花おじさん

小学校での秋祭り、
今年もまた地域の社会福祉協議会の委員さん達が、
視覚障害者のサポート体験コーナーを開催してくださった。
僕も、地域で暮らす視覚障害者の一人として、
だいたい毎年参加している。
そして、地域の人達や子供達に、
サポートの方法などを伝えている。
この取り組みが行われるようになって、もう10年くらいになるらしい。
サポート体験をした子供や地域の人達の数は、
千人を超えるかもしれないとのことだ。
京都市内の各地域で行われているこういう取り組みが、
僕達にも歩きやすい京都につながっているのだろう。
本当に、有難いことだと思う。
このイベントを終えて、帰りに、近くのスーパーに買い物に立ち寄った。
入り口を入ったところで、
女性が声をかけてくださった。
「さっき、私の前を歩いておられましたが、
何回か、道端の木にぶつかっておられましたよね。」
ぶつかるという表現だったが、
実際には、身体の一部を何度か木にこすって歩いていた感じだった。
自分ではまっすぐ歩いているつもりでも、
曲がってしまうことは、日常茶飯事だ。
それが、見えないということだ。
「はい、何度かこすりましたよね。」
「その時だと思うのですけど、頭に、花が一輪ついています。小さな白い花。」
彼女はそう言って、僕の頭の花を取ってくださった。
「可愛い、花おじさんで歩いていたんですね。」
僕は笑った。
彼女も笑った。
たったそれだけ、それだけの会話。
人間って、いいよなぁ。
(2012年10月27日)

時代祭

八泊九日の旅の翌日、
専門学校の1時限目の授業はきつかったけど、
なんとか無事終えて、
ランチは、久しぶりに、町家カフェさわさわへ行くことにした。
さわさわまでは、学生の手引きで、のんびりと寺町通りを歩いた。
さわさわには、外国人のお客様がお二人だけだった。
カレーと、げんきコーヒーを頼んだ。
げんきコーヒーは、スタッフのげんき君がいる時だけあるメニューで、
わざわざコーヒー豆をひいてから入れてくれる極上の一杯だ。
さわさわを出て、バス停で学生と別れた。
バスに乗るとすぐに、
空いてる席を教えてくださる声がした。
彼女の後ろの席に座った。
しばらくして、彼女が話しかけてきた。
「迂回運転で、四条河原町は通りませんよ。」
「ありがとうございます、烏丸まで行くので大丈夫です。」
間もなく、バスは、渋滞に入った。
バスの横を、太鼓や鐘の音が通り過ぎた。
「時代祭が終わると、紅葉が始まりますね。」
後部座席から声が聞こえた。
「これから、秋が深まりますね。」
また、別の席からも声が聞こえた。
僕に席を教えてくださったご婦人が、
時代祭には最高の秋晴れであることを教えてくださった。
渋滞で遅れているバスに、クレームを言う人はいなかった。
乗り合わせたバスの中で、
僕達は、秋の祭りを楽しんだ。
烏丸に着いて、バスを降りた。
先ほどのご婦人が、まるでともだちのように、
僕をサポートしてくださった。
いや、バスの中で、僕達はともだちになった。
(2012年10月22日)

