友人に手引きしてもらって、
四条河原町の地下道を歩いていた。
新京極商店街にある喫茶店に行く途中だった。
階段の手前で、突然呼び止められた。
「松永さん。!」
彼女はニコニコしていた。
僕は、こんにちはと言いながら、誰か尋ねた。
どこかで講演を聞いたとか、本を読んだとか、
週に一人か二人はそんな人に出会う。
「松永さんは私のことは知りません。テレビで見て憶えていました。
だから、ただ、声をかけてみました。」
僕はとってもうれしくなった。
幾度かテレビに出演したりしたことがあるが、
直近でももう5年くらい前だと思う。
とても長い時間が流れているのだ。
映像の力って凄いなと思ったし、
声をかけようと思ってくださったのは、
きっといい番組だったということだろう。
あらためて、番組作りに関わってくださった人達への感謝の気持ちが溢れてきた。
文字にしても、映像にしても、
前を向いてメッセージを発信していくこと、
とても大切な未来への種蒔きだ。
これからも、僕にできることを、コツコツと続けたい。
それにしても、すぐに判ってもらえたということは、
5年経ったけど、
そんなに風貌は変化していないってこと?
やったぁ!
髪の毛を洗うたびに、触覚が老いを伝えてくれるものですから。
(2013年9月8日)
5年
コオロギ日誌
僕が飛び乗ったおっちゃんは、
白い杖を持って、リュックサックを背負って、サングラスをかけていた。
ちょっと変な格好だった。
普通の人間は僕に気づくとすぐに振り払ったり捕まえたりするのに、
おっちゃんは無頓着だった。
おっちゃんは、僕のことなど気にせずに、
白い杖で道を確かめながら歩いていた。
そして、ライトハウスという建物の地下に入った。
そこにはおっちゃんと同じように、
白い杖を持った人間が何人もいた。
フェニックスの会議だと言っていた。
その人達も、僕を捕まえたりはしなかったし、
まるで無視しているようだった。
会議の前に、それぞれの参加者が、
近況報告を話し始めた。
みんな笑顔で話していた。
みんな幸せそうだった。
フェニックスが何なのか判らないけれど、
不思議な絆を感じた。
それからの会議は、
みんなが一生懸命話していた。
会議の後には、忘年会の日取りも決めていた。
僕が飛び乗ったおっちゃんは、
「その日、空いていたかなぁ。」
小声でつぶやいた。
その時、白い杖を持っていない別のおっちゃんが近づいてきた。
「松永さん、服にコオロギがいますよ。」
そのおっちゃんは、僕を捕まえて、
外に放り出した。
それにしても、僕が飛び乗っていたおっちゃんは、
僕の存在に最後まで気づかなかったということは、
よっぽどの鈍感なんだなぁと思った。
帰ったら、仲間に教えてあげよう。
飛び乗る時は、白い杖を持った人間を選べばいいよって。
みんな鈍感だし、やさしそうだからって。
(2013年9月5日)
キラキラの女子中学生
今日はハードなスケジュールだった。
午前中に、宇治市にある専門学校のオープンキャンパスで授業をして、
終わるとすぐに、
電車で市内へ向かった。
御所の近くのホテルで、先輩の受賞祝賀会に出席し、
終了後は、そこから知人との待ち合わせ場所までタクシーで移動した。
無事打ち合わせを終えて、
18時半からのボランティア講座に間に合うようにバスに乗車した時には、
さすがに疲労を感じていた。
バスは結構の人だったので、
僕は乗車口のところで、
近くの手すりを持って立っていた。
バスが動き出してすぐに、
「前の座席が空いているけど、座りますか?」
やさしい声がした。
僕はお礼を言いながら、バスの前方に移動を始めた。
「座席は段差がある場所だけど、大丈夫ですか?」
その声で、中学生くらいだと判った。
僕が座席に座ると、四人組の女の子達は挨拶をしてくれた。
以前、小学校の時に僕の講演を聞いてくれていた彼女達は、
中学生になっていた。
バスケット部の練習試合の帰りだとのことだった。
目的地までのバスの車内、
彼女達のキラキラした弾む声が聞こえていた。
僕はふと、自分の中学時代を思い浮かべた。
障害を持った人に声をかけてサポートをするなんて、
その当時の僕には、決してできないことだった。
彼女達の屈託のない笑い声を聞きながら、
疲れがとれていくのを感じた。
