頭の中の地図

家を6時に出て、京都駅を7時過ぎの新幹線で東京へ向かい、
会議が終了してすぐに帰路に着いても、
帰宅は22時になる。
日帰りの東京はつらい。
さすがに今朝は寝坊して、
友人達とのランチの待ち合わせに少し遅れた。
遅れても、ちゃんと待っていてくれる友人達だ。
久しぶりの休日、仲良し3人でのランチは、穏やかで豊かなひとときだった。
美味しいものを食べると、心まで満足する。
食いしん坊なのかなぁ。
帰りに、阪急河原町駅まで送ってもらったら、
駅は改装工事が終わって、
リニューアルしていた。
記憶にあった駅の見取り図を書き換えなければいけない。
これは結構大変な作業だ。
目があれば何でもないことが、
とても難しくなる。
何度も点字ブロックに沿って歩きながら、
頭の中の古い地図を消して、
新しい地図を描いていく。
納得するまで何度も歩く。
友人達は、そっと後ろから着いてくる。
僕が単独歩行の時は、命がけでここを歩かなければいけないことを、
友人達は理解している。
だから、何度でも付き合ってくれる。
何度か歩いて、やっと地図が完成。
一人で改札を入って、
ホームへつながる階段にたどり着いた時、
改札の向こうから、
「今日はありがとう。さようなら」の声が聞こえた。
きっと、祈るような気持ちで、僕の姿を追いかけてくれていたのだろう。
無事階段の入り口にたどり着いた僕に、
エールを送ってくれたのだ。
僕の目になってくれる人がいる。
僕の杖になってくれる人がいる。
それは、とっても幸せなこと。
しっかりと白杖を持って、未来に向かって歩いていくよ。

(2013年3月19日)

サイン会

午前中に、ガイドヘルパー現任者研修での講演だった。
会場は、定員150人満員だった。
希望制の研修会なので、意識の高さを感じた。
いつも、僕達のために活動してくださっている人達に、
感謝を込めて、そして、更なるスキルアップをお願いしながら話をした。
それなりのメッセージは伝えられたと思う。
そこから、四条烏丸まで移動して、
ランチをすませ、
いよいよ、本屋さんでのトークショー、サイン会。
久しぶりに、不安を抱えて、緊張して会場に入った。
若干名の知り合いが来てくださるのは知っていたが、
それ以外は未知数だった。
前日の段階でも、入場整理券は、ほとんど動いていなかった。
大きな看板を作り、ポスターを貼り、
企画してくださった本屋さんや出版社のことを考えると、
ガラガラだったら申し訳ないという思いがのしかかっていた。
控え室でお茶を頂いている時、
準備した椅子が満席になったと情報が入った。
安堵した。
1,050円というお金を出して本を購入し、
時間を使って来てくださった人達に、
感謝の思いがわきあがった。
一冊一冊に、心をこめてサインした。
見えなくなって16年、
たまたま本を出すチャンスがあり、
たまたま、その本が支持された。
そして、2冊目、3冊目につながり、
講演などの機会も増えた。
僕達も参加しやすい社会に向かって、
手をつないでくれる仲間達、
エールをおくってくださる人達、
皆様のお陰だ。
メッセージを発信するチャンスがあるということは、
それ自体、幸せなことだろう。
ひとつひとつの言葉を大切にしながら、
ひとつひとつの出会いに感謝しながら、
しっかりと活動をすすめていこうと誓った。
(2013年3月17日)

缶ビールの若者

ライトハウスでの会議が終わったのは、
20時半を過ぎていた。
サポーターと一緒にバスに乗り、
大宮から電車に乗った。
電車は、結構込んでいた。
サポーターが、僕の手を持って、
吊革を触らせてくれた。
間もなく、僕の前で、何かレジ袋のすれるような音がした。
ひょっとしたらと思った瞬間、
「席をゆずってくださいました。」
サポーターの声がした。
僕は、その席に座り、
「ありがとうございます。助かります。」
声を出した。
席をゆずってくださった人が、
どちらに動いたかまでは判らないので、
その辺におられる方には届くようなボリュームにしている。
しばらくして、電車は桂駅に着いた。
ドアに向かって移動しながら、
「ありがとうございます。」
席をゆずってくれたであろう人に向かって、
サポータが御礼を伝えていた。
あたたかな、やさしい声だった。
改札へ向かいながら、
「20歳代の男性、左手にスポーツ新聞、右手には飲みかけの缶ビール、
モジモジした後、意を決して立ったみたい。
降りる間際、照れくさそうな顔をしていたわ。」
と説明してくれた。
降りる間際の、
サポーターの声が、
とてもやさしかった意味が判った。
「今頃、残りのビール、飲み干しているかな。おいしいだろうな。」
僕は笑った。
(2013年3月16日)

