もうすぐバス停かなと思って歩いていたら、
バスのエンジン音が、僕を追い越して、ちょっと先で停まった。
すぐそこがバス停なのだ。
間に合わないかなと思いながら、
それでもほんの少し急ぎ足で歩いたら、
エンジン音は待っていた。
バスに乗車すると、運転手さんがマイクで、
すぐに席が空いていることを教えてくださった。
やっぱり、待っていてくださったのだ。
朝一番の「ありがとうございます!」を声に出して、
座席に座った。
バスが桂駅に着いたら、
「一緒に降りましょうか?」
若い女性の声。
「ありがとうございます。」
肘を持たせてもらって、改札口まで。
ホームでは、僕を見つけた駅員さんが、
乗車のサポートをしてくださった。
烏丸で地下鉄に乗り換えて、
御池で東西線に乗り換えて、
市役所前駅に着いたのは、予定よりも30分以上早かった。
家から目的地まで、計6人の人が手伝ってくださった結果だ。
改札の駅員さんに、
「ここの改札で、人と待ち合わせなのですが、
ちょっと早く着いたので、一番近いコーヒーショップを教えていただきたいので
すが。」駅員さんは、最初、「この点字ブロックを左に・・・。」
説明しようとされたが、
すぐに、「そこまで案内しましょう。」
またまた、楽チンでコーヒーショップへ。
パン屋さんがやっているコーヒーショップ、
何をするでもなく、ただぼぉーっと。
目を閉じたまま、30分間、ただ香りだけを楽しみながら、
そっと流れる音楽を楽しみながら、
至福のひとときを過ごした。
見えなくなって良かったこと、
やさしい人達に出会えることです。
朝、家を出て、目的地までの約1時間、
その間に、駅員さんも含めて、7人の人と交わった。
朝から、7回も、「ありがとうございます。」と言えた。
ありがとうは、言っても、聞いても、幸せの言葉。
ちなみに、8人目は、コーヒーショップのおねえさん。
お店の出口まで案内を頼んだら、
そのまま、改札口まで付き合ってくださった。
最高の朝となった。
そうそう、メニューが判らない僕は、
値段も判らないで、コーヒーを頼む。
今朝のコーヒー、200円!
幸せが、3倍くらいになったかな。
(2013年2月20日)
最高の朝
はせがい紅茶を飲みながら
久しぶりの休日、
友人から届いたはせがい紅茶を飲みながら、
ただぼぉっと時間を過ごす。
友人は、この紅茶が一番おいしいと言うのだが、
味覚音痴の僕には、あまり違いは判らない。
ただ、これを届けてくれた友人の真心が、
胃袋の中でふくらむ。
まだ出会ったことのない、男友達だ。
こういう付き合いっていいな。
昨夜は、岩手県に住む視覚障害者の友人から電話があった。
僕の新刊を、音声図書で読んで、うれしかったとの内容だった。
何冊か買って、見える友人などにプレゼントすると、
東北弁の元気そうな声だった。
彼とも、まだ会ったことはない。
以前、僕が出たテレビを見て、
彼は連絡をとってきた。
その当時、彼は僕と同じ病気で、
失明の不安の中にいた。
僕は、電話で、歩行訓練や音声ソフトでのパソコンの使用をすすめた。
次に連絡があったのは、
まさに、その訓練で函館にいるとの電話だった。
その次は、僕から電話した。
東北の震災が彼を襲った。
彼の兄弟などが犠牲になられたが、
彼は奇跡的に難を逃れた。
それ以来、彼からの三度目の電話。
「いつかきっと会いたいですね。」
まるで、恋人同士のようにささやきながら、電話を切った。
そう言えば、今年のバレンタイン、
知り合いの方に2つ頂いた。
たった2つ!
若かった頃を思えば、
ずいぶんと縁遠いイベントになった。
でも、それも素直に受け取れる自分も、
上手に年を重ねているような気がして、
うれしくなる。
負け惜しみって言われるかな。
そうそう、このブログを読んでくださっている人の数が、
バレンタインデーに、延べ30,000人を超した。
アメリカで読んでくれている人が、
30,001人目だったらしく、
30,000人目は誰ですかと質問があったが、
僕には判らない。
とにかく、たくさんの人が読んでくださっていることに、
心から感謝です。
勿論、男性にも、女性にも!