最近の若者は

研修会の会場の前からバスに乗った。
バス停まで送ってくれたスタッフは、
僕がバスに乗る瞬間に、
真正面の座席が空いていること、一人がけの座席であること、肘掛があることを、
僕に伝えてくれた。
お陰で、僕は、徳島駅までの20分をのんびりと座って過ごした。
バスが徳島駅に着いた。
バスを降りて、深呼吸をした。
そこから、駅のロータリーの反対側にあると教えてもらっていた、
高速バス乗り場まで行かなければならない。
白杖を使っても、方向も判らないし、僕には無理だ。
足音に向かって声を出すしかない。
そのための、気持ちを整える深呼吸だ。
少し大きめの靴を引きずるような、
若者特有の足音が聞こえた。
「高速バス乗り場を教えてください。」
僕は、足音に向かって声を出した。
予想通り、足音は通り過ぎた。
と思った直後、
足音は引き返してきた。
「高速バス乗り場ですか?」
声の主は、20歳前後だと思える男性だった。
彼は、僕の依頼を快く引き受けてくれた。
遠くの町から、バスケットの試合を見にきた帰り、
この辺りの地理は判らないけれどと言いながら、
周りを見渡して、
乗り場を探して、僕を連れて行ってくれた。
慣れない街角、見えない55歳の僕と、今風の若者、
真っ青な秋空の下、こうして歩いている。
ちょっと離れた乗り場まで歩きながら、
僕は、なんとなくうれしくなった。
研修会で知り合った人達も、いい感じの人達だった。
今日はいい日だなと、思った。
徳島発京都行きの高速バスは、
3時間あまりで、京都駅へ着いた。
バスを降りて歩き出したけれど、
自分の位置が確認できない。
とりあえず、点字ブロックを探し出して、
それから、盲導鈴の音を手がかりに歩き始めた。
何とか地下街へ辿り着いたが、そこで降参。
流れる足音の群れに向かって、
「地下鉄を教えてください。」
これまたすぐに、20歳前後と思われる女性の声、
地下鉄の改札口までは結構あったが、
彼女はそこまで手引きしてくれた。
最近の若者は、結構素敵ですよ。
少なくとも、
若かった頃の僕よりも、ずっと素敵です。
僕は、若い頃、障害のある人のお手伝いをする勇気がありませんでしたからね。
(2012年10月21日)

一万人

今年の夏に、どうなるだろうと思って始めたホームページ、
昨夜、アクセス数が10000を超えた。
一万人目の閲覧者は、アメリカ在住の日本人女性、
一万人目を狙っての、見事なアクセスタイミングだったようだ。
一万人目を逃した閲覧者の数人からは、
悔しいという感想や、二万人目に挑戦するとのコメントも、既に届いた。
本当に有難いことである。
読んでくださっているということは、
共に未来を見つめてくださっているということだと思う。
そして、それは、僕の活動へのエールでもある。
見えなくなってから、ここまで歩き続けられたのは、
頑張れよと肩をたたいてくださる人がいて、
一緒に歩こうと、肘を貸してくださる人達がおられたからだ。
このホームページを覗いてくださった延べ一万人の皆様、
皆様が、今日も一緒に歩いてくださっておられることを、
僕は実感しています。
ありがとうございます。
そして、もうひとつ、
高校時代の同級生達が、
「風になってください」の風になり、
「風の会」を結成して7年。
毎年、故郷に招いてくれて、
子供達に見えない世界を伝える活動を応援してくれている。
その故郷での講演活動、
70回を重ね、話を聞いてくれた延べ人数が、今日10000人を超える。
一万粒の種を、未来に向けて蒔いたことになる。
もう1時間もしないうちに、
休暇を取った風の会のたけちゃんとピーちゃんが、
僕の泊まっているホテルの部屋をノックするだろう。
55歳にもなれば、
損得も、打算も理解できる。
ただ、それを超えたところで、
人は動くこともできる。
そこにあるのは、共に生きる未来への希望だ。
車には、今日の資料と、しげきが早起きして作ってくれるお弁当が積まれる。
本当の言葉は、言葉を超えたところにあることを、
お弁当が語りかける。
一万人目の子供に会いに、
行ってきます!
(2012年10月18日)

