バス停から桂駅へつながる陸橋で、
老朽化の補修工事が始まった。
点字ブロックも新しく敷設されるとのことで喜んでいる。
でも、工事中は大変だ。
いつもと違う道筋というだけで、エネルギーが要る。
今日も、朝のラッシュ時に通過することになってしまった。
案の定、迷子状態になった。
ウロウロしはじめた僕に、バスを待っていた女性が声をかけてくださった。
そして、陸橋を回避して、エスカレーターまで手引きしてくださった。
彼女のお陰で、無事通過できた。
エスカレーターに乗った僕の背中に、
「お気をつけて。」
朝が似合う彼女の声が届いた。
ギューギュー詰めの電車が河原町駅に着いた。
ホームを歩き始めた僕に、
今度は学生っぽい男性の声がした。
「改札口までご一緒しましょうか?」
僕はすかさず、彼のヒジをつかんだ。
慣れないけれどと言いながら、彼は上手に手引きしてくれた。
階段を上りながら、
「面白い腕時計ですね。」
彼がつぶやいた。
電車の中で、僕が触針の腕時計を触っているのを見ていたとのことだった。
「面白いでしょう。」
僕も笑った。
改札口を出て、通行人の邪魔にならない場所に彼が誘導してくれた。
「ありがとうございました。」
お礼を言う僕に、
彼は「また。」と言ってくれた。
それから僕は、待ち合わせていた友人と小学校の福祉授業に向かった。
10歳の子供達と過ごす時間は、
僕にとっても極上のひとときだ。
「人間の世界にはね、やさしい人がいっぱいいるんだよ。
そういう人達にお手伝いしてもらいながら、僕は毎日生活しているんだ。
数え切れない人が手伝ってくれたけど、僕は誰の顔も知らないんだからね。
不思議だよね。」
未来への種蒔きを終えて、帰路に着いた。
四条河原町の交差点にさしかかったところで、
人波の中から、突然少年に呼び止められた。
「松永さん、小学校の時に話を聞きました。」
彼は17歳になっていた。
特別な用事ではなくて、ただ自然に話しかけたという感じだった。
「頑張ってください。」
彼は気恥ずかしそうに、でもしっかりと僕に話した。
雑踏の音に負けないように、しっかりと話した。
僕は手を差し出した。
握手した彼の手には指輪があった。
彼と別れてから、
僕に同行した友人が驚いたようにつぶやいた。
「人って見かけによりませんね。」
繁華街でたむろしていた少年は、
大人達が眉をひそめるような、いわゆる、不良っぽい格好だったとのことだった。
「見かけは、僕には判らないからね。皆いい人だよね。」
僕は笑った。
(2013年11月8日)
見かけ
ラジオ
今朝のラジオの番組で、
ヒロ寺平さんというパーソナリティの方が、
今年初旬に出版された僕の著書、
「風になってください2」を紹介してくださった。
その番組を聴いていたリスナーから、
僕にメールで連絡があって、そのことを知った。
僕は、朝からうれしくなった。
ヒロさんは、出版直後に、
やっぱり、番組で紹介してくださった。
有名な番組の有名なパーソナリティの方で、
大きな影響があったと思う。
しかもその内容は、やさしさに溢れていた。
僕は素直にうれしかった。
あれから数ヶ月の時間が流れた。
数え切れないほどの情報と向かい合って仕事をしているヒロさんだから、
まさか、ささやかな僕の本を記憶にとどめてくださっているとは思わなかった。
僕は、出かける前のわずかな時間で、
感謝のメールを書いておくった。
それから残っていたコーヒーを啜って、
服を着替えて出かけようとした時、
ラジオから、さっき僕が送ったメールの朗読が聞こえてきた。
ヒロさんの声だった。
「つながっていますね。」
彼のメッセージが付け加えられた。
僕は目頭が熱くなった。
僕はヒロさんとお会いしたことはない。
たまたま縁があって、
僕の本を読んでくださったというだけなのだ。
2004年に出版した「風になってください」が、
一万冊を超えている。
