バスを降りるという行動

バスが終点の桂川駅に着いた。
白杖で前を探りながら、
少しずつ降車口の前方へ進む。
乗客は、普通に運賃箱に料金を入れる人もいれば、
運転手さんに定期を見せて降りる人もいれば、
両替をする人もいる。
だから、それぞれのスピードも必要時間も違う。
僕は、白杖が、前を歩く人にできるだけ当たらないように、
そして、間が開きすぎないように、
ゆっくりゆっくり、狭い歩幅で歩く。
降車口は、階段になっている場合が多いので、落っこちないように注意も必要だ。
目が見えていれば何でもないことが、
音や雰囲気だけで対応するのは、とても難しい。
バスを降りるという行動だけで、結構エネルギーを使うのだ。
今朝も、降車口の近くだと判断して、
降りるタイミングを計っていたら、
「どうぞ。」と後ろから声がして、
同時に、そっと背中を押してくださる手を感じた。
「ありがとうございます。」
僕は、ほっとした気持ちでバスを降りた。
点字ブロックを歩き始めた僕に、
「改札までご一緒しましょうか。」
先ほどの声の主が続けた。
「子供がウロウロしますけど。」
僕を手引きして歩く彼女の横を、
小さな子供が僕達の様子を伺いながら一緒に歩いた。
子供連れのおかあさんが声をかけてくださったのだった。
子供は、お母さんの行動を見ていた。
きっと、その子供が大人になったら、
また、声をかけてくれる人になっていくのだろう。
僕は、とっても幸せな気持ちになった。
改札口に着いて、ありがとうカードを渡したら、
2枚目ですよとの返事だった。
爽やかな朝になった。

(2012年1月15日)

拍手

後輩達と、ティータイムをした。
視覚障害に加えて、
もうひとつ障害がある人、
生命の危機につながるような病気と付き合っている人、
長い時間、家に引きこもっていた人、
でも、後輩達に重たさはない。
楽しいおしゃべりは続き、笑い声が止まらない。
「誕生日って、また年をとるんだという感覚だったのに、
命が終わるかもしれないという経験をした後は、
心からうれしく感じるようになったよね。」
「毎日の暮らしで、出かける用事があるって、
それだけで、うれしいね。」
「こうして、毎日があるのが幸せだよね。」
さりげない会話が、僕の心に染み渡る。
僕は、後輩達のおしゃべりを聞きながら、
ファミリーレストランのドリンクバーの、
ちょっとぬるいコーヒーをすすった。
日常、コーヒーをよく飲むにしては、
コーヒーの味はわからないのだけれど、
今日のコーヒーは格別だった。
後輩達の輪の中に入れてもらえていることに、
心から感謝した。
年齢は、僕が上だけど、
教えてもらうことの方が多い。
このきらめく生命に、
拍手を送れる自分でありたい。
送り続けられる生き方をしたい。
帰宅してメールチェックをしたら、
最近の講演を聞いてくださった先輩から
初心忘れるべからずとの提言が届いていた。
講演が日常のようになっている僕にとって、
拍手されることに慣れていってしまっている現実がある。
拍手される人生よりも、
誰かに拍手をおくれる人生が、
豊かであることは知っている。
謙虚な心を、大切にしなければ。
(2013年1月13日)

女優さん

ひょんなことで、杉本彩さんという方とお会いした。
彼女の職業は、女優。
残念ながら、テレビも見ないし、元々芸能界にあまり興味がない僕は、
彼女のことを知らない。
少し話をした後、
僕達は、一緒に外を歩いた。
彼女は、僕を手引きしながら、
段差を超え、すれ違う自転車をよけ、
何の問題もなく歩いてくれた。
サポートの方法を説明する僕に、
彼女は真剣に向かい合った。
僕たちのサポートの方法を学ぼうという、
彼女の人間としての姿勢が伝わってきて、
僕はうれしかった。
きっと彼女は、
どこかで困っている僕達の仲間を見つけたら、
声をかけてくれるだろう。
日本中の人達が、サポートのできる人になってくれれば、
素敵な国になるよな。
それにしても、女優さんと歩くだけで、
つい男優さんになった気になっている僕は、
やっぱり庶民です。
今夜は、大好きな健さんにでもなった夢でも見ます。
(2013年1月9日)

