ハグハグ

夕方の地下鉄京都駅、
雑踏の中で、僕は電車を待っていた。
「もしもし、松永さん!」
僕の腕にそっと触れながら、
まるで幼馴染みたいな感じで、一人の女性が笑った。
誰かなといぶかしそうに尋ねる僕に、
彼女は氏名と一緒に、
通っている高校の名称と、
そこの2年生、17歳であることを告げた。
小学校4年生の時に、福祉授業で僕の話を聞いたのだそうだ。
その時に、
いつか街で偶然出会って、
手引きをしようと決めていたとのことだった。
偶然が目標だったとのことだった。
今まで何度か見かけたけど、
ホームの反対側だったり、ガイドと歩いていたりで、
タイミングが合わなかったらしい。
7年越しの願いがかなったと、彼女は悪戯っぽく笑った。
そして勿論、今までも、他の視覚障害者数人に声をかけて、
手引きをしたと報告してくれた。
僕は素直に喜んだ。
一緒の方向だとのことだったので、
僕は彼女の手引きで電車に乗り、座席に座り、
楽しく世間話をしながら、四条駅に着いた。
そして、改札口に近づこうとした時、
彼女が白状した。
「松永さん、ごめんなさい。
本当はね、私の行き先は竹田で、逆方向なんです。
でもせっかくのチャンスだから、ここまできました。
ウソをついてごめんなさい。
ここから引き返します。
改札口の手前の点字ブロックの上です。
ここからは、慣れておられるから大丈夫ですよね。」
言い終わると、唖然としている僕に、
ハグハグと言いながら、彼女は突然抱きついた。
僕は一瞬、何が起こったかさえ判らなかった。
ハグハグが終わると、彼女は僕から離れて歩いていった。
そして数メートル先から、
呆然としている僕に向かって、
「松永さん、また会いましょうね!」
とこれまた結構大きめの声で叫んだ。
僕は、戸惑いながら言葉を捜したが、
何も見つからず、
結局、ありがとうと手を振った。
それから、一人で歩き出したのだが、
なんとも言えない恥ずかしさみたいなものが湧き出てきた。
悪いことをしたわけではないけれども、
誰かに見られていたんじゃないかとドキドキしていた。
改札口の駅員さんへのありがとうございますの声も、
いつもより小さかったし、
しばらくは、何となく下を向いて歩いた。
目が見えないオッサンに、
17歳の娘がハグハグする、
しかも駅の雑踏の中で平然と。
いいか悪いかは別にして、
彼女の心の中には、
差別はない。
きっと時代は、少しずつ、前に向かっているのだろう。
それにしても、思い出しても恥ずかしさが出るのは、
僕って、意外と小心者なんだな。
(2014年1月16日)

男子高校生

視覚障害者のガイドヘルパー講座の最終日、
三日間の講座を終えた二人の男子高校生が感想を述べた。
「最初はあまり気が進まなかったけれど、参加して良かった。
学んだことを、友達に伝えたい。」
「こんな勉強を、中学校や高校などで皆がしたらいいのに。」
それぞれの、飾らない短い言葉が、
参加した大人達の胸に響いた。
そしてそれは、見えない僕達と、見える彼らとの共感をあらわしていた。
遥か遠くにある未来、
見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる未来、
気が遠くなるほどの向こうにあるものなのかもしれない。
でも、本当に少しずつ、
きっとそこに近づいている。
握手をした時、高校生の笑顔を見ながら、
僕は確信した。
やっぱり人間って、助け合いたいと思ってしまう生き物なのだ。
(2014年1月14日)

みずいろの空

一日中雨が降っていた翌朝、
僕はタクシーに乗っていた。
もう雨は降っていなかったけれど、
どんな天候なのか判らなかった。
慌てていて、気持ちのゆとりもなかったし、
ニュースの天気予報も聞きそびれていたからだろう。
協会の新年祝賀式、10時半にはギリギリ間に合うかなというタイミングだった。
僕からは何も言わないのに、運転手さんは、
空いてそうな道を選んで行くとおっしゃった。
まるで、僕が急いでいるのをお見通しのようだった。
そして、交差点を曲がる時、
その場所と東西南北、どちらに曲がったかなどを、
これまた、そっと伝えてくださった。
きっと急いでくださっていたのだろうが、
そういうことも感じさせない運転のテクニックだった。
慌てていた僕の気持ちは、少しずつほどけていった。
ふと、右側のガラス越しのぬくもりに気づいた。
お日様だ!
「天気は回復したのですか?」
僕はそっと尋ねた。
「1時間程前に、ほとんど雲はなくなりました。
今は、一面のみずいろの空です。」
「ありがとうございます。」
教えてくださったこと、伝えてくださったこと、
説明してくださったことへのお礼の言葉だったが、
あえて理由を付け加える必要もなかった。
みずいろの空の下を、僕の乗った車が走った。
その後も、運転手さんは、ルート説明を続けられた。
タクシーが目的地に到着した時、
僕達はお互いに笑顔で、
「ありがとうございます。」を言い合った。
タクシーを降りて時間を確かめたら、
10時20分だった。
僕は数歩歩いて、そして立ち止まって、
空を眺めた。
みずいろの空を見ながら、深呼吸した。
そして、独り言をつぶやいた。
「ありがとうございます。」
(2014年1月10日)