本を出せたこと自体が、
いろいろな人の思いにささえられたものだったが、
書いた僕自身も含めて、
誰も、こんなに読んでもらえるとは思っていなかった。
たくさんの人達が、
エールを送ってくださった結果なのだ。
それがこうして、2にもつながった。
さわやかな風が吹いている。
静かに、ずっと吹いている。
やさしいやさしい風だ。
そして、風に背中を押されながら、
僕は生きているのだ。
(2013年11月7日)
盲人の勘
近所の道を歩いていたら、
突然人にぶつかった。
何の気配も感じなかった。
僕は、すぐに謝った。
同時に、おじいさんも、
「鼻、かんでたんや。」と振り返って笑った。
僕と同じ進行方向で、立ち止まって、鼻水を拭いておられたのだろう。
僕は、怒られずにすむと、ほっとした。
「あんた、時々見かける人や。ほんまに見えてへんのかいな。
いつも上手に歩いているから、ちょっとは見えてはんのやろ。」
僕は、全然見えていないことを伝えた。
「じゃあな。なんで団地の出口の階段がわかるんや?」
あきらかに、疑いの声だった。
僕は、どう説明しようかと迷ったが、
とっさに、横の壁を白杖で触りながら数歩動いた。
「こうやって歩けば、入り口で杖が中に入るからわかるんですよ。」
「へぇっー、うまいことやるなぁ。」
おじいさんは、感心しながらすぐに納得してくださった。
そして、
「飯食うのは不便ないか?」
と尋ねられた。
僕は、食事の様子を説明した。
それから、買い物はどうするのかと、電話はかけられるのかとの質問が続いた。
僕は、バスの時間が気になっていたが、
きちんと答えた。
そして、ちょっと間が開いた瞬間を狙って、
「これからどこに行かれるのですか?」と逆に質問した。
しばらく沈黙が流れて、
「鼻かんだら、忘れてしもうた。」
おじいさんが笑った。
僕も、笑った。
「おじいさん、時間はあるようだから、ゆっくり考えはったらいいですね。
僕、これからバスに乗るので、先に行きます。」
僕は頭を下げて、歩き出した。
10メートルくらい歩いたところで、
おじいさんの鼻声がひどかったなと思った。
そして、リュックサックにあるティッシュを思い出した。
僕は戻って、
おじいさんにティッシュを渡した。
「助かるわぁ。ありがとさん。
もうほとんどあらへんねん。でも、なんでティッシュがないってわかったんや?」
僕は、今度は立ち止まらずに、歩きながら振り返って答えた。
「勘ですよ。勘!、盲人の勘!」
おじいさんが、笑いながら答えた。
「ええ勘しとるわ!」
「ありがとうございます。」
僕も笑った。
そうです。
盲人の勘って、たいしたものなんです。
でもね、ええ勘してても、ぶつかることもあるんですよ。
(2013年11月3日)
色鉛筆のお知らせ
松永です。
このホームページを覗いてくださっておられる皆様に、
ご紹介したいものがあります。
僕達の仲間が動き始めようとしています。
是非、以下の案内を読んでいただき、
登録してください。
京視協発 メールマガジン「色鉛筆」創刊のご案内
京視協情報宣伝部より
「まだ見ぬ仲間へ声を届けたい」を大目標に掲げ、11月1日にメールマガジンを創刊することになりました。視覚障害を持った24人のライターが、それぞれの暮らしの一コマをカラフルにレポートします。
メールマガジン、メルマガとは、パソコンや携帯電話のE-メールを用いて、記事や情報を配信するサービスです。みなさんがお持ちのパソコンや携帯電話で受信して読むことができます。
月2回程度発行予定。見えない、見えにくい仲間が、肩のこらないありのままの言葉で語ります。当事者だけでなく、家族、医療関係者、支援者の方々、福祉を学ぶ学生さん等、どなたでも登録が可能です。
ぜひ、「色鉛筆」の読者登録をお待ちしています。
読者登録受付・お問い合わせ先
京視協事務所 担当 藤原 syomu2@nifty.com