まきちゃん

今年のお正月は、曜日の並びがいいせいか、
4日の金曜日の夕方、
四条河原町は溢れんばかりの人波だった。
僕は、ガイドさんがいなかったら、歩行をあきらめただろう。
それくらい凄い人波だった。
何とか町家カフェさわさわの用事をすませて、
駅でガイドさんと別れて帰路に着いた。
電車も込んでいたし、結構慌しかった。
桂駅に着いて、いつものように一人で改札へ向かった。
慌しい人波からは、サポートの声はなかった。
無理もないよな、正月早々、皆忙しいもんな。
僕はそう思いながら、
慎重に歩いて、無事改札口を出て、バスターミナルへ歩き始めた。
その時、「まっつん」と声がした。
僕は、見えている頃、養護施設で働いていた。
子供達は、僕のことを、まっつんと呼んだり、おにいさんと呼んだりしていた。
だから、「まっつん」と呼ぶのは、養護施設にいた子供達なのだ。
僕はすぐに、その声の特徴、周囲をはばからないボリュームで、まきちゃんだと
判った。
まきちゃんが小学校に入学した頃、僕は一生懸命、
「1+3=4」とか、彼女に教えた。
何度か教えると、彼女はオウム返しに答えてくれるようになった。
でも、どんなに頑張っても、
アメちゃんが左手に1個、右手に3個あって、
合計4個になることを、彼女が理解することはできなかった。
彼女は、小中学校は育成学級に通い、それから支援学校に進み、
そして、社会に出ていった。
社会と言っても、そこは施設とかで、現在はグループホームにいるらしい。
勿論、その頃の僕は見えていたし、白杖もなかった。
彼女は、サングラスをして、白杖を持った僕を、
しっかりと判別した。
白杖で歩く僕に、
「まっつん、危ないから私を持ったらいいよ。」
彼女は腕を差し出した。
僕は、彼女の腕を持って歩いた。
発達年齢3歳の30歳代の知的障害の女性と、
全盲の55歳のオッサン、
二人で仲良く歩いた。
彼女の大きな声も笑い声も、子供の頃そのままだった。
子供の頃は、僕が彼女の手を引いて歩いた。
そして、20年近い時間を経ての再会、
今度は、彼女が、僕を連れて歩いた。
バスターミナルに着くと、やはり凄いバス待ちの行列だった。
彼女は、その最後に並ぶと、到着するバスを観察していた。
そして、僕の乗る予定の2番のバスが到着すると、
迷わずに、僕をバスの乗車口まで案内した。
そして、
「まっつん、気をつけてね。」と言った。
「まきちゃんも、元気でね。また会おうね。」
まきちゃんは、相変わらず、周囲をはばからない大きな声で、
「うん。」、笑った。
あの頃の笑顔が、僕の脳裏に蘇った。
人間の価値って何だろう。
55歳の最終日、神様からのプレゼントだと思った。
(2013年1月5日)

今年もよろしく

毎年のことだが、元旦はあっという間に過ぎる。
元旦は、24時間ないのかもしれない。
2日と3日は、箱根駅伝をラジオで聞く。
僕は鹿児島県阿久根市の出身で京都市在住、
大学も京都だったから、箱根駅伝に参加している大学に、特別な思いはない。
ただ、見えている頃、歯をくいしばって走る学生達の姿をブラウン管で見てから、
ほとんど毎年応援している。
大学の名前も、選手の名前も、記憶はしていないが、
歯をくいしばった姿は、何となく憶えている。
僕にはない「根性」に、心から拍手をおくる。
そして、感動する。
大晦日も、紅白ではなくて、ボクシングのタイトルマッチのテレビをつけた。
画像はないので、面白いのかと尋ねられることがあるが、
それなりに楽しんでいる。
スポーツが好きなのかもしれない。
もちろん、これは観戦ということで、するということではない。
ぐうたらだから、コタツでテレビを見ながら、
みかんを食べているのが幸せだ。
ぐうたらの自分に、時々気合を入れながら、
今年もボチボチ頑張ります。
宜しくお願い致します。
(2013年1月2日)