訃報

高校の同級生の訃報が届く。
特別に親しかったわけではないが、
18歳の頃の彼の笑顔を、おぼろげながら記憶している。
数年前の同窓会で、たまたま彼と隣り合わせで話をした。
彼は、彼の言葉で、
40歳で失明した僕に、エールをおくってくれた。
有難いと思った。
その時の僕達に、
彼の残りの人生があとわずかだなんて、
勿論、知る由もなかった。
僕も50歳を超えた頃から
もう、人生の折り返し地点を過ぎたのだろうと思うようになった。
なんとなく思うようになった。
でも、ゴールはまだもうちょっと先だろうと思っている。
何の根拠もないのに、勝手にそう思っている。
ただ、なんとなく、そう思っている。
去っていく命は、残っている者達へ、
その命の尊さと、はかなさを教える。
僕は、どうやって生きていけばいいのだろう。
確固たる信念はない。
最後まで、僕が僕であり続けてくれれば、
せめて、そう願う。
(2012年10月17日)

防波堤にて

「落ちないでね。落ちたら助けられないからね。」
防波堤に身を乗り出した僕に、
ガールフレンド達が、声をそろえる。
それから、海の透き通った様子、
色とりどりの小魚達の群れを、
僕に伝えてくれる。
こんな瞬間、僕は見えない人間だということを、
完全に忘れてしまっている。
僕は、もっと見ようと、防波堤から、海を覗き込む。
頭上では、時々、釣り人が釣竿を投げ下ろす時の、
風を切る音が聞こえる。
波のメロディ、遠くの漁船のエンジン音、
まるで、コンサートホールの特等席の気分だ。
立ち上がって、深呼吸する。
潮風は、極上の空気を、僕の肺に届ける。
空気がうまいということを、身体中の細胞が味覚する。
生きているんだなって、ただ、その実感にうれしくなる。
(2012年10月15日)

遠足の日の朝

薩摩川内市の小さなホテル、
今年もまた、ここで寝泊りしながら、
故郷の子供たちにメッセージを届ける。
薩摩川内市には、元気塾という制度があり、
様々な生き方と巡り合える機会が、
子供たちに準備されているのだ。
高校時代の同級生達が、
著書「風になってください」の発刊直後に、
僕の活動を支援する「風の会」というグループをつくってくれた。
そして、風の会は、この元気塾の制度を利用しながら、
毎年秋になると、僕を故郷に招いてくれるのだ。
スケジュール調整から、滞在中のサポートまで、
すべてを引き受けてくれる。
このホテルも、風の会のメンバーがすぐに来れる位置にあり、
部屋も、エレベーターから一番近い場所となっている。
小学校での福祉授業が中心の活動だが、
PTAや、医療や福祉関係者など、大人への講演もあったりする。
今回も、11会場だから、
1,000人を越える人達に、直接メッセージを届けることになるだろう。
本当に有難いことだ。
そして今日は、滞在中の唯一の休日、
風の会のメンバーが、
故郷の海辺までドライブに連れて行ってくれる。
昨日、朝5時には起きて京都を出発し、
午後には講演があったのだから、
旅の疲れで熟睡の予定だったのだけれど、
今朝4時にはバッチリ目が覚めてしまった。
そう、遠足の日の朝の55歳の少年です。
天気予報は晴れ、
潮風を道連れのドライブ、
行き先は、僕の生まれ育った、東シナ海、阿久根の海。
ワクワク、ドキドキしています。
やっぱり僕は、海がとっても好きみたいです。
(2012年10月14日)

5年ぶり

彼女は、下御霊神社からの風に誘われるように、
ひょっこりと、町家カフェさわさわに入ってきた。
そして、僕を見つけ、声をかけてくれた。
5年前、どこかの駅で、僕のサポートをしてくれたらしい。
それから、僕の著書も読んだとのことだった。
またいつか、どこかで会えればと思いながら、
5年という時間が流れたのだという。
毎日、どこかで誰かが、サポートの声をかけてくださる。
バス停まで、お店の入り口まで、駅の改札まで・・・。
そういう人達がいてくださるから、
僕達の毎日が存在する。
毎回感謝を込めて、お礼を伝えるけれども、
記憶することはできない。
何も画像のない僕にとっては、
声や雰囲気だけで記憶するのは、
それは無理なことなのだ。
見知らぬ人、いや、見知ることができない人、
時には、年齢どころか、性別さえ判らないこともある。
ただ、絶対に間違いないのは、
「にんげん」だということ。
やさしいとか、あたたかいとか、
心を持った、
「にんげん」という素敵な生き物だということ。
それにしても、不思議だなぁ。
僕がさわさわに顔を出せるのは、一週間に数時間程度。
それでも、こんなこともあるのだから、
やっぱり、人生って面白い。
(2012年10月12日)