誠実そうな声
午前中は、京阪淀駅の近くの小学校で、
PTAへの講演だった。
何とかなるだろうと、
一人で行ったのだが、
駅に到着して、トイレに行きたくなった。
知らない駅なので、構造などはまったくわからない。
僕は足音に向かって声を出した。
「トイレを教えてください。」
「少し遠いですが、このフロアにありますよ。」
声からして誠実そうな若い男性が、
足を止めてくれた。
そして、手引きで連れて行ってくれた。
朝の忙しい時間だったと思うが、
彼は気持ちよく手伝ってくれた。
多目的トイレに着いて、
僕は感謝を伝えた。
「お気をつけて。」
やはり、誠実そうな声だった。
講演の後、ホームページの読者という方と出会って、
一緒にランチした。
それから、午後の約束に間に合うように町家カフェさわさわへ向かった。
さわさわには、お客様の中に、ガイドヘルパー講座の受講生だった女性がおられて、
再会を喜んだ。
用事を終えて、
次の会議の場所への移動の準備を始めた時、
僕を待っている人がいることを、
スタッフが伝えてくれた。
さきほどの女性の学友だった。
僕がさわさわにいることを、
彼女がメールで伝えて、わざわざ来てくれたらしい。
僕の前に、誠実そうな若い男性が立っていた。
僕は、握手した。
短い言葉のやりとりに、
彼が、僕達にエールをおくってくれているのが伝わってきた。
見も知らぬ人達が、こうして応援してくださる。
人間って本当に素晴らしい生き物だ。
それにしても、誠実そうな声の男性、いいなぁ。
人は、自分にないものに憧れるが、
まさに僕はそうです。
誠実さが伝わる今日の二人の男性、
かっこいいなと思いました。
(2013年10月29日)
美術館
バス停まで送ってくれた学生が、
到着したバスが込んでいるのを教えてくれた。
僕は、学生にさよならを言いながら乗車して、
乗車口の近くの手すりを探そうとした。
でもすぐに、親切な女性が僕の手をとって、
座席まで誘導してくださった。
僕は、ありがとうございますと言いながら座った。
ありがとうカードを渡したいと思ったが、
座った時には、女性がどこにおられるかが判らなくなった。
あきらめていたら、
僕のななめ前から、さっきの女性の声が聞こえた。
僕の横に座っておられる女性との会話だった。
僕は、そっと、ありがとうカードをさしだした。
彼女は、「当たり前のことをしただけなのに。」と言いながら、
カードを受け取ってくださった。
そして、カードのデザインが素敵だと、お二人がほめてくださった。
それから、時々聞こえてくるお二人の会話は、気持ちのいい上品さが漂っていた。
濃茶とか、茶道らしき単語も多く、
バスを降りたら、デパートで和服を覗くような内容もあった。
お二人がどんな関係なのかは判らなかったが、
何かとてもあたたかかった。
お二人の会話の終盤に、京都市美術館での竹内栖鳳展の話が出てきた。
久しぶりに、美術館を思い出した。
見えている頃、毎年数回は足を運んだ。
絵画のセンスのない僕は、
見るのは好きだった。
旅先でも、美術館にはよく立ち寄った。
バックパッキングでヨーロッパをウロウロした時も、
お金がなくて、パンをかじりながらの旅だったけど、
アムステルダムのゴッホ美術館とか、
パリの印象派美術館には立ち寄った。
一番最後に行ったのは、東京駅近くのブリジストン美術館だったかな。
いろいろな絵画に接しながら、
のんびりとした時間が流れるのも好きだった。
今日行った小学校で、
「もし、いつか目が見えたら、何を見たいですか?」という質問をうけた。
「空も見たいな。窓からの景色も見たいな。君達の顔も見たいな。」
言い始めて、思いが心を揺さぶって、言葉が続かなかった。
医学も理解しているし、運命みたいなものも受け止めている。
でも、いつか見えたらなんて、
想像する自由くらいは、いつまでも大切にしたい。