極楽

湯煙の中を、手引きしてもらって歩く。
素っ裸の男二人、
笑いながら歩く。
見えなくなって行き難くなった場所、
いくつかあるのだろうが、
日常はあまり意識はしていない。
でも、見えなくなって行けなくなった場所はどこですかという質問があった時、
突然温泉を思い出したのは、やっぱり温泉は好きだということなのだろう。
いろんな湯船があったり、段差があったり、
その中を白杖で単独で歩くのは困難だ。
まして、素っ裸の他人がウロウロいると思うと、
白杖が当たったら申し訳ないという気持ちもある。
時々、温泉に行きたいなと思いながら、
指をくわえている現実があるのだ。
露天風呂もあったので、もちろん入った。
冷たい風が心地よい。
忘れていた極楽という単語を思い出す。
57歳になった。
本当の極楽まではもうちょっと時間があるだろう。
今年も頑張ろう。
(2014年1月7日)

平和

大晦日に白杖をきれいに拭いて、
新年を迎えた。
穏やかな新年だ。
あちこちの初日の出のニュースに接しながら、
こちらまで笑顔がこぼれた。
そして、ふっと気づいた。
どの風景にも
平和があるのだ。
当たり前のように、平和が存在しているのだ。
それはどんなに貴重なことなのだろう。
歴史は繰り返すというけれども、
繰り返してはならない。
僕が白杖で歩ける社会は、
これもきっと、平和の中にある。
大切なものを守るために、
大切なことを大切だと言い続けよう。
ささやかだけど、
今年も信念を持って、生きていきたい。
(2014年1月1日)

初雪

外は初雪だと、
友人からのただそれだけの短いメール。
僕はベランダに出て、
空に向かって手を差し出した。
微かに、雪らしきものが触れた。
ただ、なんとなくうれしくなる。
そして、記憶の中の雪が舞い踊る。
ついさっきまで、
コタツから窓の方を見ても、
画像は何もなかった。
灰色っぽいものが広がっているだけだった。
光さえも通さない一色の世界だ。
日常は、そんなことさえ忘れて生活している。
見えないという事実があるのに、気にはしていない。
人間って、結構タフな生き物だ。
たった一通のメールが、
寒がりの僕をコタツから引きずり出して、
ベランダに向かわせた。
冷たい北風の中で、
心があたたかくなる。
雪を触りながら、うれしくなる。
そして、あの雪のやさしい白を思い出す。
伝えてくれる友人がいるということ、
幸せなことだと思う。
(2013年12月29日)

聖夜

ゆっくりと聖夜が明けていく。
ラジオを聴きながら、
コーヒーをいれて、
香りの中の時間を楽しむ。
6時過ぎには予約のタクシーがくる。
それまでのわずかな時間だ。
今年幾度目の東京だろう。
帰りはまたきっと夜中になる。
手弁当での長時間の会議、
毎回クタクタになっている。
自分のためだったら、とっくにギブアップしているだろう。
僕でも、誰かの力になれるかもしれない。
その思いが、弱虫の心を支える。
ラジオから流れる「きよしこの夜」の歌声が、
なぜかやさしく僕を包む。
クリスマスって、やっぱりいいな。
コーヒーを飲み干して、さあ出発。
(2013年12月25日)