(2013年2月17日)
陽光
朝一番に、ベランダで洗濯物を干し終わって、
冷たくなった手をすりあわせながら台所のガラス窓を閉めた時、
窓越しの春に気づいた。
顔や手に、ぬくもりを感じたのだ。
僕は、そっと、手のひらを外に向けて差し出した。
小さなバンザイみたいな格好だ。
春の光が、手にまとわりついた。
夏の光のような、肌を焦がすようなものではないが、
確かに、強い光だ。
何かエネルギーみたいなものを含んでいる。
前かがみになっていた身体が、ゆっくりと起き上がる。
顔が、日差しに向かって、少し上を向く。
光は、見える人に、明るさを届ける。
それは、とても大切なこと。
でも、見えない僕達にも、
ぬくもりでそれを知らせてくれる。
それは、見えても見えなくても素敵なこと。
光は、手にまとわりつき、身体に吸収されていく。
身体の中から幸せを感じる。
お日様は、平等だなって思う。
(2013年2月12日)
トイレの梅一輪
さわさわの男子トイレで用を足して、
水洗のボタンを押そうとした瞬間、
手に何か、細い木の枝が触れた。
僕はそっと、それを触った。
小便器の横に、片方は水を含ませた布でくるんで、
そっと吊るしてあった。
僕は、右手の人差し指の腹で、その枝を触った。
10センチくらいの短い木の枝の途中に、ひとつ、小さな花を見つけた。
直感的に、梅の花だと思った。
見える人に確かめたら、
やっぱり、一輪の梅の花だった。
トイレに神様がいるかどうかは、僕は知らない。
でも、トイレに、梅の花一輪を飾ることのできる感覚は、
日本人ならではの財産のような気もする。
そう思える自分でありたいし、
そういう仲間がいることを幸せだと思った。
トイレを出たら、
舞い降りる雪が顔にかかった。
今年初めての、春のささやきを知った。
うれしくなった。
(2013年2月9日)
黒いサングラスに大きなマスク
いつものように白杖を持ち、
いつものようにリュックサックを背負い、
いつものように歩いた。
いや、いつもより、ちょっとスピードを落として、
いつもより慎重に歩いた。
風邪気味で少しふらついているのが判っているからだ。
ところがここ数日、サポートを申し出てくださる人に出会わない。
極端に出会わない。
僕ははっと気づいた。
マスク!
少し咳き込むのでマスクをしているのだ。
ふっと、自分の姿を思い浮かべた。
黒いサングラスに大きな白いマスク、
見える人から、きっと、僕の表情などは判らないだろう。
不審者かな?
かと言って、マスクをはずして咳き込むのも迷惑だし、
マスクにハートマークでも描いてもらおうか。
でも、余計に不審者の気もするし。
早く風邪を治したい!
(2013年2月4日)
発熱
体育館での講演、
ちょっと寒いなとは感じていたが、
無事終了して次の会議に出席する頃には、
強い悪寒を感じた。
会議が終わってから、
友達にお医者さんまで運んでもらった。
一日、寝て過ごした。
きっと発熱しているなと思っても、
体温計を見ることはできない。
いつもの家の中を、
ふらついて歩くので、
あちこちにぶつかる。
方向が判らなくなる。
薬を飲むことも、確認が大変。
日常と違う場面になると、
やっぱり、目があったらなと弱気になる。
56歳、今はまだ、白杖に身をたくして歩ける。
でも、そのうち、
老いていったら、
きっと自信がなくなる日がくるだろう。
恐怖心をコントロールできなくなる日がくるだろう。
一日でも長く、一人で歩くためには、
やっぱり、助けてくださる人を増やすしかない。
見える人も、見えない人も、見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる社会、
それを目指さなくっちゃ。
まだ、ノドが痛いけど、
今日も頑張ります。
(2013年1月31日)
雪
ガイドヘルパー講座の最終日、
予定の内容を終えて、
少しの疲労を感じながら会場を後にした。
早速、講座を受けてくれていた女性が僕の手引きをしてくれた。
疲労は決して重たいものではなく、
自分なりに精一杯取り組めた後の、
快い部類のものだった。
僕は彼女の肘をつかんで、
身をゆだねた。
去年の今日、僕達は他人だった。
それがこうして、命を預けて歩いている。
友達とか近所の知り合いとか、そのレベルではない。
ひょっとしたら、恋人や家族に近い関係かもしれない。
僕は、彼女の名前さえ正しくは判っていない。
でも、人間同士の絆が、間違いなく存在していた。
僕は歩きながら、
先週行った小学校で、
「宝物は何ですか?」という質問があったのを思い出した。
「いっぱい出会える、素敵な人達が宝物だよ。」と答えた。
街灯の明かりの中で舞い踊る雪の姿を、
彼女は僕に伝えた。
もう、いつ見たのかも忘れてしまった雪の画像が、
フラッシュバックした。
僕はきっと、もう二度と、それを見ることはないだろう。
それは、悲しいことなのかもしれない。
でも、絆は、その悲しさを超えるうれしさを生み出す。
雪の映像がフラッシュバックした瞬間、
僕はうれしくて、かぶっていた帽子を脱いだ。