トークショーとサイン会のお知らせ

今度の土曜日、3月16日の午後3時から、
四条烏丸の交差点から北に50メートル上がった西側にある、
大垣書店四条店で、
僕のトークショーとサイン会があります。
現在、大垣書店四条店で、
「風になってください2」を購入してくださった方に、
入場整理券が配られています。
先着50名だそうです。
そんなに来られるとは思っていませんが、
誰も来られないのも、
企画してくださった本屋さんにも気の毒ですし、
申し訳ないです。
僕自身は、一人でも来てくださったら、
心をこめてメッセージを伝えようと思っています。
そして、全盲の著者を迎えてのサイン会なんて、
さすがに京都らしいなと、
豊かな気持ちになっているのも事実です。
HPを読んでくださっておられる方々で、
時間の都合のつく方は、
どうかお越しください。
宜しくお願い致します。
(2013年3月10日)

いかなごの釘煮

「あのう、いかなごの釘煮、食べはりますか?」
別件の用事の電話の後、
彼女はそっとささやいた。
いかなごの釘煮は、阪神地域の郷土料理で、春を知らせるものだ。
瞬時に、彼女が、僕に春をプレゼントしようとしてくださっているのがわかった。
「ありがとうございます。」
僕は素直に返事して電話を切った。
早速、頂いたいかなごの釘煮でごはんを食べた。
わざと、他のおかずはなしで、
ただ、炊き立ての白いごはんといかなごを食べた。
おかわりをして食べた。
春の柔らかさと、彼女のやさしさが、
しみじみと、口中に広がり、身体中に拡散した。
彼女は、僕より年上で、人生の先輩だ。
ただ、失明は、僕が先輩になる。
経営者として頑張っていた彼女に、
失明の不安が訪れた頃、
僕は彼女に出会った。
僕がそうだったように、
失明ということでは、少し前を歩いている僕と出会うことで、
彼女はほんの少し、ほっとしたらしい。
それから、10年近くの歳月が流れ、
確かに、彼女の目は、だいぶ悪くなった。
でも、例えば点字を読むことも、
彼女は僕よりも上手になった。
しっかりと前を向いて、経営者としてバリバリ頑張っていた頃と、
何も変わらない生き方をしておられる。
大阪と京都を行き来しながら、
仲間や後輩達のために、心血を注いで活動しておられる。
その姿勢には、自然に頭が下がる。
今度は、彼女に出会ってほっとする人がいるに違いない。
「ごちそうさまでした。」
僕は合掌して、声を出した。
(2013年3月9日)

心も春!

地下鉄四条駅。
階段の終わりまでもう少しというところで、
ホームに入ってくる電車の音が聞こえ、
僕の乗る予定の電車であることもアナウンスで確認できた。
僕がホームに着いた時には、
既にドアが開く音がして、
お客さんの乗降が始まっていた。
ここで急ぐのは、僕達には危険、
僕は、乗車をあきらめて、動きを止めた。
その瞬間、
「国際会館方面?」とマスク越しのおじいさんの声がした。
僕が返事をすると同時に、
おじいさんは僕の手を自分の肘に誘導して、
急いで動き始めた。
無事電車に乗ると、おじいさんは僕の手をとって手すりをつかませてくださった。
それから、すぐに離れられたので、
僕は御礼を言うことはできなかった。
つまり、見失ったのだ。
電車が次の駅に着き、僕は予定通り下車した。
ホームの点字ブロックの上に立ち、
僕は後ろを振り返ってきおつけをして、
深く頭を下げた。
おじいさんがいなければ、僕は一本後の電車になって、
予定の会議に遅刻していただろう。
おじいさんがこちらを見てくださっているかは判らないけれど、
自然にそういう動きになった。
それから、東西線に乗り換えるために、
エレベーターに向かった。
エレベーターに乗って、
行き先ボタンを探そうとしたら、
「東西線ホーム?」、
今度はおばあさんの声だった。
はいと返事をする僕に、
「今日はあたたかいね。」
おばあさんは挨拶をくださった。
「春ですね。」
僕は返した。
たった数秒、僕達はエレベーターの中で微笑んだ。
ホームに着いて、行き先を尋ねてくださった。
同じ方向だった。
おばあさんは、僕を手引きして電車に乗り、
空いてる席に座らせてくださった。
僕は、そっと、ありがとうカードを渡した。
ありがとうカードの表面には、
声をかけてサポートしてくださった人への感謝の言葉が印刷してある。
裏面には、ホームページの案内もある。
「ホームページがあるの?今度見てみるわね。」
僕はつい、「えっ!」と言ってしまった。
おばあさんは小声で、
「73歳」と打ち明けて笑った。
そして、「このカード、心があたたまるね。」
電車が市役所前駅に着いた。
おばあさんは、ドアまで誘導して、
僕を見送ってくださった。
僕は、手を口元につけて、
「心も春!」と叫んだ。
おばあさんの笑う声が聞こえた。
ドアが閉まった。
昨日、さわやかな若者の声を書いたけど、
そのせいかなぁ。
今日は、素敵なおじいさん、おばあさんの声でした。
やさしさに、年齢はないってことですね。
(2013年3月8日)