いや、元気が出てきた。
キラキラしている彼女達がつくってくれる未来は、きっとキラキラしているだろう。
これから始まるボランティア講座でも、しっかりと未来を見つめて話をしたいと思った。
「ありがとう。」
僕は心をこめて、
彼女達にお礼を言ってバスを降りた。
(2013年8月31日)
スカイツリー
7時20分、京都駅新幹線ホームから見上げた空は、
真夏の頃よりも少し高くなっていて、
ほうきで掃いたような薄雲があった。
10時過ぎ、高田馬場の駅前を歩きながら見上げた空は、
真っ青だった。
終日の会議が終了して、
次の打ち合わせに錦糸町まで移動した。
同僚は、僕の人差し指を持って、
スカイツリーのてっぺんを教えてくれた。
18時くらいだったはずだから、
まだライトアップもしていなかった。
夕闇までにも、少し時間があったのかもしれない。
僕の脳裏には、
真っ青な空に突き刺さるようにそびえる634メートルのスカイツリーが浮かんだ。
勿論、見たことはないのだから、記憶もあるはずがない。
でも、不思議なことに、
なんとなく浮かんだ。
特別に見たいというような感情でもない。
これまでのいろんなニュースなどを聞きながら、
いつの間にか想像していたのだろう。
小さな秋が始まった季節に、
真っ青な空を背景にしたスカイツリー。
今日の僕の絵日記に残るのだ。
携帯にもデジカメにも残ってはいない。
実際の映像とはかなり違うのかもしれない。
でも、大切なことは、絵日記に絵があるということ。
自分では見つけられないものを、
教えてくれる人がいるということ。
人間同士だからできるということ。
ちなみに帰宅は、23時を過ぎていました。
日帰り東京はしんどいなぁ。
(2013年8月29日)
講演会の企画
秋田から、岡山から、鹿児島から、
ほとんど同時にメールが届いた。
地元で、僕の講演会を模索しているとの内容だった。
メールをくださったのは、親戚でもないし幼馴染でもない。
たまたま、僕の著書「風になってください」を読んでくださった人だ。
今更ながら、活字の力に驚いている。
人間っていいよな。
見も知らぬ他人の人生に思いを寄せて、
一緒に喜んだり、笑ったり、
励ましたり、応援したりできる。
それぞれの地域での講演会が実現するとかしないとか、
それは結果であって、どっちでもいいと思っている。
そこに向かうプロセスが、
僕達へのエールだ。
今朝の京都は、この二日間の雨のせいか、
爽やかな風が、秋が生まれ始めていることを教えてくれている。
僕の心の中にも吹いている。
夏もあともう少し、頑張るぞ。
(2013年8月26日)
お月様
満月がきれいだと、見えている友人からメールが届く。
しかも、複数の友人から届くから不思議だ。
お月様には、きっと、何か力があるのだろう。
子供の頃、遊び疲れて帰る時、後ろを振り向くと、大きなお月様がいた。
しばらく歩いて、突然振り返っても、やっぱりいた。
急に走り出して、突然止まって、
振り向くと、やっぱりいた。
知らん顔してのんびり歩いて、そっと振り返っても、やっぱりそこにお月様はいた。
お月様が、どうしてついてくるのか、不思議でならなかった。
思い出せば、あの頃、豊かな時間だった。
お月見の夜は、一升瓶にススキを活けて、
ボタ餅を飾って・・・。
今度の満月には、のんびりとゆっくりと、お月様でもながめながら、
ボタ餅でも食べようか。
(2013年8月21日)
夏休みの自由研究
僕のエッセイを読んでくれた小学生の男の子は、
自分が暮らしている鳥取の町が、
目の不自由な人にとって暮らしやすい町なのか、
どんな人にも優しい町なのか、
いろいろ調べたらしい。
駅の案内図や階段の手すりの点字に気づいたり、
エスカレーターなどの音声案内に納得したり、
駅員さんや交番のおまわりさんにも話を聞いたり、
いろんな角度で勉強したとのことだった。
社会科の自由研究として親子で取り組んだ姿に、
この親子のやさしさと、親子で見つめる未来への希望が、
報告メールの文面にあふれていた。
まだ会ったこともないこの親子が、
僕には、とても大切なともだちに思えた。
途中、少年は突然、階段の前で目を閉じて、
恐る恐る動いたらしい。
人間の持っている力の中で、
とても素晴らしいもののひとつが、