いつか見えたら、美術館で、一日のんびり過ごします。
(2013年10月26日)
予感
地元の視覚障害者施設での打ち合わせを終えて、
桂駅に着いたのは昼過ぎだった。
駅へ向かうコンコースを歩いていたら、
「松永さーん、こんにちは!」
ももちゃんの声だった。
彼女と初めて会ったのは、彼女が中学生の頃だった。
視覚障害者のイベントに、
ボランティアで参加してくれた。
今は、3歳の子供のお母さん、
あれから15年が流れたのだ。
そして、こうして出会うと声をかけてくれる。
爽やかな笑顔は、中学生の頃から変わらない。
今日も、わざわざ逆戻りして、改札口までサポートしてくれた。
ありがとうカードを受け取って、
「10枚集めたら?」
「ランチでも行こうか。」
僕達は笑顔で別れた。
「今日はいい日になるな。」
そんな予感がした。
ホームで電車を待っていたら、
ご夫婦かなと思えるカップルの男性が、
すかさずサポートしてくださった。
決して慣れているとは言えないサポートだったが、
やさしさが伝わってきた。
烏丸駅で僕を降ろすと、
再び電車に乗り込んでいかれた。
僕は、心をこめて、ありがとうを伝えた。
地下鉄に乗り換えて、階段を降り始めようとしたら、
「今日は時代祭りで人が多いなぁ。大変だなぁ。」とつぶやきながら、
年配の男性が僕に近寄ってきた。
僕はまた、ヒジを借りてホームへの階段を降りた。
降りきったところで、
彼は近くにいた女子学生に、
「この人、丸太町までだから、手伝ってあげてね。」と僕を渡した。
女子学生達は、これまた気持ちよく引き受けてくれた。
僕はまた、丸太町駅のホームに降ろしてくれた彼女達にお礼を言った。
改札口を通ろうとしたら、
駅員さんが追いかけてきた。
「時代祭りで人が多いから、バス停までご一緒しましょうか?」
僕は、頭を下げながら、
「何とかなると思います。ありがとうございます。」
と返事して歩き出した。
辿り着いた丸太町のバス停付近はすごい人だった。
人波の中に、祭囃子が響いていた。
僕は一瞬、駅員さんのサポートを受けるべきだったと後悔した。
でも、結局、隣の男性が、
バスの接近を教えてくださって、
近くにいた係員が瞬時に僕を手引きしてバスに乗車させてくださった。
「階段がふたつ、まっすぐ前の座席が空いています。」
見事なプロのサポートだった。
今日の午後は、町家カフェさわさわで、新聞の取材だった。
僕は上機嫌で記者に話をし、カメラマンのカメラに笑った。
取材を終え、もう一箇所での打ち合わせを終えて、桂に向かった。
桂駅に着いて歩き始めたら、
また、「松永さーん!」
何度かバスで一緒になった方だった。
バス停まで歩きながら、
僕は幸せを感じていた。
バス停に着いて、
バスを待っている間、子供の声がした。
いつか行った小学校の児童だった。
僕は握手をして、
今日7枚目のありがとうカードを渡した。
彼女は、笑顔でおじぎをして、
ありがとうございますと言って立ち去った。
バスを待ちながら、
僕はふと、先日訪れた鹿児島県の小学校の児童の質問を思い出した。
「目が見えなくて、一人で歩いていて、
強盗にあいませんか?」
僕は答えた。
「テレビのニュースでは、こわい人がいるって言うよね。
それも本当かもしれない。
でもね、やさしい人の方が、はるかに多いんだよ。
僕が見えなくなって、一人で歩くようになって16年、
まだ一度も強盗には出会っていないよ。
助けてくれた人には、もう2万人以上出会ったよ。」
僕が見えている頃、こんなにやさしい人がいるとは思わなかった。
でも、事実なのだ。
僕はこの事実を、未来を担う子供達に伝えていかなければと思っている。
それにしても、今朝の予感、ばっちりでした。
(2013年10月22日)
メール
薩摩川内市を17時12分発の新幹線さくらに乗車した。
新大阪駅で在来線に乗り換えて、22時過ぎには帰宅した。