僕が見えなくなった頃、
見える人、見えない人、見えにくい人、
たくさんの人からエールをいただきました。
その中に、先天盲の彼女もいました。
彼女のさりげないやさしさに、
僕はいやされました。
四季の花を育てるのが趣味の彼女は、
生き生きと暮らしておられました。
その彼女が、
新刊「風になってください2」を読んで、
メールをくださいました。
人間の強さ、弱さ、美しさ、
僕は、やっぱり、彼女に会えて良かったと思いました。
そして、ささやかだけど、
こうして発信しながら、
未来に向かわなければと、
強く思いました。

先天盲の先輩から届いたメール

「風になってください2」の点字版を
いっきに読ませていただきました。
だれにでも理解できるやさしいことばでつづられていて
納得しながらいっきによみました。
読みすすむにつれて   みたい、見たい、その思いがつのる いっぽうでした。
見た記憶さえないわたし、画像を思い描くことさえできない ひんじゃくな感性
しかもちあわせない、 言葉をとおしてしかものごとを判断できない80パーセン
トではすまないげんじつ。
でも もう 明日にはそれも忘れてこれがあたりまえのじぶんとしているでしょう。
一人でも多くのかたがたにこの本の重いがとどきますように。
ますますのご活躍を祈ります。

松永からの返信メール

いつもありがとうございます。
もし、僕に魔法がつかえるなら、
あなたにいっぱいのものを見せてあげたいです。
本当に、見せてあげたいです。
でも、それとは無関係に、
あなたの感性の豊かさは、
僕が知っていて、素敵だなと思う見える人達と、
何も変わりません。
そして、そのあなたの人間としての品位が、
見えなくなって間もない頃の僕に、
勇気をくれました。
今更ながら、感謝します。
そして、本を読んでくださって、
メッセージをくださって、
心から感謝致します。

(2013年3月7日)

さわやかな声

打ち合わせなどが遅い時間までなったので、
友人が四条烏丸まで車で送ってくれた。
「いつもの場所」という説明を聞いて、
僕は四条通り西南側をイメージしながら車を降りた。
バス停の前あたりのはずだ。
ところが、何か雰囲気が違った。
バス待ちの人もいないみたいだし、
何より、盲導鈴の音がしない。
駅や公共施設、いろんな場所で、キンコーンと鳴っている音、
あれは、僕達に入り口を教えている音で、
盲導鈴(もうどうれい)という。
しばらく考えて、車が烏丸通り北東側に停車したことに気づいた。
確かに、そこで下車したことも幾度もある。
友人は、僕が車を降りる直前、
和服の女性が何か配っていることを教えてくれていた。
料理屋さんのチラシかなと話していた。
その和服の彼女がいるに違いないと思った僕は、
「阪急電車につながる階段を教えてください。」と声を出した。
近くで返事がして、
着物の袖が手に触れた。
彼女に捕まって、歩き出そうとした瞬間、
「阪急だったら、一緒にいきましょう。」
若い二人連れの女性の声だった。
「お願いします。」
彼女達の手引きで、僕は何の問題もなく駅まで行き、
同じ経路の一人と一緒に電車に乗った。
大阪まで帰る途中の女子大生だった。
僕達は、普通に、とりとめもない話をした。
途中の駅で、ドアが開く時など、彼女はそっとそれを僕に伝えた。
僕は、お礼を言って、桂駅で下車した。
「お気をつけて。」
さわやかな声が、背中でささやいた。
昨日は、午前中の小学校での授業を終えて、
年に数回しか使わない九条駅で迷子になった。
階段を見失ってウロウロし始めた僕に、
「手伝いましょうか?」
若い男性の声だった。
彼は、僕の目的の駅の二つ手前の駅へ向かう途中だった。
彼の手引きで、階段を降り、ホームに着いた。
電車が到着するまでの数分間、
僕達は、とりとめもない話をした。
電車に乗ると、
彼は空いている席に僕を座らせて、
自分が降りる予定の駅まで僕の前で立ったまま過ごした。
ここにも、さりげないやさしさがあった。
「お先に失礼します。お気をつけて。」
彼の声もさわやかだった。
迷子になって、なかなかサポーターを見つけられない日もある。
でも、ほとんどの日、こうしてやさしい人達が助けてくれる。
その度に、僕は幸せになる。
たくさんのやさしさに出会える人生、自然に豊かになっていく。
僕は、見えている頃、見えない人のサポートなんてできなかった。
後悔している。
さわやかな若者達の声、素敵だなと思う。
(2013年3月7日)

