10万という数字

定休日のさわさわ、
忘年会の準備をしているところに、
突然友人が現れた。
何年ぶりだろうか、
僕達は握手で再会を喜んだ。
彼と出会ったのは、
もう15年くらい前だ。
失明、訓練、社会復帰・・・。
振り返れば、やはり険しい道のりだった。
社会復帰しようにも、見えなくなった僕を採用してくれるような場所はなかった。
僕は、夢企画という名称の会社を設立して活動を始めた。
手作りの名刺には、代表と書いたが、
僕一人しかいなかった。
視覚障害者に便利なグッズや、電化製品などを紹介したりしていた。
彼は、僕と取引に応じてくれた会社の社員だった。
リュックサックに商品を入れて持ち歩く僕の姿は、
きっと不思議なものだっただろう。
右手に白杖を持って、左手に荷物を抱えて歩く僕を、
彼は何度か車で送ってくれた。
どうせ会社に帰るついでですからという
彼の嘘は、とても有難かった。
数年後、僕はやっと給料をいただけるような仕事に巡り合い、
夢企画にピリオドを打った。
彼も、その後転職した。
見えるとか見えないとか無関係に、
生きていくって大変だなと思った。
握手しながら、
「やっと来れました。
松永さんのブログを見ながら、
いつかさわさわにも行こうと思ってたんです。」
相変わらずの、照れ屋の笑顔があった。
もうすぐ、ブログを見てくださった人の延べ人数が10万人になる。
同じ人が同じ日に複数アクセスしても、
1としかカウントしないようになっているので、
まさに実数だ。
一回きりという方もおられるだろうし、
週に一度という方もおられるだろう。
ひょっとしたら、ほとんど毎日という方もおられるのかもしれない。
10万のぬくもりが、僕を応援してくださっている。
幸せだと思います。
本当に、ありがとうございます。
夢企画の会社は終わりましたが、
僕の心の中の夢企画は生きています。
見える人も、見えない人も、見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる社会に向かうことが、
僕に与えられたミッションだと信じています。
(2013年12月22日)

手筒花火

寒風の夜の街、
料理屋さんを出てホテルまでの道すがら、
彼は足を止めた。
そして、道端のお店のディスプレイにあった、
縄で編んだ直径20センチ、長さ1メートルくらいの筒を僕に触らせた。
「豊橋は、手筒花火が有名なんです。」
うれしそうに説明してくれる彼の言葉には、
たくさんの視覚障害者に接してきた専門家としてのぬくもりがあった。
ガイドヘルパーに関わる人達の資質向上研修のために、
僕達は愛知県豊橋市に集まった。
僕は当事者として、彼は専門家として。
そして、同じ未来を見つめて頑張ることを誓った。
見えなくなっても、
社会に関わりたいと願う僕達と、
それを応援してくれる専門家と、
車の両輪みたいに動く時、
きっと時代は前に進むのだろう。
今朝挨拶された先輩は、
昔は、点字ぶろっくも音響信号も、
ガイドヘルパー制度もなかったとおっしゃった。
その中で、先輩たちは生き抜いてきたのだ。
受け継いだバトンをしっかりと握り締めて、
ほんの少しでも、
前に進めたらと願う。
(2013年12月16日)

鎌倉の思い出

「松永さん、お久しぶりですね。鎌倉の・・・」
電話の向こう側の声、
氏名を名乗られて、
記憶が蘇るのに数秒かかった。
でも数秒で、
数年前の、しかもお会いしたのはたった一度きりの彼女を思い出すことができた。
彼女は、鎌倉市の中学校の教師だ。
僕の著書「風になってください」を読んでくださり、
中学校の講演に招いてくださったのだった。
講演後、彼女と同僚の先生との二人が、
わざわざ休暇をとって、
僕を市内見学とドライブに連れていってくださった。
鎌倉大仏の参拝では、
大仏様を触らせてくださったし、
江ノ島では、波の音を聴きながら遊歩道を散策した。
露天のイカ焼きをご馳走になりながら、
豊かな光の中の爽やかな潮風を記憶しているということは、
きっといい天気だったのだろう。
京都から日帰りの慌しい行程だったはずなのに、
記憶ではスロウな時間が流れているのは、
潮風が運んでいたのどかさのせいなのだろう。
思い出をやりとりした後、
「道徳の研究授業で、著書の中のクリスマスブーツを使いたいと思っているので
すが、
許可をいただけますか?」
彼女が切り出した。
光栄ですと、僕は即答した。
著書が、山口県の高校の読書感想文の推薦図書になったことがある。
和歌山県立医科大学の入試問題として使用されたこともある。
音訳図書にしていいですかなどの問い合わせも、
いくつもある。
活字が、僕の思いをのせて、あちこちを旅している。
とても幸せなことだ。
読んで欲しいから書いたのだ。
活字も講演も、このホームページも、
見えない僕達と見える人達と、
共に暮らす社会を願っての発信だ。
大切なのは、読んでくださったことへの感謝、
聞いてくださることへの感謝、
見てくださることへの感謝だ。
今日も、これから京都の中学生に会いに行く。
感謝をこめて、未来の大人達へ語りたい。
(2013年12月13日)