タクシードライバー

乗車するなり、タクシーの運転手さんが話しかけてきた。
「ちょっと見えないんですか?」
「僕は全盲で、全然見えていません。」
自宅までの15分間、僕達はいろんな会話をした。
僕が見えなくなって、15年くらいだということ、
もうすっかり慣れているということ、
でもやっぱり、駅のホームなどは緊張するということ、
彼は一人暮らしだということ、
勉強は苦手だったけど身体は元気だということ、
いつまでも健康でありたいと思っていることなどを話された。
そして、ちらついている雪の美しさを僕に教えてくださった。
小雪の舞う道を、タクシーはスイスイと走った。
僕は、車の曲がる方向や道路の傾斜で、車がどこを走っているかがだいたい判っ
ている。いつもの道順を走って、タクシーが団地の横に停車した。
「900円でいいです。」
彼が言った。
夜遅い時など、同じ経路をタクシーに乗車することがあるので、
1,000円を超えるということは知っている。
しかも、深夜なので割り増しのはずだ。
けげんな顔をしている僕に、
「僕は個人タクシーだから、大丈夫。900円でいいです。」
彼は再度、そう言った。
どういう計算がおこなわれたのかは判らない。
僕は、財布から千円札を取り出した。
100円玉一個が、僕の手に載せられた。
ドアが開いて、
お互いの「ありがとうございました。」の言葉が交差した。
降りようとする僕に、彼は段差に注意するようにと付け加えた。
歩き始めた僕の背中を、視線が追いかけているのがわかった。
タクシーのエンジン音は、動こうとはしなかった。
10メートルほど歩いて、団地の入り口を見つけた時、
僕は振り返って、自然に深々と頭を下げた。
タクシーは、安心したように走り出した。
僕は、右手で白杖を使いながら、
左手でポケットの中の100円玉を触りながら歩いた。
ちらつく雪を顔面で受け止めながら、
ちょっと目頭が熱くなった。
ほんまに、人間っていいよなぁ。
(2012年12月27日)

いとこ

従兄から、このHPへのアクセス2万回目を引き当てたとのメールが届いた。
メッセージを楽しみにしている一人だと、
短い文章ではあったが、
激励の言葉が添えられていた。
毎日、新しいメッセージを書いた日も、書いていない日も、
100人以上の人達がこれを読んでくださっている。
発信することよりも、受け取ることの方が、
エネルギーがいることを、
僕は理解している。
このHPの向こう側に、
それぞれの感性を持ち、
それぞれの人生を見つめながら、
そして、思いを寄せてくださる人達がいるのだ。
見えるとか見えないとか無関係に、
エールは、力となる。
大きな力となる。
ちなみに、僕と従兄は同じ阿久根市で生まれ育ったが、
年齢もだいぶ違うし、
一緒に遊んだ記憶などはない。
大人になって再会し、数回お会いしただけだ。
彼が、まだ日本が貧しかった頃、
その時代ならではの苦労をしながら生き抜いてこられたということを、
親父から聞かされたことがある。
苦労は、豊かな人間を育てるとの言葉もあった。
横浜の従弟は、小学校の頃遊んだかすかな記憶しかないのだけれど、
まるで、兄弟のように、
僕のことを応援してくれた。
他にも、そっと見守ってくださっている親族もいるのかもしれない。
血縁、地縁、そして、偶然の縁。
すべての縁に感謝します。
ちなみに、僕は、へなちょこなので、苦労をしたいとは思ってはいない。
でも、こういう人達に会うたびに、
僕も、そういう人でありたいなと、
憧れてしまう。
楽をしながら、学びたいと言えば、
また、親父に怒られそうですが。
(2012年12月23日)