顔にあたる雪を、愛おしく感じた。
(2013年1月27日)
風になってください Ⅱ
新刊『風になってください Ⅱ』がデビューして、
今日で10日が過ぎた。
一人でも多くの人が手にとってくださればと、
もうこれは、願いを越えて、祈りの気持ちに近いものがある。
でも、現実は厳しい。
僕は、いわゆる作家でもないし、著名人でもない。
出版社も、歴史のある出版社ではあるけれど、大手でもない。
全国の書店にならぶということはない。
地元京都でも、書店の取り扱いはいろいろだ。
置いてない本屋さんもあれば、1冊だけ置いてあるという本屋さんもある。
話題の本とか、ベストセラーのコーナーに置いてくださっている本屋さんもあれば、
僕のポスターまで飾ってくださっているところもある。
本当にいろいろだ。
でも、よくもまあ、
こんな状況の中で、
最初の『風になってください』を、
たくさんの人達が読んでくださったものだ。
今更ながら、驚きながら感謝だ。
ベストセラーではないけれど、ロングセラーにはなっている。
応援してくださった人達に、あらためて、
ありがとうございますの気持ちを届けたい。
今日は、専門学校での授業のあと、
本屋さんへの挨拶回りをして、
久しぶりに、明るい中での帰宅だった。
クリーニング屋さんに立ち寄って、
頼んでいたスーツを引き取って、
どうやったら、いろんな人に読んでもらえるのかなと考えながら、
団地の中を歩いていた。
「松永さん、こんにちは。新しい本、読みました。」
突然、声がした。
以前、僕が講演に出かけた訪問介護ステーションの、二人のヘルパーさんだった。
障害を持った人のお宅に伺い、
お世話をしての帰り道だった。
読後の感想を聞かせてくださった。
母にも読ませますと言ってくださった。
晴れやかな気持ちになった。
そして、数にこだわる必要はないなと思った。
こうして、読んでくださって、
良かったよとおっしゃってくださる人がいる。
それはきっと、未来へ向かう力となる。
動くことさえ困難になった人達のお世話をしている彼女達の、
屈託のない笑顔が、
大切なことを教えてくれたような気がした。
ありがとうございます。
僕も、コツコツ頑張ります!
(2012年1月21日)
アンギョンハセヨ
「アンギョンハセヨ」
「こんにちは。」
韓国視覚障害者協会訪日団との合同研修会が京都で開催された。
僕たちは、それぞれの国の現状や課題を話し合った。
通訳を交えての会議は、難しそうな単語を避けながら、
そして、ゆっくりとしたスピードで、
日本でのいつもの会議と比べれば、倍くらいの時間を要した。
それでも、それなりに、学ぶことも多く、
充実したものだった。
訪日団の中には、視覚障害の国会議員もいたし、若い視覚障害者もたくさんいた。
確か、ブレア政権時代のイギリスの文部大臣も全盲だったことを思い出した。
彼が、女性問題などのスキャンダルで失脚したらしいと聞いた時、
不謹慎な僕は、かっこいいと思ってしまった。
アメリカでは、視覚障害の弁護士が、千人を越えているという。
日本も、頑張らなくちゃ。
会議の後、予定にはなかったのだけれど、
誰かが、記念写真を撮ろうと言い出した。
僕たちは、カメラの人の声の方に向かって、
「キムチィー!」と笑った。
そして、僕は、隣に座った韓国の男性と、
しっかりと手を握り合った。
世界には、まだ、生きることさえ保障されない国もたくさんある。
地球サイズで、考えられる人でありたい。
それにしても、
あの記念写真、誰が見るんだろう。
なんかおかしいけど、楽しいな。
今日、訪日団が帰国する。
次は、いつか、僕達が行こう。
(2013年1月20日)
天使の声
いつもは20分くらいで駅に着くはずのバスが、
渋滞にまきこまれて、40分近くかかってしまった。
大学のゼミの学生達への講義が、
9時10分、ライトハウスという予定だ。
僕は、いつもの四条大宮からバスというルートを、
タクシーに変更することにした。
横断歩道を渡り、バス停を越え、
社会の邪魔にならないと思われる場所まで移動して、
人の足音を待った。
画像のない僕にとって、流しのタクシーを停めるというのは難しい。
見える人に手伝ってもらうしかない。
待っている時には、なかなか現れないのは、不思議なものだ。
しばらく立っていても、足音は聞こえなかった。
あせりながら、何も景色のない空間に向かって、
「誰か手伝ってください。」
独り言がこぼれた。
その瞬間、
「どうされました?」
声が聞こえた。
僕にしたら、天使の声だ。
「タクシーを停めてくださいませんか。」
天使は、きっと朝の慌しい時間に違いないのに、
引き受けてくださった。
しばらくして、タクシーが捕まった。
「左ななめ前です。」
天使の声が誘導した。
僕がタクシーに乗車した時、天使は、運転手さんに向かって、
「お願いします。」と言った。
家族でもないし、友人でもない。
それなのに、僕のことを頼んでくれた。
タクシーがライトハウスに着いたのは、
9時03分だった。
セーフ。
朝から天使に出会った。
素敵な一日の始まりになった。
(2013年1月17日)