イメージするということなのだろう。
想像するとか、相手の立場になるとか、
思いを寄せるとか・・・。
その結果、誰かにエールをおくったり、
応援したりお手伝いをしたり、
そういう行動につながっていくのだろう。
そう考えると、やっぱり人間ってすごいよなぁ。
僕の小学校時代の自由研究の思い出、
夏休みの終わる数日前に草花を採取し、
押し花にして提出した。
担任の先生が、
「まだ生きてるね。」
そうそう、とにかくたくさんの宿題に追われて、
そこまではイメージできなかったんだなぁ。
50年くらい前の松永少年の恥ずかしい思い出です。
(2013年8月16日)
テストの成績は良くない青年
突然、携帯電話が鳴った。
ついこの前のガイドヘルパー講座を受講した青年からだった。
彼は、介護福祉士を目指していて、
専門学校で僕の授業を受けた。
コンビニでアルバイトをしている彼にとって、
講座の受講料は決して安いものではなかったと思うが、
それでも、ガイドヘルパーの勉強をしたいと思ったとのことだった。
元々、学校の試験の成績も良くはなかったし、
講座の途中にも、幾度か先生方の注意も受けた。
最後までついてこれるか、少しは不安もあった。
でも、最終日に、僕は彼とたまたま歩いたが、
どんどん上達していっているのが判った。
一生懸命にやっているのが伝わってきた。
「僕、今日駅で、とても勇気がいったけど、
生まれて初めて、白い杖を持った人に声をかけて、
ちゃんと手伝いができました。
ありがとうと言ってもらえました。」
電話の向こう側には、照れくさそうに話す青年がいた。
小学校の頃から剣道をやっていたという、とても大きな体格の青年の、
体格には似合わない小さな声の少しの言葉が
青年の誠実さを伝えていた。
決して饒舌ではないけれど、受話口から、彼の素直な喜びがこぼれていた。
「僕も、いろんな人に助けてもらっているけど、本当にうれしいんだよ。」
僕は、彼にお礼を言って、電話を切った。
当たり前なんだけど、
学校の成績と人間の豊かさは無関係だと、
つくづく思った。
そして、僕がいつか老人ホームに入所したら、
彼のような人に介護して欲しいなと思った。
(2013年8月14日)
オッサンひまわり、2本!
最近も幾度か、この道を通った。
一人で通ったこともあるし、
見える人と一緒のこともあった。
でも、今日まで知らなかった。
それが、見えないということなのだろう。
彼は、わざわざ道の端に移動し、
僕の手をひまわりの花に触らせた。
葉っぱにも触らせた。
うれしそうに触らせた。
そして、道路の両脇に百本くらいはあるかもしれないと告げた。
彼が先日、一人でこの道を通った時にひまわりに気づき、
今度僕に教えてあげようと思ったとのことだった。
溶けてしまいそうな暑さの中、
僕の脳裏に、ズラリと並んで咲きそろった黄色のひまわりが蘇った。
照りつける太陽が、ひまわりとおそろいだった。
当たり前なんだけど、夏だと感じた。
うれしくなった。
101本目のひまわりが笑った。
うれしくなった僕の顔を見て、
彼は笑った。
102本目のひまわりが笑った。
幸せそうに笑った。
(2013年8月13日)
学生からのメッセージ
三日間の講座の後の反省会、
視能訓練士の資格を目指している学生達は、
それぞれの言葉で、思いを語った。
どの学生も、新しい発見にときめき、学びを深めているのが伝わってきた。
講座には、実際の視覚障害者が何名も関わった。
共に過ごした時間には、
専門家としての将来に、
しっかりと気持ちをととのえた一瞬があったのかもしれない。
一人の女子学生は、声を震わせながら、時々詰まりながら、
僕達に、そしてクラスメイトに語りかけた。
「見えなくなった人達は、暗い人だと思っていた。
今回、生まれて初めて、実際に見えない人、とても見えにくくなった人達とコミュニケーションをとることが出来た。
きっと、しんどかった時期があっただろうけどそこを越えて、
それぞれが、とても明るく生きておられるのを、
かっこいいと感じた。
そして、いつか私も、誰かに笑顔や勇気を届けられる医療スタッフになりたい。」
こみあげるものを、必死に抑えながら、
最後までしっかりとメッセージを伝えた彼女を、
僕は心から、かっこいいと思った。
(2013年8月9日)