三大砂丘のひとつである砂浜を徒歩で10分程度。
太平洋の荒波の音が、僕達を包んだ。
波打ち際の流木に腰を降ろして、
おにぎりをほおばった。
夏の朝らしい、ジリジリと照りつける太陽、潮風、セミの声。
目前に広がる海が、
ふと、故郷への思いを揺さぶる。
夏休みの絵日記には、
必ず、海で遊んだ思い出を描いた。
その絵が、記憶の中で蘇る。
蘇ったことに驚いた。
そして、うれしくなった。
また、秋になったら、故郷へ帰ろう。
故郷の海に、会いに行こう。
(2012年8月22日)