10万という数字

定休日のさわさわ、
忘年会の準備をしているところに、
突然友人が現れた。
何年ぶりだろうか、
僕達は握手で再会を喜んだ。
彼と出会ったのは、
もう15年くらい前だ。
失明、訓練、社会復帰・・・。
振り返れば、やはり険しい道のりだった。
社会復帰しようにも、見えなくなった僕を採用してくれるような場所はなかった。
僕は、夢企画という名称の会社を設立して活動を始めた。
手作りの名刺には、代表と書いたが、
僕一人しかいなかった。
視覚障害者に便利なグッズや、電化製品などを紹介したりしていた。
彼は、僕と取引に応じてくれた会社の社員だった。
リュックサックに商品を入れて持ち歩く僕の姿は、
きっと不思議なものだっただろう。
右手に白杖を持って、左手に荷物を抱えて歩く僕を、
彼は何度か車で送ってくれた。
どうせ会社に帰るついでですからという
彼の嘘は、とても有難かった。
数年後、僕はやっと給料をいただけるような仕事に巡り合い、
夢企画にピリオドを打った。
彼も、その後転職した。
見えるとか見えないとか無関係に、
生きていくって大変だなと思った。
握手しながら、
「やっと来れました。
松永さんのブログを見ながら、
いつかさわさわにも行こうと思ってたんです。」
相変わらずの、照れ屋の笑顔があった。
もうすぐ、ブログを見てくださった人の延べ人数が10万人になる。
同じ人が同じ日に複数アクセスしても、
1としかカウントしないようになっているので、
まさに実数だ。
一回きりという方もおられるだろうし、
週に一度という方もおられるだろう。
ひょっとしたら、ほとんど毎日という方もおられるのかもしれない。
10万のぬくもりが、僕を応援してくださっている。
幸せだと思います。
本当に、ありがとうございます。
夢企画の会社は終わりましたが、
僕の心の中の夢企画は生きています。
見える人も、見えない人も、見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる社会に向かうことが、
僕に与えられたミッションだと信じています。
(2013年12月22日)

手筒花火

寒風の夜の街、
料理屋さんを出てホテルまでの道すがら、
彼は足を止めた。
そして、道端のお店のディスプレイにあった、
縄で編んだ直径20センチ、長さ1メートルくらいの筒を僕に触らせた。
「豊橋は、手筒花火が有名なんです。」
うれしそうに説明してくれる彼の言葉には、
たくさんの視覚障害者に接してきた専門家としてのぬくもりがあった。
ガイドヘルパーに関わる人達の資質向上研修のために、
僕達は愛知県豊橋市に集まった。
僕は当事者として、彼は専門家として。
そして、同じ未来を見つめて頑張ることを誓った。
見えなくなっても、
社会に関わりたいと願う僕達と、
それを応援してくれる専門家と、
車の両輪みたいに動く時、
きっと時代は前に進むのだろう。
今朝挨拶された先輩は、
昔は、点字ぶろっくも音響信号も、
ガイドヘルパー制度もなかったとおっしゃった。
その中で、先輩たちは生き抜いてきたのだ。
受け継いだバトンをしっかりと握り締めて、
ほんの少しでも、
前に進めたらと願う。
(2013年12月16日)

鎌倉の思い出

「松永さん、お久しぶりですね。鎌倉の・・・」
電話の向こう側の声、
氏名を名乗られて、
記憶が蘇るのに数秒かかった。
でも数秒で、
数年前の、しかもお会いしたのはたった一度きりの彼女を思い出すことができた。
彼女は、鎌倉市の中学校の教師だ。
僕の著書「風になってください」を読んでくださり、
中学校の講演に招いてくださったのだった。
講演後、彼女と同僚の先生との二人が、
わざわざ休暇をとって、
僕を市内見学とドライブに連れていってくださった。
鎌倉大仏の参拝では、
大仏様を触らせてくださったし、
江ノ島では、波の音を聴きながら遊歩道を散策した。
露天のイカ焼きをご馳走になりながら、
豊かな光の中の爽やかな潮風を記憶しているということは、
きっといい天気だったのだろう。
京都から日帰りの慌しい行程だったはずなのに、
記憶ではスロウな時間が流れているのは、
潮風が運んでいたのどかさのせいなのだろう。
思い出をやりとりした後、
「道徳の研究授業で、著書の中のクリスマスブーツを使いたいと思っているので
すが、
許可をいただけますか?」
彼女が切り出した。
光栄ですと、僕は即答した。
著書が、山口県の高校の読書感想文の推薦図書になったことがある。
和歌山県立医科大学の入試問題として使用されたこともある。
音訳図書にしていいですかなどの問い合わせも、
いくつもある。
活字が、僕の思いをのせて、あちこちを旅している。
とても幸せなことだ。
読んで欲しいから書いたのだ。
活字も講演も、このホームページも、
見えない僕達と見える人達と、
共に暮らす社会を願っての発信だ。
大切なのは、読んでくださったことへの感謝、
聞いてくださることへの感謝、
見てくださることへの感謝だ。
今日も、これから京都の中学生に会いに行く。
感謝をこめて、未来の大人達へ語りたい。
(2013年12月13日)