手を振った

深夜の駅前の歩道橋、
僕はタクシー乗り場に急いでいた。
ふと、僕の右ななめ後ろに、人の気配を感じた。
気配は、僕に寄り添うように、僕に歩調を合わせた。
歩道橋の突き当たりの階段にさしかかろうとした時、
「階段です。気をつけてください。」
僕は、微笑みながら、
「ありがとうございます。」と返した。
「松永さんですよね。小学校の時に話を聞きました。」
彼は、21歳になっていた。
彼は、僕の記憶を呼び覚まそうと、学校名と担任の先生の名前を告げた。
「本屋さんで、松永さんのポスターに気づいて、新しい本を買って読みました。
まさか会えるとは思っていなかったので、変なタイミングの声かけになってすみ
ませんでした。」
彼は、小学校で出会ったあの日から、点字ブロックの上に自転車を停めていない
ことと、何人かの白い杖の人に声をかけたことを、僕に話した。
10歳の時の決心を、彼は守り続けていた。
そして、一生続けると、また、僕に誓った。
少ない数の言葉だったが、
やさしさに満ちた言葉だった。
彼の手引きで、タクシー乗り場まで行き、
タクシーに乗り込んだ。
僕は、ドアの向こう側に向かって、手をふった。
向こう側は、いつもの、灰色一色の世界だった。
でも、とても暖かな、美しい世界だ。
サングラスの奥に、暖かなものが湧き出した。
行き先を告げると、タクシーは動き始めた。
僕は、そっとハンカチで顔を拭いて、
深呼吸をした。
先日の小学校の研究会での先生方とのやりとりが蘇った。
何か問題が起こると、作られていく世論が、徹底的な攻撃をする。
これでもかと、うちのめす。
心優しき人達は、言葉を飲み込み、
嵐に耐える。
21歳の青年、彼が10歳の時に、
担任の先生と僕は、未来への種蒔きをした。
僕が出会った多くの先生方は、
教育に信念を持ち、子供達に深い愛情を注いでおられた。
10年経って出てくる答えもあるのだ。
いや、一番大切な答えは、
それぞれの人生の最後の日に出るのかもしれない。
素敵な先生方、ありがとうございます。
(2013年3月2日)

春姫

冬の終わりになると、
キンカンが届く。
小学校時代の友人が届けてくれるのだ。
彼女は、阿久根小学校で同級生だった。
それ以後、どんな人生だったのか、僕は知らない。
2005年に、僕の著書「風になってください」が鹿児島県の新聞で紹介され、
たまたまその記事に気づいて連絡をくれたのだ。
当たり前だが、お互いに48歳になっていた。
今ではメールでのやりとりだが、
最初の連絡は、点字の手紙だった。
この年齢になると、お互いに口には出さないが、
人生の大切なものを、それぞれに学んできたのだろう。
根底にあるのは、ひとつだけ。
「生きているって、素晴らしいよね。」
いつの頃からか、冬の終わりに、
彼女からキンカンが届くようになった。
「春姫」というブランド名のキンカンだ。
大粒のキンカンをかじると、
口一杯に、甘酸っぱい早春がひろがる。
不思議なことに、口の中で、
だいだい色を思い出し、太陽の光を感じるような気がするのだ。
愛おしい季節、春はそこまで。
(2013年2月25日)