四天王寺大学

話を聞いてもらえるだろうか、
講演に出かける時、いつも不安はある。
そして、辿り着くところはいつも同じ、
一人でも二人でも伝われば、それでいい。
だから、思いをこめて話をしよう。
今日は、大学の教育学部の学生達に話をした。
当たり前なのだが、学生達の表情なんて判らない。
ただ、目前の灰色一色の向こう側に、
飾らず、気取らず、そのままの僕で語りかけた。
講演の感想を、帰りの電車の中で、
同行した友人に読んでもらった。
心が洗われるような気がした。
若者達のしなやかな感性は、
ただ頭で理解するだけでなく、
愛に満ちたメッセージを発信していた。
これまでの自分の行動や考え方に懺悔の言葉があり、
これからの生き方への誓いもあった。
知ったことを、周囲に伝えていくといううれしい提案もあった。
ありがとうの言葉が、ならんでいた。
僕は、その素直な言葉をうらやましく感じた。
素敵だと思った。
そして心から、ありがたいと思った。
人間は、誰かの力になりたいと思える。
誰かを笑顔にすることを、
自分の幸せと思える。
その思いが、成熟した社会につながっていくのだろう。
若者達が創っていく社会、楽しみだ。
(2013年12月10日)

目隠しのまま

8時半頃、家を出た。
バス停まで歩き、
しばらく待って、
西3号系統のバスに乗車した。
終点の桂駅西口でバスを降り、
そこから阪急電車で烏丸駅まで移動した。
阪急烏丸駅の改札を出て、地下鉄烏丸線の四条駅まで歩いた。
四条駅から、国際会館行きの地下鉄で烏丸御池駅へ、
そこで東西線に乗り換えて石田駅へ着いたのは10時だった。
小学校の先生との約束の時間は10時10分だったから、ばっちりだ。
迎えの車で小学校へ行き、子供達に話をした。
お昼くらいに小学校を出て、
まったくの逆コースで帰路についた。
桂駅に着いたのが13時半、駅前のラーメン屋さんで遅めのお昼にありついて、
帰宅は15時、久しぶりにお日様のある時間だった。
と言っても、お日様は見ていない。
僕にとっては当たり前なんだけど、
朝、家を出る時から、
ずっと目隠しをしたままで、
棒切れ一本で、
こうして帰宅するのだ。
我ながら、すごいなって思ってしまう。
「ほんまは見えてるんとちゃうん?」
こっそりつぶやいた子供の気持ち、
わからないでもない。
目隠しのままでも、人間、生きていけるよね。
凄いね。
(2013年12月9日)

不思議な言葉

紅葉の季節が過ぎ去り、
土曜日の朝の駅は、
また日常を取り戻していた。
ラッシュでもないけれど、それなりの込み具合を感じた。
僕は、到着した電車に集中力を高めながら乗車しようとした。
電車に足をかけたその時、
誰かが僕をつかんだ。
乗車に問題はなかったけれど、
いいタイミングだったので、
「手すりを持たせてください。」と頼んだ。
彼は、すぐ近くのベンチシートの一番端が空いていることを教えてくれた。
僕は座った。
その時、僕はもうすでに、彼の気配を見失っていた。
きちんとお礼を言いたいと思うのだけれど、
見えないってそんなこと、
相手がどこにいるかを特定するのは難しい。
僕は仕方なく、心の中で、ありがとうをつぶやいた。
電車が烏丸駅に到着して、ホームを歩き始めた時、
さきほどの男性の声がした。
僕は、肘を持たせてくださいと頼んだ。
一緒に歩き始めると、
「さっきは、つかんでしまってすみません。
やり方が判らなかったものですから。」
誠実そうな声だった。
「大丈夫ですよ。
貴方のお陰で、座席にも座れました。
師走の朝に座れるなんて、ちょっと幸せです。
ありがとうございました。」
僕は感謝を伝えた。
今度は声に出して伝えた。
しっかりと伝えたことで、
僕自身もあたたかな気持ちになった。
ありがとうって、いい言葉だな。
言われるのは勿論だけど、
口に出した方までが幸せになれる、
不思議な言葉です。
(2013年12月8日)