23時には、自宅でコーヒーを飲みながら、パソコンに向かっていた。
大学生の頃、寝台特急を利用したりしていたことを思えば、
故郷が、本当に近くなったと思う。
そして、開いたパソコンには、
昨日講演を聞いてくれていた高校生からメールが届いていた。
ホームページから届けてくれたのだ。
短い文章だったが、
思いが詰まっていた。
「また、松永さんの仲間を見かけた時は
勇気を出して、お手伝いしたいと思います。」
彼女の決意があった。
僕は、コーヒーと一緒に、
幸せを飲み干した。
講演の最中、当たり前なんだけど、
僕の前に画像はない。
聞いてくれている人達がどんな表情なのか、
僕には知る由もない。
ただ、祈るような気持ちで、思いをこめて語りかける。
一人でも二人でも、どうか届きますように、
僕の中のありったけの力をふりしぼる。
4日間で、8つの学校での講演だった。
それなりに体力も使い、疲労もあったと思う。
でも、たったひとつのメールが、
僕を癒してくれた。
「これからも応援しています。
松永さんの人生がこれからも
豊かなものでありますように。」
結ばれた言葉に、僕は心から感謝した。
やっぱり、人間って素晴らしい!
(2013年10月19日)
いつものホテル
いつものホテルでは、
3階のいつもの部屋が準備してくれてあった。
エスカレーターから一番近い部屋だ。
毎年同じホテルなので、部屋の位置関係なども記憶している。
朝、身支度をすませて、
2階の食堂スペースへ降りる。
エレベーターを降りて、
壁沿いに進んだ一番近い部屋に、
朝食の準備がしてある。
一般客は使用しない部屋だ。
本来はバイキングスタイルなのだが、
スタッフの方が、
見えない僕のために特別に準備してくださるのだ。
そして驚くことに、
この4日間、毎朝少しずつ内容が違うのだ。
ただサポートするというだけでなく、
おもてなしの心が伝わってくる。
僕は、自然に合掌し、いただきますとごちそうさまを唱える。
見えなくなって、様々な人達のさりげないやさしさに触れることが多い。
今日の講演でも、僕は子供達に伝えた。
「助け合えるって人間だけだよね。人間って素敵だよね。」
また、来年も元気で、このホテルに戻りたい。
(2013年10月18日)
行きずり
駅員さんのサポートを受けて、
僕は新大阪駅から、九州新幹線さくらに乗り込んだ。
駅員さんが、窓側の僕の指定席の説明をしようとされるのと同じたいみんぐで、
「荷物動かしましょうか?」
通路側の座席の女性の声がした。
その瞬間、僕はほっとした。
「ありがとうございます。」
僕は御礼を言いながら、座席に座った。
それを見届けて、駅員さんは降りていかれた。
「僕は目が見えないので、隣の席にいらっしゃるのが男性か女性か、
時には日本人か外国人かさえ判らないこともあるので、
声を出してくださって助かりました。」
僕は付け加えた。
「図々しい大阪のおばちゃんですから、大丈夫ですよ。」
彼女が微笑んだ。
僕達は、その流れで、いくつかの会話を交わした。
特別に意味がある内容でもない。
意味があるのは、交わすことができるということだった。
彼女が下車する福山のアナウンスが流れた後、
彼女は準備をし、
そして、僕に向かっておっしゃった。
「またいつか、どこかでご縁があったら。」
僕も、笑顔で答えた。
「ありがとうございます。」
人間同士、生の言葉っていいよなぁ。
最近よく、携帯電話の画面とコミュニケーションを取り続けている人達に出会う。
便利な道具を使っていた人間が、
どんどん道具に使われているのだ。
画面から目を離せば、
澄み切った秋の空があって、
可憐な花が咲いていて、
笑顔の人間がいるのに、
もったいないなぁ。
なんて言うと、
図々しいどころじゃなくて、
うるさいオッサンって言われるのかな。
(2013年10月14日)