ランちゃん、さようなら

愛犬のランちゃんが、天国へ旅立った。
心臓病だった。
突然の旅立ちだった。
動物病院の先生方の懸命の努力も及ばなかった。
11歳7ヶ月、人間に例えれば、60歳代だろうか。
僕が失明して数年後、家族の一員となった。
だから、僕は、ランちゃんの顔を見たことはない。
でも、本当によく、一緒に遊んだ。
いや、遊んでもらった。
触った感覚を、手が憶えている。
泣き声を、耳が憶えている。
鼻がにおいを憶えている。
ぬくもりを。身体が憶えている。
どうしてもお昼の時間が取れなかった僕は、
ペットの葬儀屋さんに、夜のお葬式を依頼した。
夜中のお葬式となった。
焼かれた後のお骨を、
僕は手で触りながら、骨壷に入れた。
葬儀屋さんは、どの部分のお骨かを、丁寧に説明してくださった。
まだ少し暖かなお骨を、
僕はとても愛おしく感じた。
ただ、ありがとうの言葉がこぼれた。
夜中の大江山の山頂付近は雪が降っていた。
ふと、生かされている自分に感謝した。
いつか僕も、骨になる。
それまで、生きている限り、
この命に感謝して、
この道を歩いていこう。
ランちゃん、ありがとう、安らかに。
(2012年12月19日)

落ち葉

いつもと違うバス停でバスを降りた。
年に数回利用するバス停だ。
だいたいの方向とか、判っているつもりだ。
横を通る車のエンジン音を平行に感じながら、
前からくる人の雰囲気や、自転車に気をつけながら、
白杖から手に伝わる感覚、足の裏の感覚、
いろいろな音や匂いをキャッチしながら、
目以外の感覚を総動員して歩く。
記憶では、角を曲がったちょっと先にある横断歩道、
ところが、見つけられない。
目印の点字ブロックの上に、落ち葉が敷き詰められて、
何層にも重なっていて、
白杖で見つけられない。
ここ数日の雨と、北風の仕業だ。
こんな時、慌てたらだめ。
かくれんぼしている友達を探す気分で、
ゆっくりと路面を探る。
上手に隠れたなぁ。
なかなか見つけられない。
誰かに助けを求めようかとも思ったけれど、
かくれんぼで降参してるような気がして、
負けん気が許さない。
もう一回、ゆっくりゆっくり、路面を探る。
あったぁ!
僕の勝ち。
やっと見つけ出した点字ブロックの上で、深呼吸をした。
冬の匂いがした。
(2012年12月18日)

少年

中学生を対象にした福祉授業に招かれた。
僕は、見えない世界を伝えながら、
共に生きていく社会について語った。
授業が終わった後、
彼は、僕を控え室まで案内した。
日直か、当番なのか、
彼は僕を手引きしながら、
ほとんどしゃべらずに、
黙々と歩いた。
身体の動きからも、彼の緊張が伝わってきた。
控え室に着く直前、
突然、彼がつぶやいた。
「雪。」
僕は立ち止まって、
「降ってるの?」
彼に投げかけた。
「大きな雪・・・、ふわふわ・・・、たくさん・・・。」
彼は、一生懸命、僕に伝えようとした。
「綺麗?」
「はい、とっても。」
僕は、彼の声が示す方向を眺めた。
一瞬の沈黙の後、
また、僕達は歩き始めた。
控え室に着いて、彼は、授業で僕が教えた通り、
僕の手を取って、椅子の背もたれを触らせた。
僕がちゃんと座るのを見届けると、
小さな声でつぶやいた。
「ありがとうございました。」
その声の小ささの中に、
少年の誠実さがにじみ出ていた。
綺麗な雪が、少年によく似合うと思った。
(2012年12月12日)