休日

三連休の最終日、やっと僕にも休日が訪れた。
HPのスケジュールには、関わっている団体の会議などは掲載していない。
空白でも、会議などが入っている日はしょっちゅうで、
何も用事のない、いわゆる休日は、
一ヶ月に二回くらいのペースだ。
もうちょっとのんびりした時間が欲しいなと思うことはあるけれど、
こうして毎日、社会に参加できるということは、
失明直後の数年間を思えば、
とても幸せなわがままだということは判っている。
それに、55歳という年齢を考えると、
今が一番頑張れる時期なのかもしれないとも思う。
でもやっぱり、休日は、とてもうれしい。
休日だというだけで、幸福感を感じてしまう。
昼時、近所で暮らす両親と近くのレストランで食事した。
90歳を超えた父は、まず、歩くのが大変になっている母の手を引いて、
レストランへ行く。
母を、椅子に座らせて、
それから、僕を、団地の下まで迎えにくる。
僕は一人でレストランまで行けると説明しても、
聞き入れてくれない。
僕を手引きして、母の待つレストランへ歩く。
肘から伝わってくる歩き方に、
父の足元も随分不安になっていることを知る。
補聴器の耳に向かって、
「たまには散歩してるの?」
やっぱり、聞こえていないらしい。
横断歩道を渡って、
交差点の角を曲がろうとした瞬間、
僕の顔のななめの空中が破れて、
ほんの少しの、キンモクセイの香りがこぼれた。
こんなところで、今年初めての香り、
神様って粋だなって微笑む。
鼻も悪くなっている父には、わからないだろう。
だから、僕は止まることもなく、何も告げずに歩く。
しばらく歩いて、
レストランの玄関に着いた時、
「風が気持ちいい。秋になったなぁ。」
突然、父がつぶやいた。
休日って、やっぱりいいな。
(2012年10月8日)

うれしい勘違い

朝、バス停までの道を歩きながら、
今日は曇りだなと思った。
いつも、風や音や、雰囲気で、そんなことを思うのだ。
バス停に着いた時、
「おはようございます。」の声が聞こえた。
僕も、すぐに返した。
この声の女性は、年に数回、このバス停で出会う。
自由業の僕は、日によって、出かける時間が違う。
利用するバス停も数箇所ある。
だから、出会えるのは、年に数回という感じだ。
挨拶の後は、季節の話や、世間の話。
バスが来るまでのわずかな時間を楽しむ。
白杖で歩き始めた頃、
近所で声をかけてくれる人はいなかった。
見えていた頃の会釈もできなくなってしまったし、
誰とすれ違っているのかも判らないし、
僕に声をかけるのを、戸惑った人もおられただろう。
毎日の白杖での外出、
少しずつ、挨拶の声をかけてくださる人が増えていった。
僕が歩く風景も、
きっと、この街に溶け込んできたのだろう。
「今朝は、とっても高い、きれいな青空ですよ。」
彼女が教えてくれた。
「えっ、曇り空ではないのですか?」
「澄み切った秋の空です。」
僕の大きな勘違いだった。
僕はうれしくなった。
教えてもらったことが、得をした気分になった。
それを彼女に伝えると、彼女もうれしそうに笑った。
間もなくバスが到着して、僕達はそれぞれの行き先に向かった。
今日の僕の行き先は、大阪の高校だった。
僕は、授業の途中で、
「ほら、窓から空を見てごらん。きれいな秋の空だよね。」
自慢げに、生徒達に話した。
生徒達も、ちょっと驚きながら、空を眺めた。
(2012年10月3日)