夢が覚めて

昨日の中学校で、
「松永さんは、夢は見るのですか?」
という質問が出たせいでもないだろうけど、
久しぶりに夢を見た。
故郷の鹿児島県阿久根市。
国道3号線を南に下ると、
阿久根駅の500メートルほど手前で、
右側の眼下に、海の風景が広がる。
まるで一枚の絵葉書のように脳裏に刻まれている。
季節はわからない。
穏やかで、やさしさに満ちた景色だ。
夢は、ズーミングして、
海に近づいた。
波間でキラキラ輝く光までも映し出してくれた。
波音までが聞こえたし、
潮風の香りもあったかもしれない。
目が覚めて、夢は終わる。
昨日の中学校で、
夢が終わり、見えない現実と向かい合うのはちょっと寂しいと発言してしまった
けれど、それが間違いだと気づいた。
朝の布団の中で、
僕は余韻を楽しんだ。
満ち足りた気持ちの朝が始まった。
記憶しているということ、
思い出せるということ、
それ自体が幸せなのだ。
(2013年12月6日)

冬がくる

バス停で待っている僕の目の前を、
赤組の選手が走っていった。
カサカサ、コロコロ、走っていった。
黄組の選手が追いかけた。
こげ茶組の選手は、途中でダンスを始めた。
僕はなんとなく、深呼吸をした。
応援団もガサガサ盛り上がった。
北風が、秋の背中を押していた。
加速度的に押していた。
ふっと、空を見上げた。
今年も、大好きな冬がくるんだな。
コートのポケットに手を突っ込んで、
なぜかうれしくなった。
(2013年11月29日)

みかん色の思い出

「おはようございます、小林です。
お手伝いしましょうか?」
バスを降りた僕に声がかかった。
「お願いします。」
僕は彼女のひじを掴んで歩き出した。
「どちらの小林さんですか?」
いくつかの会話のやりとりで、
記憶の断片が少しつながった。
画像のない記憶なのだから仕方がない。
そして、また一晩眠れば、
記憶喪失になるだろう。
でも、こうして会話を交わし、一緒に歩く。
人間同士っていいよなぁ。
朝からいい日だなぁ。
記憶をつなぎながら歩いていたら、
先日、講演会場で出会った女性が、
彼女の同級生だと教えてもらった。
瞬間、みかん色のみかんが蘇った。
香りまで思い出した。
その時、その同級生にお土産にいただいたみかんの香りが、
移動中の車内に広がって、感激したのだった。
僕は、香りと一緒に、やさしさを頬張った。
みかん色が記憶に残りやすいということではありません。
おいしい食べ物が記憶を助けるということでもありません。
たまたまです、たまたま。
(2013年11月28日)

バリアフリー映画

聴覚障害者のために字幕が入り、
視覚障害者のために、状況説明が副音声として流れる。
見えなくなって、映画をあきらめていた僕に、
再び、映画を見る楽しみがもどった。
バリアフリー映画、最近は毎月のようにどこかで上映されていて、
僕も時間が合えばいきたいと思っているのだが、
なかなかタイミングが合わない。
年に数本がやっとだ。
バリアフリー映画で味をしめた僕は、
普通の映画にも足を運ぶことも出てきた。
映画って、やっぱりいい。
今日のボランティア講座での雑談の中で、
バリアフリー映画の話題になった。
副音声を聞きながら、
画面を想像すると知った彼女は、
「自由に想像できるからいいですね。」と笑った。
彼女は、インドから留学してきている高校生だ。
そんな風に思えるのは、
彼女の大陸的な感じ方なのか、
高校生という柔らかな年頃のせいなのか、
僕には判らない。
でも、そんなことを会話できることが、
本来のバリアフリーなのだろう。
いろいろな国のいろいろな民族と、
いろいろな世代の人と、
コミュニケーションがとれれば、
人生は、きっと楽しくなる。
見えない人とも、聞こえない人とも、
コミュニケーションがとれれば、
人生は、きっと豊かになる。
そして、地球はやさしくなる。
(2013年11月23日)